第二十章

 意外な発言に驚いた。学人は助けられることより、翔を逃がすことを考えてくれていたのだ。

「それは無理だろう。立ち上げにこそ関わってはいないが、今の俺はVIPルームにいる従業員の中でも、リーダー的な役職を与えられている。違法ではないにしても、道義的に問題のある行為と知った上で運営に深く関わってきた。責任は逃れられないだろう」

「いや直樹達や協力していた介護施設のように、裏で金を受け取っていた奴らは、庇いようがない。だがお前は伯母さんの介護で金が必要になっていた所を俺にスカウトされ、やむを得ずここで仕事をさせられていただけだ。それに重要なポストを与えられてはいるが、金も働きに応じた報酬を貰っているに過ぎない。それは俺からも証言する。だから安心しろ」

「どうして俺を助けようとする?」

「そんなつもりはないさ。ただ必要以上に、逮捕される人間を増やしたくないだけだ。事件が大げさになればなるほど、カジノ側が受ける損失も大きくなる。だからなるべく穏便に済ませたい。それにできるだけ退職金は多く払って貰えるよう、兄貴達には話しておくよ。伯母さんの件で金が要るだろう。それとここを辞めても別のIR施設で働けるように口も利いてやる。ほとぼりが冷めれば、お前くらいのキャリアなら他の介護施設でも引く手数多だろう。もちろん警察の事情聴取を受けても、ここで知った余計な事などを喋らないというのが条件だ。まあ口止め料と思ってくれればいい」

 彼の申し出は正直有り難かった。カジノを辞めさせられたら、今までのような高収入は見込めない。そうなれば、やがて伯母の介護にかかる費用を支払えなくなる時期が来るだろう。それどころか万が一警察に捕まって刑務所行きになってしまえば、顔を会わせることもできなくなる。

 痴呆症が進んでいる為、例え翔に前科が付いたとしても、伯母には理解できないかもしれない。だが時々正気に戻ることもあった。もし翔が逮捕されたと分かれば、また辛い思いをさせてしまう。病状がさらに悪化することも考えられた。

 もちろんこれまで世話をしてくれ、心を砕いてくれた加世を裏切ることにもなる。だから罪に問われずしかも職を失わずに済むのなら、そんな有難いことは無い。

 学人にスカウトされ、当初は高齢者専用ルームのような問題がある場所とは知らず、強引に働かされていたことは事実だ。巻き込まれた被害者と言っても、嘘にはならないだろう。だがそれで本当に良いのか。翔の良心が揺らぐ。 

 学人が言った通り彼やその部下達、そして介護施設側の人間達は高齢者を食い物にし、不適切な取引で儲けていた事を罪に問われても致し方ない。

 だからといって、トカゲの尻尾切りのような扱いを受けるなんてあまりに非情な話ではないか。利益を得ていたのは彼らだけじゃない。その上にいるカジノの運営側だってそうだ。それどころか問題があると知りつつ黙認していたのだから、同罪だろう。

 いや学人の話からすれば、高齢者VIPルームを作るアイデア自体、上からの指示だったに違いない。それこそ決して頭が良いとは言えない学人が思いつくような計画ではなかった。

 とはいえ天馬達を告発すれば、ただでは済まない。退職金はもちろん、その後における翔の就職の話も無くなるだろう。逮捕されて刑務所に入る可能性も高くなる。足助不動産自体を敵に回すのだから、下手をすれば命を狙われる可能性だってあった。あの恐ろしい兄弟を見ていれば、それ位の事はしかねない。

 万が一そうなれば、伯母は一人この世に取り残さてしまう。警察の手が足助兄弟に及べば、学人だって出所後の裕福な生活などできなくなるに違いない。ならば彼の言う通りにするしかなかった。

 学人との話が終わり部屋を出た翔は、それからというものの現実と良心の呵責に苛まれる日々が続いた。そしていつ問題が表沙汰になるか冷や冷やしながら、仕事をいつも通りこなしていたのである。

 学人から口止めされていた為、他の従業員とこの件で話すことは無い。だが利用者は日が経つにつれて減る一方だった為、皆は一様に首を傾げていた。中には売り上げの減少により、人員整理が行われるのではないかと心配する者もいたほどだ。

 それから初めて迎えた休みの日に、翔は伯母のいる施設を尋ねた。するとそこには何故か、診察日でもないのに加世の姿があった。

 彼女は信頼できる人だが、一時期翔の仕事について非常に心配をし、職場についてやたら探ってきたことがある。その為今自分が抱えている問題について、絶対に知られてはいけないと警戒していた。

 しかし彼女は伯母の様子を看た後、翔と二人きりになった所を見計らって、驚くべきことを口にしたのだ。

「翔君、今あなたが働いている高齢者専用VIPルームで、相当なトラブルを抱えている事は知っている?」

 どうやらこの話をする為、彼女は敢えて翔が訪ねてくる日を狙って来たらしい。何も言えずに固まっていると、彼女はさらに続けた。

「その様子だと、多少は耳にしているようね。恐らく数日の内に新聞やテレビで取り上げられると思うわ。そんな事になったら、あなたもただでは済まなくなる。あなたはそれを理解しているの?」

「せ、先生はどこまでご存知なのですか?」

「あなたが働いているのは、カジノの中でも介護を必要とする高齢者専用のVIPルームでしょ。そこの利用者の多くは、介護施設のデイサービスを受けている振りをして、カジノに出入りしている。しかも家族には全く知らされていない。それが最近問題になって、訴訟問題に発展しようとしている。違う?」

「ど、どこでそんなことを聞いたのですか?」

「あなたこそそこまで知っていながら、どうしてまだそんな職場で働いているの? 何か弱みでも握られているの?」

「どうしてと言われても、僕が働かなければ伯母の入居費用を誰が払うのですか」

「じゃあお金の為? それで道義的に問題のある行為に手を貸しているの? もしあなたが警察に捕まれば、それどころじゃなくなるわ。それこそ桜良さんはどうなるの」

 そんなことは十分承知している。触れられたくない点を突かれたため、カチンときた翔は思わず声を荒げた。

「じゃあ先生は、僕にどうすればいいというのですか?」

 だが加世は動ぜず、予期していたかのようにゆったりと答えた。

「まだ遅くない。今すぐにでも仕事を辞めて警察へ出頭し、あなたが知っていることを洗いざらい白状しなさい。そうしないとあなたまで逮捕されることになるわよ」

「そ、そんなことできる訳ないじゃないですか。それこそ刑務所行きになります。そうなったら伯母はどうなるのですか」

「大丈夫。今は司法取引という制度があるから、これまでしてきた高齢者相手のカジノ賭博の全貌を告発すれば、情状酌量を得られる可能性は高い。あなたは単に途中で雇われた、介護士の資格を持った従業員の一人にすぎない。そうでしょ。だったら司法取引を申し出れば、実刑を受けることは無いでしょう。最低でも執行猶予は勝ち取れる。上手くいけば不起訴で済むかもしれない。そうすれば新たな介護施設で働きながら、桜良さんの面倒を看ることができる」

 翔は迷った。彼女が言っていることは理解できる。これまでもそうしようと考えた事があるからだ。しかしそれでは学人を裏切ることになる。それだけじゃない、足助兄弟を敵に回すことになるのだ。 

 その事を説明することは躊躇われた。話したとしても、彼らの恐ろしさを知らない彼女には伝わらないだろう。よって出す結論も変わらない。

 だが沈黙した翔に対し、彼女の放った言葉はさらに衝撃を与えた。

「もしかして、カジノを取り仕切っている足助兄弟が怖いの? それとも私にも言えないような悪さを、あなたもしているの?」

「先生は、足助兄弟のことを知っているんですか?」

「多少はね。一番下の学人という子が、確かあなたと同級生だったっけ。その中でも特に厄介で危険なのは、上の二人らしいじゃない。でもあなたが警察に知っている事を話せば、彼らもただでは済まないはずよ。他にも余罪がある子達らしいから、おそらく実刑は免れないでしょう。それより問題なのは、あなたがどこまで関わっているかってことなの。正直に話して」

 翔は観念した。恐らくここで話さなくても、彼女がそこまで知っているのなら、学人が恐れていたようにトラブルが表面化するのは時間の問題だ。翔は少なくとも警察の事情聴取を受けることになる。恐らく警察は彼女の元にも訪れるだろう。それなら隠しても無駄だと思い、知っていることを少しずつ話し始めた。

 じっと翔の説明に耳を傾けていた彼女は、間にいくつかの質問を挟んだ。そしてほぼ全てを白状し終わった所で、彼女は言った。

「あなたがカジノの運営に手を貸していたことは間違いないけれど、学人という子が言ったように、お金が必要だったあなたは利用されただけ。それをしっかり警察に説明すれば、情状酌量の余地は十分あるから問題ないと思うわ」

「でもそれだと学人も含めて、足助兄弟を敵に回します。もし警察から解放されても、その後無事でいられるかは保証できません」

「その危険性は否定しない。でもそれでいいの? 足助兄弟や足助不動産という巨悪を、あなたは野放しにするつもり?」

「じゃあ僕の身がどうなっても良いというのですか? 下手をすれば、伯母さんや先生にも危害が及ぶかもしれません。それを警察が守ってくれるのですか? 無理でしょう。だったら学人が言った通りにするのが、一番安全じゃないですか」

「そうかもしれない。でも足助兄弟はもっと酷い事をしているの。あなたもその被害者をよく知っているはずよ。私は絶対許せない。なんとしても彼らには、今度こそ法の下で裁きを受けさせる必要がある。でないと何度でも罪を犯し続けるでしょう。これ以上被害者を増やしてはいけないの」

「もっと酷い事ってなんですか? 僕の知っている人が被害者?」

 そこで翔は、かつて亜美の身に起こった事件の真相を聞かされたのである。そして思い当たった。

 直樹が呼び出され、翔も彼女との関係を学人に尋ねられたことがある。確かあの時、足助兄弟の命令を受けて調べていると言っていた。それはこの事だったのかと納得した。

 しかもあの時、学人は天馬達が何の為に調べているのかよく分かっていなかったはずだ。それはつまり身代わりの件も彼は知らないことになる。それどころかあの兄弟は、今度の件でも実の弟である学人を犠牲にするつもりなのだ。

 そうやって足助不動産は金と権力を使い、跡取り息子である天馬とその右腕の大地を守ってきたことになる。その事実を知った翔は、学人が哀れに思えて仕方がなかった。同じ親の元に生れながら出来の悪い息子として扱われ、捨て駒扱いにされようとしている。

 さらに亜美やその父に対して一生残る傷を負わせ、家庭を壊した張本人が、再び自分達の犯した罪を他人に押し付け逃れるつもりなのだ。

 加世の言う通りこのまま何もしなければ、彼らは学人達を切り捨てることで地位を守り、新たな悪行を重ねるだろう。一度味をしめた奴らだ。何度でも繰り返すに違いない。

 母が不倫していた事で女性に対して嫌悪感を持った翔だが、成長するにつれて性風俗店等の存在を知り、愚かな同性がいることも学んだ。また痴漢や盗撮、レイプなど愚かな行為が当たり前のように巷で広がっている現実を目の当たりにし虫唾が走った。

 特に一時期、無理やり女性と肉体関係を持ち逮捕されながら、不起訴となるケースが相次いだ。そんなニュースを見て同じ男として無性に怒りを感じた覚えがある。だから足助兄弟の犯罪は許せない。

 しかし相手はとてつもない力を持っている奴らだ。自分が告発したくらいで罪に問えるかどうかも疑わしい。やはり敵に回すのは危険だ。そう考え、簡単に決心がつかない翔は黙るしかなかった。

 そうした反応を見て、加世はため息をつきながら、翔の考えを見透かしたように言った。

「そうね。急にこんなことを言われても困るわよね。あなたが相手の報復を恐れていることは理解できる。それに彼らのバックには政治家達や怪しげな連中が付いているだろうから、あなたが告発しても罪に問われないかもしれないと心配しているのでしょう」

 視線を外して静かに頷く。それでも彼女は言葉を続けた。

「ここまで話したのだから、今日は全てを話す。こうなる前に、もっと早くから伝えておくべきだったわね。時間をかけてゆっくり考えて貰った方が良かったのかもしれない。でも今はそんな悠長なことを言っていられない程、事態は切迫しているの。だから聞いて。その上で手遅れにならない内に決断して欲しい」

 そう切り出した後に聞かされたのは、驚愕の内容だった。とても長いこれまでの経緯や、その後の見通しについて説明を受け、翔は覚悟を迫られたのだった。


 本当にタッチの差だった。翔が警察に出頭した直後、多くのマスコミがカジノに押し掛けたのである。しかしそれは意外なことが発端だった。それはカジノで大規模なシステムトラブルが起こり、客達が大騒ぎしたことから始まった。

 カジノ内では現金をチップと交換したり、逆にチップを現金化したりする機械がいくつも備えられている。一部を除き、多くの客達はその日勝った分や使いきれなかったチップを、現金に換えてからカジノを出るのだ。

 しかしある日突然システムがストップし、払い戻しができなくなったのである。これによって客達が騒ぎ出した。特に海外から来ている観光客はその日の内にカジノを出て、次の場所へと移動しなければならない人達がほとんどだ。中には日本から出国しなければならない利用者も大勢いる。

 その為、直ぐにでも現金化する必要があった。お金に換えずチップを外に持ち出すことは出来ないからだ。よって客達は従業員達に詰め寄り、早く交換しろと迫った。

 しかしその日は不幸にも休日で、客の数が余りにも多い日だった。その為とてもではないが、人だけでの対応には限界があり、何時間にも渡る行列ができたという。

 時間に余裕がある客はそれでも良かったが、出国時間が迫っている者などは殺気立った。その為カジノ内で怒号が飛び交い、収拾がつかない事態となったのである。

 やがて暴徒化した一部の客が、本来入ることの出来ないVIPルームへとなだれ込んだ。カジノで特別扱いされている客達がいることを知る人達は、そこへ行けば優先的に現金化ができるはずだと考えたらしい。

 その為従業員の制止を振り切り、半ば強引に特別通路の扉を開ける従業員のIDカードを奪い取って侵入したのだ。そこで驚いたのは、VIPルームの従業員や客達である。突然乱入してきた見知らぬ集団に恐れ慄き、当然パニック状態となった。実はその時、VIPルームに設置されている機械も同じようにダウンしていたらしい。

 しかしVIPの場合は、例えその日に交換できなくても後で送金をして貰ったり、これまでのツケと相殺したりできる。その為困る客はごく少数で治まっており、騒ぎとは無縁だったのだ。

 それなのに、もの凄い剣幕で大声を出す群衆が押し寄せたことで多くのVIP客達は逃げ惑った。またはカジノ側のお粗末なセキュリティー体制に激怒する客も現れ、さらなる混乱を招いたという。

 そんな中で特に大変だったのは、車椅子に乗った高齢者VIPにいる人達だった。群衆に囲まれ身動きが取れず、ただ茫然と佇むことしかできなかったのである。そこで雪崩れ込んだ客達の一部が、そうした場違いに思えるVIP客の存在に気付いた。

 そして何故こんな所にいるのかと質問された高齢者は、恐怖のあまり正直に喋ってしまったらしい。その様子が直ぐにSNSを通じて拡散され、高齢者専用VIPルームの存在が、全世界に暴露されたのである。

 スマホとネットの普及により、事件や事故などを目撃したあらゆる人がネットニュースの発信者となれる時代だ。システムトラブルによる騒ぎの様子も、多くの人がスマホを使って動画を撮影し、配信し続けていたらしい。

 その中の一つとして、本来介護施設に通っている車椅子に乗った老人達が、カジノ通いをしていることまで世間に晒されたのだ。しかも彼らはVIPルームを使って特別扱いされていた事や、介護施設とグルになり、デイサービスを利用しているフリをしてカジノに出入りしていた事もばらされたのである。

 暴徒達に紛れ、新聞や雑誌記者がいたのではないかと後に噂されるほど、情報の拡散の手際は良かった。その為こうした情報に、あらゆるマスメディアがいち早く飛びついたのである。そして真相を明らかにしようと、カジノ側に取材攻勢し始めたのだ。さらには日頃からカジノの閉鎖を訴えていた団体が、これ幸いにと施設の周りで毎日のように大規模なデモを開き始めた。

 こうなれば警察も動かざるを得なくなり、カジノ施設への立ち入り捜査はもちろん、運営者や従業員達への事情聴取が始まったのである。加えて国会でもこれらの問題が議題に上がり、IR施設を管轄する省庁も、真相の究明に乗り出した。これだけ大きな話題となってしまうと、高齢者専用VIPルームの責任者である学人達の首を切れば済む話のレベルではなくなった。 

 その上以前からカジノ側と水面下で示談交渉していた香流久子や一ノ瀬勇の親族達は、世間に明るみとなった事で勝てると見込んだのか訴訟へと打って出たのだ。その為カジノの従業員だけでなく、提携していた介護施設や介護士達に対しても、警察による取り調べが行われた。そこで様々な証言が飛び出したらしく、カジノ運営本体の関与が徐々に明らかとなったのである。

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