必要とされる喜び

「自由に作品作りをしていた頃は見えていたものが、プロになった途端、袋小路に行き当たってしまう、ということもある。何年か経って振り返ったら、いまの上条綾汰がやっていることは、きっと恥ずかしいほどに馬鹿馬鹿しい回り道なのかもしれない。だけど、そういうものなんだ。ただ、誰かが手を貸してやる必要はある」

「それが、私……?」

「卑下する必要はない。俺はあんたを買っている。あんたが友禅作家として開花しなかったのは人間運の問題、師匠との相性だ。でなければ、今頃は第二の友禅の魔女として活躍していたはずだ。そのことを、誰よりも、上条綾汰はわかっているはずだ」


 にわかには信じられない話だ。


 綾汰はずっと、才能の無い自分のことを馬鹿にしてきた。侮ってきた。そう藍子は思い込んでいた。


 でも、本心は違うというのだろうか。


「ほら、早く行け。きっと待ってるぞ」


 大護に急かされて、慌てて藍子は走り出した。そして、店を出る時、振り返って、大きく頭を下げた。


「ありがとうございました!」


 元気に、朗らかに、よく通る声で。

 お礼を言われた大護と、その母は、照れくさそうに破顔した。


 店を出ると、本当に綾汰は待っていてくれた。苛立っている様子で、小刻みに足を鳴らしているが、別にそれほど怒っている様子でもない。


「行くよ」


 ただそれだけ言って、早歩きで進み始めた。

 藍子はその後をついていく。


(綾汰が、私のことを必要としてる)


 相手の態度から、なんとなくその気持ちを察することが出来て、藍子はちょっとばかりはにかんだ笑みを浮かべた。あの綾汰から必要とされるのが、一番嬉しくて、誇らしい。


「ところで、綾汰。これからどこへ行くの?」

「東京」

「へー、そう。東京……って、えええええええ⁉」


 急展開の、倍掛けである。


「ちょ、ちょっと、どういうこと⁉ ここ、輪島だよ! 能登の奥地だよ! そこから、どうして急に東京へ向かうわけ⁉」

「寄りたい場所があるんだ。ここまで来たんだから、今さら文句言わないで、藍子さんも一緒に来て」

「限度があるってば! 私にだって、仕事があるんだから!」

「旅費は全部僕が出す。東京、行ってみたくないの?」

「そ、そりゃあ、一度も行ったこと無いから、興味はあるけど、それでも急に言われたって、心の準備が」

「悪いけど、藍子さんと問答している余裕は無いんだ。この話はこれでおしまい。黙ってついてきて」


 なんて強引でオラオラな振る舞いなのか。


 もっと文句を言いたいところだったが、しかし、まだ見ぬ東京への関心の方が、段々と胸の内で膨らんできている。


 葛藤の末に、ついに、藍子は折れた。


(もうこうなったら、東京でも、シベリアでも、どこまででもついてってやるわよ)


 半ばやけくそ気味な心境だった。

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