大護の事情
「ところで、星場さんは」
「大護、でいい。年齢は一緒なんだ、あまり他人行儀でやられると、かえって仕事がしづらい。俺と晃は、お互い名前で呼び合っているから、余計に変な感じがする。俺も、そっちのことを下の名前で呼ばせてもらうぞ」
「なんか恥ずかしいけど……まあ、いいか……大護君は、こんなに頻繁に金沢に来ていて、大丈夫なの?」
大護は、今のスケジュールでは、全作業期間のうち二日に一度の割合で、輪島と金沢を行ったり来たりすることになっている。
輪島塗の仕事を放って、こんな小口の案件に熱を入れていてもいいのだろうか、と藍子は他人事ながら心配になってくる。移動費用だって馬鹿にはならない。
「平気だ。星場家の人間、全員の承諾は得ている」
「けど、今回の星場さんの仕事って、かなり小口の案件でしょ」
「小口、と簡単に言ってくれるな。そう単純な話ではないんだ」
「あら、それは失礼しました」
「そもそも、なぜ漆を塗るのかは、前にも説明したが、漆の成分は格子状になっている。そのおかげで、水気を防ぎつつ、呼吸をすることも可能となっている。器の場合、木材は剥き出しのままでは水気で傷んでしまうが、全てを隙間なく覆ってしまうと、今度は木材が呼吸出来なくなり、同じくダメになってしまう。劣化を防ぎつつ、木材に呼吸をさせるための技法、それが漆塗だ」
「それと、小口案件の話と、どう繋がってくるの?」
「今でこそ、漆塗というと、高価な製品とみんなが思うようになってしまっているが、その昔はもっと身近な技術だった。何度も食器を買い替えるよりは、一つの食器を長い間使いたい。本来、漆塗とは、そういう用途で使われるものだったんだ」
「ふうん。なんだか、加賀友禅と同じだね。こっちの世界も、その昔は、特別に高級な物でもなかったのに、今ではどんどん単価が上がっているし。もちろん、一から手描きで作るのと、型紙を使うのとでは、また量産性は違うけど」
「職人が減り、需要も減ってきているからな。いかんともしがたい」
「そんな話を聞くと、私が言う話じゃないけど、このお店のためだけに仕事してもらうのも、大変だなあ、って思っちゃうんだ。在庫のある漆器だけじゃなくて、一から作ったりもしてるんでしょ?」
「俺の話を聞いていたのか? もともと輪島塗は、もっと身近な物だったんだ。小口の仕事も、上等だ。俺の手が回る内はいくらでも請け負ってやる。それに、親父も今回の仕事はぜひやってみろ、と言っていた」
「よく許可が下りたよね」
「経験になるからだ。こういう特殊な仕事は、たとえ小さかろうと、全力で取りかかる。最初は効率が悪いかもしれない。それでも、取りかかる価値はある。いつかこの経験が生きる時は来る」
大護の言葉は、藍子も常々同じように考えていることなので、非常に深く共感出来るものだ。
いつかこの経験は生きる。
現実にはその通りに進まなかったとしても、そう信じて活動するだけでも、意味があると、藍子は思っていた。
「っと、すまん。作業の邪魔したな」
「ううん、いいよ。こうやって話をしてたら、なんだか気分が盛り上がってきたし」
今なら、いい感じに作品が作れそうだ。藍子は、生地を机の上に置き、青花で下絵を描き始めようとした。
ところが――
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