失踪

「あの國邑千都子の下で、修行を積んだんだ。静枝みたいな自由奔放な作風ではなく、王道の花鳥風月を描いた作風になってしまうのも無理はない。だけど、それは、百合マヤが望んでいるものではないはずだ」

「それで綾汰、浮かない顔してたのかな……」

「だけじゃなくて、百合マヤ自身、クセの強い女優だからな。メディア受けはいいけれど、一緒に仕事をした人間はみんな苦労しているらしいぞ」

「へえ。あんまりそんなイメージ無かった」

「テレビも雑誌も、そんな人間的臭みは隠すものさ。ファンが求める百合マヤ像を創り上げているだけ。綾汰も、あいつはあんな性格だ、おそらく、最初はなめてかかったんじゃないか?」

「綾汰は、そういうところ、手を抜くタイプじゃないと思ったけど」

「いいや、あいつは昔からどこか抜けているんだ、そのくせ、どうでもいいところで変なこだわりを見せる。おかげで友人も少ない、と来たもんだ。孤独なんだよ、あいつは。唯一生き生きとしているのは……」


 辰巳は、藍子のことを見つめてきた。


「お前と一緒にいる時だけだな」

「へ? 私⁉」

「ああ。自覚無かったか?」

「だって、いつも綾汰って、私に会うたびに憎まれ口叩いて、喧嘩仕掛けてきて」

「それが楽しいんだろ、あいつは」

「いまだに私のこと、『藍子さん』って他人行儀に呼ぶし」

「……何だって?」


 突然、辰巳の表情が固まった。


「まだ、お前のことを、そんな風に呼んでいるのか?」

「うん。ひどいよね。いくら血が繋がっていないって言っても、もう家族になってから長いこと経ってるんだから、お姉ちゃんって呼んでくれたっていいのに」

「藍子。俺が思うに……やはりそれは……」


 なぜか、やたらと渋い表情で、辰巳は言いにくそうにしている。


 一体、どうしたのだろうか、と藍子が首を傾げていると、バッグの中で、スマホが振動する音が聞こえた。


 晃からの電話だった。


「ごめんね、お父さん。ちょっと電話出るね」


 通話ボタンを押すと、晃の慌てた声が飛び込んできた。


『上条さん、大変だ』


 藍子は苦笑した。つい最近もこんなことがあったな、とデジャブを感じる。なぜ晃は、電話をかけてくる時、いつもこんな感じなのか。


「なーに? また玲太郎君が、東京へ帰っちゃいそうとか、そんな話?」

『綾汰君が、失踪したそうだ』

「えええええ⁉」


 本当に、緊急事態だった。


『いまから旅館に来れるか? こっちには、國邑千都子さんも来ている』

「せ、先生が⁉ うん、わかった大丈夫。今すぐ行くよ。あ、ちょうど私、実家にいるんだけど、お父さんも連れてきていい?」

『だったら都合がいい。一緒に来てくれないか。話がしたい』

「わかった!」


 電話を切った藍子は、辰巳の顔を見た。

 みなまで聞くことなく、辰巳はうなずいた。


「何か、起きたんだな」


 昔から、父は勘が鋭い。こういう時、余計な説明をしなくて済むから、助かる。


「綾汰が失踪したって……どうしよう。今の電話くれた、私の友達のところに、國邑先生も来ているって」

「行こう。息子のことだ。先生に迷惑をかけている以上、筋を通さんとな」


 辰巳はジャケットを取りに、リビングから出ていった。


(どうしたのよ、あの、自惚れ屋の綾汰が、らしくないことして……)


 藍子は、棚に飾られている家族写真へと目を走らせた。

 それはもうすでに母亡き後、綾汰が中学校を卒業する頃に撮影した、親子三人の記念写真。

 父が姿勢良く立っている、その手前で、藍子は綾汰の首に腕を回して抱き寄せている。藍子は満面に笑みを浮かべ、綾汰は顔を真っ赤にして嫌がっている。まだ藍子と綾汰の関係が、つかず離れず、平和であった頃の写真。ちょうど綾汰が、友禅作家を目指すと宣言した頃でもあるだろうか。


 どうして失踪してしまったのか。

 物言わぬ家族写真に向かって、藍子はしばし問いかけ続けていた。

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