第二十一章

 当初は天馬達が目論んでいた通り、全て学人達の責任にして尻尾切りを図るつもりだったらしい。裏ではIR施設全体を統括する幹部や政治家等が動いていたという。

 しかし取り上げられたのは、高齢者VIPルームの件だけで治まらなかった。なぜなら騒ぎの発端となった機械の故障原因が、特定の人物による意図的なものだったと明らかになったからだ。

 トラブルはカジノのシステム管理を任されている会社の、寺西という社員が起こしたものだと判明したらしい。自ら警察に出頭した彼の説明によると、システム会社とカジノ側との間に不適切な取引があったそうだ。そして社長の皆宮や営業部長の土方が個人的に賄賂を受け取っており、過剰接待も受けていたことを告発するため騒ぎを起こしたと自供したらしい。

 この事件をきっかけに、運営側と取引先企業との関係にも捜査のメスが入った。そこで足助不動産による不正取引が発覚し、新聞や雑誌、ネットやテレビニュースがこぞって取り上げたのである。

 そうした一連の問題に対しカジノ側は、騒ぎの終息を図る為に問題のある企業との取引停止を発表した。それでも捜査が終わるまでの一定期間、業務停止処分を受けることとなったのだ。

 もちろん事が公になる前に警察へ自首していた翔が、様々な情報を提供していたことも少なからず影響したと思われる。しかしその事は司法取引が成立したことで、表沙汰にはならなかった。翔に対する事情聴取を、その後大々的に行われた取り調べの一つに紛れ込ませることで、告発の事実が隠されたのである。

 そうした混乱の中で、更なる爆弾が破裂した。それは十年以上前に起こった亜美に対する監禁と彼女の父親への暴行事件の首謀者が、足助天馬、足助大地の二人だったという告発だ。

 しかも彼らの父親が足助不動産の持つ財力と権力と人脈を使い、手助けをしたことも明らかになった。その根拠となったのは、足助兄弟に亜美を襲うよう依頼した梓と、身代わり出頭して実刑を受けた男二人を中心に、事件当日関わった人間達による告発だった。

 これを受け、既にカジノでの不正行為により逮捕されていた天馬と大地は、監禁傷害容疑の罪で再逮捕されたのである。傷害の時効は十年で、亜美の父が暴行されて約十一年が経過していた。しかし足助兄弟はカジノの運営に関わる際、一年以上海外に渡航して研修などを受けていた事から、時効が成立しなかったらしい。

 ただ恐喝の時効は七年だった為、天馬達が梓や身代わり出頭させた男達に対する罪を問うことはできなかった。しかし犯人隠蔽罪の時効が三年の為、正直に罪を告発した梓や出頭した男達が更なる罪に問われずに済んだという。

 同じ理由により犯人隠避罪で彼らの父親を罰することはできなかった。だがIR施設建設やカジノ運営において便宜を図り、見返りを受けた収賄容疑の罪で逮捕することができたのである。

 翔は情状酌量の余地もあり、罪に問われることなく不起訴のまま釈放された。これら一連の事件を暴く計画を立てたのが、加世や亜美と卓也だったことは事前に聞かされていたけれど、ここまで事が上手くいくとは全く想像していなかった。

 その為一通り騒ぎが落ち着いた所で、ようやく伯母のいる介護施設を訪ねた翔は、加世と顔合わせた際に思わず尋ねた。

「良くあれ程の計画を実行し成功させましたね。しかも十年以上前の事件の関係者から告発させるなんて、無理だと思っていました」

「あなたが心配していたように、足助不動産の力を封じ込めない限り、事件を公にしても握り潰されると思ったの。だからまずそこから考えたわ。彼らの弱みを握り、社会的に抹殺する方法を探したの」

「どうやったんですか?」

「IR施設の建設当時から、足助不動産が深く関わっていたとの噂はずっとあった。建設された後も全体の売り上げの八割を稼ぎ出すカジノ部門の運営に、足助三兄弟が揃って関わっていたことからも、必ず裏取引があると睨んだの。だからその件を表沙汰にしたいと考えている人は大勢いると思ったわ。そういう人達を巻き込んで利用しようと考えたの。やはりマスコミの力は大きいから」

「それでも相手は相当の曲者ですよ。弱点なんてそう簡単には掴ませなかったでしょう」

「蛇の道は蛇よ。カジノ側と手を組んで上手くやっている足助不動産のような会社は、必ず他の企業から妬みを買うわ。そういう相手を探していたら、案の定いたの。それがあるシステム会社だった。調査会社の人間が怪我を負わされた事件があったでしょ。あの件を聞きつけた彼らが接触してきて、協力したいと申し出て来たのよ」

「不動産関係の会社では無くて、システムの会社ですか?」

「そう。他にもスロットマシーンを納入するパチンコメーカーも、現在取引のある会社にとって代わろうと虎視眈々と狙っていたらしいわ。そんな中でも、今回収賄の容疑で逮捕された皆宮社長の会社は、カジノにおけるシステムを一括して請け負っていた。そこで以前システム導入の会社を選ぶ入札に負けたある企業は、隙があれば引きずり降ろそうと、システムエンジニアをスパイとして潜り込ませていたようなの」

「スパイ? あっ、もしかしてそれがシステムトラブルを起こした寺西という社員ですか?」

「そうだと思う。具体的に誰とは教えて貰えなかったけど、その企業はカジノで問題を起こし、騒動を起こすことに賛成してくれた」

「その結果があの騒ぎだったんですね」

「そう。混乱に乗じてVIPルームにマスコミの人を潜入させ、高齢者VIPルームの存在を表沙汰に出来ないか、と相談を持ち掛けたら、向こうがあんな手を打ってきたって訳。だからあのシナリオは私達が考えた物じゃない。ただいつ実行するかのタイミングだけは、打ち合わせをしたわ」

「でも高齢者の件だけだったら、学人達が責任を負わされただけで終わっていたかもしれません」

「そう。そこでシステムトラブルを起こした本人が、カジノ側と取引先企業との癒着があることを内部告発したのよ」

「でもそれだと、足助不動産にまで捜査が及ばない可能性もあったでしょう」

「そうね。だから騒動が起きる前に、足助兄弟が高齢者カジノに関わっている事や足助不動産がバックにいることを、あなたの口から警察に知らせる必要があったの」

「そうだったんですね。もちろん俺は深野の件も証言しましたが、あの時点では何の証拠もありませんでした。だから当初警察も、半信半疑で聞いていただけでしたけど」

「そうでしょうね。でも騒ぎが起これば、皆宮のシステム会社だけでなく、全ての取引先企業についても不正はないか、マスコミが追及する予定だった。足助不動産についても、いくつかネタを掴んでいた所があったの。でもタイミングを間違えると握り潰されかねないから、温めていたようよ。そこへあの騒動が起こって警察が動き、国会でも取り上げられて監督官庁も重い腰を上げざるを得なくなった。そのタイミングでマスコミは、足助不動産の不正を発表したの。そうすれば、闇に葬られる危険性が薄いと考えたのでしょうね」

「それが十年以上前の事件の告発と、どう繋がるのですか?」

「亜美さんの襲撃を依頼した梓さんは、足助兄弟から酷い目に遭っていたけど、父親の事もあって足助不動産に力がある限り従うしかなかった。でも彼女とはずっと接触を続けていて、もし足助不動産が傾くことになれば証言して貰えるよう、お願いしていたのよ」

「そんなことをしていたのですか」

「だってそうでしょ。彼女達を押さえつけているものさえなくなれば、告発しても問題はない。それは身代わり出頭し、刑務所に入っていた人達も同じでしょ。しかも梓さんが足助兄弟に頼んだのは亜美さんを襲うことで、彼女のお父さんに怪我を負わせることじゃない。例え傷害の主犯は彼女だと足助兄弟が主張したとしても、彼女自身の時効は成立している。出頭した人達も改めて別の罪に問われる可能性はまず無いと、弁護士からのアドバイスを受けていたことも大きかったと思う。だから足助不動産による圧力が衰えたと確認できた後でもいいからと、説得し続けていたの」

「足助兄弟と父親が逮捕され、足助不動産自体も不正取引で警察から捜査を受けていた。だから今までのような力は無くなるし、下手をすれば倒産するかもしれないと考えて、告発を促したのですね」

「そうよ。特に身代わりになった子達は、刑務所にまで入っていたんだから。もちろん代償として報酬を受け取っていた事は確かだけど、それも口封じの為に相手がやったことだから。このまま黙っているより自分達は無実だと裁判で証明した方が、今後社会で生きていくには得だと分かってくれたの。だって一生面倒を見てくれるはずだった足助不動産が無くなることを考えたら、そう思うでしょ。その上協力してくれた企業の一つが、彼達とその親を含めた転職先の斡旋を約束したことも彼らの決断を後押ししたと思う」

「そうした説得が効いたのですね。足助兄弟達が逮捕されてしばらく経ってから急に告発が続いたのは、そういう理由だったのですか」

「間違いなく足助不動産の力が無くなると分かるまでは、彼らも安心できなかった。だから時間がかかったのよ。でもこれまでの取引企業の不正が明らかになって排除される動きが出た時点で、後釜を狙っていた会社が一斉に動いてくれたから上手くいったわ」

「それは十分理解できます。僕だって加世さんに警察へ出頭して全てを告白しろと言われた時、そんな覚悟は持てませんでしたから」

「でもあなたはやってくれた。しかも足助不動産の力が無くなるという確証がまだない時点で、行動してくれたじゃない。その勇気には頭が下がるわ。ありがとう。良く決断してくれたね」

「いえ、加世さんや深野さん達の真摯な思いがあったからです。それがなければいつまでも悩んだまま、流されていたと思います」

 亜美の事件について聞かされた後、翔は加世のクリニックで彼女と顔を会わすこととなった。そこには卓也という彼女の兄も同席しており、改めて事件に至るまでの経緯やその後起こった事等の説明を受けたのだ。

 そこで足助兄弟が関わっていた事を突き止め、長い間復讐する機会を狙っていた事を告げられた。特に卓也は足助兄弟を殺そうとまで思い詰め、実際に計画まで立てていたという。

 しかし彼らの居場所を突き止めても、近づくことさえ困難だと分かり断念したようだ。その間相当悩み苦しんだらしい。父や妹と疎遠になり誤解を受けながらも、パチンコ店に身を置いてコツコツと情報収集をしてきた事を、涙ながらに告げられたのである。

 その上で加世達が足助兄弟達に恨みを持っていたり、敵対関係にある人々に声をかけたりしつつ、弁護士や調査事務所と連携を組み、綿密な計画を立てていると聞かされたのだ。

 もちろん調査費用などが必要なため、お金も相当かかっていたらしい。その主な出所は、亜美がVIPルームで働いた給与だという。彼女のしている接客業がいかに大変かは、翔も知っている。

 高齢者専用ルームにも似たような係が待機していた。時には女性達の体に触ったり、肉体関係を迫ったりする客がいる。介護が必要な老人達でさえそうなのだから、他のVIPルームではもっと酷い要求をされている事は容易に想像できた。その点を尋ねた所、彼女は否定しなかった。

 それでも客の部屋に呼ばれ、体を売る真似だけはしていないときっぱり答えたのだ。つまりギリギリの線は越えずにいたが、それなりの被害は受けていたことを意味する。

 だからこそ客から高額なチップを受け取るなどして、クラブやキャバクラのホステス達のトップクラスが稼ぐような給与を手にしていたのだろう。

 彼女が前にいた介護施設で、セクハラ被害に会ったことを翔は思い出した。過去に強姦未遂事件の経験がある中で、あの時もかなり傷ついたはずの彼女が、現在そんな思いをしてまで働いているのだ。

 そして得たお金は復讐計画を成功させる為の費用につぎ込んでいることから、相当強い意志が感じられた。

 しかもカジノで働くようになったのは、翔の後を追いかけてきたことが始まりだと聞いている。彼女は翔が働いている職場なら安心だろうと思っていたことも耳にしていた。その事が足助兄弟の存在に気付き、そして兄の想いを知り、さらには加世との繋がりを経て現在の状況を招くきっかけになったといっても過言では無い。

 それらを結びつけたのは翔だ。その為そこから自分だけ逃げ出すことなど出来るはずがなかった。亜美の生い立ちを聞いて、血の繋がらない身内に育てられ、迷惑をかけてきたことを悔いながら介護している自分の人生と重なることが多い事にも驚いた。重い十字架を背負っているのは自分だけではなかったのだ。

 己だけが明るい未来や希望などないと思い込んでいが、それは違った。いやそうでないことなど分かっていたはずなのだ。世界にはもっと過酷な環境で育ち、今を生きる為のコメ一粒、水一滴を手にすることも困難な人達は大勢いる。それなのに何故自分だけがこんな目に遭っているのかと逆恨みして卑屈になり、殻に籠って自分一人でなんとかしようとしていたのだ。

 他人を信用できず頼れずにいた自分がなんとも情けなかった。不幸な自分に酔っていただけなのかもしれない。それとも自分はこうなる運命だったと諦めていたのだろう。だから今こそこれまでの自分と決別する良い機会になると思うことができたのだ。

 しかし計画が失敗した場合のリスクについては、徹底的に話し合った。学人だけが罪に問われ、足助不動産や足助兄弟が逃げ延びたなら、翔や叔母だけでなく加世や亜美達家族にも危険が及ぶ確率は高い。もちろんそうなった場合の防衛策は取るが、最悪の事態に陥るようなら、刺し違える覚悟もあると卓也は言った。

 さすがにそれは止めるよう加世達に説得されていたが、彼はその位の決意が無ければ計画を実行することは出来ない、と訴えたのである。そこで翔も腹を括った。

 このままじっとしていてもカジノでの騒ぎが表沙汰になることは避けられないようだ。そうなれば、学人やその一部だけが責任を取らされて終わる可能性が高い。

 だったらカジノの裏に隠れた闇に光を当て、彼らを公の場に引っ張り出し罪に問う今回の計画は、千載一隅のチャンスだ。この機会を逃せば翔だけでなく、亜美達もまた辛い過去を清算できずに生き続けるしかなくなる。

 退いても地獄なら進むしかないと考え、翔は警察への出頭を決めたのだ。そして望んでいた結果を得ることが出来たのである。

 ただ翔と亜美は、カジノの一時閉鎖と同時に当然ながら職を失った。しかし今回の一連の事件により、多くの介護施設が処罰を受けたことで、利用していた高齢者達は事件と関わりが無かった施設へと移らざるを得なくなっていた。 

 そこで受け入れる側の施設も、対応する為に介護士の増員が必要となる。だが事件に関わっていた多数の介護士達も罪に問われていたため、極端な人材不足に陥っていた。そのおかげもあり、介護士資格を持った人材は引く手数多となっていた。

 そうした状況の中で翔は、これまで避けていた伯母のいる施設への就職を決めたのである。今回の件で、いつ伯母と離れ離れになってもおかしくない事に気付かされたからだ。そこで彼女がこの世を旅立つまでは少しでも長く一緒にいたいと願い、同じ施設で働くことを選んだのである。

 亜美もまた同じ事を考えたらしく、彼女の父が入っている施設で働き始めた。これまでは介護することを苦痛に感じていたようだが、暴行事件の真犯人が捕まり、真相が明らかになったことで悔い改めたようだ。

 自分が犯した過ちが全ての不幸の始まりだったことを思い出し、介護士となった自分の手で父の世話をすることが、せめてもの罪滅ぼしだと考え直したらしい。

 また彼女の兄、卓也も新たな人生のスタートを切った。なんと営業停止期間を終えたカジノ部門で働くことになったのである。これまで勤めていたパチンコ店を辞め、給与も倍以上になったという。彼がカジノで働く表向きのきっかけは、新たに大勢の従業員が募集されたからだ。

 一連の事件により足助三兄弟だけでなく、彼らの息がかかった従業員や不正に関与した者達が一掃され、急激な人員不足に見舞われた為らしい。

 ただし応募して面接を受け採用されたことになっているが、実際は逮捕された皆宮の会社に取って代わったシステム会社の伝手によるものだったという。彼は加世と共に足助不動産など、それまでカジノ運営側と癒着していた企業の摘発と排除に、影ながら尽力してきた。その働きが認められたのだろう。

 しかも監督官庁の指導により一新した、カジノ運営会社や新たに取引を始めた会社からの後押しもあったと思われる。またパチンコ業界で長らく働き、店長経験があったことも評価されたらしい。採用されて間もなく幹部にまで抜擢されたそうだ。

 その為収入が元の水準へと戻った亜美に代わって、父親の介護における経済的支援もできるようになったという。疎遠になっていたことで生まれた誤解も解消され、三人の生活は徐々に落ち着きを取り戻したらしい。 


 卓也がカジノ部門の幹部として働き始め、亜美や翔も新たな職場に慣れ、少し落ち着いた頃を見計らって三人は食事の席を設けた。加世も誘ったのだが、学会の予定が入っているからと断られた。

 しかしおそらくそれは嘘で、気をまわしたのだろう。なぜならその頃亜美と翔との距離は急速に縮まり、連絡も盛んに取り合う仲になっていたからだ。

 といっても積極的にアプローチし続けていたのは亜美の方で、翔は彼女の好意を受け憎からず思っていたけれど、まだ一歩踏み出せないでいた。互いの年齢を考えれば単なる交際では済まず、いずれは結婚という選択肢が待っている。つまり翔は家庭を持つことになるのだ。

 しかし母の犯した罪や、伯母の苦しみを考えると幸せな人生が送れるのか、幸福を味わっても良いのかと躊躇する気持ちがどうしても拭い去ることが出来ないままでいた。

 穏やかな暮らしをしたいという気持ちはもちろん持っている。だが家庭の温かみを知らず自分に自信が無い翔は、一人の女性を愛し家庭を築くことに恐怖すら感じていた。だからこそ今まで独身を貫いてきたのだ。

 その事を加世だけでなく、亜美や卓也も感じていたのだろう。それでも亜美は真っ直ぐな気持ちをぶつけ続けることを諦めず、卓也もそんな二人をどうにかしたいと応援してくれていた。

 今回の食事会も名目は卓也の幹部昇進を祝う会だったが、明らかに二人を気遣って席を設けたに過ぎない。その事を承知している翔は、申し訳なく、そして自分を不甲斐なく思っていた。

 食事は卓也が入寮しているIR施設内の高級中華料理店を予約してくれた。もちろん個室だ。その為翔は黒のジャケットを羽織り、彼女はおしゃれに決めたスーツパンツにキャメルジャケットを着ていた。

 卓也がいなければ、ちょっとしたパーティに参加する恋人同士に見えるような服装だ。待ち合わせした店が比較的フォーマルな場所だったこともある。しかしそれだけではなかった。

 食事が終われば、卓也はそのまま施設内にある寮へ戻り、亜美と翔は最寄り駅を使って帰る予定だ。時間は夜遅くなるため、彼女の家まで送り届ける流れになってもおかしくない。もしくはそのまま二人で別の店へ移るか、翔の部屋に誘うことも考えられた。

 介護施設に再就職した二人は、連絡を取り合うようになっても互いが不規則な勤務時間の為、休みを合わせることなどなかなか困難だった。よってデートをする機会も少なく、今回はとても貴重な時間だったのだ。

 テーブルを囲んだ三人は、めったに食べられない豪華な食事をしながら会話した。しかし翔と卓也との間はどこかぎこちない。年は翔が上だが、亜美の兄だからだろう。時に敬語が入り混じった

「カジノ部門の幹部の仕事は大変じゃないですか」

 VIPルームの一部門の責任者だった学人の仕事ぶりを知っているだけに、天馬や大地がいたポジションの仕事ならさぞ激務だろうと心配した翔の問いかけに、卓也は冗談を交えながら答えた。

「忙しいのは間違いないですね。人もかなり入れ替わって慣れない人達が多いから余計でしょう。自分もそうですが、注意すべき点が多すぎてそれを覚えながら指示したり確認したりすることで必死です。VIPルームの若くて綺麗な女性接客係という目の保養があるから、日々のモチベーションをなんとか保てていますけど」

 これに亜美が皮肉で返した。

「超VIPの金持ちばかり相手にしているあの人達は、お兄ちゃんなんて眼中にないから。せいぜい眺めるだけにしておいた方が良いよ。相手にされたとしても遊ばれるだけだから、気を付けてね」

「さすがに同じ職場で働いていただけあって、よく知っているな。もちろん職場の中でもあの子達は特殊な人種だから、手なんか出せるはずがない。それに俺は上司だから、そんなことをすればやれセクハラだ、パワハラだと訴えられてしまうよ。ただでさえ俺のような新参者を引きずり降ろそうと狙っている奴らがいる。ハニートラップには特に注意しているから安心しろ」

「卓也はこれまで結婚を意識した人はいなかったのか?」

 翔の質問に、亜美も興味深げな顔をした。しかし彼は鼻で笑った。

「これまで危険な環境にいたのでそんな状況ではなかったですし、今も安全だとは限りませんからね。足助兄弟の息がかかった残党達が報復攻撃を仕掛けてくるかもしれないので、なかなかそういう気にはなれないです。それに正直、一人でいることに慣れたので今更って感じもしますし」

「まだ襲われる可能性があるってことか?」

「加世さんがおっしゃっていましたが足助不動産自体の力は、ほとんど無くなったと言えるでしょう。社長以下腹心達も相当数が起訴されて役員から外されていますし、足助兄弟も傷害だけでなく殺人未遂の罪で起訴されていますからね。残っているのは一番下の学人さんだけで、会社の存続すら危ぶまれています。ただこれまであの会社を通じて利益を上げて来た企業や裏の連中達が、全員逮捕された訳ではありません。そいつらにとって俺達は憎むべき相手です。失った利権や儲けから考えると、殺したいくらい恨まれても仕方がありません」

「その危険性があることは作戦当初から覚悟していたけど、何か動きがあるの?」

 亜美が心配気な表情で卓也を見つめたが、彼は首を振った。

「今のところはない。だけど加世さんの忠告通り、まだしばらくの間は気を付けていた方が良いだろう。俺はこのIR施設内にいることがほとんどだし、セキュリティーはしっかりしているからまだいい。心配なのは亜美達だ。今日の帰り道は特に気をつけろよ」

「俺が送っていくから、心配しなくていい。なるべく人通りの少ない所は通らないようにするから」

「お願いします」

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