第二節 意識世界の再構築 下
一瞬一瞬の時空の形成
初夏になると、自宅の小さな庭でも草木が勢いよく茂り始めました。庭の手入れをしながら、雑草の生きる権利と私の世間体を天秤にかけて悩んでいる私がいました。その時の私の結論は、「雑草さん」は里山に咲けば立派な野花。他の植物と同様に生きる権利があるのだから、私が花を植え替える時は外からは目立たない家の脇や裏に植え替えようと決めました。私の中に、「根絶やし」という言葉の持つ人間特有の傲慢さが心に悲しく響いていたからです。大地も植物も動物もすべてがそれぞれに独立した個を持つ存在であり、南無妙法蓮華経の当体です。植物は草食動物に実をもたらし、その種を大地に返してもらいます。肉食動物もまた、雑多の命をいただきながら、次の世代へと種の保存をしていきます。 人類という種は、お互いに相互依存関係にあるその生態系を平気で破壊し、また、他の種を根本から抹殺しうると思い込んでいる節があります。しかし、それは大きな誤りだと思いました。人類という種が絶滅しても二百年も経てばこの地球上の大地は緑でおおわれ、文明のかけらも残らないと予想されています。CD一枚の価値より石画の記録価値のほうが優れているのも、また事実なのです。自分と他との関わり方は自然との共存関係まで広がり、私自身の生き方に思いをめぐらす日々でした。
その年の八月、忘れられない事件が起きました。なんと五日前に次男に渡した手紙が、今朝渡された手紙として私の手元に戻ってきたのです。書かれている内容は少し変化しているものの、誤字の部分はそのままでした。その手紙は、五日前に確かに存在していたのです。時間も前に進むだけではなく過去に遡ることがあるのだと、手紙という物証を通して初めて私の中で理解されたのです。
主治医の先生にその話をすると、
「よく時間を超えられたな。あなたはいい息子をもったよ」
と、私が一歩進んだことを喜んでくれました。
私は最初に教えていただいた「意識の枠」を作るという意味がようやく理解できるようになったのです。意識は一瞬一瞬の時空を形成することでした。一瞬の今に当然過去が存在します。一瞬一瞬は独立しているのですから、次の一瞬の時空が同じ過去になるとは限りません。私は異空間に放り出されたのではなかったのです。人はそれぞれの意識世界を創って、そこに存在していたのでした。
九月に入ったある日、主人がいつもより早く帰宅しました。夕食の下ごしらえをしてから組合の会合に行くつもりだったのです。そうとも知らず、私はいつも通りのんびり構えて台所の後片付けをしていました。この時間帯はテレビの『相棒』シリーズを見ながら、コマーシャルの時間にお茶碗洗いをしていたのです。遅々として進まない後片付けに、普段は温厚で優しい主人も、この時ばかりは怒ってしまいました。
「自分はテレビを見たいんやろ。ここは俺が片付けるから」
そう言うと、主人はすごい勢いで後片付けをし、野菜を洗って切り始めました。私はさすがに気が引けてテレビを見るわけにもいかず、主人のそばでうろうろしていました。まさにその時です。私の目の前でガスレンジに茶褐色の水が染み出すようにたまり始めました。野菜を切り終えた主人が炒めようとしてフライパンを置いた時には、水はあふれていたのです。ガスレンジの点火スイッチを主人が何度ひねっても火は付きません。カチッ。カチッ。カチッ。カチッ。台所中にすごい勢いでスイッチをひねる音だけが響き渡りました。三十回ぐらい繰り返した後、主人は振り返って、
「自分、噴きこぼれをそのままにしたやろ」
と、言いました。私は十分ぐらい前にやかんでお湯を沸かしたところでした。その時は何事もなかったのです。私は何もしていないのにと思いながらも、そのまま黙っていました。主人は、結局、レンジの受け皿をはずして周りの水を拭き取ってから、しばらくの間乾くのを待たなければなりませんでした。下ごしらえを終えて組合に向かったものの大幅な遅刻となったようです。
私はそれまで、自分の感情の一喜一憂で、瞬間瞬間の現実の状況が変化することを数え切れないほど体験してきていました。しかし、人の心の状況によって、まわりのものの状況が変化していくことを客観的に見たのは初めてでした。急いでいた主人にとって、時間がかかることが一番困ることです。しかし、主人の怒りの気によって、ガスレンジに水がたまりすぐには使えない状況に変化していきました。この事実に、私は意識世界の状況を決めているのは、それぞれの人の心の状態が直接的な因となっていることを実感したのです。自分自身がいろいろな縁に触れて、悲しんだり、喜んだりする心が自分のまわりの環境と深く密接に結びついていたのでした。
時空の再構成
そんなある日、家の留守番電話に、
「富田恵子(仮名)さんのお父様が亡くなられました」
との田口先生(仮名)からの伝言がありました。私は主人が仕事から帰ってくると、
「尚三さん、今日、留守電に恵子先生のお父様が亡くなられたって入っていたんだけど、聞いてみてくれる」
とすぐに留守番電話が入っていることを伝えました。主人は急いで留守番電話を再生しに玄関に行きました。そして、台所に戻ってくるなり、
「自分。富田恵子さんのご主人が亡くなられたと言ってるで」
と言ったのです。
以前、恵子先生がお父様の介護をされていることは聞いていましたが、ご主人が具合が悪いとは聞いたことがありません。驚いた主人は、すぐに田口先生にお電話をしました。すると、田口先生は、
「富田芳江(仮名)さんのご主人が亡くなられました。その事で・・・」
と恵子さんではなく芳江さんのご主人の話をされたのです。これには、私のほうがびっくりしてしまいました。
芳江さんは、前の職場の同僚で、また私自身が彼女のお子さん二人を担任させていただいたこともあり、ご主人の富田さんとは何度もお話しする機会がありました。あの元気だった富田さんが亡くなられたとはにわかに信じがたいことだったのです。
主人と私は、話の内容が次々に変わっていくことに驚き、改めて留守番電話を再生して一緒に聞くことにしました。すると、
「富田先生のご主人様が亡くなられました」
と、恵子さんの部分が消えていたのです。伝言の内容は現実に起きていることと矛盾しない状況に変化していました。主人も私もそれぞれが聞いた内容と異なっていましたが、一緒に時空を再構成し直したのだと、改めて感じた出来事でした。
しばらくして、『だべり喫茶』というテレビ番組で、山田五郎さんが、タモリの『世にも奇妙な物語』の紹介をしていました。
山田さんは、タモリさんの性格は負けず嫌いな人だと評した後、相手役の若い女性タレントの方に、
「何か奇妙な体験をしたことがありますか」
と尋ねられたのです。すると彼女は、
「ある時、寝坊してしまって十二時からスタジオ入りなのに、目覚めて時計を見たら十一時五十五分。とても間に合わないと思って、必死でスタジオに着いたら十二時前で、ゆうゆう間に合ったことがあるんですよ」
と、自分の不思議な体験を話していました。話を聞いた山田さんは、
「それは時計の見誤りでしょう」
と話を切り返しました。すると彼女は、
「スタジオまでの移動の中で、電車に乗っている時間だけでも三十分以上かかるのに、間に合ったのは本当に奇妙としか言いようが無いんですよね」
と答えたのです。
山田さんはますます納得がいかず、物理的に不可能だと反論されていました。相手役の方は、にこやかに笑いながら、
「理系で考えなくて、奇妙な現象に出会った経験をしたのだと片付けてはいけませんか」
とその場をおさめていました。
実際その時、若い女性タレントの方は心からスタジオ入りに間に合うことを願い、時空の再構成をして現実化したと思われます。因果はその瞬間に結果を伴った形で、蓮の花と実のように同時に存在するものです。私は無意識との壁が薄くなっている時、この「因果(いんが)倶(ぐじ)時((注15))」の現象をさまざまに体験していました。心の因とその結果が現実世界にすぐ反映されるか、時間を経て反映されるかは、その時の思いの強さとその人の状況によって異なります。しかし、心に積んだ因は、厳然と存在します。すべての人は瞬間瞬間を当たり前のように創り出し、その流れの中で生きているのです。
無意識世界を体験し、意識世界の再構築をしていく中で私が体験してきたことは、すべてが自分と一体であり、自分の投影としてこの現実社会が存在しているということでした。
注15【因果倶時】 「因果倶時・不思議の一法之れ有り之れを名けて妙法蓮華と為す」(日蓮大聖人御書当体義抄)因果とは原因と結果です。倶(ぐ)時(じ)とは、この原因と結果が一瞬の生命に備わっているということです。この不思議な法則を妙法蓮華と名づけられたと日蓮大聖人は説かれています。
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