第7話

 セレブロの羞恥パニックが落ち着いたところで、俺たちは探索を再開した。


 俺たちのいる『竜の堕とし子』の地下迷宮ダンジョンの最下層は迷路状ではなく一本道。

 おかげで道に迷うこともなかったのだが、厄介な仕掛けに遭遇しても迂回できないという欠点がある。


 そして俺たちはその『厄介な仕掛け』の前にいた。

 いままではほの明るかった洞窟内に、突如として暗闇の通路が現れたのだ。


 これは俗に言う『ダーク・ゾーン』と呼ばれる場所。

 濃霧のような闇が蔓延しており、光を吸い取ってしまう。


 そのため、ランタンなどのわずかな光源は役に立たない。

 高等魔法による暗視を行なうか、闇を払う聖女の力などがないと視界を確保できない。


 さらにダークゾーンには夜目の利くモンスターにとっては絶好のフィールドでもあった。

 どうにかして光源を確保しなければ、この先に進むのは危険だ。


 俺が思案の後、セレブロに言った。


「よし、ここは俺がイフリートになって、炎の明るさを使って進むとしよう」


 すると彼女は困り眉の顔で頷き返す。


「はい、かしこまりました。ですがダークゾーンを照らすほどの強い炎となりますと、レベルの消費も激しくなると思います」


「やっぱりそうか。でも他に方法はないからこの手でいくぞ。なるべく早く抜けるようにしよう。

 というわけでセレブロ、スライムになるんだ」


「はい、かしこまり……えっ? なぜですか?」


「俺がお前を抱っこして進むんだ」


 ダークゾーン内で迅速な行動を取るためには、ふたり一緒のほうがいい。

 手を繋ぐという方法もあるが、なにかの罠ではぐれてしまう可能性もある。


 その点、抱っこならその心配もないし、走るのもやりやすい。


 というわけで俺はイフリートになり、シャドースライムのセレブロを腕に抱えてダークゾーンに足を踏み入れた。


 イフリートは触ると火傷するほどに熱いが、体表の温度をコントロールすることができる。

 最低まで下げれば、巨大カイロのような身体になるんだ。


「ふわぁ……ミカエル様のお身体、ぽかぽかして気持ちいいです……」


 俺の腕のセレブロは、日なたでくつろぐ黒猫みたいにとろけている。

 危うく頬がほころんでしまうところだったが、俺は気を引き締めて手をかざし、灼熱を生んだ。


 ……ゴオッ!


 メラメラと燃え上がる炎が闇を焼き尽くし、あたりをオレンジの光で照らした。

 炎を怖がる獣のように、周囲の闇がよけていくようだった。


 あまりのまぶしさに、セレブロは目をキュッと閉じていた。

 なぜか口までいっしょにすぼめていて、梅干しを食べたときみたいな表情をしている。


 俺は肉を少しずつ削ぎ落とされていくような感覚を感じていた。

 どうやら、かなりの勢いでレベルを消費しているらしい。


 そりゃそうだ。

 人間なら一瞬にして消し炭になるほどの豪熱をずっと出し続けてるんだからな。


 俺は早歩きでダークゾーンを進む。

 物陰には多くのモンスターが潜んでいるようだったが、炎におそれをなして出てこなかった。


 よし、このまま一気に駆け抜けよう、と思った途端、


 ……ボォォッ!


 何かが炎に当たって燃焼するような音がした。

 しかしあたりを見回してみても、まわりには何もない。


 まさか、天井?

 ハッと上を仰ぎ見ると、そこには……。


 天井一面を埋め尽くすほどの、巨大な蜂の巣が。

 まるでこのダークゾーンの主であるかのように、いびつな六角形で空を支配していた。


 上空を飛び回っている蜂はおびただしい数で、どれも人間の赤ん坊みたいに大きい。

 眼下の俺たちに気付くと、一声に羽根をぶおんぶおんと鳴らしていた。


 巣穴からは、溶かした鉛のような液体が滴り落ちている。

 ハチミツか? と思っていたが、俺の身体に当たると火に油を注いだように、ボン、ボンと弾け飛んでいた。


 まずい……!


 俺はとっさに、ハチミツがセレブロに当たらないようにかばう。

 不意に、空から降り注ぐ風を感じた。


 ……ぶぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……!


 けたたましい羽音とともに、ゆっくりと何者かが降りてくる。

 多数の働き蜂を引きつれたそれは、『女帝蜂エンプレス・ビー』。


 すべての蜂を統べるという、蜂界の最高位のモンスター。。

 黄色と黒の縞模様のレオタードのような服装で、見た目は雪の女王と同じく人間に近い。


 大きさは人間の幼い子供くらいで、見た目も仕草も愛らしい。

 キャッキャと無邪気な笑いを振りまきながら、お尻をふりふりしながら飛んでる。


 しかしツヤツヤのアズキのような、眼球のない目にキラリと光沢が走ったとたん、


 ……ジャキィィィィィィーーーーーーーーーーーーンッ!!


 槍ような毒針が、飛び出したっ……!


 それが女帝の開戦の合図であった。


 一斉に飛来する働き蜂たちが、群れをなして次々と体当たりしてくる。

 それは砲弾のような突進力があり、まるで槍を構える突撃兵のように俺の身体を刺し貫く。


「ぐっ!? うぐっ!? ぐううっ!?」


 俺はなんとか反撃しようと、手から火の玉を放つ。

 しかし蜂たちは燃え上がりはするものの、炎を得てますます勢いを増したかに見えた。


 熾烈な猛攻に俺はとうとう膝をついてしまう。

 レベルはすでに10を切り、HPも残りわずか。


 もはや、万事休すか……!


 しかしセレブロだけはなんとか守り抜こうと、俺は彼女をしっかりと抱きしめていた。

 亀のように蹲ったまま、セレブロを見る。


 この時の俺は、きっと情けない顔をしていたに違いない。

 しかし彼女はこの窮地においても、瞳をらんらんと燃やしていた。


「ミカエル様! わたくしを空に放り投げてください! わたくしに考えがございます!」


「なっ……なにっ!? いったい、なにをするつもりだ!?」


「ご説明しているお時間はございません! お願いですから、わたくしをおもいっきり空に!」


「しっ、しかし、キミにもしものことがあったら……!」


「お願いします、ミカエル様っ! わたくしはミカエル様に守られてばかりでした!

 今こそはわたくしが、ミカエル様をお守りしたいのですっ!

 ミカエル様はおっしゃいましたよね!?

 ご自分の力では、なにも変えられなかった、と……!

 それは、わたくしも同じでした!

 ミカエル様とお会いするまで、わたくしは何もできないのだと思い込んでいたのです!

 ただ檻の中に閉じこもり、静かに死んでいくしかない運命だと思っておりました!

 でも、でも……!

 一生懸命がんばるミカエル様を見て、わたしくも、どこまでやれるががんばってみたくなったのです!

 この力を抱えたまま死ぬんじゃなくて、出し切って死にたい……!

 ミカエル様といっしょに、足掻いてみたいんです!

 どこまでも、どこまでも、いっしょに!!」


「うっ……うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーっ!!」


 俺はわずかに残された力をすべて振り絞って立ち上がる。

 残った1桁のレベルをすべてブチ込んで、最後の雄叫びとともに、セレブロの身体をおもいっきり放り投げた。


「いっ……けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーっ!!」


 天高く舞ったシャドースライムは、サナギから脱皮するかのように、美しい姿に変貌を遂げた。


「あれは、フローズンっ……!?」


 あれほど嫌がっていた雪の女王に、自ら成り代わったセレブロ。

 しかし今はその顔は、威風堂々とした女王そのものだった。


 ギョッとなる幼い女帝めがけ、鷹揚に両手を広げると、


「ミカエル様をいじめる方は、どなたであろうとも許しませんっ!

 ……フローズン・テンペストーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」


 セレブロを中心として、氷結の嵐が吹き荒れる。

 蜂たちは渦潮に飲み込まれる魚のように一斉に舞い上げられ、蜂の巣ごと氷の刃でズタズタに引き裂かれていく。


 空から蜂の巣の残骸が降り注ぎ、俺は生き埋めになってしまう。

 嵐が収まったとたん、抜け殻のようになったセレブロが空から落ちてくるのが見えた。


 俺はもう、自力で動くことはかなわない。

 しかし燃えカスとなった身体の、最後の灯を振り絞る。


 瓦礫の海にもまれるようにして、落下地点に倒れ込むようにして、落ちてきたセレブロをなんとかキャッチ。

 俺の腕のなかで、彼女も全てを出し切ったあとのようにグッタリしている。


 今生の別れのように、彼女は途切れ途切れに言った。


「す……すみません……ミカエル様……。

 レベル……が、マイナスに……なっちゃい……ました……」



 ミカエル・イネプト

  LV -2990



「……い……いいさ……セレブロ……。

 俺たちは、やりきった……んだ……」



 それが、俺たちの最後の言葉だった。

 もう声を出せるほどの力も残っていない。


 重い瞼が降りてきて、俺たちは眠るように事切れた。


 はず……だった。



『女帝蜂と働き蜂の群れを倒して、300レベルアップ!

 「光速レベルアップ」のスキルで10倍され、3000レベルアップしました!』

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