第14話 悪巧み
ヨアヒムの敵がエレミアだけではなかった事を思い知らされたのは、その僅か二日後だった。聖女候補のシンシアが、ヨアヒムに乱暴されかけたと訴えたのだ。
それを聞かされた時には我が耳を疑った。はあ? である。
ヨアヒムが女を襲う? リアンに襲われて泣いていた、あの精神豆腐の軟弱男が? ありえない……それが素直な感想だった。
ルーファスと一緒になって取調室に駆け込めば、
「あの不埒者を牢に入れてください! あんなのが普通にここを歩き回っているなんて、怖くてたまりませんわ!」
丁度、そんな風にブロンド美人のシンシアが泣きながら訴えているところであった。飛び込んだ部屋は壁も床も黒い、威圧的な空間だった。
そこで黒い椅子に腰掛けたリアンが神妙な顔を作り、
「そうよねぇ。これは問題ねぇ……」
などと口にしている。
何だか白々しい。視線がどうしても冷たくなってしまう。
こいつら共謀していないか? リアンは言わずもがなだが、シンシアも強かだ。黙って男に襲われるようなたまじゃない。絶対その場で騒ぎ立てるはずだ。なのに、誰もその現場を目撃していないって、絶対怪しい。
その隣にはエレミア・ウォードもいて、険悪な空気をまき散らしていた。
「僕は何もしていない!」
ヨアヒムがいつになく語気荒く言う。
まあ、冤罪じゃあ、そうだろうな。けど……面と向かって言い返すとは思わなかった。意外である。絶対めそめそ泣き出すと思ったのに……。
ヨアヒムの反論に、シンシアが顔を真っ赤にさせて怒鳴った。
「いいえ! わたくしに乱暴したわ! 頬を叩いたじゃないの!」
え? ヨアヒムが手を上げた? これまたびっくりするも、
「それは、君がエラを侮辱したからだよ!」
はい?
「男をあさるあばずれって、あんまりだ! エラはね! 綺麗で可愛くて奥ゆかしくて、温かくて優しいんだ! 君と違ってね! 聖女の中の聖女なんだよ!」
ヨアヒムがそんなことを叫ぶ。
おいおい、ちょっと恥ずかしいから止めろ。お前の目には、一体どんなフィルターがかかってる? 世辞もそこまでいくと薄ら寒い。綺麗で可愛くて奥ゆかしい……一つもあたってないぞ。悪いけど。
ヨアヒムが涙目でぷるぷる震えながら(やっぱり子犬風味)、
「き、君の方こそあばずれだじゃないか! 僕に言い寄って振られたからって、こんな仕返しするなんて、酷い!」
あ、なるほど……。思わず苦笑い。何となく状況が分かってしまった。シンシアがヨアヒムに言い寄ったのか……。それで振られた、と。ヨアヒムは
「
シンシアがすかさず言い返す。
ああ、駄目だったんだな。知らずに言い寄ったってことか? 髪で呪印を隠すのも善し悪しだな。やっぱり堂々とさせた方が良いのか。いや、でもなぁ……。
「……聖女候補には近づくなって、僕、君に言ったはずだけど?」
エレミアが進み出る。視線が氷より冷たい。
ああ、見慣れたエレミアだ。そう、こいつはいつもこうだった。
エレミアのごりっとした口調に、ヨアヒムがびくりとなる。
「そのことはどうなの? 忠告を無視して彼女に近づいた。それだけでも厳罰ものだよ」
びくびくとした調子でヨアヒムが反論を試みる。
「だって、それは彼女が……」
「そこはどうでもいいよ」
ぴしゃりとヨアヒムの言葉を遮った。
「もう少し自分の立場をわきまえたらどう? この汚らわしい
「サ、サイラスは関係ないよ!」
多分、これはヨアヒムのいつもの反抗だ。そんなに深い意味は無いと思う。けれど、
「へえ? 関係ない……ふうん?」
ぴくりとエレミアが反応する。どうやら何かの逆鱗に触れたようで、浮かべた優しげな微笑みに、妙に迫力がある。
「なら、君がここにいて無事な理由、言ってごらん?」
「え?」
「君がこの暁の塔で自由に振る舞える理由だよ。まさか、この僕が、君を恐れているだなんて、思ってやしないだろうね?」
ふっとエレミアの気配が変わる。目に凶悪な色が宿り、凶暴な牙をむき出しだ。
「
エレミアの手の動きに呼応し、ヨアヒムの体が吹っ飛んだ。
魔術だ! そう気が付いた時には、ヨアヒムは壁にしたたかに打ち付けられ、そのまま貼り付けだ。身動きも出来ないようで、ヨアヒムは咳き込むも、足は宙に浮いたまま、手足もまた壁に固定されている。
エレミアが言う。その顔は憤怒の形相だ。
「このウジ虫以下のゴミ屑野郎! サイラスの庇護がなけりゃ、とっくのとうにひねり潰しやっているものを……。それを関係ない? どこまで傲慢なんだ。あいつが! あいつのせいで!
エレミアが一歩一歩近づいた。
「ああ、まったくイライラする。無知な奴ほど苛つくものはないよ。
危険な色合いが濃くなり、
「エレミア!」
「よせ!」
ルーファスが声を荒げ、私が二人の間に割って入った。
私の姿に目をとめたエレミアが、呆れたように言う。
「これはこれは、聖女候補様。どうしてこんな場所にまでしゃしゃり出てくるのかな」
「……やりすぎだ」
私がエレミアを睨み付けると、
「やりすぎ、ね……」
ふっとエレミアが肩の力を抜く。同時にヨアヒムの拘束が解けたようで、彼の体が床にどさりと落ちた。
「大丈夫か?」
そう声をかけるも、よほど怖かったのだろう、ヨアヒムはカタカタと震えるばかりだ。顔面蒼白である。私はその背をさすってやった。エレミアの本気の殺意は、確かに肝を潰される。本当、容赦ないな、こいつ……。
エレミアは身を翻し、
「そいつは地下牢行きだよ。それが嫌ならここを出ていくんだね、サイラス」
そう告げた。
え? その呼びかけに驚いて振り返れば、そこにいたのは確かにサイラスで……。
「聖女候補を害したんだ。いくら何でも見逃せない」
エレミアがそう宣言し、
「それが事実ならな」
サイラスがそう答えた。
エレミアがふんっと鼻を鳴らす。
「真実のフィールドの上に立たせたんだ。シンシアは嘘をついていないよ。確かにそこの
「……記憶の改ざんは?」
「何?」
「真実のフィールドは真実を示すものではない。嘘がつけないだけだ。お前も知っているだろう? 記憶の改ざんが行われていないかどうか調べろ」
「……僕に命令する気?」
「なら、私がやろうか?」
サイラスとエレミアがにらみ合い、
「シンシア、こっちへ」
こいつにやらせるよりは、そう思ったか、エレミアがシンシアに呼びかける。それに応じたシンシアが進み出ようとするのを、五大魔道士の一人であるリアンが止めた。
「その必要は無いわ。わたくしが調べたもの。記憶の改ざんは行われていないわ」
リアンが自信たっぷりに言い切り、優雅に笑う。本当か? 私はそう疑うも、五大魔道士の一人であるリアンの言葉だ。エレミアがどちらを優先するか分かりきっている。余裕あるリアンの清楚な微笑みは、いっそ醜悪だ。
「だ、そうだよ?」
エレミアもまた勝ち誇ったように笑う。
サイラスの表情は変わらない。
けれど、サイラスの周囲を取り巻く空気の濃度が変わったような気がした。
サイラスの口から漏れ出たのは多分、呪だろう。高く低く響くそれは、不思議な音。言葉のようでいて言葉ではない。一定のリズムがあるから、どちらかというと歌に近いかもしれない。勿論歌ではないけれど。
空気が震え、壁が床が振動する。
「何を……」
パリンという硝子が砕けたような音を聞いたような気がした。その音を境に振動が収まる。サイラスが再び言った。
「もう一度、聖女候補を真実のフィールドの上に立たせろ」
「そんなことする必要……」
「もう一度だ」
サイラスの目つきが変わる。そう、それは間違いなく脅しだった。
エレミアが舌打ちを漏らす。
「シンシア」
エレミアにそう呼びかけられて、シンシアはびくりと身をすくめる。
「あ、あの……」
「どうしたの?」
「も、申し訳ありません!」
突然シンシアが自分意見を翻し、勘違いだったと涙ながらに謝った。シンシアの顔からは血の気が引き、かたかたと震えている。頬を叩いた後、ヨアヒムは駆け去り、自分一人その場に残されただけだと、そう告白する。
あまりの変わりように誰もが言葉もない。
「……ちょっと混乱しているようね。休ませてくるわ」
リアンが苦々しげにそう言い、シンシアをその場から連れ出した。
「どういうこと?」
エレミアはサイラスに向き直り、ふっと何かに気が付いたようで、
「ああ……もしかして、さっきのは術の強制解除だった?」
忌々しげにそう呟いた。
「そうだ」
「はっ、流石だね。普通は触媒を必要とするってのに……」
面白くもなさそうに両手を広げ、
「さっさと連れて行ったら?」
そう吐き捨て、エレミアもまたその場から立ち去った。
術の強制解除? ということは、サイラスが改ざんされたシンシアの記憶を元に戻したってことか? それでシンシアは慌てた? エレミアの制裁を恐れて……。
だとするなら、やっぱり今回の件はリアンが黒幕か……。
ため息が出る。五大魔道士の一人が黒幕で、陥れようとした相手が
「ヨアヒム、来るんだ」
サイラスがそう言うも、
「嫌だ」
ヨアヒムが抵抗する。
「ヨアヒム!」
サイラスが手を伸ばし、連れて行こうとするも、ヨアヒムはさあっと私の後ろに隠れた。こういう所は相変わらずか、そう思うも、
「やめてよ! 僕は助けてなんて言ってない! 放っておいてよ! いまさらいい人ぶらないで! 僕の母さんを殺したくせに!」
え? ヨアヒムの台詞に思わず棒立ちになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます