卯辰山の会

 ※ ※ ※


 タクシーが夜の山道を登っていく。


 浅野川を渡ったところにある、金沢における象徴的な山、卯辰山。

 綾汰は、急きょ、その中腹にある懐石料理の店に招かれていた。


 相手は遠野晃だった。


(ほとんど話したことも無いのに、なぜあの人が?)


 遠野屋旅館で、藍子と対決した時に、立ち会っていただけで、あまり長く言葉を交わすことはしていなかった。

 それなのに、突然國邑工房に電話をかけてきて、自分を呼び出してきた。


 最初、電話に出た千都子は、「綾汰は納期の迫っている仕事を抱えているから」と断っていた。その電話のやり取りを、部屋の外から綾汰は聞いていたが、途中から、千都子の声のトーンが変わったことに気が付いた。


『まさか、そんな』


 そんなことを言い出してから、千都子は言葉少なくなり、ついには場所と時間をメモし始めた。


 何が起きたのか、と首を傾げる綾汰に、千都子はメモを渡してきた。


『今晩、遠野晃に会ってきな。あんたにとってもタメになる話だ』


 軽く、綾汰は混乱していた。


 千都子は加賀友禅の世界でも、上位に位置する作家だ。よほどの大御所でもない限り、彼女が誰かの言うことを素直に聞くなんて、そうそう起こりえない。


 電話をかけてきた相手は遠野晃ではないのだろうか? 旅館の若旦那でしかない彼を、なぜ千都子は会う価値があると、立ててくるのだろうか。


 不気味ではあったが、半分は興味もあり、相手の誘いに乗ってみることにした。


 卯辰山は、工房からは、浅野川を挟んで対岸にあるから、歩いても麓までは行ける。ただ、坂道は車でないときついので、タクシーを呼んだ。


 そして、ほんの二、三分で、店の前に到着した。


 従業員が外まで出迎えてくる。さらに綾汰の鞄を持って、席まで案内してくれる。滅多に行かないような、高級な店だ。

 念のため十分なお金は用意したが、今日の食事代は、全部晃が出してくれるとのことだ。それでも、慣れない雰囲気の中、綾汰は自然と顔を強張らせていた。


 奥の個室で、晃はすでに待っていた。


「やあ。久しぶり」

「こんばんは。今日はお誘いいただき、ありがとうございます」


 我ながら社交辞令的な挨拶だと思ったが、まさか「どういう目的だ」とストレートに聞くわけもいかない。


「いいから、まずは座って。飲み物は何がいい? 最初はビール?」

「この後、まだ仕事がありますので。ノンアルコールで」

「了解。じゃあ、俺はビールを頼む」


 一杯目のドリンクの注文が終わり、係の者が部屋から出ていき、襖が閉じられた瞬間、綾汰は鋭い目つきで、晃のことを睨んだ。


「こういうやり方は気に入らないな。言いたいことがあるなら、直接工房を訪ねてくればいいのに」

「俺には俺の考えがあるからね。ほら、そんな初手一言目から喧嘩腰にならないで、まずは夜景でも堪能したらどうだい? 落ち着くよ」

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