第5話

「あれ、賢太郎?」


 雑踏の中、そんな女性の声がしたのは、賢太郎と二人でたい焼き屋の列に並んでいたときだった。

 振り返れば、賢太郎と同い年くらいだろうか、お団子ヘアの女性がいた。ぴったりとしたスキニージーンズを履いた、きりっとした顔つきの快活そうな人だ。


「ミドリさん」と、すぐさま賢太郎は軽く会釈した。「お疲れ様です」

「お疲れ〜」


 ひらひらと手を振りそう言ってから、ミドリさんという女性はちらりと私を見やった。


「誰よ、その可愛い子?」

「地元の友達で……」


 賢太郎がそう言いかけた瞬間、「あ!」とミドリさんは目を大きく開いて、興奮気味に声を上げた。「もしかして、例の!?」


「いや」と賢太郎はぎょっとして首を振った。「違います!」

「え、違うの?」

「違います! やめてください」

「なーんだ。会ってみたかったのに。賢太郎の初恋の子」


 さあっと賢太郎の表情が凍りつくのが、横目にはっきりと分かった。

 前の人が買い終わったのに、賢太郎は固まってしまって動こうとしない。ミドリさんも失言に気づいていないのだろう、きょとんとして賢太郎の答えを待っている。

 このままじゃ、埒が明かない。私はひっそりとため息ついて、


「初恋の子――の妹です」


 賢太郎の代わりに私はミドリさんにそう答え、「失礼します」と賢太郎の腕を引っ張る。


「私、チョコクリームたい焼きね」


 賢太郎の視線を感じながら、私は振り返ることもできずにそれだけ言った。


   *   *   *


 初めて告白したのは、中二の夏だった。お姉ちゃんと賢太郎と、賢太郎の友達と四人で地元の夏祭りに行ったとき。

 歩行者天国になった道路の両脇を屋台がずらりと軒を連ね、普段は車が行き交う道を人が埋め尽くしていた。そんな中を慣れない浴衣と下駄で歩き回り、花火が打ち上がり始めるころには、私はすっかり疲れ果てていた。徐々に三人の歩幅と合わなくなって、遅れだしたとき、「大丈夫?」と賢太郎が立ち止まって振り返ってくれた。

 さっさと人混みの中に消えていくお姉ちゃんたちの背中など気に留める様子もなく、「俺たちは座って見ようか」と微笑む賢太郎に、込み上げてくるものをこらえきれなくなった。次から次へと打ち上がる花火の勢いにのせられるように、思わず打ち明けてしまった。――好きだ、て。

 よく覚えてる。屋台の淡い光に照らされる、賢太郎の驚いた顔。戸惑いが、はっきり見て取れた。――あ、まずった。すぐにそう気付いたよ。


「中学生がなに言ってんだ」


 にっと八重歯を見せて、子供のときみたいに無邪気に笑って、賢太郎は私の頭をコツンと拳で小突いた。


「じゃあ……高校生になったら、また告る」


 小突かれた頭をさするフリして、私は泣きそうな顔を隠した。


「まじか。待ってるわ」


 待ってる――その言葉を信じてしまった。その一言を希望にして、賢太郎を追いかけて来た。

 でも、私が中学生になれば賢太郎は高校生になってて、私が高校生になれば賢太郎は大学生。結局、高校生になってすぐ、賢太郎に告ったけど、「女子高生に手は出せないわ」と冗談めかして振られてしまった。

 まるで、いたちごっこ。私が追いつきそうになっても、賢太郎はその先へと進んでしまう。

 早く賢太郎に追いつきたかった。対等になりたかった。年の差が埋まることなんてないけど、それでも、同じ『大学生』になれれば、きっと私を見てくれる……て信じてた――けど。

 あのときの賢太郎より年上になって、分かるようになってしまった。あのとき「待ってる」と言った賢太郎の優しさ。その甘い言葉で隠した真意。ずっと希望にして、胸をときめかせていたその一言は、今はもう思い出しても苦々しいだけだった。

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