第十八章

 衝撃の告白に驚いた亜美は、同時に過去の自分が犯した罪が全ての原因だった事実に呆然とした。父が後遺障害を負ったのも、店を手放し一家がバラバラになっただけではない。

 兄が父や亜美と距離を置いたのも、全ては自分が発端だったのだ。しかも亜美の知らない所で、兄はとんでもない被害に合っていたというではないか。

 あの事件以降、更生して介護士となって自立し、兄の分まで父親の面倒を看るようになった。だから心のどこかで、迷惑をかけた分はかなりお返しを済ませたと自惚れていた気がする。

 そうした思いがあったからこそ、施設を辞めてカジノで働く自分を正当化し、稼いでいるからいいじゃないかと自分に言い聞かせていたのである。

 亜美は恥じた。翔を追いかけるというのも結局は言い訳に過ぎず、介護から抜け出したい気持ちが表に出ただけだったのだ。プライベートでも父の介護、仕事でも我儘な利用者の介護に疲れて逃げた結果がカジノでの接客だった。

 しかもそこはかつて、亜美を襲った足助兄弟が仕切っている職場なのだから馬鹿な話だ。血の繋がりがない亜美をここまで大きく育て、最大の危機には体を張って助けてくれた彼らにどれだけ心配させ、迷惑を掛ければ済むのだろう。

 亜美の実の父親は母に対する暴力が酷かったらしく、亜美を産んで間もなく二人は離婚した。妊娠を機に母が実家へ戻った時、父によるDVを知った母の両親が離婚させるよう、奮闘したそうだ。お腹の子も中絶させようとの話も出たらしい。

 だが時期的に遅かったことと、母がどうしても子供だけは産みたいと言い張った事から、亜美は無事この世に生を受けることとなったと後に聞かされた。

 母は今の父が経営するパチンコ店で働いており、そこで知り合った筋の悪い男と結婚したのがそもそも間違いだったのだろう。その経緯を知っていた父が、シングルマザーとなり再び店で働きだした母に同情したのか、結婚を申し込んだらしい。

 父には卓也という亜美より三つ年上の息子を産んだ妻がいた。しかし彼女は出産して間もない頃、交通事故に遭って亡くなったのである。幼い子供を祖父母に任せ働いていた父には、母親が必要だと思ったのだろう。だからまだ幼い連れ子のいる母と一緒になったのかもしれない。

 だがその母も結婚後まもなく病に罹り亡くなった。その為父はもう結婚自体を諦めたそうだ。自分と一緒になった女性は皆不幸にも死んでしまうことを恐れたのか、または二度も妻を失ったことで、これ以上悲しみを背負いたくないと考えたのかもしれない。

 そうした経緯を経て、亜美は血縁関係のない兄ともども祖父母に育てられていたのである。それなのに今の自分は何をしているのだろうか。どれだけ愚かで、救いようのない人生を歩んでいるのだろう。そう考えると情けなくて涙が止まらなくなった。

 その様子を見た兄は驚いたようだ。

「どうした? 急に泣き出したりして。昔の事を思い出して辛くなったか」

 亜美は首を振り、今感じていることを正直に話した。しかし兄は今更そんな事で自分を責めるな、お前のせいじゃないと慰めてくれた為、余計に胸が痛んだ。

 そこで再就職先がIR施設であることは間違いないが、本当はその中にあるカジノの接客業であること、さらにカジノ部門を足助兄弟が仕切っている事を白状したのである。

 これには兄も目を丸くした。

「お前、カジノのVIPルームで働いているのか? そこに奴らがいるというのも本当か?」

 亜美が頷くと兄は唸り、しばらくして尋ねた。

「お前は俺に相談があると言ってここへ来た。つまり今後どうすればいいか、悩んでいるということだよな。自分はどうしたいと思っているんだ?」

「どうしたいって?」

「足助兄弟に復讐したいと思っているのか。それとも今まで通り知らなかった振りをするか、だ。後者なら、今すぐにでも仕事を辞めろ。今の話を聞いた所だと、あいつらにとって亜美は大勢いる接待要員の中の一員に過ぎない。恐らく昔襲った女が、自分の下で働いている事すら気付いていないのだろう。もし知っていたら、今まで何も起こらなかったこと自体が奇跡だ。どちらにしても早く逃げ出した方が良い」

 まだ涙が止まらないまま亜美は考えた。逃げることは簡単だ。しかしそれでいいのか。それに翔の事もある。このまま会わずにカジノから去れば、加世との約束が果たせない。

 それ以前に自分を襲い、父をあんな目に遭わせた人間が近くにいるというのに、何の罪にも問われず放置されることを許せるのか。いや、それは嫌だ。

 だが思い直す。逃げないのであれば復讐するということだ。しかしそんなことが出来るのだろうか。相手は莫大な財力と権力を持っている。そんな相手に立ち向かうことなど出来るだろうか。

 そこで尋ね返した。

「復讐したいと思っても、そんな事ができるの? 現にお兄ちゃんは、あいつらから警告を受けて諦めたんでしょ?」

 しかし兄はそれを否定した。

「俺は諦めたわけじゃない。一度撤退したが、それは相手を油断させるためだ。いつかはあいつらの弱点を掴み、復讐する機会をずっと狙っている。だから俺は今でも亜美達に近寄らないし、その上で今のパチンコ店に勤めながら人脈を広げ、こっそりと情報を集めつつ足場を固めているんだ」

「お兄ちゃんは、復讐するつもりだったの?」

「ああ。だけど簡単な相手じゃない。親父や亜美に迷惑をかける可能性がある。だからやる時は完全な証拠を掴み、反撃する間も与えず、素早く決着をつけなければならない。だから今までずっと黙っていたんだ。でもお前が復讐なんて必要ないというなら辞める」

 亜美は咄嗟に首を振って言った。

「復讐したい。でも方法はあるの?」

「俺はあると思っている。過去のやり口からして、奴らなら今でも裏では必ず法に触れることをしているだろう。弱点は必ずある。それを掴んで告発し、いくら金や権力を使っても逃げられない様に追い込むんだ。しかしその為には、絶対裏切らない協力者が必要となる。以前俺が失敗したように、調べていることをあいつらの耳に入るようなことがあれば、今度こそただでは済まない。だから今は慎重にそうした人脈を探っている所だ」

「絶対裏切らない協力者って?」

「俺達のように、あいつらから酷い目に合わされ恨んでいる奴が必ずいるはずだ。そういう人間なら、復讐に手を貸してくれるだろう。ただそういう奴は、俺の時と同じように向こうも目を付けやすい。だから本当は全く関係のない、正義感を持った第三者がいるといいのだが。例えば弁護士のような人とかだ。しかし雇うとなると金もいる。それに金で雇った者は、金で寝返ることもあり得るからな。向こうは相当の資産家だから、そっちでの勝負は敵わない。その点が難しいんだ」

 話を聞いているうちに、亜美の頭の中に一人の顔が浮かんだ。

「いるよ。一人心当たりがある。正義感があって第三者の立場の人でしょ。その人なら足助兄弟とは全く接点がないし、私達とも直接的な繋がりはない。もし手伝ってくれたら、力強い味方になってくれると思うんだ」

「誰だ? そんな都合の良い人が本当にいるのか?」

 そこで亜美は加世の事を話した。そこに至るまでの経緯から翔の事には触れざるを得なかった為、気恥ずかしかったが止むを得ない。妹が心を寄せている男の名が出てきたことで、兄も当然動揺を隠しきれなかったようだ。

 それでも互いに複雑な家庭事情を持ち、介護の必要な身内がいるとの共通点があることを知り、納得したらしい。

 それより加世という人物が自分達の求める人物像として余りにも適していた為、兄はすぐにでも会わせてくれと言い出した。そこで亜美も腹を括った。翔がカジノで働いている間、そして足助兄弟に復讐できるネタを掴むまでは辞めない。そして奴らを倒すことができれば翔と二人でカジノから逃げ出し、いつの日か自分の思いを告白しようと決意したのである。

 翌日の朝、早速加世と連絡をした亜美はその日の内に、兄と共に面会することが出来た。そこで概略を聞いた加世は、協力すると断言してくれたのだ。しかも翔の伯母が資産を託している弁護士等との人脈もあるから大丈夫だという心強い言葉も頂いた。そして亜美と加世は翔について連絡を取り合い、加世と兄は足助兄弟に絡むことで、打ち合わせを重ねていった。

 先に動いたのは後者の件だった。以前兄が調べていた梓の事を、加世が信頼のおける調査員に依頼した結果、色んなことが判明したらしい。全くの第三者が調査依頼したからこそ得られたのだろう。もし兄や亜美が絡んでいたら、直ぐに反撃されていたかもしれない。 

 どうやら現在の梓は、足助兄弟に不満を持っているようだ。足助不動産の関連会社に勤めているが、身代わりになった男達とは違い、給与などはかなり低く抑えられているらしい。

 出頭した人物達と待遇に差があるのは、足助兄弟が真犯人だとばれれば、彼女は亜美を襲うように指示した主犯として罪に問われる為だと思われた。そうならないよう罪を被った男達は、梓の事を警察に告げず黙っている。

 また彼女が足助兄弟に頼ったのは、彼女の父親が足助不動産の取引先に勤めており、幼い頃から顔見知りだった為だという。よって彼女が本当の事を口にすれば、父親にまで被害が及ぶと脅されていることも判った。

 その為彼女は口を封じられた上に、彼らの言いなりになったのだろう。かつては三兄弟の手にかけられたとの噂もあったそうだ。しかし今はもう飽きられたのか、手を付けられることもないらしい。

 その代わりと言っては何だが、安い給料でこき使われていた。そんな愚痴をある時酔った勢いで漏らした事があり、調査員はそうした情報を得たのだ。さらに梓は足助兄弟が亜美ではなく、関係のない父親に酷い怪我をさせた事で、今も罪の意識を持っているという。

 そうした点を突けば付け入る隙があると判断され、間に入った調査員を通じて彼女にお金を渡すこととなった。そして足助兄弟がこれまで犯してきた悪事の証言に協力するとの言質げんちが取れたのである。

 調査等にかかった費用の支払いは全て、カジノで十分に稼いでいた亜美が出した。お金に色はついていないし、職業に貴賤きせんなしとはいうものの、あの足助兄弟の下で働き支払われた給与だと分かってからは、薄汚れた金など一刻も早く手放したいと思ったからだ。

 当初亜美がお金を出すことに対し、加世や兄は難色を示していた。しかし最終的には理解してくれ、それならば復讐という目的を達成するために使おうと納得してくれたのである。

 次に身代わり出頭した男達への接触を試みた。彼らからも証言が得られれば、足助兄弟を刑務所に放り込むことが出来るからだ。

 しかしそれは失敗に終わった。彼らに近づいた途端、調査員が襲撃されて大怪我を負ったのだ。幸い命に別状はなかったものの、腕や肋骨を骨折して、全治三か月の重傷だという。

 そのことを受け、加世と亜美達は作戦を練り直すことを余儀なくされた。三人は加世の診療所で顔を突き合わせて話し合った。

「加世さんが依頼していたことは、相手にばれてないの?」

「亜美さん、それは安心して。今の所は大丈夫。もちろん向こうは誰から頼まれたと執拗に聞いてきたらしいけど、調査員達は口を割らなかったらしいから。でも調査事務所には、未だに色々な圧力がかかっているようね」

「そっちは大丈夫ですか? 足助不動産は政治家や警察とも繋がりがあると言われていますよね。IR施設の建設に絡めたことや、その後カジノの運営に息子達が関わっている事から考えても、相当な力があることは間違いありません」

「卓也さんが心配するのは分かるわよ。でもあの事務所だって、裏では弁護士や警察のOBが絡んでいるの。しかも私の古くからの知人を通して、最初から危険な調査になることも理解した上で引き受けてくれたんだから。詳しくは聞いていないけれど、彼らや得意先の企業も足助不動産関係では、何度も煮え湯を飲まされてきた経験があるようね。それに事前の打ち合わせで、緊急事態が発生した場合に備えて、依頼主が私と分かるような調査記録は一切残らない様にしてもらっている。そこは信用して。依頼料なども全て複数の第三者を通して、現金で受け渡ししているから」

「しかしこれ以上、そこの調査事務所は使えないですよね」

「いえ。今回の件は想定内の事よ。まさか本当にここまでやるかは疑わしかったけど、これであの事務所も本気になったと思う」

「どういうことですか?」

「やられたらやり返す。あの事務所だって、このままやられっぱなしでは、沽券にかかわるでしょ。こうなった場合に備えて次の手は考えているから」

「次の手って何ですか?」

「これ以上の事を、あなた達は知らない方が良い。もしかすると私より二人の方が危ないわ。だってあなた達に関わった人達の事を調べていたんだから、真っ先に疑われる可能性が高いでしょ」

「じゃあ私は今すぐ仕事を辞めた方が良いでしょうか」

「いいえ。下手に動くと余計怪しまれるから、亜美さんは今まで通り、何も知らない振りをして働いていればいい。あと今後はできるだけ、私と会うための外出は控えましょう。だからって急に外へ出無くなるのも疑われるから、今までと同じペースで外出した方が良い。普通にジム通いや買い物をするだけでいいから」

「僕はどうすればいいですか?」

「卓也さんもこれ以上、下手に動かない方が良いわね。同じようにマークされる可能性があるから」

「分かりました。しばらくは、足助兄弟に関わる調査を止めます」

「それが良いわ。できるだけ普通の生活をするよう心掛けて。ただ万が一襲われることがない様、人通りの少ないところは歩かないようにするとか、部屋の鍵を増やすなりして、セキュリティーは万全にしてね。亜美さんも出来るだけ一人になることは避けてよ」

 こうして亜美達はしばらくの間、加世との接触を避けるようにした。緊急に連絡しなければならなくなった時や定期連絡は、これまでと同じく事前に作成していたSNSの掲示板に書き込み、閲覧することとした。

 もちろん書き込む文章は、三人だけが分かる暗号を使って他人が一見しただけでは分からないよう工夫をしている。そこまでしなければならない程の相手を敵に回しているのだ。

 亜美達は改めて気を引き締めることとなった。

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