第二節 我が家の子育て
ゴキブリを100とすると
「ゴキブリの怖さを100とするとね、お母ちゃんは1だね。」
当時、中学三年と中学一年の息子に口をそろえてそう言われたのは、私がちょうど四十歳を過ぎた頃でした。ゴキブリと聞いて良い感じを持つ人はほとんどいないと思いますが、怖さの象徴として比較に持ち出されたゴキブリもはた迷惑な話です。私は思わず、
「じゃあ、お父ちゃんはいくつなの」
と聞くと、
「十万てところかな」
と答えながら、二人の息子はお互い顔を見合わせ、うなずき合っています。その返事に、私は軽いめまいを覚えながら、我が家における私の存在感の薄さに、二の句が継げなかったことを今でもよく覚えています。
我が家において家長である主人の存在感は、ドーンと大きくそびえ立つ大黒柱そのものでした。我が家の子育ては、昨今、話題に多く上るようになった育メンパパを先取りした、昭和世代の育メン奮闘記だったのです。
夕食は六時、 家族全員で九時に消灯
一九八七年私は育児休暇を終え、教育現場に復帰をしました。長男三歳、次男一歳の時です。母が朝自宅に来てくれて、長男は幼稚園に、次男は自宅で母が見ていてくれました。そんな関係もあって、とにかく勤務時間が終わると、主人も私も仕事場を一目散に飛び出し、帰宅の途に着きました。主人はすぐに夕食の用意を始め、六時には四人で夕食のテーブルを囲んでいました。この光景は、長男が小学校に入学し、次男を保育園に預けるようになっても変わりませんでした。
主人は九時には家族全員で消灯するという、子育てにおける基本的考えをしっかり持っていました。しかし、実生活の中でそれを毎日実現するには、強固なまでの意志と実行力が必要とされます。それでも、主人は息子たちが小学校を卒業するまで、その関わりを崩すことなく続けていきました。六時ごろ夕食を食べ終わるとお風呂に入り、宿題を一緒にやって後片付けをして、九時には六畳の和室に全員で川の字になって寝ていました。この生活リズムの維持は、子どもの成長にとって大切な成長((注2))ホルモンと松果((注3))体ホルモンの分泌を保障するためのものだったのです。
子どもが成長していく上で、大きな役割を果たす成長ホルモン。身体的発達において、思春期の第二次成長を大きくサポートすることはよく知られていますが、意外と知られていないのがその分泌時間です。
私が幼い頃(半世紀前)には、子どもは夜八時に寝るという暗黙の了解が社会全体にあったような気がします。例外として年末の年越しそばを食べる時だけは、夜更かしが公然と認められていました。大人に混じって眠い目をこすりながら、紅白歌合戦を最後まで見ようとテレビの前で頑張っていた事が懐かしく思い出されます。実は、その夜八時就寝と成長ホルモンの分泌時間とは密接な関係があったのです。
成長ホルモンは夜の九時から十一時にかけて作られますが、その分泌される時間帯は十時から夜中の二時頃までとなります。では眠りについてすぐに分泌が始まるのかというとそうではありません。分泌は眠りについてから二時間前後に始まります。しかもそのピークは分泌が始まる時と真夜中の一時頃の二回となります。つまり、夜八時に寝ることは、この二回の成長ホルモン分泌の恩恵を十分受けることができる理想の時間なのです。
一方、第三の目と呼ばれる松果体は、生物の発達状態によってその位置を変化させてきました。このホルモンの主な働きは、脳内の情緒バランスの発達を促すことと、身体の性的発達を脳内の発達に合わせて遅らせることにあります。人類の脳が体のコントロールを担うようになるには時間がかかり、十二歳を超えてようやく可能になってきます。魚類は性の抑制をする必要性が低いため、皮膚の直ぐ下に松果体が位置しています。それが高等な生物になるにつれ、どんどん脳の内部に位置を変え、人類の脳においては一番奥の方に位置することになりました。それは、松果体ホルモンが光を感じると分泌されないという特殊な条件を持っているからです。
二十年ほど前、保健体育の時間に初潮の指導をしていて、衝撃的な実例に出会ったことがありました。県内の小学校二年生の女子児童が、初潮を迎えたのです。脳の発達上、六年生から中学生ぐらいに迎えるべき成熟が、わずか八歳の子に訪れたことに痛ましい気持ちさえ抱きました。寝る時間が毎日遅く、電灯の明るい部屋で夜間を過ごしてきた彼女に、松果体ホルモンの分泌が異常に少なかったであろうことは想像にかたくありません。電灯を暗くし、夜八時から分泌が始まる松果体ホルモンの活動を保障することは、キレない子・性的早熟な子を作り出さないためにも重要なことです。生活リズムを整えることは、そのまま、子どもたちの体の正常な発達を守る大きな防波堤なのです。
注2【成長ホルモン】 脳下垂体から分泌されるホルモンです。筋肉や内臓の成長を促し、骨の伸びを司る骨端軟骨の細胞を増やします。身長の伸びが終了した後分泌量は低下しますが、たんぱく質の合成やエネルギー代謝、筋力や臓器、免疫機能等の維持強化、身体的損傷の治癒促進等において重要な役割を果たします。
注3【松果体ホルモン】 松果体から分泌されるホルモンで、メラニン色素細胞の収縮、生殖腺の発達抑制の作用があります。(ホルモン濃度が高い時には、生殖細胞の発達を抑制しますが、低い時には、逆に促進する働きをします。)
早よ片づけや
「早よ片づけや」
主人の声が家中に響きました。その声に反応して、片付けの苦手な三人は各自の荷物を自分たちの部屋に持っていきます。週に一回の掃除の日である日曜日の朝が始まりました。
片づけをせかされているのは、私と二人の息子たちです。私は元来不器用で動作もゆっくりしているため、てきぱきと掃除をしていく主人に追いつきません。貴重な日曜日の限られた時間にこなす家事の量は、一週間分の食料等の買い物に掃除、子ども達に必要なものの用意、季節ごとの衣類や生活用品の入れ替えなど山積みになっています。それでも主人はだいたい半日でこなして、午後には家族そろって近くの公園や利根川の土手などに遊びに連れて行ってくれました。
そんな中で、二人の息子を育てながら、「同じ環境で育てたつもりなのに、どうしてこうも兄弟なのに違うのだろう」と、思うことが多々ありました。
二人の息子の表面に現れている性格は正反対に見える部分も多く、それぞれが自分の個性を持っています。絵を描いたり粘土遊びが好きだった長男が、アルバイトを始めたのは高校三年生になってからでした。一方次男は、小学校四年生の時には、自分で返済計画書を持って祖父母にローンの申し込みをしに行っていました。
自分にとって欲しいものや必要なものを手に入れるために動いていくことは、生活していくうえで基本的な活動ですが、その手段を考えて実行していくには、ある程度の要件が必要となります。
脳の組織的発達は一般的に十二歳ぐらいで完了するとされていまが、思考や関係性を処理する力や創造的側面の発達は、大変個人差が大きいといわれています。十二歳ぐらいで処理する能力に長けている子もいれば、二十歳を過ぎても発達している人もいます。単に発達が早ければ良いということでもなく、遅くても大器晩成で創造性豊かな人が多くいます。その子の発達に寄り添って、その子の伸びようとする時を見守れるのが、親にとっても自立への第一歩のような気がします。
主人は息子たちに、勉強はもちろん進路等についても自分の意見を言ったことがありませんでした。私が心配でウロウロしていると、
「その子の性格をだめにしてしまったら、生活ができなくなる。自分の決めたことを自分でやれるようになることが一番大切なのだから」
と、諭してくれました。
「早よ片づけや」
終始一貫、我が家に響いていた主人の声ですが、今は私だけが自分の部屋に荷物を片付けています。
食は、家族の絆
子どもを育てる上で、家庭が担う大切なことはいろいろあります。その中でも、命をつなぐ食事は大きな営みの一つです。子どもが帰ってきた時、「いつも温かいご飯が待っていること」それが主人の信念でした。
「食い倒れの街」大阪出身の主人の手料理はレパートリーも広く、大阪のお母さんの味をしっかり受け継いだお袋の味ならぬ親父の味でした。子ども達の好物はお好み焼きやコロッケです。また、おせち料理の丹波の黒豆は絶品でした。
私たちの育った昭和の三十年代は、子どもにとって、『ALWAYS三丁目の夕日』に見られるたばこ屋さんや駄菓子屋さんが、コンビニエンスストアのようなものでした。一枚十円で食パンにジャムを塗ってもらって、意気揚々と家に帰ったものです。お正月は五日ぐらいまで商店街がお休みで、お雑煮とおせち料理で過ごしました。各家庭で作るお雑煮は、その前の世代から受け継がれた地方の味があって、我が家も主人の作るみず菜と餅だけのすまし雑煮と、私の作るおせち料理の残りがいろいろ雑多に入った雑煮では、同じ名のまったく異なる料理だったのです。
今、この昭和の原風景ともいうべき一家団欒の姿は、ある意味長い間培ってきた人の生活の智慧だったように思われます。会食は人と人が関係を深めるために欠かせないものですが、家族という絆を育んでいくのもこの一家団欒のひと時です。一緒に囲む夕食は、子どもの胃袋と心の満腹感を同時に満たしてくれるのです。
食が子どもに与える影響は、とても大きいものがあります。
我が家の四季折々の大きな楽しみの一つに、つくし採りがありました。手賀沼や大津川沿いの土手や田んぼに自生するつくしを採って、卵とじにして食べるのです。採りたてのつくしは何ともいえない旬の味覚でした。毎年春休みになると、ビニール袋を何枚か持ってつくしを採りに出かけました。幼い頃は土手で遊んでいて食べるだけだった息子たちも、小学生ともなると大きな戦力です。
つくしは、採る手間より帰ってきてつくしの袴を取る方が手間がかかりました。それでも後に待っているご馳走を楽しみに、袴取りを頑張ります。新聞紙の上に広げられたつくしの山がざるの中に移る頃には、みんなの指先が胞子の暗緑色に染まっていました。つくし採りは、茹でて灰汁抜きをしたつくしが、卵とじになって食卓に盛られるまでの共同作業でした。季節とともにめぐりくるつくしを見ると、一緒に味わいながら楽しむひと時が、懐かしい思い出として蘇ってきます。
ある時、結婚して子育て期に入っている長男が、お嫁さんのお母さんを驚かせた事がありました。夕食を市販のお弁当で済ませようとした時、自分で作ると言い出したのです。長男は結婚してからお嫁さんと二人でおせち料理を作ったり、身重で大変な時はお弁当を作ったりしたこともありました。外食は別として、家では手作りの料理を食べることが、長男にとっての食に対するものさし(価値観)となっていたのです。
それは、次男も同様でした。主人の味を再現してもらうために、お嫁さんに下ごしらえの仕方や味付けを覚えてもらっていました。一方、主人は教員退職後お店を始め、家庭料理の味を地域の方に味わっていただけたらと奮闘していました。「食は人の絆」との信念そのままに。
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