第16話 エラの前世Ⅰ

「エラ様、お休みなさいませ」

 そう挨拶し、侍女のアンナが部屋を辞した。

 アンナは相変わらず甲斐甲斐しい。きちんとベッドを整え、私の黒髪を梳ってくれ、よく眠れるようにとホットミルクまで用意してくれた。

 侍女の鏡だな、アンナは……。

 アンナはふくよかな中年女性だ。言いたいことをびしばし言うので、きつい印象を受けるが、心根は温かい。なので、こうして甲斐甲斐しく世話をされると、何だろうな? 侍女と言うより、母親って感じになる。

 母親か……。

 ――ごめん、言いたくない。

 あれから、母親の自殺の原因をヨアヒムに聞いてみたけれど、彼は口を貝のように閉ざして理由を言おうとしない。

 しかたなく、よしよしと頭を撫でて話を終えた。

 まぁ、母親が自殺したってだけでも相当ショックだろうから、無理矢理聞き出すわけにもいかない。

 しかし、サイラスが原因で母親が自殺? 分からない。普通に考えると、男女のもつれが考えられるけれど……。母親が弄ばれて自殺、とか? うーん、サイラスがそんなことするわけがない。と、なると、他に何がある?

 アンナが入れてくれたホットミルクを口にする。

 ふと鏡を見ると、今世の自分の顔が見える。

 黒髪に黒い瞳の、すっきりとした顔立ちだ。

 化粧をすれば、もう少し大人びて見えるだろうか? 幼さの残る顔を眺め、そんな事を考えた。面倒なので今まで化粧をしたことはない。

 ――エラは瞳が綺麗だね。

 そう言って褒めてくれたのは誰だったかな……。

 体は細すぎるし、胸はないしで、そこしか褒めるところがなかったのかもしれないけれど。髪質も悪くないか? 触ればストレートの黒髪は、サラサラと指通りがいい。今はアンナがせっせと梳ってくれるので、短く切りそろえた黒髪にはツヤがある。

 前世は茶の巻き毛だったな。

 そんなことを思い出す。

 瞳は濃いブラウン。顔は美人系で色気があり、体はほっそりしているのに胸が大きく、どう見ても男を誘うのに適した体だった。

 まともな家に生まれてさえいれば、きっとそんな自分の容姿を喜んだのだろうけれど、私の場合はそれが逆にあだになった。そう、周囲の男に必ず目を付けられ、手を出される。そんな毎日で、心底うんざりしていたものだ。

 一人前の暗殺者になるころには、大の男嫌いになっていたっけ……。

 いつの日か、こんな場所からおさらばしてやると、そう考え続けて、二十になった時だったか……王太子であったサイラスの暗殺を任されたのだ。

 そう、私の運命が大きく動き出したのは、まさにあの時だろう。

 ああ、忘れもしない、あの日、あの時……初めて目にしたお前に、私は憎悪の目を向けた。だって、あの時の私は、世の中の男全てを憎んでいたから。

 そう、実の父親でさえも……。殺したいと、そう思っていた。寝首をかけないものかと毎日のように隙を狙っていたような有様だった。

 結局、私の方が先に死んでしまったけれど。

 この私を暗殺者に仕立て上げたのはあいつで。男達の餌食にしたのもあいつで。選びようのない過酷な人生を強いられたのは、全てあいつのせいだったから。

 暗殺者の首領だった父親のせい。一片の愛情もなく、ただただ殺しの技を仕込まれた。そんな子供がまともに育つわけもない。

 仕事に出かける間際になって、仲間のシェイドから奇妙な話を聞かされた。

 暗殺の任務を引き受けたのはお前が初めてじゃない、もう何人も失敗している。だから、気をつけろ、と……。

 それは初耳だった。そんなに手強い相手なら、どうして自分が選ばれたのか疑問である。半人前と仲間からののしられることなど日常茶飯事だ。

 シェイドは苦笑した。お前の腕は確かだよ、と。

 ただ、いらない慈悲心を起こして、標的を逃すことがあるから、野次られるんだと告げられて驚いた。それも初耳である。

 今回も見逃すかもよと軽口を叩くと、それはないなと言われる。お前の男嫌いは有名だ、そんな風に付け加えられ、苦笑した。

 確かに男の標的を見逃した事はない。

 城に忍び込んで、頭にたたき込んだ図面に沿って移動し、標的の寝室に忍び込む。進入がやけに簡単で、眉をひそめたものだ。仲間の話が本当なら、忍び込むのも大変だろうと身構えていたのに……。

 標的の顔を確認し、思わず反吐が出そうになる。

 神の手による造形美を感じさせるほど、標的の顔は整っていた。

 こういった顔立ちの男は、どうしたって女の敵にしかならない。女を食い物にし、平然と世の中を渡り歩く。そういった男なら何人も知っていた。

 使い慣れたナイフを喉に押し当て、いつものように標的を血の海の中に沈めようとするも、仕事の完了を確信した瞬間、視界が反転していた。

 何が起こったのか分からない。

 誰かに組み敷かれ、自分が手にしていたはずのナイフが首筋に押し当てられる。

 ひやりとした感覚に身を固くした。うつぶせになっていたので、相手が誰だか分からなかったが、この状況なら標的の仕業に間違いないだろう。

 シェイドの忠告は真実だったというわけだ。

「女か……」

 標的が呟き、圧力がふっと消失する。気配が移動し、窓が開け放たれた。

「帰れ」

 標的の行動に私は目を見張った。何もせずに返すというのか?

「……随分な甘ちゃんね。自分を殺しにきた者を見逃すの?」

「殺して欲しいのか?」

「普通は捕らえるものでしょう?」

「そうすればお前は死ぬだろう?」

 よく知っている。確かに捕らえられた暗殺者は、拷問される前に死を選ぶ。

「依頼主が誰だか知りたくはないの?」

 そう野次れば王太子が笑う。

「必要ない。知っている」

 思わず目をむいた。

「知っていて放置しているの!?」

 一体どういうつもりなのか。

「依頼者は一応母親だからな。血はつながっていないが……」

 血が繋がっていないと聞き、王妃が我が子の暗殺の依頼をした理由を理解する。義理の息子が何らかの形でうとましくなったか……。ありがちな話だった。権力争いなど得てしてこんな風に醜いものだ。

 窓に近寄っても王太子が動く気配はない。

「……このまま見逃せば、私はお前を付け狙うわよ?」

 ついいぶかって、そんなことを口にすると、標的が笑った。本当に可笑しそうに。

「どうして笑うのよ?」

「いや、随分と親切な暗殺者もいるものだ、と……」

「どういう……」

「普通は何も言わない。わざわざ忠告してやる必要がどこにあるのか。標的が警戒するだけだろう? それとも……それほど腕に自信がある? いや、違うな。お前はこの私に情けをかけた。見逃せば危険だと、そう忠告してくれたんだろう?」

 言葉に詰まった。確かにサイラスという王太子の様子が無防備すぎて、つい口が滑った。命を危険にさらすなんて馬鹿のやること……そう考えた自分が馬鹿だ。

「……せいぜい警戒するのね」

 そんな捨て台詞を残し、その場から姿を消す。

 親切? この私が? ありえないわ。無慈悲な人殺しだもの。そうよ、この手は血にまみれている。あいつはそれを知らないだけ。

 寝室に忍び込むのはやめ、毒物に切り替える。

 標的が口にする飲み物に混ぜるも、何故か失敗する。毒物に耐性を付けているのかもしれない。そう考え、毒の種類をいろいろと変えてみても、やはり失敗に終わる。

 一体どういうことだろう?

 毒入りの飲み物は口にしている。吐き出している様子もない。強力な解毒剤でも所持しているのだろうか?

 標的の隙をうかがい、彼の行動を見張っている内に、王太子の仕事ぶりが随分と真面目であることに気がつく。遊びらしい遊びを一切しないのだ。一日中激務をこなし、睡眠時間もやたらと少ない。貴族の中に潜入することも多く、彼らの自堕落な生活ぶりを間近で見てきただけに、彼の行動は意外だった。

 部下にも慕われていて、周囲の人々の表情が明るい。

 何故こんな奴が命を狙われるのか……。

 彼を初めて目にした時の嫌悪感が和らぎ、そんな疑問が頭をもたげる。

 標的の姿に視線を固定したまま、手にしたナイフをくるくると回した。考え事をする時の自分の癖だった。手にしたナイフをこうして回してしまう。子供の頃からの癖。ナイフが玩具代わりだったのだ。仕方ない。

 気になるのなら調べてみれば良い、情報収集はお手の物だ。

 そう考え、王太子の人となりを調べて見れば、案の定、彼の評判はすこぶるよかった。父王を補佐する立場で動き回り、国が潤うように政治を切り回している。公正なことでも有名で、部下の信頼も厚く、次期国王としての立場は揺るぎそうにない。

 対して依頼主である王妃の評判は芳しくなかった。

 大変な癇癪持ちで、周囲の者達も手を焼いているようだ。

 優秀な義理の息子より、凡庸な自分の息子に王位を継がせたいと考えているらしいが、自分の都合だけで動く王妃の行動は、民衆にとってはいい迷惑であろう。

 標的である寝室の窓から中をのぞき込み、どうしたものかと考える。

 組織の命令に逆らえば、待っているのは自分の死だ。

 けれど、今の生に一体どれだけの価値があるというのだろう? 生きながら死んでいるようなものだ。自分の意志などなく、ただただ組織の駒として使われるだけ。

 ならいっそ、そうだ、いっそ王妃を殺ってしまおうか……。

 そんな事をぼんやりと考えた。

 ここは夢の国だ。

 一人一人の権利が守られた夢の国……。

 こんな国があるなんて、私は想像すらしたことがなかった。

 自分は弱者が踏みつけられる世界しか知らない。

 守りたい、理想のこの国を……。一介の暗殺者ごときが何て大胆な夢を持つのだろう、そう思ったけれど、どうしても諦められなかった。自分の望んだものが目の前にある。どうして手を伸ばさずにいられようか。

 王妃が主催するパーティーに身分を偽り、潜入する。毒を塗った刃物を仕込み、王妃に接近するも、直前で誰かに腕を掴まれた。

 腕をつかんだのは例のサイラスという王太子で、舌打ちが漏れる。


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