第6話 エピローグ





・エピローグ




 さて、全てを終えて、昼下がりの屋敷の執務室です。


 そして、執務室には私ただ一人です。


 それでまあ……今、私は部屋の隅に置かれた等身大の熊のヌイグルミを眺めているわけなのです。


 ちなみにこれは先日、ブレイトが私のために買って来てくれたものです。



 ――お嬢様は可愛いものが好きですからね



 勿論、即座に否定しておきました。別に私は可愛いものには興味はありませんので。


 とは言いつつ、誰もいないので……せっかくなので触ってみましょうか。


 うん、手触りが良いですね。もふもふとしています。


 抱きしめてみましょう。


 うん、抱き心地が良いです。もふもふとしています。


「ふむ……」


 部屋の隅から抱きかかえ、ソファーに移動してみましょう。


 せっかくなので、添い寝をしてみましょうかね。


 やはり、抱き心地が良いです。もふもふとしています。


 どうにも、自分の口元が緩んでいる……ようです。

 でも、ここで気にしたら負けです。なにせ、もふもふとしていますからね。これは私が女である以上は仕方のないことなのです。そうなのです、今、この瞬間だけは純粋にこの感触を楽しんで――


 ――と、そこでドアを開いてこちらを観察しているブレイトと目が合いました。


 私はマッハで起き上がます。

 そして、胸を張って背筋を正し、優雅な仕草で足を組みました。


「……」


「……」


 気まずい沈黙が訪れます。


「お嬢様? 耳、真っ赤ですよ」


「……だから、何度も言いますが、あまり主人を苛めるものではないですよ」


「私はやっぱり好きですよ、そういう……陰でこっそりポンコツなところ」


「……」


 そこで、私はブレイトを手招きします。

 そして、近くに寄ってきたところで自らの右掌を上に向けてブレイト差し出し、ピシャリとこう言い放ちました。


「ブレイト、お手」


 ハシっとブレイトは反射的に私の掌の上に、右手を置いてきました。


「まだまだ修行が足りないようねブレイト。いつまでも……我が家の飼い犬気分では困ります。貴方はもう立派な執事なのですから」


「ぐ……っ!」


 ブレイトは頬を染めて、右掌を私の手の上に置いたまま、唇を悔し気に噛みしめています。


「あらあら? 自分の意思でお手を辞めることもできないの?」


「旦那様に……そういう風に躾けられていますので……」


「ふふ、子供の時に仕込まれた条件反射というのも、恐ろしいものね」


 と、そこで「あの……お嬢様の部屋に、私も入ってもよろしいのでしょうか?」と、甲高い声が聞こえてきました。


 その問いかけに、私は微笑と共にこう応じました。


「勿論よ、エイミー」








 あの後――。

 屋敷に戻った翌日にエイミーが訪ねてきたのは本当に驚きました。

 聞けば、貧民街の浮浪児たちに襲われたとのことでしたね。

 元々、彼女は貧民街で生活をしていましたから、そこで色々と目をつけられていたということらしいです。

 具体的な事情としては、上流階級の住むこの地域に足を向けたのを不審に思った浮浪児たちが後をつけていて、その帰り道に囲まれて……ということでした。

 しばらくエイミーは意識を失っていて、一昼夜が経過していたらしいです。

 そうして、指輪も金貨も奪われて、叱られると思ってここに帰るに帰れず……勇気を出すまで時間がかかったと。

 まあ、それが今回の顛末です。

 屋敷に送りつけられてきた指については、浮浪児のものだった……状況証拠的にはそうなりますね。





 と、それはさておき。

「お手」をしているブレイトを見たエイミーは不思議そうに小首を傾げたのです。


「ブレイトさん? 何故に手を?」


「……き、き、気にしないでください。エイミー」


「ふふ、ブレイト? 耳まで真っ赤になっているわよ?」


「ぐ……お嬢様……お戯れが過ぎます」


「あら、いつもの仕返しをしているだけなのだけれど?」


「ぐぬぬ……」


 と、そこで私はブレイトのお手を解除して、パンと掌を叩きました。


「お遊びはここでおしまい。取り掛かりなさいブレイト」


「了解しました。お嬢様」


 言葉と共に、ブレイトはパチリと指を鳴らします。

 すると、部屋の中に女性美容師が数名入ってきて、即座にエイミーを抱えるようにして部屋から連れ出していきました。


「え? え? え? ええええ!? ど、ど、どういうことなんですかーーー!?」


 まあ、要するに。

 エイミーの身なりを整える作業に入って貰ったということですね。


 やってもらうことは色々とあるのですけれど、簡単にまとめるとこんな感じでしょうか。


・自分で切っているものだから、グチャグチャになっている髪の毛を整える


・とりあえずゆっくりお風呂に入る。石鹸も使う


・入浴もできない生活で、バッサバサになっている髪を、お母様がかつて開発したトリートメントで補修する


・秘薬を使って視力矯正。眼鏡を外す



 と、まあそんなこんなで――。

 諸々の作業が終わるまで3時間ほどが経過したのです。









「ふ、ふ、ふわああああああ! こ、こ、これ、私ですか? 肌も滑々で髪もサラッサラです!」


 鏡の前で目を白黒させている姿に、私もブレイトも思わず頬を緩めてしまいます。

 まあ、単純な話で、誰かが喜ぶ姿というのは見ていて気持ちの良いものですね。

 ともあれ、やはり一番変わったところといえば眼鏡でしょうか。

 眼鏡というアイテムは人によって似合う似合わないというのがハッキリします。

 エイミーの場合はやはり……私の見立てのとおりに、裸眼の方がよろしいです。


「エイミーは目鼻立ちがクッキリしているし、小奇麗にしていれば後は勝手に……成長と共にもっともっと綺麗になるはずよ」


「あ、あ、あの、えと……お嬢様?」


「ん? 何かしら?」


「あの……どうして私にこんなに良くしてくれるのですか?」


「自分の世話をする人間の身なりを整えるのは、当然のことだと思いますが?」


「いいえ、こんな対応はどこの上級貴族様でも聞いたことがありません。まるでお嬢様は……御伽噺の中の神様のように私に良くしてくださっています」


 神様……という言葉で、私は思わずクスリと笑ってしまいました。

 まあ、神域身体強化にしても、完全回復にしても、あるいはそれは神の仕業に見えないこともないでしょう。

 この力は、事実として神そのものに対抗するために磨き上げたものでもあるわけですしね。

 けれど、それは私の裏の顔の話です。

 今の私は玉藻ミコトとしてではなく、表の顔……つまりは、セシリア=エリントンなのです。そう、つまりは――


「いいえ、私は神様ではありません。私は――普通の侯爵令嬢ですので」


 と、その言葉を聞いてブレイトが吹き出してしまったのを私は見逃しません。


 後で、チンチンでもさせましょうか……。

 と、そこまで考えて、私も何故だかクスっと笑ってしまったのでした。







・アフターエピローグ



 夜の執務室。

 帝国貴族に関する調査資料を読みながら、私は傍らに立つブレイトに尋ねかけました。


「ところでブレイト?」


「何でしょうかお嬢様」


「指が送られてきた木箱……宛名は私の真名だったのですよね?」


「ええ、そのとおりですお嬢様」


「でも、エイミーが連れ去れたわけでない以上、私の真名は……仮面の女の知り得ない情報のはずなのよ」


「そのことですが……」と、ブレイトは襟を正して、言葉を続けます。


「私も疑問になって、あの屋敷の所有権者を詳しく調べました。金の流れが巧妙にされていましたが、最終的にエインズワース家の名前が出てきたのです」


 ゴクリ、と息を呑みます。

 そして、感じるのは予感――恐らくはブレイトの話をこれ以上聞かない方が良いという、そういう予感です。


「それって……」


「ええ、お嬢様の真名を知っている人物は限られます。仮面の貴婦人の正体は10中8,9――アンドレア=エインズワース。かつて一度だけ、奥様が実家に里帰りした時にお嬢様がお会いしていた――叔母様に当たる方です」


「けれど、叔母さまは……お母様が私の目標とすべきと定めたような淑女なのですよ? 孤児院の運営や慈善事業にも手を尽くして……それに……どうして仮面なんかを?」


「それは……昔に束の間でも可愛がったことのあるお嬢様に――裏の顔を見られたくなかったのではないでしょうか」


 と、そこで私は「はっ」と思い当たりました。


「慈善事業……孤児院……ということはエイミーが昔に預けられていたという教会の事業も?」


 慈善事業……孤児院の運営そのものが、地下菜園の供給源であった。

 そう考えると、色々とつじつまが合います。


「確かにエインズワース家は孤児院の運営に出資はしています。が……子供たちを食い物にしていた神父もまた左遷されているのです。直近に視察に入ったアンドレア自らの手によってね」


「慈善事業自体は本物であったと? では、何故……?」


「人は――2面性を持っているということではないでしょうかね。慈悲の顔も、狂気の側面も……恐らくはどちらもアンドレア=エインズワースということではないでしょうか」


「……」


「善行は心のどこかにある罪悪感を紛らわせるための罪滅ぼしの免罪符だったのか……はたまた、単純にただの気まぐれか。まあ、分かりませんね、人の心というものは」


「……」


「お嬢様……何か思うところが?」


「どちらにしても、私はお母様が信じた叔母様を……ただの悪人だとは思いたくはありません」


「その心は?」


「どこにでもいる16歳の令嬢の模範解答では、そうなるのではないでしょうか? そういう風に――私は振舞わないといけないでしょう?」


「ええ、エクセレントですよお嬢様。私たちがこれから飛び込むのは毒蛇の巣の中です。善良な羊を装い、裏で一撃で刺し殺す……それが我々の命題なのですから」


 と、そこでポンとブレイトは私の肩を叩いて、いつものような悪魔の笑みではなく、エイミーに見せるような優しい微笑を浮かべました。


「ですが、表でもなく裏でもない、素のお嬢様はどう思います?」


「……乙女の秘密と回答しておきましょう」


「貴女の心は鋼ではありません。迷った時は私を……あの家で共に過ごした家族を頼りにしてくださいませ」


「ええ……ありがとう」


 叔母様について、どう思いますと問われても……。

 実際のところは、私にも良く分からない。


 本当のところは、聞かなかった方が良かったのは間違いないし、後味も良くはない。


 ただ一つ確かなこと。それは私が――



 ――お母様とお父様を救いたいと思っていること


 

 後になっての罪や後悔は、後になってから考えれば良い。


 今は立ち止まらず、ただただ障害を切り捨てる。そのことだけを考えていれば良い。


 ――だから、私は龍を狩る


 ただ、それだけが今の私の真実。


「さあ、本格的に始めましょうかブレイト。帝都に蔓延るクズの情報を徹底的に洗いなさい。奴らはその先の――暗がりにいます」


「As ordered(お嬢様がそれを望むなら)」




 

 近頃帝都にのさばる悪、誰も裁けぬその闇を。

 どこかで誰かが泣いている、天の裁きを待ってはおれぬ。


 ――悪役令嬢、龍を狩る









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