友禅殺し

(次!)


 二つ目の絵は、満月を背負った金沢城だ。


 藍子は、黄色い染料を使い、月に色を差していく。だが、ただ色を差すのではない。片端の筆を組み合わせて使いながら、月面の濃淡を、外周部分をぼかした色にすることで表現する。加賀友禅ならではの「外ぼかし」の技術だ。


 本来なら、糊置きがあってこそ、駆使出来る技法である。それを、藍子は糊置きすることなく再現してしまっている。


 それは、あってはならないほどに、ありえない技術だった。


「……やめてくれ」


 綾汰が小声で言った。


「もう、これぐらいにしてくれ」


 次は、ハッキリと聞こえる声で。


 だけど、藍子の耳には届いていない。いつの間にか金沢城の絵は完成しており、すでに三番目の絵に取りかかっている。


「やめろ! こんなの、友禅じゃない!」


 とうとう、綾汰は大声で止めに入った。


 藍子の筆が止まる。


 ゆらり、と陽炎のような不気味な動きで振り返った藍子は、作業の余韻を残しているかのように、無表情なままで、綾汰をじっと見つめてきた。


「こうでもしないと、今の私だと、綾汰には勝てないもの」


 友禅の魔女。

 かつて、藍子の母親は、そう呼ばれていた。


 その血が、藍子にもまた流れているのだと、誰もが感じてしまうほどに、藍子はどこか鬼気迫る空気感を漂わせている。


「僕は、認めない。だって、こんなのは……」


 友禅という技法の全否定。


 本来、ただ色を差すだけではちゃんと思いどおりに作れないから、そのために防染の技術や、蒸しといった技法が確立されていった。

 それこそが友禅の特徴であり、複数の職人による分業制という手間はかかるものの、それに見合ったものが出来上がるのが、何よりも魅力なのだ。


 だというのに、いまの藍子のように、たった一人で全部作れてしまい、しかも友禅の技法で作ったものと比べても遜色ないクオリティで出来上がってしまうのであれば、それはもう、存在してはいけない技術となってしまう。


 まさに「友禅殺し」と言っても過言ではないものだ。


「これが、私」


 作品作りの集中状態から戻ってきた藍子は、寂しげな笑みを浮かべて、筆を置いた。


 幼い頃から、こういう描き方をしてきた。お絵描きでもする感覚で、下絵を描き、すぐに色も差していく。その癖がついてしまっている。

 だから、手順通りに、作品を作れない。図案から下絵に写したり、糊置きが終ってから彩色をしたりと、そういった流れを学ぶ前に、独自のやり方が身についてしまっている。


 千都子の下で長年修行を続けながら、芽が出ず、ついには工房を飛び出すことになった理由は、千都子の作品作りの姿勢が、母とは違うこともあったが、一番には藍子自身の問題でもあった。他の弟子と同じような形で、素直に一から、千都子の下で技術を学ぶことが出来なかったのである。

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