第16話

 俺たちはいま酒場にいる。

 昼間の酒場というのは昼飯を食べにきた冒険者や労働者が、むっつりとサンドイッチやスパゲティを喰らう場所である。


 しかし俺たちのテーブルだけは、異様なまでに華やいでいた。

 目の前にならんだメニューに、セレブロが我を忘れたように大はしゃぎしていたからだ。


「こっ、こちらが噂の白パンさんですね、はっ、はじめまして!

 こちらはミルクさん!? 牛さんですか、羊さんですか!?

 ああっ、こちらは伝説の白ソーセージさん!? お目にかかれて嬉しいです!

 ああああっ!? こちらはもしかして、白カビのチーズさん!?

 ネズミさんと猫さんがあなたを奪い合う絵本、大好きでした!」


 セレブロは憧れの人に会ったかのように、パンやミルクに感激していた。

 店じゅうの注目を集めているとも知らず、ひとり瞳を潤ませている。


 このままだとサインをねだりかねない勢いだったので、俺は彼女に言う。


「セレブロ、挨拶はそのくらいにして、そろそろ食べようか」


「はっ、はいっ! 不肖セレブロ、いっ、頂かせていただきますっ!」


 すると、セレブロは震える手でパンを取り、指先でちぎった。

 それは上品な仕草だったが、ちぎったパンはパンくずくらいの大きさしかない。


 粉みたいなパンを毒味するみたいにちょぴっと口に含み、目頭を覆っていた。


「お……おいしい……! おいしい、ですっ……!

 ふんわりしてて、甘い口どけで……! まるで、雲を頂いているみたいですっ……!」


 そしてまたパン粉をひと口。小鳥か。


「おいセレブロ、まさかそのペースでずっと食べるつもりじゃないだろうな」


「きゃうっ!? す、すみませんっ! おいしかったもので、つい欲張ってしまいました!

 は、はしたないところをお見せしてしまって、大変申し訳ありません! もっと落ち着いて、ゆっくり……!」


 テーブルの端に三つ指をついて、ぺこぺこ頭を下げるセレブロ。


「違う違う。そんな食べ方してたら、パンひとつ食べ終えるのに明日までかかるぞ。

 パンっていうのは、もっと大きくちぎって食べるもんだ」


 「ええっ!?」と顔をあげたセレブロに、俺はパンの食べ方を見せてやる。

 パンをひと口大にちぎった俺を見て、「えええっ!?」と晴天の霹靂に打たれたかのような表情。


「い、いちどにそんなに頂いてもよろしいのですか!?

 そんなに頂いたら、お身体がビックリするのではありませんか!?」


「そんなことはないから、キミもやってみろ」


「は……はいっ! かしこまりましたっ!」


 セレブロはビシッと背筋を正すと、皿の上のパンと格闘をはじめる。

 口を開けて手鏡で自分の口の大きさを確認し、指の関節を使ってパンのサイズを測っていた。


 そして意を決したかのような表情で、白魚の指で小麦色のパンをひとちぎり。

 宝石のように指でつまんで俺に見せてくる。


「ミカエル様、こ……このくらいの大きさでいかがでしょうか?」


 「好きにしろ」としか言えなかったが、彼女があまりにも真剣だったので無下にもできなかった。

 俺は「うむ」と頷き返す。


「初めてとは思えないほどに、見事なパンちぎりだ。さぁ、それを食べるんだ」


「あ、ありがとうございます……!」


 セレブロはごくりっ、と喉を鳴らしたあと、子供みたいにあーんと口を開ける。


 ……ぱくりっ!


 ひと口大のパンを咥えたとたん、彼女は感激にわななく。


「おっ……! おいしい……! おいしい、ですっ……!」


 内なる衝撃に飛ばされまいとするかのように、己の身体を抱いてビクビク震えていた。

 瞳にたまった涙がついに溢れ出し、はらはらと頬を伝う。


 前言撤回。

 セレブロの場合は本当に身体がビックリしてしまったようだ。


 パンひと口でこの有様では、食事が終わるまでに昇天してしまうのではないかと俺は思う。

 しかしその心配は杞憂であった。


 セレブロは食べ進めることに慣れていき、最後のほうはだいぶ落ち着いた。

 それでも、30年の懲役を終えた殺人鬼の聖職者が、久しぶりにまともな食事にありついたくらいのリアクションだった。


「おいしいです、本当に、本当……! わたくしの口のなかに、黄金の小麦畑があるかのようのです……!」


「このミルクは、牛さんから採れたもののようですね。牛さんがあんなに大きいのは、このミルクを飲んで育ったからなのでしょう。

 わたくしもこのミルクを頂けば、牛さんみたいに立派になれるのでしょうか。

 ああっ、身体が少し牛さんになったような気がします。めぇ~」


 安酒場の粗末なランチを、ここまで表現豊かに食す人間などいない。

 とうとうまわりにいる客たちが大笑いしだした。


「がっはっはっはっはっ! お嬢ちゃん、面白ぇなぁ!」


「お嬢ちゃん、いいとこの娘さんなんだろ? 格好を見ればわかるぜ!

 金持ちなんてだいたい鼻持ちならねぇヤツらばっかりだが、お嬢ちゃんは気に入った!」


「お嬢ちゃん、このバターをやるよ! パンにつけて食ってみな!」


「なら、俺はこのオリーブオイルをやろう!」


「豪快じゃないのに、こんなにいい食べっぷりを見たのは初めてだ!

 ここは俺がおごらせてもらうぜ!」


「昼の酒場がこんなに盛り上がったのは初めてだよ! このハチミツは店からのサービスだ!

 本来は酒に入れるヤツだが、ミルクに入れてもうまいんだ!」


 あっという間に酒場のアイドルと化すセレブロ。

 ずっと自分の世界に浸っていた彼女は、今になってようやく注目されていたことを知る。


 男たちに囲まれ「えっえっえっ!?」となっていた。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 俺たちは賑やかなランチを終え、酒場を出る。

 街の噴水にあるベンチで少し休憩した。


「はふぅ……」


 すっかり満腹になったセレブロは、幸せそうな表情でお腹をさすっていた。


「ミカエル様……。お食事というのがこんなに素敵なことだとは知りませんでした……」


「そうか、良かったな。俺はちょっと追加で買いたいものがあるから、ここで待っててくれるか?」


「えっ、それならわたくしもご一緒に……」


「いや、すぐそこの八百屋で薬草を安売りしてたんだ。

 武器屋で買うよりずっと安かったから、ちょっと行って買ってくるだけだ。

 ここで待っててくれるか」


「はい、かしこまりましたぁ……」


 と、俺はセレブロを置いて、通りがかりに見つけた八百屋へと向かう。

 手早く買い物を終えて噴水に戻ろうとすると、途中でセレブロを見つけた。


 どうやら途中で不安になって、捨てられた犬みたいに俺を追いかけてきたのだろう。

 彼女をひとりきりにしたことを、俺はいまさらながらに後悔する。


 セレブロを見つけた直後、俺は運悪く物乞いに絡まれてしまう。

 そして少し離れたところにいるセレブロは、山賊のようにガラの悪い、むくつけき男に絡まれていた。


「おっ、そこの聖女! 見ない顔だな! ちょうど俺様のパーティに聖女が欲しかったところだ!」


 俺はその山賊野郎のことを知っていた。


 ヤツの名は、ワンパチ・イネプト。

 かつて俺からある女性を寝取った、イネプト一族いちの筋肉バカだ……!

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