自ら切り開くしかない

「……ん? ……んん?」

「どうした?」

「んんん? あれ、おかしいな……んっと……」


 思い通りに線が引けない。

 真っ直ぐ引くべき線は曲線に、緩やかなカーブを描くべき線は直角に、変な風に歪んで描いてしまう。


「どうした、まだ調子が悪いのか? 筆運びも遅いぞ」

「大丈夫。ちょっと手間取ってるだけだから」


 そう言ったものの、藍子は、内心焦っていた。

 まさか、絵を描くことにまで悪影響が出ているとは。


 頭の中にある図案を生地の上に起こそうとしても、筆を持つ手の動きが狂ってしまい、思い通りに描けない。


 次第に、藍子の脳内に、あの時の綾汰の告白が、繰り返し再生され始めた。


『好きだからに決まってるだろ!』


 もう五日も経つのに、いまだに鮮明に思い出せるのは、自分にとってあの時の出来事が、それだけの衝撃を伴っていたから、ということにほかならない。


 通常の友禅作家であれば、下絵の時は図案を、彩色の時は色見本を、横に置いたりして、作業の補助としている。

 だけど、藍子は、それら全てを脳内の記憶で処理している。そのためにスピードのある作業が可能となっているが、裏を返せば、脳味噌が正常に機能していない時には、絵を描くのも上手くいかなくなる、ということだ。


「ごめん、ダメだ、やっぱり描けない!」


 藍子は筆を置き、大護に頭を下げた。


「最近、寝不足が続いていたからかも。全然、絵を描くのに集中出来ないや」

「お前、さっき、『睡眠はちゃんと取ってる』とか言ってなかったか?」

「あ、じゃなくて、食が細くなってて、栄養が」

「『ご飯もしっかり食べてる』と言ってたぞ」

「えええ、そうだったっけ⁉」

「ついさっきのことすら憶えていないのか……かなり重傷だな」

「やばいな。こんなんじゃ、開店までに間に合わないよ」

「急にこれまで出来たことが出来なくなるのは、どんな人間でも起こることだ。いちいち気にするな」

「ありがとう……」


 優しい言葉を投げかけてくれる大護に対して、藍子は感謝した。


 ただ、玲太郎を待たせるわけにもいかない。

 一日でも早く、少しでも多く、作業を一つずつ終わらせていかないと、全てが間に合わなくなってしまう。


 晃が何かしてくれるのを、待ち続けるだけでは、やはりダメだ。


 藍子は藍子で、このモヤモヤした状況を、自分なりに打破する必要があった。

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