第三章 父が残してくれたもの
父が残してくれたもの
孫への成人式のコメント
『親は 子を産んだ時から心配し自ら育てる
親の恩を忘れてはいけない
生きるために働く 出会った人たちを選んで
大切にする 礼を尽くす
類は友を呼ぶと云う やさしさが大切
「損じゃ 得じゃ 苦じゃ 楽じゃ
何じゃ かじゃとて
末は 無茶 苦茶」
常に品格に気を付ける
「子は 親の背中を見て育つ」と云う
百歳の画家
里山に向かって大きなカンバスを背負って
歩く後姿 眞っ直ぐに伸びる杉の木に
魅せられて 山を登って行く
畑の向こうに山がある
里山には大きな杉の木立が天にそびえる
人生は 素晴らしい』
二度の癌の手術
父が孫たちに成人式のコメントを送ったのは、二〇〇六年の秋、七十九歳の時でした。色々な趣味を持っていた父でしたが、最も好んだのは絵画だったように思います。あちこち出かけては風景を写真におさめ、気に入った場所のデッサンを残しています。自宅でも季節ごとに自作の水彩画や水墨画を掛け替えて楽しんでいました。
そんな父が二度目の癌の手術をしたのは、八十一歳の時でした。父の癌は一回目の手術から一年も経たずに再発をしていたのです。手術をしなければ数ヶ月の命、手術をすれば後遺症として認知((注16))症の発症は免れないという厳しい選択を迫られました。そして、家族は二度目の手術を選んだのでした。
手術から二年半が過ぎたころ、父は三日間連続で餃子を買ってきたり、荷物を忘れてきたり、外出時に支障が出てきていました。一方、私は二度目の無意識世界の体験を経て、ようやく自分の生活に落ち着きを取り戻してきていました。そんな折、父が電車に乗って出かけると言い出したのです。心配になった私は、父と一緒について行く事にしました。
一緒に出かけてみると、確かに父の散策コースが存在していました。まず、駅を降りると、駅前広場に出てベンチに腰を下ろします。少し休むとおもむろに広場の階段を下りて、近くの量販店に入りました。そこで休憩所のイスに腰掛け、
「悦子、ここはいろいろ見るところがあって面白いんだぞ。百貨店は高くて買えないが、ここは手頃だからな」
と、衣料品売り場や家庭用品などの説明をしてくれたのです。ひとしきり話し終わると、エスカレーターで二階に上がり、店内を案内してくれました。それから、父の向かったのは公園でした。しばらく道ゆく人の様子を眺めながら、その人たちについて講釈を加えていました。そして、途中のスタンドバーでコーヒーを飲み、昔父の勤めていた百貨店に向かいました。
「今日は、何を食べようか。何でもいいぞ」
そう言いながら、父は中華料理の店に入っていきました。餃子と肉料理を頼み、食事を楽しんでいました。帰りに、
「お母さんに肉団子を買っていってやろう」
そう言って、お土産を買ったのです。私はその様子を見ながら、まだ、自分でお金を支払うことができるから大丈夫だと少し安心しました。それから一ヶ月近く、私は父の後について一緒に外出していましが、
「悦子のお守りは疲れるな。俺は自分で自由に出かけたいんだよ」
と父に言われたのです。お守りをされているのは私の方になっていました。私は笑いながら、
「お父さん、ありがとうね。ゆっくり散歩してきて」
と答え、一時様子をみることにしました。
それからまもなく、実家の玄関のドアノブが壊されてしまい、鍵は掛かるもののドアの不具合が生じてしまいました。閉めた拍子にドアの鍵がかかってしまうのです。応急措置にガムテープを貼り付けて、しばらくの間は何とか過ごしていました。その間ドアの交換をするために建具屋さんからカタログを取り寄せ、父と母と私の三人で相談してドアを決めました。ところが、いざ工事と言う段になると、父からストップがかかってしまいます。父はドアを換えることに賛成し、その時自分で選んだことは全く記憶にありませんでした。その後、何度も相談して工事日を父自身が決めても、工事の方が来ると、
「なんでこんな大事なことを、俺に何の相談も無く決めてしまうんだ」
と、怒り出しました。来ていただいた方には申し訳ありませんでしたが、帰っていただくしかありませんでした。相談している時は賛成していても、その記憶のまったくない父にとって、工事に来た人は突然の来訪者、こんな大事なことを自分に何の相談も無く進めるとは許せることではないということになってしまうのです。
そこには、自分の外出時に新しい鍵の掛け方を覚えるのを、無意識に拒否している父の感情があることに私はようやく気づきました。そこで、工事の方との打ち合わせなどは、私の自宅ですることにしました。最終的にはドアの交換はせず、父の外出時に工事に来ていただき不具合いの調整をしてもらいました。父にとって、慣れた生活様式を変えるのは難しい状況に入ってきていました。
注16【認知症】アルツハイマー型が良く知られていますが、父の場合は頭部の癌手術により血管性認知症を発症しました。日常生活に支障を来たすような記憶障害や認知機能障害を引き起こします。アルツハイマー型とは異なり、階段状に悪化、変動していきます。
人生いろいろ
父が晩年好んで歌っていた歌に、
「人生いろいろ、・・・いろいろ、・・・だっていろいろあるんだ・・」
という歌がありました。モダンなジャズを好み、私の小学生時分からステレオでレコードを聴いていた父でしたが、演歌も好きになっていたようでした。また、仕事に追われていた時は寡黙だった父も、定年後は話し好きになり良く話をするようになりました。十八番は、第二次世界大戦でB二十九の爆撃の中をどうやって生き延びたのかという話です。また、幼少期は体が弱かったため、アイスクリームを買って食べていた友達を羨ましく眺めていた話と、友だちと三人で山に登った時に見た紺碧の空が忘れられないことをよく話してくれました。繰り返し聞くうちに私の方が内容を覚えてしまい、父の話が途切れると助け舟を出すようになっていました。何度聞いても、父の思い出深い話には、その当時の父の心情がにじみ出してきて、歩んできた人生が偲ばれました。
ある時父は、庭の雑草に除草剤を撒いたつもりが、顆粒の肥料を撒いてしまったことに気づき、気落ちしてふさぎ込んでいました。私が肥料を集めて片付けたから大丈夫だと話しても、
「俺もとうとうボケたか。もうろくしたもんだ」
とがっくり肩を落としています。
「お父さん。今日は天気がいいから公園に行こうよ」
私は父を誘い近くの防災公園に車で行きました。
二人で、ベンチに腰掛けていると、四十代ぐらいの男性が話しかけてきました。
「この近くに温水プールがあると聞いたんですが、わかりますかね。何度も水中ウオーキングをしているんですが、場所がわからなくなってしまって」
父はその人と会話をしながら、その人に合わせた話を選び、
「あんたは若いんだから、まだこれからだよ。頑張んなさい」
と、最後に励ましの言葉をかけていました。除草剤で気落ちしたことはすっかり記憶から抜け、ベンチからベンチへの移動でしたが、楽しく散策をすることができました。
人生いろいろ。気持ちを切り替えるには、場所を変えて新しい出会いがあることも幸せなことだと思いました。
認知症が進んできた父にとって、毎日の楽しみは駅前のスポーツクラブにある大浴場に通うことでした。昼食を一緒に食べた後、駅前まで車で送っていくと、降り際に、
「悦子、明日は何時に家に来るんだい」
と父はいつも私に尋ねました。私は、
「また明日ね。気をつけてね」
と言って見送っていました。亡くなる半年ぐらい前になると、足元がおぼつかなくなっていきましたが、それでも諦めずに頑張ろうとする父がいました。一緒に五階の浴場の前までついていき、お風呂から出てきた後は二階の喫茶店で一休みです。父はコーヒーやパフェが好きでよく頼んでいました。
十二月になると、父の外出が難しくなってきたので、私の自宅でご近所のご夫妻と忘年会を開きました。そのご夫妻の出身地が父と同じ東京の下町だったこともあり、同郷で同じ時代を過ごしてきた青春時代の話に花が咲きました。また、母と奥さんの生まれた年も生まれ月まで一緒なことも重なり、当時の出来事や好きだった芸能人まで話題が広がっていきました。父と旦那さんは当時の駅名をあげながら、ローカル鉄道の話で盛り上がっています。するとあの頃はこんな流行があったとか、活躍していた歌劇団の男装の麗人にはこんな人がいたとか、いろいろな名前があがっていきました。現在の一秒前の日常生活の記憶がすっかり消えてしまう父も、若き日の記憶は話すごとに蘇ってくるようで、いろいろな方の名前をあげてはたいそう楽しそうに話し込んでいます。
「来年、新年会をやりましょう」
ということで話がまとまりお開きになりましたが、残念ながらこの日が、父が私の家で過ごした最後の時となりました。
成仏相
二〇一三年の年が明けた頃、父は一日のほとんどの時間をベッドに横たわるようになっていました。一月中旬に大雪が降り、私が雪かきに追われていると、姿が見えなくなったことに不安を感じた父は、
「おーい、おーい悦子。どこにいるんだよ」
と私を大きな声で呼びました。私は雪かきの手を止めて、
「お父さん、庭にいるから大丈夫よ。今雪かきをしてるの」
とリビングの窓越しに声をかけ、また作業に戻りました。二、三分経つと、
「おーい、おーい悦子。どこにいるんだ」
と父の呼ぶ声がします。何度か庭との往復を繰り返した後、私は父のベッドの横に腰を下ろし、手をにぎりながら一緒に題目を唱えました。
「お父さん、題目を唱えていたら、怖くなんかないのよ。私は一度死にかけて、中有((注17))を体験した時、そこは、『虹色の世界』で、花や木々がきらきら輝いて、みんな南無妙法蓮華経と唱えていたの。心が浮き浮きして、何でも思うことが叶う素晴らしい世界だったわよ」
と話をしました。すると父は安心したように、うとうとしながらまどろんでいました。
二月に入ると、父は食事をとることが難しくなっていきました。水差しで水を口に含んでも、飲み込むことができずむせてしまいます。スプーンでひとさじひとさじ、口元に運びました。好物のアイスクリームは口当たりがよかったようで、最後まで食べることができ幸いでした。
二月二十六日未明父は臨終を迎えました。親族に見守られながら旅立った父の顔は、私が今までに見たことのない会心の笑みを浮かべていました。
亡くなって三日目、枕経のために近隣の方が集まってくださいました。導師の方を中心に法華経を読誦(どくじゅ)し、父の冥福を祈りました。父の顔には、皆さんの声が聞こえているかのように笑みが広がっていました。
父の体の変化に気づいたのは、葬儀の方に
「随分大柄の方だったんですね。棺がぎりぎりですね」
と話しかけられた時でした。
自宅から葬儀場に移すために湯灌(ゆかん)をしていただいた後、家族みんなで父の衣服を整えました。その折、父の笑顔ばかりに気を取られていた私たちは、父の体の大きな変化に本当にびっくりしたのです。
父が亡くなる少し前、私は床ずれを起こさないように体の向きを変えようと父を抱きかかえたことがありました。その時、父の体は衰弱して痩せ細り、肌の色は黄ばんで皺が目立ち、その軽さに私は胸が痛む思いでした。ところが、湯灌のために掛けていた布団を取ると、そこには、堂々と横たわる父の姿がありました。痩せて小さく縮んでいた背がスッと伸び、父の体全体ががっしりして、背丈も本当に大きくなっていたのです。また、黄ばんでシミが目立っていた肌は白くなり、いつの間にか顔や体から皺がほとんどなくなっていました。
さらに驚いたのは、着物を着せようと手足を動かすと、たぷたぷしていて生きている人のように柔らかかったことです。手に数珠を掛けようとしましたが、いくらやっても脱力状態で指を組むことができず、しかたなく胸の中央に両腕を乗せて、親指と親指を数珠で結びました。
「本当に若返っているよね」
「私は、こんな不思議なこと、初めて見た」
母と妹がそうつぶやきました。父の体を動かしていた力は失われていましたが、何ともいえない穏やかさの中に優しい表情を浮かべていました。私は、父の精神エネルギーだけが肉体を去り、大宇宙の仏界((注18))に溶け込んだのだと確信しました。それは、父の成仏((注19))を願って題目を唱えてきた私にとって切なくはありましたが、大きな喜びでもありました。
父は百歳の画家のようにカンバスを背負って、山を登っていったのかもしれません。「人生は素晴らしい」と締めくくられたメッセージは、大きくゆったりと寄せる波のように、今でも私を包んでくれています。父の送ってくれたエールを、父が残してくれた素晴らしい臨終の姿を、私は一生の宝物としてこれからも生きていきたいと思います。
注17【中有】 仏法に説かれる「四(し)有(う)」の一つです。生命が「生(しょう)有(う)」「本有(ほんう)」「死(し)有(う)」「中(ちゅう)有(う)」という四つの状態を、三世永遠に繰り返していく輪廻(りんね)観を表しています。「生有」とは、誕生の瞬間。「本有」とは、誕生から死まで。「死有」とは、死の瞬間。「中有」とは、死から次の誕生までを指しています。
注18【仏界】 瞬間、瞬間流れゆく生命の持つ状況や姿を、大きく十種の範ちゅうに分けて捉えたものを十界といいます。苦しみにあえぐ地獄界や欲望の餓えに突き動かされる餓鬼界、平らかな人界や他を潤していく菩薩界など、いろいろな生命の状況が縁に触れて現れます。仏界は、自身の生命の根源が妙法であると悟ることによって開かれる広大で福徳豊かな境涯です。
注19【成仏】 日蓮大聖人は、臨終の相に「死後」の状態が現れていると言われています。「臨終の時地獄に堕つる者は黒色となる上其の身重き事千引(ちびき)の石の如し善人は・・・臨終に色変じて白色となる又軽き事鵞(が)毛(もう)の如し輭(やわらか)なる事兜(と)羅(ろ)緜(めん)の如し」(日蓮大聖人御書千日尼御前御返事)死後の生命は、その生命の傾向性によりやがて宇宙の十界の次元のいずれかに融合していきます。苦しんでいる生命は体が変色し重く硬くなり、地獄界や餓鬼界等に溶け込んでいきます。また、成仏した生命の体はどんどん色が白くなり軽く、また体全体が綿の布のように柔らかくなると説かれています。
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