第4話 メイド、死す

 執務室に入ってきたのは、仮面を被った集団でした。

 一種異様な雰囲気……いや、仮面を被っているのだからそれは当たり前ですかね。

 ともかく、机を挟んでソファーの対面には仮面の女――首の皺を見たところ50代といったところでしょうか。

 従者たち4名は入口ドアの脇に整列し、私の側ではブレイトが直立不動で相手方の様子を伺っているという形ですね。


「今日お伝えしにきたのは……エリントン侯爵家の家督争いから身を引きなさいということです」


 さて、困りました。

 そうじゃないかなとは思っていましたが、いきなり大上段から切り込んできましたね。

 私が口を開こうとしたところで、仮面の女は一挙にまくしたててきました。


「貴女の存在は純粋に困るのです。それなり程度の暮らし向きであれば、一生困らない金額を用意しますわ。それに時折であれば、エリントンの傍系筋を頼れば別途に援助もいたしましょう」


「ところで……何故、仮面を?」


「私と貴女はここでは出会ってはいない。エリントン侯爵家の正統後継者の血筋――失踪した長女のアリシアの娘が名乗り出た。そんな事実はなかったのです。貴女はこれから帝都を離れ、遠く離れた異国の地でそれなりに裕福な平民として暮らす……それでよろしいでしょう?」


 さて、状況から察するに。

 お母様の妹が嫁いだオルグレン侯爵家、あるいは末の妹が嫁いだヘイウッド伯爵家からの横槍でしょうか。

 5年前に、お母様――正統後継者不在のままに行われた、家督の分配作業が揉めに揉めたことは想像に難くありません。

 そこに突然、私が現れたとなれば、蜂の巣を突いたような状況になるのは目に見えていたことです。


「つまり、私に消えろと?」


「ええ、それがエリントン侯爵家の傍系の総意でございますわ。そうすれば問題は起きずにみんなが幸せになるのです。もちろん、貴女もそれなり以上の生活は保障されます」


 と、そこで隣に立っていたブレイトが口を開いた。


「失礼ですがマダム」


「口を出さなくても良いわよ、執事」


「いいえ、言わせてもらいま――」


「だまらっしゃい!」


 一喝、あるいは叱責に近い強い口調でした。


「貴女の背中の魔導家紋……確かに直系の証です。ですが、本物かどうかは非常に疑わしい。疑わしい者に付き従う執事に貸す耳と離す口を私は持ち合わせてはおりませんわ」


 そうして仮面の女は懐から扇を取り出して、ブレイトの足元に放り投げました。


「拾いなさい」


 ブレイトが「何故」と口を開いたところで――


「ですから、私は口を開くなと言ってます!」


 仮面の女は私にアゴを向けて、クイっと上を向きました。

 どうやら、ブレイトの代わりに私に口をきけということらしいようです。


「何故、私の使用人が、貴女の命令を聞かなければいけないのです?」


「わきまえろということです。当主の紋が貴女に出たとはいえ、魔術師なら捏造は可能。ただ、混乱を招くだけです。事実、私たちは貴女が家督をよこせと言おうとまともには取り合いませんよ?」


 ブレイトは黙って扇を拾い、やはり黙って仮面の女に手渡しました。


「お望み通りに、私の使用人が貴女の落とし物を拾ったようですが?」


 言葉を受けて、仮面の女は「くっく」と肩を震わせて笑いました。


「この私に落ちて汚れたものを使えと? 冗談は休み休み言いなさい。その扇は――私のお古でよければ貴女のお好きにどうぞ」


 ピキっとブレイトの頭のセンが切れたような音が聞こえたような気がします。

 しかし、これ以上は良くないですね。


 人間社会の上下関係など、本来的にはブレイトや……あるいはマリアンには関係のない話です。

 

「お話は以上ですか? ならばお引き取りを願いたいのですが」


「セシリア……私の金言を理解するつもりはないようね」


 まだ何か一悶着を起こすつもりか……と、私はうんざりと肩をすくめます。

 しかし、意外なことに仮面の女は素直に立ち上がってドアへと向かっていきました。そして去り際に――


「分かってくれないのなら仕方がない。面白いプレゼントを用意するから……それを見てから最終判断をお任せするわね」


「プレゼント? それはどういう意味でしょうか?」


 私の問いかけに、仮面の女は振り向きもせずにクスっと笑いました。


「明るい夜道だけではない……そういうことよ。しばらくこの街に滞在しているから気が変われば尋ねてくれば良いわ」


 そうして、仮面の女は住所の書かれた紙を床に捨てて立ち去ったのでした。










 それから2日後の朝。

 

 仮面の女の言うとおりに、屋敷に荷物が届きました。

 

 届いたと言っても、木箱が門の前に置かれていたという形ですね。


 ブレイトと一緒に持ってきた箱を開けたと同時に、薔薇の華で彩られた中の、ソレを私たちは絶句しました。と、いうのも――


「切り取られた中指……ですね」


「ええ、ご丁寧なことに当家の使用人の証である指輪もついています」


 採用試験の日、一旦実家に戻ったというエイミーについて……あの後、すぐにブレイトに連れ戻すように指示を出しました。


 が……時は既に遅く。

 実家にすら彼女は戻っていませんでした。


「今後、私たちが相手にする連中であればこれくらいは想定の範囲内なのでしたが、まさか……こちらが動き出す前にこんなことになるとは想定外でしたね」


「……」


「しかし、この箱……宛名が私の真名であるミコトとなっていますね」


「エイミーから伝わったのでしょうね。指輪を与えた時に、雇用主の真の名は仰せの通りに明かしましたので」


「……そう」


「……」


「……」


 そうしてブレイトは厚手の白手袋の上に、懐から取り出した黒手袋を嵌めました。

 これは、本当に汚いものを処理するというブレイトの意思表示です。


「それでは雑菌の掃除といきましょうか、お嬢様」


「ええ、是非もないわ。決行は今夜です。喧嘩を売られたからには買わないわけにはいきません。しかし、この残虐性――」


 そうして私は、溜息と共にこう言葉を続けたのでした。


「――奇しくもいきなり……アタリかもしれないですね」










 深夜――。

 夜の帳が完全に落ち、月の明かりすらもない漆黒の闇。

 昼過ぎまでの春の暖かみが嘘のような肌寒さの中、暗がりの中を二人で行きます。

 仮面の女が残したメモの住所は、既に頭の中に入っています。

 迷うことはありません。


「やはり、アタリなのでしょうかお嬢様?」


「多分……ね。かつて帝都にかけられた呪い。本当に胸糞が悪いわ」



 ――魔女イシュタルの呪い


 それは、かつて、傾国の魔女によって始祖の皇族の家系にかけられた呪いです。

 対象は皇帝の血族……つまりはこの国の現在の貴族諸侯の全員にかけられたものとなります。

 呪いとは何かといいますと、それは定期的に上流階級の者から、精神に異常をきたして猟奇的殺人者が出るというものです。

 目的は、魔女イシュタルに捧げる供物(ペイン)の作成であり、黒魔術の儀式によって犠牲者の悲鳴と痛みが魔女の糧となる……そういう次第ですね。

 正直なところ、私にも詳細は分かりません。

 が、それは帝国の建国と権勢の維持のために必要なものということで、帝都の最上層部――つまりは皇族から黙認されている殺人儀式となります。

 呪いが顕現した加害貴族には邪龍の欠片と呼ばれる呪術的エネルギーが供給され、文字通りの人外となるのです。

 恐らくは、猟奇殺人の際に人間性を捨てた方が都合が良いという理由でしょうね。そして――


 ――邪龍の欠片 


 それこそが、お母様とお父様の石化の呪いを解く鍵になります。

 そう、それはかつて神と争った魔女の切り札にして、神々に対抗するための力なのですから。


 故に、私たちはこの地で闇を狩ることに相成ったのです。

 

「外道の貴族を追いかけていけば、やがてイシュタル――邪龍の欠片へと辿り着くというのは私たちにとっては都合が良いわ。けれど、初代皇帝は呪いを受けるなんて何をやらかしたのかしらね?」


 自問自答と、幾ばくかの逡巡。

 その後、私は首を左右に振りました。


「いや、私と同じく……過ちを犯しただけなのでしょうね」


 と、そこで、私たちは目的の建物へとたどり着きました。


「お嬢様……お気を付け下さいませ」


「大丈夫よ。準備はこの6年間で全て終えているわ。それと……ブレイト、2度は言わないから良くお聞きなさい」


「と、おっしゃいますと?」


「6年前、私のせいで無茶苦茶なことになって……ごめんなさい。貴方たちには苦労をかけるわ」

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