第四章

 深野亜美あみの父、よしまさはO県のある市内でパチンコ店を経営していた。祖父の代から後を継ぎ、一店舗から始めた事業は徐々に成長し、一時は五店舗まで拡大したこともあったそうだ。

 しかしそうした稼業が原因で、亜美は小学生に上がった頃から良く苛められていた。なぜならパチンコ産業の多くは、在日韓国人で占められているとの認識があったからだ。

 確かにそうした側面はあったものの、父の祖父やその家系は違う。ただ商売上、そうした人々との交流が密だったことは間違いない。その為差別を受ける対象となっていたのだ。

 さらには母親を早く亡くし、主に祖父母の手で育てられていたなどの複雑な家庭事情も重なり、亜美や三つ年上である兄の卓也たくやは苛めの対象になりやすかった。それでも一部、庇ってくれる同級生達がいた記憶がある。

 しかしそれも小学生の途中までだった。 “足助三兄弟”と呼ばれる地元有力者の息子で質の悪い奴らに目を付けられた兄が、彼らの苛めの対象となったからだ。

 それまで助けてくれていた兄や亜美の同級生達も、皆怖がり遠ざかってしまったため、亜美に対する苛めも再開された。そして兄が中学へ上がると、さらにエスカレートした。同じ校舎からいなくなり、兄やその友人達の目が届かなくなったことも影響したのだろう。

 そこで自分の身は自分で守らなければならないと覚悟した亜美は、独学だが日々体を鍛えるようになった。加えて中学に入ると、自分を苛める奴らよりもっと強い男達に取り入ることで、難を逃れることを覚えたのだ。

 そんな亜美の行動は成功した。仲間に入れてくれたのは暴走行為を行う集団で、くだらない差別をする奴らから守ってくれるようになったのだ。彼らの中にも在日や複雑な家庭事情を持つ子達が多くいたからだろう。

 しかしそこには新たな問題が待っていた。集団の中には亜美のような女達が沢山いたからである。そして強い男達を取り合ったり、女性特有の嫉妬だったり、単にどちらが強いかと腕を競ったりする輩達との新たな戦いが始まった。

 だがそれまで鍛えてきた体力と負けん気の強さを発揮し、亜美はグループの中でメキメキと実力を付けていった。そして中学を卒業する頃には、レディースの幹部になるまで昇りつめたのである。

 この頃の亜美は荒れていた。父親の顔を立てて一応は高校受験をして進学したものの、入学した当初から素行の悪さにより、教師達には目を付けられていた。それに反発した亜美は暴力問題を起こし、一年も経たずに退学処分となったのだ。

 その頃高校を卒業した兄は、将来父の跡を継ぐ為店の手伝いをして働いていた。しかし亜美は、自分が苛めに遭った元凶の一つであるパチンコ店を心の中では憎んでいたのだ。

 その為父や兄に対する後ろめたさもあって敬遠するようになり、実家へ近寄らなくなっていた。友人の家を転々としながら、時にはバイトをして日銭を稼ぎ、週末は仲間達と集って先輩から安く譲り受けたバイクを乗り回す生活を続けていたのである。

 その頃には世話をしてくれていた祖父母も既に亡くなっており、父と兄は亜美の扱いに困っていたはずだ。それでも煩く説教されることなく自由にできていたのは、思春期の娘の扱い方が分からなかったことに加え、遠慮もあったのだろう。

 しかしそんな甘えた生活ができるのも、経済的に問題がなくいつでも帰ることが出来る家庭があってのことだと、後に気付かされた。親達と距離を置いていた為知らなかったが、その頃店の経営はとても苦しかったらしい。父は業績が上がらない店舗を閉鎖し、なんとか立ち直らせようとしていたようだ。

 しかしパチンコ店は客を確保する為、新しい台が出れば一早く取り入れるなど、設備投資にお金がかかる。さらに時代の流れか、他店との競争も激しくなり客離れが進んだ。

 その結果大手の傘下に入り、フランチャイズ店として経営せざるを得ない事態にまで陥っていたという。

 そんな事など露知らない亜美は、それまで好き勝手していた罰が当たったのだろう。粋がっていても所詮女であり、強い者や悪党は上にいくらでもいることを忘れていた。

 ある日、集会の帰りに後輩と二人きりになった亜美は、突然男達に囲まれ、呼び止められた。

「お前が亜美、だな」

 亜美達をバイクから引きずりおろし、相手が用意していた車へ強引に乗せた。そして人気のない場所へと連れて行き、乱暴しようとしたのである。

 だが間一髪のところでそこに現れたのが、父と兄だった。

当時家に帰らない亜美を心配した父は、亜美が十八歳になった誕生日プレゼントとして、スマホを買ってくれていた。当時の若者の間では当たり前に普及していたことを覚えている。

 その為嫌っているギャンブル経営で稼いだ金だと知りながらも、まだガラケーしか持っていなかった亜美は、素直に喜んで受け取った。しかしそこにGPS機能が付いていたことなど、知らされていなかったのだ。

 父はいざとなった場合に備え、居場所だけでも知っておこうとそのような手を思いついたらしい。強がっているが未成年の年頃の娘だったこともあり、毎日気にかけていたようだ。

 その日の仕事を終えた夜遅くも、いつも通り亜美の居場所を確認していた父は、普段と異なる動きに気付いたという。そこで同じく心配していた兄を連れて、GPSが示す場所へと向かったそうだ。

 そして悪い予感は当たり、真っ暗な空地へと連れ込まれた亜美が襲われそうになっている様子を発見した。そこで無我夢中になって飛び込んだ父は、十数人ほどいた男達に食って掛かったのである。

 当然返り討ちにあったけれど、陰で様子を見て置けと言われていた兄が、警察に通報したらしい。おかげでパトカーがサイレンを鳴らしてやってきた為、奴らは蜘蛛の子を散らすように逃げたのだ。

 衣服を脱がされ下着姿になっていたものの、犯されずに済んだ亜美と後輩が震える中、父は足と腕を抑え地面にうずくまっていた。そこへ駆け付けた警官の呼びかけにも反応が鈍かったため、救急車を呼ばれて病院へと搬送され、亜美達二人と兄もそこに同乗した。念のために亜美と後輩も病院で診察を受けたが、軽い打撲と体中に複数のひっかき傷があった程度で済んだ。

 しかし父は違った。両手、両足やあばら骨を骨折していただけでなく、内臓や脊髄にも損傷を受けていたのである。さらには頭も強く打ったことが原因で脳挫傷を起こし、左半身不随となったのだ。

 医師によると、手足の骨折と内臓損傷に関しては回復するものの脊髄損傷は酷く、後遺症が残るとの診断が出た。手足に麻痺が残り、車椅子が欠かせない生活を送ることになると言われたのだ。

 そこで困ったのはパチンコ店の仕事だった。兄だけでは代わりにならず、急遽本部に連絡して人を回して貰ったらしい。だが店はあくまでフランチャイズであり、独立したものである。その為一定期間しか認められなかったという。

 これ以上店を続けられないと判断した父は、本部への店舗売却を決意した。さらに子供達の負担になりたくないと考え、持ち家も売ってその金で介護施設に入居する覚悟を決めたのだ。

 失職した兄は本部が管理する別の店で一店員として雇われ、寮生活を始めた。そして亜美は女性専用マンションでの一人暮らしを強いられ、家族はバラバラになったのである。

 幸い父を襲った連中は全員逮捕され、刑事事件と同時に亜美達を襲ったことを含めた民事賠償請求を行うことができた。そして犯人達の数が多かったこともあったのか、その親達が損害に見合う賠償額の支払いに応じてくれたのである。

 おかげで賠償金と店を売却した分と合わせれば、今後亜美達三人が生活していける目処はなんとかついたのだ。

 そこでようやく目を覚ました亜美は心を入れ替えた。そして父に恩返しをしたいとの想いから、十九歳で福祉系の高校へ入学し直したのである。

 やがて高校を無事卒業し、介護士の資格も取得した亜美は、まず経験を積む為にと父が入居している所ではない、デイサービスを中心とした介護施設へ就職した。そこで翔と出会うことになるのだが、介護士としての生活は決して楽なものではなかった。

 なぜなら仕事の厳しさだけでなく、社会生活自体も窮屈に感じ、理不尽な事ばかりが起こり腹の立つことが多かったからだ。時々感情が爆発しそうになり、生意気な後輩や偉そうな先輩、または我儘な利用者やその家族の身勝手さに胸倉を掴んでやりたいと何度思ったことか。だがその度に父の顔を思い出し、耐え忍んだのである。

 施設利用者からセクハラの被害を受けた時も、亜美が本性を出して凄んで見せればすぐ収まったに違いない。しかしそれでは施設から追い出される恐れがあった為、我慢していたのだ。

 振り返ってみれば福祉系の高校に入学した頃から、愛想笑いというものを身に着けるようになっていた。災いの発端となった喜怒哀楽の激しい自分の性格が表に出ない様、気を付けていたからだろう。

 悪ぶっていた時の友人達によく指摘されていた眉間に皺を寄せる癖も直すよう努力したり、気に食わないことがあっても無くても、なんとなく後ろ回し蹴りをしたりすることも止めた。

 ただ高校に再入学した頃から、かつて自分の身を守れなかった反省も踏まえ、キックボクシングジムにこっそり通っていた。やがて社会人になってからは、ストレス発散にも役立つようになった。だが続けていたのは、襲われた時から生じた男に対する恐怖心を無くす意味も兼ねていたのである。

 あの事件以降、なぜか大きな体をした人や細見でも筋肉隆々な男が近づいただけで、悪寒が走るようになっていた。幸いなことに介護施設の職場ではそうした人が少数派だった為、亜美は何とか仕事を続けることができたのだろう。

 だからと言って優男やさおとこを好きなることは無かった。やはり自分より強く、今の苦しい世界から連れ出してくれる強い王子様が現れると夢見る一方、そんな現実逃避願望を持つ自分に呆れている冷静な自分もいた。

 そうさせた理由は他にもある。仕事が休みの日は必ず父親の施設に顔を出すことを習慣としていたが、時が経つにつれその事自体が苦痛に感じ始めたからだろう。当初は罪の意識と償いの意味を込めての行動だった。

 しかし父の顔を見る度に忘れたい過去が嫌でも思い出させられ、辟易するようになった。さらに介護士の仕事をしているからか、身内としてではなく介護されている人として見る癖がつき、休みだと言うのに頭から仕事の事が離れなかったこともその一因だろう。

 その上父との会話が一番耐え難かった。亜美とは違っていつからか兄は滅多に顔を出さなくなったからかもしれない。毎回のように、

「仕事はどうだ? 大変か?」

から始まり、適当に返事をするとやたら心配する。もちろん本気で心配していることは頭では分かっていた。だから

「忙しいけど、遣り甲斐はあるよ」と答えれば、

「どんな事があったんだ?」と何度も尋ねてきた。

「施設の利用者の事は外で話してはいけないことになっているの。お父さんだって、ここでの事をよそで言い触らされたら嫌でしょ」

と守秘義務を盾にし、他人のプライベートを話題にすることを避けようとすれば、父は直ぐに怒り出した。

「相手が私ならいいだろう。もちろんここでの話を誰かに喋ることはない。ただ娘がどんなに頑張っているかを知りたいだけだ。それにこの施設でもそうだが、利用者だって大人しく言うことを聞く奴らばかりではないだろう。我儘な高齢者もいるから心配なんだ」

「それはそうだけど、大丈夫よ。少しくらい辛い事があっても、それが仕事でしょ。お金は楽に稼げないことは、良く分っているから」

「そうは言うけどな。例えばこの間なんて、」

と父が入居している施設で起こった気に食わない出来事などの愚痴や、マナーの悪い利用者の不満を話し出すのだ。

 まだ介護士として新人だった頃には、勉強になると感じたこともあった。しかし就職して数年も経てば大体の事は経験する。父の話も特に珍しいものでは無く、どこの介護施設にでもあることばかりになった。

 せっかくの休みだと言うのにそんな事を聞かされ続けていれば、どうしてもその週に起こった仕事上の嫌な出来事を思い出す。そして次には兄の悪口へと発展するのだ。

「亜美は忙しいのに毎週顔を出してくれるが、あいつは全く来ない。薄情な奴だ」

「兄さんだって大変だと思うよ」

と庇うことを言えば反論された。

「お前ほど忙しい訳ないだろ。パチンコなんて、昔のように客が沢山入るような時代じゃない。しかもここ最近はカジノができたから、相当苦戦しているらしいじゃないか。もちろん店を経営している側だったら大変だろ。だがあいつはただの店員に過ぎないじゃないか」

 かつては経営者だった父にすれば、不甲斐ないと思っているのだろう。しかし兄にだって言い分はある。本来ならパチンコに関わる仕事から離れていてもおかしくないのだ。

 父の跡を継ぐために始めた仕事だったが、今では売却されてしまった。その前にフランチャイズとはいえ大手の傘下に入った時点で、兄が事業を引き継ぐことも難しくなっていたはずだ。大学も行かず就職した兄にとって、梯子を外された思いをしたに違いない。

 だから亜美は兄が父の事を嫌い、施設にも近寄らないのだと思っていた。以前兄と話をした時も、父の話題になると不機嫌になり直ぐ途切れてしまう為、今や二人の間ではタブー視されている。

 それでもパチンコ業界から離れず今でも働いている兄の事が不思議だった。高校を卒業して直ぐに働きだしたため他の業界を知らず、別の仕事を探せと言われても難しかったのかもしれない。

 しかしそれまでのキャリアを買われたのか、別のパチンコ店では直ぐに正社員として採用されていた。再就職して十年過ぎた今では、雇われとはいえ一つの店舗を任される店長に抜擢されたと聞いている。

 だが同じ市内に住んでいるけれど、ここ数年亜美も顔を見ていない。電話で年に一回、話すかどうかというほど疎遠になっていた。といっても父ほど関係が悪化していた訳ではない。

 それでもそれぞれ忙しく働いていれば父に何かない限り、またはいずれかが結婚をするなど大きな出来事が無ければ、わざわざ会う機会などなかった。そして今更父の相手が負担だから、時々は代わりに顔を出して面倒を見て欲しいだなんて、口が裂けても言えるはずがない。父をあのような目に遭わせた責任は自分にあるのだから。

 それでもこんな生活を十年近く続けていれば、嫌気が差すこともある。だから父と会った帰りは毎回自己嫌悪に陥り、落ち込むことが多くなった。といって特に親しい友人も作らなかった為、憂さ晴らしはジムでサウンドバックを蹴ることしかなかった。

 父と会わない休みの日には、溜まった家事をこなして夜には頭を使う必要がないバラエティー等をテレビで見たりする。時々は買い物に出かけたりはしたが、基本的にジム通い以外は家で籠っている事が多く、ネットショッピングで済ませることがほとんどだった。

 そんな生活を続けていれば出会いも無いため、色恋沙汰などあるはずもない。亜美も今年で二十九歳になるが、異性との接触は仕事先での高齢者ばかりで、恋愛対象となる年齢となれば、同じ職場で働く人しかいなかった。

 しかし亜美が好きなタイプなど、介護福祉士の中にいるはずもない。かつては力仕事と言われていた介護の仕事も、介護ロボットや補助機械の普及により、力のない女性でも簡単に出来るようになったことも影響しているのだろう。老人を癒したり、世話をしたりするロボットもここ数年でかなり発達した。

 それでも人でないとできない仕事は数多くある。だからなのか男性もロボットには無い愛嬌を持った、人当たりだけは良さそうなタイプばかりが揃うようになっていたのかもしれない。またそれ以前に、日本人の若者の労働人口が激減したことで、介護業界で働く多くは外国人の女性が半数以上を占める時代へと突入していた。

 外国人が嫌だという訳ではないけれど、異性が少ない上にやはり男女としてのコミュニケーションとなれば、英語などチンプンカンプンの亜美にとっては難しい。中には日本語が達者な人もいるが、タイプの男性となればそれは皆無だった。

 普通にしていれば、日本の女性は外国人からもてはやされる傾向にあるらしい。それに亜美は見た目だけなら昔から可愛いと評されてきた。だが全くモテなかった。恐らく介護士達は高齢者達の微妙な感情を察知する能力に長けた人物が多いからだろう。内面から滲み出る元ヤンのオーラをなんとなく感じ取るらしく、近づいてきた異性は過去に一人しかいなかった程だ。

 また過去に襲われた経験を持つ身としては、異性に対して心理的な壁が高かったことも否めない。だから現実には居るはずもない相手が現れると想像ばかりしていたのだと思う。

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