第17話
セレブロに絡んでいた男は、ワンパチ・イネプト。
俺が生まれたイネプト一族のひとりだ。
ヤツは一族きっての戦士だが、鎧は身に着けておらず、クマのような大柄な身体にタンクトップ一枚。
生ハムの原木のような、タトゥー入りの腕を見せつけている。
このことからもわかるように、ヤツは一族いちの筋肉バカなんだ。
ワンパチはこのあたりでは知らぬ者がいない乱暴者だが、当然、セレブロは知らない。
「は、はじめまして、わたくしはセレブロと申します。あなた様はいったい……?」
筋肉ダルマにグイグイ迫られても、彼女は礼儀正しい。
「なんだぁ、お前、この俺を知らねぇってのか! きっと遠くの国からきたお姫様なんだろうな!
俺様はワンパチだ! いいか、ここいらの女はぜんぶ俺様のもんだ! だからお前も俺様のもんだ!」
「いえ、わたくしはミカエル様のものです」
「ミカエルぅ!? ソイツはとっくの昔に死んだよ! ウソが下手だが、そういう所もかわいいじゃねぇか!
いいか、セレブロ、俺様のものになった女は、こうするんだ!」
ワンパチは近くを通りすがった女のブーツのつま先を、いきなり問答無用で踏みつけた。
女は「なにすんのさ!?」とキッと睨みつけたが、ワンパチに髪を掴まれた途端、
「ああっ、ワンパチ様……!」
ウットリとした瞳でワンパチを見上げる。
ワンパチは女の髪をぐいと引っ張ってさらに上を向かせ、ぶちゅっと唇を奪った。
いきなりのことに、セレブロは目を丸くする。
「い、いったい、なにを……!?」
ワンパチは女の唇からぷはあっと口を離し、腕で拭いながら答えた。
「これは『水飲み場』といって、イネプト一族の特権よ!
足を踏まれた女はその場で立ち止まって、髪を掴まれて俺とキッスする権利が与えられるんだ!」
これは後で知ったのだが、ワンパチは髪を掴んだときに一族に伝わる『
足を踏まれて髪を掴まれるなんて仕打ちをされても、女たちが恍惚とした表情をしているのはそのせいだ。
通りすがりに唇を奪われた女も、「ワンパチ様ぁ」と赤い顔でしなだれかかっている。
ワンパチはその女を突き飛ばし、噴水に叩き込んでいた。
「さぁて、それじゃセレブロ、お前もこの俺様の『水飲み場』にしてやろうか!」
のしのしと迫ってくるワンパチに、いやいやと首を振りながら後ずさるセレブロ。
「い、いやです! わたくしはミカエル様の『水飲み場』になりたいです!
あなたの『水飲み場』にはなりたくありません!」
「まだそんな死んだヤツのことを言ってやがるのか!
あんなヘナチョコ野郎のことなんざ、俺のキッスで一発で忘れさせてやるぜぇ!」
俺はこのとき物乞いに絡まれていた。
何度も振りほどこうとしていたのだが、レベル10では子供くらいの力しかないのでままならない。
俺はやむなくポケットから出した小銭を放り捨てる。
物乞いが気を取られた隙に、ワンパチに向かって走った。
「待て! セレブロから離れろ、この脳筋野郎っ!」
俺の声に、ああん? と振り向いたワンパチは、ギョロリと目を剥いた。
「この街で俺様にケチを付けるたぁ、どんな生命知らずかと思ったら、ミカエルじゃねぇか!
テメェ、生きてやがったのか!」
「その子に指一本触れてみろ、ただじゃおかんぞ!」
「なんだぁ? 万年レベル1だったお荷物野郎が、でかい口を叩くようになったじゃねぇか!
面白ぇ、昔みてぇにギタギタにして足腰立たなくてやって、目の前で俺とセレブロのベロチューを見せつけてやるよ!
お前の脳はとっくに破壊されてるだろうが、トドメを刺してやるぜぇ!」
俺の倍はあろうかという足を、どしん、どしんと踏みならして迫ってくるワンパチ。
俺はぐっと拳を握りしめ、思案していた。
痩せた物乞いですら振りほどけないこの俺が、まともにやりあってワンパチに勝つのは不可能だ。
だが俺は、生きては戻れぬと言われたあの『竜の堕とし子』から生還してみせたんだ。
どんな強敵でも、勝つ方法はどこかにきっとある。
それを探せ、探すんだ……!
「ほぉ? この俺様にビビらねぇとは、ちったぁ成長したじゃねぇか」
いくつもの修羅場をくぐりぬけてきたおかげで、俺はワンパチを目の前にしても動じなかった。
自分でも驚くほどに落ち着いている。
「当たり前だ。
こちとらお前みたいな雑魚をひとひねりするような、伝説のモンスターと戦ってきたんだ」
「お前の言う伝説のモンスターって、『サップスライム』のことか?
どうやら脳が破壊されすぎて、おかしくなっちまったようだな! ぎゃははははははは!」
集まっていた野次馬も一緒になって笑う。
この街には、ワンパチの暴力に媚びへつらうヤツらばかりだ。
俺はワンパチの一言がきっかけで、あることを思い出していた。
そうだ、
いちかばちか、
この筋肉ダルマなら、心おきなく
自分でも信じられないくらいの残虐な思考が巡り、心の底に、かつて消えた黒い炎がふたたび灯った。
俺はすっと手をかざし、手のひらをワンパチの頭に向ける。
ふつふつと湧き上がる激情を吐き出すように、呪いの言葉をつぶやいた。
「貴様の脳を、破壊する……!
大切なものを奪われる絶望を、命を絶たれる以上の苦痛を、味わうがいい……!」
『
瞬間、俺の手から放たれた黒いオーラが、ワンパチの額にヘッドバンドのように巻き付いた。
ワンパチは「はぁ?」とキョトンとしていたので、このダークオーラは見えていないようだ。
そして、異変が起こる。
ワンパチは鉄のデコピンをくらったように、バチーンとのけぞった。
「なっ!? なんだぁ!? いま、頭ん中が爆発したみたいになったぞ!?」
「そうだ。貴様の脳の一部は、たった今破壊された」
「はっ!? 一族の落ちこぼれにテメェにそんな力があるわけねぇだろ!
そう言えば俺がビビるとでも思ってんのか!
こうなったらギタギタどころじゃねぇ、ワンパンで殺してやる!」
豪腕が引き絞られる弩弓のごとく、ミリミリと音をたてて振り上げられた。
ヤジ馬たちは「あーあ、死んだわアイツ」と肩をすくめていた。
セレブロはもう知っているはずなのに、両手で顔を覆っていた。
「死ねやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
大金槌のような拳が、ごうっ、と風を唸らせ俺の顔面に落ちてくる。
このパンチは、岩ですら粉々にするほどに威力には定評がある。
まともに喰らえば、頭蓋骨ですら卵の殻のようにグシャグシャになるだろう。
しかし俺の頭に触れたそれは、マシュマロのようなソフトタッチだった。
ぽふっ。
拳の向こうで俺がニヤリと笑ったので、ワンパチはオバケを見るような顔で絶叫していた。
「おっ、俺様の一撃必殺の拳が効かない!? そんなバカなっ!? バカなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
ムキになって、俺にパンチの雨を降らせるワンパチ。
しかしそのどれもが、ぽふぽふと間抜けな音をたてていた。
「な、なんだありゃ!?」と騒然となるヤジ馬たち。
そう、俺はワンパチの脳を破壊し、ある概念をヤツから消し去っていたんだ。
それは、『力加減』……!
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