第15話 悪戯
「人殺し! 僕に触るな!」
ヨアヒムはそう叫んで駆け出した。流石に後を追えなくて……。
その場に残されたのはルーファスと私だけ。
「サイラス、あの……今の、は?」
無言で立ち去ろうとするサイラスの腕をつかんで、引き留めた。
「だから、ちょっと待てって! ヨアヒムの母親を殺したって、一体どういうことだ? 殺戮衝動が暴走でもしたか?」
「違う」
「じゃ、どういうことなんだよ?」
「分からない」
「分からないって……」
サイラスが向き直る。
「ヨアヒムの母親は自殺した」
「自殺?」
「そうだ。だが、その理由が不明で、ヨアヒムは私に原因があると思っている。思っているようだが……問い質しても、はっきりとその理由を口にしない。分からないんだ」
「もしかしてヨアヒムの母親と仲が悪かったとか?」
サイラスが首を横に振る。
「険悪な仲では無かった」
「じゃあ、どうして……」
「分からない。遺書も無かった」
「誰かに殺された可能性は?」
「人でないものになら……」
「人じゃない?」
「魔物だ。地獄の王の手のもの。若干それらしい臭いがしたので気にはなったが……ああいった者が命を狙うのは、魂が欲しいからだ。しかし、たとえ殺しても、よほど邪悪か、あるいは契約者でも無い限り、地獄へ魂を持って行くことは出来ない。彼女は契約者でもなければ、邪悪でもなかった。命を狙われる理由がない」
私が考え込むと、
「やたらと首を突っ込むな」
サイラスにそう言われてしまう。
「なぁ、サイラス……」
「うん?」
立ち去りかけたサイラスが足を止める。
「その……提案なんだけどさ、と、友達からってのは駄目か?」
彼が何かを言う前にたたみかけた。
「ほ、ほら、私の事が嫌いってわけじゃないなら、時々こうやって会うくらい、いいんじゃないか? 少しは懐かしいだろ? 昔みたいにお前と一緒に酒を飲んだり、話をしたりしたいなー、なんて……」
「駄目だ」
あう……きっぱりと拒絶されて、涙目だ。本当、なんでこんなに意地悪になったんだ? 夢の中のサイラスが恋しいよう……。しおれていると、
「あー、サイラス、ちょっと話がある。わしの部屋へ来てもらえんか?」
ルーファスがそんなことを言い出し、
「すまんが、エラ。茶を入れて欲しい。ほれ、例の……」
サイラスの好物だった花茶を是非とも。そんな事を耳打ちされる。えー? サイラスの好きな茶を入れて、懐柔しようってことか? そんなんで懐柔されるかな? こいつ、結構頑固だから、一旦こうだと言った事曲げないぞ?
そう思うも、再度ルーファスに頼まれ、茶を入れに台所へ向かう。
私の姿を見た料理人が「エラ様!」と畏まって、茶の用意をしようとするも、自分で入れるからと断った。サイラスの好物の花茶か……。何だか懐かしいな。美味しく入れられるようにと、入れ方を何度も練習したっけ。
トレイに花茶を乗せ、ルーファスの部屋へとそれを運ぶ。ルーファスの部屋は、まるでおもちゃ箱のよう。いろんな物がところ狭しと置いてある。しかも貴重な物とガラクタが一緒くたってところが凄い。下手に触ると雪崩が起きそうだ。
魔術の論議? 耳にした会話はそんな感じだった。
二人ともソファーに腰掛け、ローテーブルを挟んで向かい合っている。花茶をサイラスの前に出すと、ぴたりと会話が止んだ。あ、少しは反応したか?
「エラ、ありがとう!」
ルーファスが何やらご機嫌だ。
ん? 何だかいたずらが成功した時のような笑顔だ。何かやったのか? サイラスに目を向けても、別に変わったところはない。気のせいか?
「飲まんのか? エラが入れてくれた茶だぞ? わざわざ、おぬしの為に入れてくれたんじゃ。そう、エラが手ずから入れてくれた。台所まで行って、おぬしの為に、わざわざな」
ルーファスが意味ありげに笑う。私が入れたとやけに強調するな。
「ルーファス……」
サイラスが呻くように言う。
「うまいな、ああ、うまい。エラが入れてくれた茶はうまいのう」
ルーファスが花茶を飲みながら、そう言った。何だかわざとらしい。サイラスは茶器を手に取り、それを飲み干した。相変わらず一気飲みなんだな。
「エラ、お代わり」
ルーファスがそう要求し、ごほっとサイラスが咳をした。むせた?
「飲まんのか?」
ルーファスが先程と同じ台詞を口にする。そんでもって、同じ動作でサイラスは花茶を一気に飲み干した。あいかわらず無表情だ。うーん、喜んでるって感じしないなぁ。これで懐柔って、やっぱり無理じゃないか?
それが何度か繰り返されると、流石に眉をひそめてしまう。ちょっと飲み過ぎのような気が……そんなに喉が渇いていたとか? まぁ、甘いお茶だからな、たくさん飲もうと思えば飲めるけど……。
やおら、サイラスが立ち上がり、
「……論議は終わりだ」
一方的にそう告げ、ドアへと向かう。
何か顔色悪くないか? ふらついている? ぱたんとドアが閉まるなり、ルーファスが爆笑した。意味不明。何やったんだ? こいつ。
「ひーっ、ひっ、ひっ、ひっ! エ、エラ、大丈夫、サイラスは心変わりなんぞしていないぞ、あやつ、ひひひ! まだちゃんとおぬしを好いておる」
「はあ?」
「心配せず押しかけろ。そのうち諦めて受け入れる」
「どういう……」
「サイラスの奴はな、花茶が大大大っ嫌いなんじゃよ」
へ?
「いたずらじゃ、いたずら! あやつは昔から甘味が苦手で、花茶が一番の苦手だった。だから、いたずら心が湧いて、アイダだったおぬしに、花茶はサイラスの好物と教えてやったんじゃよ。すぐにばれるかと思いきや、あやつは、ずーっとそれを無理して飲みよった!」
ルーファスがげらげらと腹を抱えて笑う。私は仰天した。
「えええ? な、何でだよ? 苦手だって言えば良かっただろ?」
「ああ、それはな、おぬしが花茶の入れ方を一生懸命練習したかららしいのう。あやつはそれを知って、無碍に出来なかったのよ、ひひひ! 今もそうじゃ、うひゃひゃ! お、おぬしが手ずから入れたとしつこく言ったから、突き返せず、飲み干しおった! 今頃胸焼けでのたうち回ってる!」
「え? 私の、為?」
ルーファスが頷き、
「じゃ、じゃあ、もしかして、いっつも一気に飲みしていたのって……」
「味わいたくないから、喉の奥に流し込んでいたんじゃろう。ははは、あっぱれ!」
「あっぱれじゃない!」
私は拳を振り上げ、ルーファスを撃沈させる。
「これ、年寄りを労れ!」
「労るかああ! このくそ老人! ということは! ずーっと、サイラスに無理させてたってことだろ! なんてことするんだよおおおおお!」
ぽかぽかと叩くと、ルーファスが抗議する。
「じゃから、それほどおぬしが好きだったってことじゃろうが!」
「嬉しいけど、嬉しくないいいいい!」
「とにかく突撃あるのみ!」
「誤魔化すなぁ!」
ひげを引っ張れば、ひたたたたたとルーファスが涙目だ。少しは懲りろ! このいたずら好きのくそ老人! サイラスに謝れぇ!
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