第二章 己心の宇宙への旅

第一節 無意識への旅 上

重度の更年期障害


私の更年期障害((注3))が本格的に始まったのは、四十八歳の時でした。五十肩で整形外科に通い、ドライアイで眼科を受診し、ホットフラッシュのために何枚も着替えを持ち歩く日々でした。なんとかいろいろな症状を緩和させたいと願い、更年期外来を受診しました。漢方薬は体質に合わなかったため、女性ホルモンを服用して様子をみることになりました。けれども半年後、右足に血栓が出来て治療を続けることができなくなったのです。それから三ヶ月も経たず私を襲ったのが不眠でした。

いくら疲れていても、夜眠ることが出来ないのです。一週間、二週間、気づくと八ヶ月あまりほとんど睡眠をとれず、全身ぼろぼろになった私がいました。一日に何度も過呼吸に見舞われ、手足や唇、全身が痺れて動けなくなりました。また、油のにおいがするだけで胃のむかつきを覚え、食事もほとんど摂れません。

日常生活のあまりの悲惨さに脳機能の異常を疑い、脳ドックの検査を受けました。しかし診断は脳の異常ではなく、自律神経による不調でした。女性ホルモンの急激な減少によって警報を鳴らし続けていた視床下部の混乱が飛び火して、過剰反応を起こしていたのです。その結果自律神経がほとんど機能できず、睡眠や消化、その他全般的な身体機能に支障をきたしていたのでした。

脳ドックを受けに行った先の病院で倒れ、過呼吸を起こしている私の顔をしみじみと眺めながら、ドクターは、

「ホルモンが入れ替わる十年ぐらいは、自分で睡眠を取ることは難しいね。あんたは、血圧が低いから長生きするよ。お化粧をする気力があれば、まだ大丈夫」

と、慰めとも励ましともつかない言葉をかけてくれました。その言葉を聴いた私は、こんな体の状態で十年も生きなければならないのかと暗たんたる気持ちになりました。そして、初めて仕事を休んで自分の体の回復を図ろうと思ったのです。

睡眠を確保するには、心療内科による睡眠薬の処方が必要との事で、クリニックを紹介していただきました。一番厳しい状況の時には、六時間分の睡眠薬と入眠剤が処方されました。しかし睡眠が確保されても、女性ホルモンの補充ができていないので他の症状がなくなるわけではありません。相変わらず消化機能はほとんど働かず、肉料理は胃液が上がってきてしまい、何年も食べられませんでした。

職場も一ヶ月休んで復帰しても、四ヵ月後には全く体が動けなくなり、また休職せざるを得ない状況でした。いろいろな症状で常に体の不調に悩まされ続けた私は、寝込んでいることが当たり前の生活になっていきました。

二〇〇八年七月、私は一ヶ月あまり吐き気が続き水さえ受け付けなくなっていました。しかし吐き気も更年期障害の一項目だからと、病院にも行かず横になっているだけでした。意識が薄れていく中でさすがにこれは危ないと思い、医者に連れて行ってもらうと、ウイルスが腸に入っていたのでした。自然に抜けていくまで二ヵ月半かかるとの説明を受けました。その間、衰弱しきった私の体は、寝返りをしようと体を右に傾けると、胃や腸や心臓が右にごろんと寄ってきます。しかたなく体を仰向けに戻すしかありませんでした。とうとう鼓膜が気圧にも耐えられなくなって内側に押され、細胞全体に内圧がかかりました。体中が悲鳴を上げ息もできないほどでした。あちらの医者、こちらの医者と、四軒ぐらい病院を巡りましたが、毎日点滴を受けるだけで状況は好転しませんでした。

そんな中、体が衰弱し過ぎたため、睡眠薬が強すぎて喉が焼けるような痛みを覚え、服用できなくなりました。五回ほど調合を変えていただきましたが、強いものは体が耐えられず、弱いものは効果が無く、結局、睡眠はまったく取れない状況に陥りました。毎日二十四時間、一睡もできない状況は死へのカウントダウンを予感させました。

私は迫り来る死を前にして、最後に子ども達や主人に、私に対して題目((注4))(南無妙法蓮華経)を送ってほしいと頼みました。子ども達は了承してくれましたが、主人からは、

「ごめん。俺はお母ちゃんが亡くなっても唱えないから」

と言われたのです。その言葉は、私自身の中にほとんど失いかけていた生きる気力を呼び覚まし、最後の力を振り絞って声にならない声で題目をあげ続けました。二十時間あげて、最後にご本尊((注5))様に挨拶したいと布団ごと二階に運んでもらいました。そして、ご本尊様に三唱した時です。私の意識は薄れ、気づいてみると五時間熟睡していたのです。自分の力で睡眠を取れたのは実に四年ぶりのことでした。翌日からは、胃液が戻ってくる状態でも一口ずつ栄養液やお粥を口元に運んでもらい、徐々に体力を取り戻していきました。


そんな中、私はとても不思議な体験をしました。

その日の午後二時頃と八時過ぎに、二度に亘り題目の声が聞こえてきたのです。聞き覚えのある温かな音声でした。私のために題目を送ってくれたのは誰なのか気になり、翌日親しい友人に連絡を取りました。すると香織さん(仮名)が私の健康を祈念し、聞いた同時刻に二度とも題目を送っていてくれたのです。

以前、ユング心理学を受講した折、印象に残っていたシン((注6))クロニシティが、まさに私自身に起きたのでした

この体験は私の生涯の中で最も大きな歓喜を呼び起こしました。それまで、題目は宇宙のリズムであり、どんな所にも届くと聞いてはいたものの、自分の中では漠然としていました。実際に自分で体験してみるまでは、本当の確信を持てていなかったのです。しかし、本当に南無妙法蓮華経が宇宙のリズムとして存在している事を体験したのです。私は嬉しくて嬉しくて、私のこれからの人生は、ただこの真実だけを伝えていきたいと思いました。そこからが私の無意識の世界への旅の始まりでした。

注4【題目(南無妙法蓮華経)】 宇宙と生命に内在する根本の法です。

注5【ご本尊様】 宇宙と生命を貫く根源の法である南無妙法蓮華経を悟られた日蓮大聖人が、御自身の仏の生命を顕されたものです。

注6【シンクロニシティ】(同時性) ユングは、「意味ある偶然の一致」と表現しています。何が何の原因であるかという点にではなく、何と何が共に起こり、それはどのような意味によって結合しているかという点が重視されています。(『ユング心理学入門』河合隼雄著)



聞こえてきた妙音


私は、毎食お粥を少しずつ食べられるようになり、睡眠薬も使えるまでに体力を回復してくると、庭に出たり、近所をゆっくり散歩したりするようになりました。自分が体験した宇宙のリズムについて友人や知人に伝えると、喜んでくれる人もいれば、体調のせいで聞こえたように思ったのだろうと反応は様々でした。それでも私は、自分の体験を伝えられるだけで幸せでした。

そんな中、私はさらに不思議な体験をしました。庭で花に水をあげていると、かすかに音が聞こえてきます。何の音だろうとまわりを見回しても誰もいません。花壇に腰を下ろすと、かすかだった音がはっきりと聞こえてきました。なんと花から南無妙法蓮華経のリズムが発せられていたのです。人は題目を唱えるので、遠く離れていても私に届いたのだと信じていました。しかし、花は声や音を出す機能を持っているわけではありません。にわかには信じがたい光景でした。それでも、花たちは優しく可憐に命のリズムを刻んでいます。

「ああ、これが、すべての生命が妙法の当体((注7))ということなんだ」

と、私は感動に打ち震えました。それから私は本当に様々な妙音に感応していきました。木々は凛として生命の音声を奏で、太陽は大音声を響かせていました。


そんなある日、隣の長男の部屋から、夜の十時を過ぎても大声で題目をあげている声が聞こえて来ました。夜も更けているのに大声を出しているのは近所迷惑です。しかたなく上着を羽織って、長男の部屋のドアを開けて声の大きさを注意しようとしました。けれども、息子はコンピューターに向かって黙々と仕事をしていたのです。部屋中、割れんばかりに響き渡っている彼の身から発せられる題目に圧倒されながらも、

「今、題目をあげてはいないよね」

と、思わず問いただしました。長男は、

「パソコンで資料を作っている所だけれど、何か用」

と怪訝そうな面持ちでこちらを見ています。私はドアを閉めて、すごすごと自分の部屋に戻るしかありませんでした。しかし、やはり息子の身から発せられている南無妙法蓮華経が家中に大きく大きく響き渡っています。これは耳栓をして寝るしかないと、私は覚悟を決めざるを得ませんでした。

それまで私は、法華経((注8))で説かれている妙法蓮華経は経典の名前だと思っていました。けれども草花や木々、人の身から発せられていただけではなく、日の光やそよ風までもすべてが南無妙法蓮華経そのものだったのです。そのことを知ってしばらくは驚きの中にも知り得た喜びがまさり、意気揚々としていた私でしたが、体の状況は寝たり起きたりの繰り返しでした。



十一月に入ると、私の異変に気づいた主治医の先生が、

「今、あなたは宇宙遊泳をしているんだよ。こんな経験はめったにできないからしばらく遊泳をしておいで。宇宙飛行士でなければ味わえない感覚なんだから」

と私に言った後、主人に向かって、

「あなたは多宝如来((注9))だよ。良い相をしてるよ」

と、言ったのです。この言葉の意味を私と主人が理解するには時間がかかりましたが、何となくその時の自分の状況をこのまま受け入れていこうと思えました。

宇宙遊泳とは一体何を指して言われたのか解らないままに、次の一週間が過ぎていきました。私の状況は進み、自分の内から発している響きを聞くようになっていました。心の中で唱える題目ではなく、凛として力強く続く私自身の身の響きです。それは肉体から私の精神エネルギーが分離し始めていること物語っていました。

歩く時は少し宙に浮いているような感覚で、一歩前に歩を進めるたびに右に左にゆっくりと揺れ、上手く重心が取れません。それまで無意識に行っていた動作を、一つ一つ確認しながら体を動かしていかなければなりませんでした。

また、洗顔の後、使っていた化粧品がピリピリ肌にしみて使えなくなってしまいました。元から肌が弱かった私は、天然素材一〇〇%の物を使っていたのですが、肌が受けつけなくなってしまったのです。しかたなく何か肌の受けつける物がないかと新聞広告やテレビのコマーシャルを見て、二社ほど化粧水などを取り寄せました。しかし、どの化粧品も肌にしみて使うことができなかったのです。ついにはベビー石鹸も使えなくなり、ぬるま湯を顔にかけるだけとなりました。

それでも不思議なことに、私の肌は汗ばむことも乾燥することもなく、少し透き通った感じの白さを増していったのです。一方、痛点の鈍化は著しいものがありました。口の中で血の味がしたので鏡をみると、歯で噛んでしまった跡があります。しかし、痛みは全く感じられませんでした。同様に、足に傷を作って血が滲んでいても、痛みが無いために、どこでどうしてその傷ができたのかわかりません。痛みは身を守っているのだと、痛感せざるを得ませんでした。

注7【妙法の当体】 南無妙法蓮華経そのもの自身であることを表しています。

注8【法華経】 釈尊の最後の八年間に説かれた教えを、経典としてまとめたもので、紀元一世紀頃に成立したとされています。「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」(正しい教えである白い蓮の花の経典の意味)の漢訳の総称です。諸経典の中で最高の経典とされる法華経では、山にも川にも木にも花にも、すべての生き物、一寸の虫にも仏性があると説かれています。

注9【多宝如来】 諸仏が法華経を説くところに出現し、釈尊が説く法華経が真実であると保証した仏です。





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