上条辰巳
金沢市内の高台にある町、小立野に入ってから五分ほどで、目的地に到着した。
そこは、藍子の実家だった。
今の父は、本当の父ではない。藍子にとっての本当の父は、母とは離婚している。その後、母が再婚した相手が今の父だ。綾汰にとっては血の繋がった父親となる。
それでも、今の父辰巳は、藍子のことを可愛がってくれている。
基本的には藍子の自主性に任せているが、生活費に困ればすぐに貯金を切り崩して援助してくれたりもする。いくら定収入が無いとはいっても、立派な大人の自分が、何度も世話になるわけにもいかなかったが、とてもありがたかった。
父辰巳は、今年で五五歳になる。庭師の仕事でしょっちゅう外にいるからか、ほんのり日焼けしている。最初に会った時から変わらず口髭を生やしており、彫りの深い顔立ちに、スラリとした長身と、どこか優雅さも感じさせるスタイルだ。
「おお、藍子。前に会った時よりも元気そうだな」
出迎えてくれた辰巳は、藍子の顔を見て、ほほ笑んだ。
そんなに、以前会った時の自分は元気が無かったのかと、藍子は苦笑した。
最後に父と話をしたのは、晃と再会して、仕事の話をもらって、となる前の頃のことだから、かなり煮詰まっていた時期であるのは間違いない。
でも、今は、自分のことはどうでもよかった。
ここへ来たのには、別の目的がある。
「お父さん、綾汰から何か相談受けたりしてない?」
リビングに通されて、お茶を出されてから、すぐに藍子は本題に切りこんだ。
「いいや。何かあったのか?」
「ちょっと色々あって……かわいそうなことしちゃったから」
「ふむ。詳しく話を聞かせてくれないか」
藍子は、先日、遠野屋旅館で、図らずも綾汰と対決することになった一連の出来事を、辰巳に説明した。
「なるほど。まあ、今のあいつの状況なら、そりゃ気を落とすだろうな」
「わかるの?」
「どうも、百合マヤから請けた仕事のことで、トラブル抱えているらしい。詳しく聞いてはいないが、あの女優さんは、静枝の作風にかなり入れ込んでいたから、綾汰が対応するのは、ちょっと酷かもな」
「どうして?」
「綾汰の師匠は、國邑千都子だろう。あの人は、静枝とは真逆で、ガチガチに伝統を重んじる作風の友禅作家だ。藍子だって、それで相当苦労したんじゃないか?」
「うん……」
千都子は、汚い言葉を使うことは無かったが、その指導には常に圧力を伴っていた。指導の厳しさだけではなく、作品作りにおいても、図案の細部から、色の加減に至るまで、千都子が理想として考えている「加賀友禅の伝統」に沿わなければならなかった。普通の人なら、それでも納得して師事出来るだろうが、藍子は静枝の娘であり、特殊な育ち方をしている。
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