友達のナポリタン

カチト

【読切】友達のナポリタン

「いつか2人でどっか田舎行って仕事しようぜ。俺らだけでさ、楽しく働いてみたい」


68円で買った6枚組の食パンを手に取り、ピーナツバターを塗りながら過去に浸る。まずいまずい、今日は朝から会議だ。

 ある感染症が流行ったことを契機に、最近は専らwebで会議をすることが増えた。会社に到着しコードをセット、持参したタブレットを充電する。タブレットの画面の右上に現れる雷のマークを確認し準備完了。「本日はお忙しい中、お時間いただきありがとうございます。本日はA社へのアテンドについて、皆様のお知恵をお借りしたく。まずは15分程度で私から概要をご説明いたします。」。最近開拓しようと営業をかけているA社についての会議だ。商品部の専門性を借りるべく会議をセッティングした。今年で入社5年目になり、社内では中堅社員と呼ばれる立場になった。社内の他部署への働きかけも徐々に板についてきた。

 

俺は今年の誕生日で27歳になる、なんてことないサラリーマン。昔から勉強も運動もそこそこにこなし、それなりの大学に入って、それなりの企業に就職した。みんなからは要領が良いね、なんて言われる。果たしてそれが誉め言葉なのかは分からない。俺の人生は世間的には成功したものらしく、経歴を話せば、「すごいね!」と言われるし、父の話によると、母はいつも自分のことを周りに自慢しているらしい。周りから羨ましいと思われる感覚は悪いものではないし、むしろ大きな自己肯定感に繋がっているような気もする。今やっている仕事は自分がやりたいことでもなんでもないけど、そこって全然重要じゃないよなって思ってる。こんな大学を卒業している、こんな企業に勤めている、むしろそんな表層的な部分の方が人生にとっては重要だと思ってる。うん、思ってる。というか、思ってないとやってられない。


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「もう19時だぞー。早く帰れー。」

ホワイト企業とはこういう企業をいうんだよと、日々寝食以外は仕事してます!という数多の労働者に唱えながら、家路につく。

 今日の夕飯はナポリタン。1人暮らしをしていると、作りやすく美味い料理がよく分かる。ナポリタンはその典型で、ウィンナー、玉ねぎ、スパゲッティがあれば事足りるし、調味料も塩胡椒とケチャップ、オリーブオイルだけ。もっというと、ここに卵が加わりスパゲッティをお米に変えるだけで、オムライスもできるってわけだ。ナポリタンは友達からも好評で、500円払うからナポリタン作ってくれと家に来るやつもいる。炒めたウィンナーと玉ねぎにスパゲッティを混ぜ合わせ、最後に追い塩胡椒と追いケチャップをして完成。ステンレス製のフォークをカトラリースタンドから手に取る。カトラリーとスタンドが触れたときに、甲高い金属音が響く。あー今日も美味い、天才かも。

「プルルルル、プルルルル」。

榊原から電話が来た。ごく稀に暇なとき電話してくるやつ。

「もしもし」俺は電話に出た。

「おお、帰り路だからちょっと付き合って」

「俺はおまえの彼女か」

「おまえは2番目の彼女」

「あほが」

「最近仕事どうよ」

「めっちゃイイ波乗ってる」

「え、最高じゃん。イイ波ノッテンネ~」

 榊原は有名な総合商社で働く優秀なやつで、中高6年間という人生にとって重要すぎる時間を過ごしてきた割と大事な友達。しっかりしているけど、程よく軽いノリで社交性は抜群だ。遊ぶときはいつも一緒で、限られた青春時代を共にしてきた。学校の体育祭や文化祭、昼休みの食堂や放課後の中庭。こいつの思い出は俺の思い出だし、俺の思い出はこいつの思い出だ。いつも学校の中心にいた、そんな俺の自慢の友達。

 

ある日の文化祭、榊原と一緒に校内を歩いていると声をかけられた。「あの、」。振り向くと、そこには紺色のセーラー服を着た色白で華奢な女の子が立っている。首にシルバーのネックレスが光る。それはまだその子の体には馴染んでないように見えて、最近買ったのだろうかと想像する。「連絡先教えてもらえませんか」。榊原が笑顔でうなずき携帯電話をポケットから取り出す。これで今日何回目だよ、と思いながら携帯電話の黒い部分を当て合う2人を見つめる。うん、今回の子はそこそこ可愛いな。

「これ、名前なんて読むの?」榊原が聞く。

「ちあきって言います。読み辛いですよね、すみません」

「え、そうなんだ。へー、初めて見た。素敵な名前ですね」

「あ、ありがとうございます!」その子は頬を赤らませ、足早にどこかへ行ってしまった。

榊原は昔からとにかくモテる。自然体で、楽しむことを最優先にしているような飄々としている感じが良いんだと、いつかの榊原を好きになった女子が言った。そんな時俺は飄々って何も考えてないだけじゃね、と強がって言ったりしたこともあった。あたかも自分がいろんなことを考えているかのように。たまに出てしまう自分が大嫌いな自分。


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今日は支店長の挨拶周りに同行する日。コンビニに車を駐車し、ぼーっとしている。前の客先での挨拶が長引いているらしい。ウチのあいさつ回りは分単位で客先にアポイントを依頼する。「×月××日の××時××分にご訪問させて頂きます。」。呼ばれていないのに。呼ばれていないけど、分単位でアポイントを入れる。もしそこの時間が空いていなければ、名刺だけ置く。挨拶に来ましたよ、あなたの都合が悪くて会えませんでしたけど、こちらは遠くまで挨拶に来ましたよと。そんな挨拶周りも今年で5年目。逆の立場だったらこんな挨拶は失礼すぎて絶対お断りするわ、と思ってからも今年で5年目。

 「ごめん遅くなった、今から向かうから現地で。」上司から連絡があり、エンジンをかける。周りを見渡すと、自分と同じように車でぼーっとしている何人かの営業マンが見える。こんなんで日本は大丈夫か、と思うと同時に、こいつらがいる限りコンビニは潰れないなとも思う。「いやー、今回の箱根駅伝は良かったですね~」「○○自動車の社長が退任になるとは、びっくりしましたね~」。3社目の挨拶周り。この話を聞くのは3度目だ。こんな挨拶のアポイントを必死にとるのが自分の仕事なんだと冷静に考えていたらなんとなく悪いことをしている気分になって、テーブルに出された梅昆布茶を一気に飲み干した。


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大学2年の時、榊原から突然、海外に行ってくると連絡があった。冗談半分で聞いていたが、その1か月後、榊原は本当に海外に行った。1年後、戻ってきた榊原に感想を聞いてみると、「楽しかったわ」と一言だけ。親に言われたとか、海外に友達がいるからとかではなく、思いついたから行ったんだと。今なら少しだけ分かる。そこに存在する確固たる意志と、その経験のかけがえのなさが。ちゃんと自分の人生に向き合っているやつだけができること。いつだって一緒だったけど、いつだって自分が想像もしない道に進むんだ。


「おーー、1か月ぶり」

「おつかれ」

「うし、行こうぜ!」

 この間榊原と電話した時、飲みに行こうという話になり、目黒で待ち合わせた。昔はいろんなことをして遊んだけど、社会人になってからは酒を飲むこと以外やらなくなった。榊原に限ったことではないが、今は酒を飲もうというのが友人を誘うときの定例の挨拶みたいになりつつある。いつもの焼き鳥屋に入ると、「毎度!」と頭にハチマキをグルグルに巻いた店主の声が店内に響き渡る。今日もテーブル席は満席で、繁盛しているようだ。店主の目の前のカウンター席に案内されると、店主は微笑み、もう一度、今度は小さめの声で「毎度」と言った。お互いビールとねぎまを2本頼み、店主に会釈する。

「仕事どうよ」

「今日挨拶回りだった、箱根駅伝の話聞きすぎて、マラソン始めるかも」

「マインドコントロールされてるやん」

「それくらい苦痛だったってことだよ」

「まあ、そんな仕事ばっかじゃないしさ。社会のためになってる仕事もたくさんしてるんだしさ。それ思い出して元気出せよ」

「俺がどんな仕事してるか知ってんの」

「えーと、営業…?」

「おまえはほんとに」

 くだらない話が、キンキンに冷えたビールの良い肴になるんだと気づくくらいには大人になってきた。綺麗でも汚くもないたわいもない会話。周りの人達がもし真面目な顔で話してたら、くすっと笑ってしまうようなゆるやかな会話。榊原とはこんな話をしながら2、3時間は平気で過ぎる。

 榊原は仕事の愚痴を言わない。彼女や友達の悪口もほとんど言わない。人と仲良くなるための話題トップ2の「人の悪口」「異性の話」はほとんどない。こういう類の話題が無く、こんなに長い時間話せるのは自分にとってかなり珍しいことだ。いつもそんな調子でくだらない話ばかりをして楽しんでいるが、今までで一度だけ、真面目な話をされたことがある。

「もしさ、このままレールに乗っかったとするとさ、大学卒業して、良い企業入って、出世して、お金稼ぐわけだよな俺ら」榊原がいつもと違う顔で言った。

「そうだな」

「その人生って、楽しくて幸せなのかな」

「お金稼いで、世間体良くて、モテるぞ。素敵な虹色のレールだよ」

「そうなのかねー。」

「ん?どうしたのお前」

「いや、別になんもないんだけどさ。いろいろ考えてたらやっぱり誰と仕事するかってすげえ重要だと思ってよ!」

「どうしたの、榊原いつもと感じ違くね」

「え、そうか?まああれだわ。お前と一緒に仕事したらかなり幸福度高そうだなと思ったわけよ。だからさ、もしお前がよければさ、いつか2人でどっか田舎行って仕事しようぜ。俺らだけでさ、楽しく働いてみたい」    「なにそれ、面白そうだけど」                   「まあそんな感じ!なんとなく話してみたくてさ」


それがどういう意味だったのか、今なら少し分かる。現実逃避ではない何かがその一言にはあったんだって。自分がそれに気づくにはまだ時間が必要だったんだ。


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 今日は残業が長引いている。1年前にデスクに置いた真っ白のアナログ時計は無駄な装飾が一切ない時計の機能だけを持った時計で、非常に気に入っている。21:00。はあ、そろそろ帰らないと。周りには同じように残業している上司が2人、ちょうど同じタイミングでデスク周りを片付け始めた。まずい、誘われる。

「おつかれ、飲み行くか」

「あー、すみません、今日予定あるんです」

「こんな遅くから予定あんのかお前は、なんだ、女か」

「いやまあ、そんな感じです」

 上司からの誘いは月に1回しか行かないと決めている。残念ながら女の予定なんてないけど、手っ取り早いからそんな理由で断っている。上司の昔話(たいてい自慢話)は聞き飽きたし、俺の浮ついた話題を提供するのもだいぶ疲れてきた。おじさん勢は若者の下世話な話題が大好物だ。ちょっと話すだけで大笑いする。そして、そこには必ず「俺も昔はな~」という興味が一切湧かない上司渾身の一言付き。

会社には馴染んでいない方だと思う。というより、馴染む努力をしていない。長期連休を取るときは不在対応のお礼にお土産を買っていく文化だが、最も安くて量が多いものを必死に探す。いわゆるコスパ重視。それを食べて喜ぶ同僚の顔は想像せず買う、そんな感じ。

 

榊原含め友人4人で旅行に行ったことがある。目的地は四万十川、目的は四万十川で全裸で橋から川に飛び込むこと。俺はレンタカーを借りて、待ち合わせ場所に向かう。既に浮輪を腰にかけているやつ、まだ陸だけどシュノーケルを咥えているやつ、変なやつらがいるなと思ったら、そこは俺らの待ち合わせ場所だった。おまえらかよ、だと思ったよ。東京から四万十川に向かう。運転手と助手席に座るやつ以外は次の運転に備え寝て、2時間おきにサービスエリアで運転を交代する。寄ったサービスエリアでは必ずガチャガチャをする条件付き。俺は、これは誰が喜ぶんだろうという、毛虫のフィギュアが当たった。8時間してようやく到着。全員が大きく伸びをした後、目を合わせる。1人が走り出したら、みんなが後を追いかける。服を脱ぎ捨てながら、そのまま川に飛び込んだ。「最高!」「あいらぶ四万十!」。1人は浮輪でぷかぷか浮かんでいる。いや、お前浮輪したまま飛び込んだんかい!、みんな笑っている。何のためでもない、何のためにもならないことの方が思い出に残ったりするから不思議だ。何度も繰り返し飛び込んでいると、川上から木製の船が登場。おや、人がたくさん乗ってるぞ。「ははは、船来た!やべえ!」と興奮気味に話すと、1人が「待って、俺ら全裸!」といい、中学の体育の授業で走った50m走を思い出す程の勢いで走って逃げた。みんな笑ってる。

 旅行最終日、お土産屋に入る。俺はいつも通り、コスパ重視で最良の品を探す。金色のシールで【高知名物】と書かれたクッキーの詰め合わせを手に取る。20枚入りで690円。はい、素晴らしいです。名物でもなんでもないものなのに、シールを張るだけであたかもそこでしか売っていないもののように置いてある。お土産屋あるある。このクッキー、この間行った大阪でも見たことは最重要機密事項だ。

 俺が早々に会計を済ませると、念入りにお土産を選ぶ榊原の姿が目に映る。

「なに、お土産悩んでんの」

「うーん、この間会社の先輩がさ、かつおのたたきが一番好きなんだって言ってて、折角高知に来たし、なんか良いのないかなって思って」

「ふーん」

 俺は踵を返し、店の外に出る。ビニール袋に入ったどこでも買えそうなクッキーの詰め合わせを見て、一瞬返品してお土産を選び直そうかと思ったが、すぐに思考を止めた。10分後、満足そうな顔の榊原が店から出てきて、「めっちゃ良いの買えたわ!高知最高~」と言った。眩しすぎるその姿に目も心も逸らす。


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「おい青年、おはよう。あと1日頑張っていこう。」。金曜日の朝、ウィンナーロールを渡しながら俺に話しかけてきた先輩。いつも金曜日の朝にパンを後輩に配る変わった先輩。

「ありがとうございます、頂きます。あ、あと頑張ります」

「よし、偉いぞ青年」

 中に玉ねぎのソテーが入っていて、先輩が買ってくるパンで俺が1番好きなやつ。マヨネーズがよく効いていて、これを朝食べることを想定し、金曜日の朝だけは必ずホットコーヒーを買ってスタンバイしている。両親がパン屋をやっているらしく、余ったらもったいないからと持ってきてくれているらしい。朝買ったホットコーヒーを自分専用のマグカップに移し、パンから少しはみ出ているウィンナーの先端部分を齧る。少し食べ進めると玉ねぎのソテーが姿を現し、口の中が幸せに包まれる。そして、コーヒーを1口。テイクアウトカップで飲むより、飲み口がすっきりしたマグカップで飲むコーヒーの方が断然美味い。先輩が持ってくるウィンナーロールと一緒だと、さらに美味い。「ごちそうさまでした。」と言い、パソコンに向き合い仕事スタート。いつからか、金曜日の夜よりも金曜日の朝が楽しみになっていた。ただそれはウィンナーロールとコーヒーが格別に美味いからではない。俺が食べている姿を見ながら微笑む先輩が格別に可愛いから。

 元々、素敵な人だなと思ってた。15時のおやつに必ずバウムクーヘンを食べて、夏になるとリネンのブラウスを着る人。素敵な習慣が体に染み付いているような人。細長い腕と、健康的な肌色の爪。会社の同僚を好きになるなんてださいなと思っていたし、身近なコミュニティに色恋を持たないと勝手に決めていただけで、本当はずっと前から素敵な人だと思ってた。

「ああ、疲れた!ドーナツが食べたい!」いつかの金曜日。

「青年、今から外出だね。ヤングドーナツを買ってきてくれ、無性に食べたい」

「先輩、仕事中に寄り道させるんですか」

「させます、ドーナツのためにさせます」

「勘弁してくださいよ」

「つまんないやつー」

 車を走らせ客先に向かう。想定よりも早く終わったので、帰りにコンビニに寄った。あ、そういえばドーナツ。同僚の、しかも異性に、特別に何かをあげるなんて今まで1度もしたことがないけど、なぜか100円で3個入りのヤングドーナツを手に取っていた。「めっちゃ良いの買えたわ!高知最高~」。多分その言葉が頭をよぎったんだ。

 会社に戻り、誰も見ていないことを確認し、そっとドーナツを渡す。

「え、本当に買ってきてくれたの」

「いや、ちょっと時間余ったので」

「嬉しい!ありがとう!本当に嬉しい!」

「そんな喜んでくれるんですか」

「青年、最高の金曜日だよ」

 100円のドーナツで満面の笑みを浮かべる先輩を見て、何かが動いたいつかの金曜日。その1か月後、その先輩に年上の彼氏ができたと同僚から聞いた。


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 いつもの焼き鳥屋。今日はハチマキを巻いた店主がいないので、「いらっしゃいませ~」と気の抜けたアルバイトの声が聞こえる。

「お前、失恋してんじゃん」

「ばかか、そもそも好きじゃねえわ」

「お前はな、そういうところがだめなんだよ。思ったことを素直に伝えなさい」

「思ったことを素直に伝えます。好きではありません」

「はいはい」

「この話はもういいから。てか何、大事な話って」

「ああ、もうすぐ来るからちょっと待って」

「は、誰か来るの。聞いてないぞ」

「まあ、待てって。あ、千愛こっち!」

 1人の女性がこっちに歩いてくる。あの日から何も変わってない、色白で華奢な女性。変わったところは、来ている服が紺色のセーラー服からコットンの白シャツに変わったことくらい。今でもあのまま、あの頃のまま可愛い榊原の彼女。

「千愛ちゃん、久しぶりだね。びっくりした、来るの聞いてなかったから」

「え、言ってないの!私がそれ聞いてない!」

「ばか、サプライズだよサプライズ、ほら、こいつめっちゃ喜んでる」

「あほなこと言ってんな」

「ごめんね、びっくりさせちゃって」

「いやいや、全然大丈夫。久々に3人で飲もう」

 あの時、文化祭で声をかけられてから、ずっと付き合ってる2人。かれこれ9年が経った。前に、9年ってオリンピック2回来るし、高校3回卒業できるぞ!と榊原に話したら、「3年経ってからは6年も9年も一緒だよ」と言っていた。最長交際期間1年の俺にはよく分からない。昔はたまに、3人や4人で遊ぶことがあったけど、千愛ちゃんに会うのはかなり久しぶりだ。

「大事な話があってだな」

「え、早くない?私久々だし、普通に話したいんだけど」

「こういうのは早く言った方がいいんだよ」

「改まって、気持ち悪いな。どうした」

「いや、あのな。俺ら結婚するんだよ」

 

大事な友達の結婚。素直におめでとうと言った。


「そんでさ、俺ら2人で静岡行って喫茶店開くことにしたんだ」


「え?」


「2人とも仕事やめて、静岡の田舎で喫茶店やることにしたんだよ」


 何かが落ちる音がした。落ちたものが何かは分からない。

「今日はその報告をするために集まってもらったんです、お前報告第1号。おめでとう!」

「おお、、、光栄だわ。」

「来月から開店、準備は着々と進んでおるのです」

「おまえ、準備なんていつからやってたんだよ、忙しそうだったじゃん」

「時間は自然と生まれるものではなくて、作るものなんですね~はい~」

 人の人生は自分が感じるよりも超高速で進むんだということを痛感する。全員が同じスピードで進んでいるんじゃないんだ。駅の時計をモチーフにした真四角の腕時計をふと見つめる。なぜだか秒針が止まっているように見えた。自分の人生が止まっているように錯覚する。

「てことで、応援よろしく頼む!」

「突然の報告でごめんね。もっと早く言った方が良いんじゃないって言ったんだけど、ちゃんと決まってから言いたいんだって聞かなくて」

「いやいや、気にしないで。2人のこと応援してる、がんばって」

「最強の喫茶店作るから楽しみにしといてくれ」

 泡がすっかりなくなり、白と黄色のコントラストがなくなってしまったビール。テーブルに置かれたねぎまを持つ。話に夢中になっていたから大好きなねぎまに手が伸びていなかった。いつものように串を横にしてねぎと鶏肉を一緒に食べる。冷えてるからか、美味しくない。


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 携帯電話のアラームがなり、いつものようにベッドの上でSNSを眺める。「ここのねぎますごく美味しかった!」という可愛い絵文字付きの投稿を見る。ベッドから体を起こし、窓を開ける。昨日の出来事が嘘だったかのようにジリジリと日差しが降り注いでいる。空は真っ青で、テレビのニュースでは小綺麗なワンピースを着たニュースキャスターが「本日は久しぶりの洗濯日和です!」と言った。明日はずっと来るんだよ、止まっている余裕なんて無いんだよと、太陽が話しかけてくる。分かってるよ、俺の人生だって進んでる、前に進んでる。そのはずなのに、あいつの背中は随分遠くに見える。俺だって一緒に時間を刻んできていると思ってた。

でも、そうじゃなかったんだ。この歳になって気づいた。俺は動いているように見せてただけで、ずっと動いてなんていなかった。スタート地点から誰かに手を引かれてここまで来た、その誰かがいなくなってから俺は多分1歩だって動いていないんだ。後ろにたくさんの人がいるのを見て、安心して座っていたら、俺より随分遅れてスタートしたやつらがどんどん俺を追い抜いていく。そいつらは後ろの俺を振り返ったりしない。前に、ただ前に進んでいくんだ。そうなんだよな、そういうことなんだよな。

 どこかで期待してしまっていたんだと思う。あの時はよく分からなかったけど、今自分が何のために仕事をして、何のためにここにしがみついているのか、年齢を重ねれば重ねるほど曖昧になってくる。いつからか、榊原のあの言葉が時折フラッシュバックするようになっていた。大事な人と一緒に何かを実現し、それで誰かを幸せをできるかもしれないことがどれだけ素敵なことなのか、なんとなく分かるようになってきていた。だから、榊原がもう一回その言葉を言ってくれることを期待していたんだと思う。友達と仕事するなんてと、人が聞いたらばかにするであろう、そんな夢物語をまたあいつから言ってくれることを。1歩も踏み出したことないやつの言葉なんて、何の意味も持たないよと、そう言って俺を導いてくれることを。自分の力でその1歩を踏み出すことはできないから。


―いつか2人でどっか田舎行って仕事しようぜ。俺らだけでさ、楽しく働いてみたい―


ああ、今日がとびっきりの雨だったら良かった。自分のそんな感情を洗い流してくれるような土砂降りの雨だったら良かったのに。


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 新幹線の切符を買う。静岡行き。榊原の喫茶店が開いてから3か月が経った。友人と榊原の喫茶店に行こうという話になり、今日はまさにその日。あれから生きてる心地がしないまま時間が過ぎた。榊原に触発されて、さあ頑張るぞ、となると思ったが、人間そううまくはいかないみたい。静岡駅に降り立ち、そこから鈍行列車で約1時間。「あいつどんだけ田舎にいんだよ」と不満気に言う友人。最寄り駅に到着し、さらにそこから歩いて20分。周りには真緑の田園風景が広がる。こんなところに喫茶店なんてあるのか、と歩を進めると、きれいな三角屋根の建物が見えた。きれいな真っ白な外壁に大きな1枚ガラスの窓がある、虹色の表札に「榊café」と書かれていた。―いらっしゃいませ、本日はお越しいただきましてありがとうございます。扉は引いてお入りください―という表記を見て、扉を引いて入る。

 ノーカラーのストライプシャツを着た素敵な女性がカウンターに立っている。グレーと白の色合いが良く似合っている。

「いらっしゃいませ」程よいトーンの声で心地よい。

「千愛ちゃん、どうも」

「え、びっくり!ちょっとオーナー呼んできます!あ、呼んでくるね!」

「急がなくていいよ、とりあえず席まで案内してもらおうかな」

「あ、うん。こちらにどうぞ」

 テーブルの席に案内された。オーク材で作られたシンプルな木製テーブルにアーコールのチェアが向い合わせで配置されている。店内はカウンターに4席、2人用のテーブルが4つ。カウンターは満席で、本を読んでいる人、パソコンに向かっている人、日記を書いている人、何もせずコーヒーを飲んでいる人、この店の佇まいによく馴染んだお客さん達が思い思いに過ごしている。来る前にSNSで「榊café」について少しだけ調べた。多くの人が「#榊café」というハッシュタグ付きで投稿を上げている。お洒落なカフェとして既に有名になりつつあるようだった。やっぱりすげえなと感心したし、自分がここにいたらどうなっていたんだろうとも少しだけ、ほんの少しだけ想像した。

 ちょうど昼時だったから、ご飯も食べようと友人と話していた。メニュー表は1枚の和紙に手書きで飲み物、デザート、食事が記載されている。これもまたセンスが良いな。変わったメニュー表で、一つ一つのメニューに店主からの一言が記されている。

 

【自慢のブレンドコーヒー 400円】―このコーヒーを飲んだ人のこれからの時間が、いつもより少しだけ鮮やかになりますように。

【15時のクレームブリュレ 500円】―いつかの喫茶店で食べたクレームブリュレが美味しかったと、あなたの小さな思い出の1つになることを願って焼き上げています。

【お母さんのカレーライス 800円】―昔食べたお母さんのカレーは本当に美味しかった。そんなカレーを作りたいという思いで日々思いを込めて煮込んでいます。

【友達のナポリタン 500円】―いつか一緒に仕事をしようと夢見た大切な友達がよく作ってくれたナポリタンです。シンプルな味付けでウチの看板メニューです、ぜひ。


胸がざわつく。


「お、いらっしゃい」オーナーが来た。

「おお、繁盛しているね、調子どう」友人が応える。

「絶好調だよ、幸せってこういうことだよな~」

「相変わらず軽いね~」

 榊原と友人の会話を聴きながら、だいぶ落ち着いてきた。胸の高鳴りを抑える。いろんな感情を悟られたくない。男の友情はそんなものだ。

「注文どうする??」

「ん、俺はね、カレーとブレンドで。気持ち込めて作ってや」友人が応える。

「承りました~、お母さんカレーとホットで!」

 千愛ちゃんが、「はい、承りました」と素晴らしいトーンで受け応える。


 オーナーが顔の向きを変える。

「注文どうする」

 あくまでも平然と。いつもの関係を保ちながら、いつもの自分で。もう一度言うが、男の友情はそんなものなんだ。そうだよな。

「俺も一緒にするよ」

「お、ナポリタンじゃなくていいのかい」

「ばか、俺のナポリタンの方が断然うまいわ」

 榊原がくすっと笑う。

「そうだな、俺もそう思うよ。承りました!」


 静岡駅でお土産屋に寄った。友人はそそくさとお土産を選び、「めっちゃコスパ良いの見つけたわ!」と話す。同時に、「おまえもこれにしろよ!」と。そのお土産には【静岡名物】と書かれたシールが貼ってある。


「おまえお土産選ぶの時間かかりすぎ、びっくるするわ」友人に話しかけられ、俺は綺麗にラッピングされたお土産を眺める。視界が開ける。俺は今の会社にだって、ちゃんと向き合ったことがなかったんだよな。明日、上司を自分から誘ってみるよ。俺はこれからだからな、見とけよ。


 大切な友人に誓った、小さな一歩。




著:カチト

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