第37話 惨状

 侍女がテーブルの上にお茶とお菓子を並べて置いた。

 色とりどりのお菓子は華やかで、王妃の趣味に合っているのかもしれない、と思う。


「では、いただきます」


 ヴィスティがお菓子に手を伸ばそうとした瞬間。

 突然、窓から小鳥が飛び込んで来た。


「きゃっ」

「ああ、驚いた」


 小鳥は入ってきた窓がわからないのか、うろうろとその辺りを羽ばたいている。

 侍女たちが慌ててお菓子の箱の蓋を閉めたり、お茶を移動させたりしていた。


「迷い込んでしまったのね。この鳥は、ヴィスティ殿下が巣を見つけた鳥でしょう?」


 サーリアがヴィスティに向かってそう言うと、確信が持てないのか少女は首を傾げた。


「たぶん……」

「では殿下と一緒に遊びたいのかもしれませんね」


 皆で見上げて、鳥の行方を目で追う。そのうち窓から出て行くだろうと思っていたが、ずっと天井近くで旋回している。

 それなら、とサーリアが空に向かって手を伸ばすと、小鳥はサーリアの人差し指に留まった。


「……え」


 侍女たちがそれを呆然と見つめてくる。ヴィスティもぽかんと口を開けたままだ。


「でも今は、遠慮してもらいましょう」


 サーリアがそのまま窓辺に寄り窓の外で小さく指を揺らすと、小鳥は羽ばたいていってしまった。


「すごい!」


 ヴィスティが興奮したように拍手し始めた。


「え? なにがです?」

「月の君は、いつの間にあの子を手懐けてしまったの?」

「え?」

「本当にすごいですわ!」


 侍女たちも興奮気味に言っている。


「『神に愛でられし乙女』の名は伊達ではありませんわ!」

「あんなことが可能なんですの?」

「ああ……そうね、昔からできていたわね」


 そうだ。エルフィでも子どもの頃はたいそう驚かれたものだった。

 鳥がサーリアを追いかけてきたりはいつものことだったから、だんだん誰も驚かなくなり、普通のことのように思えていた。


「私にもできる?」


 ヴィスティが小さく首を傾げてそう尋ねてくる。


「ええ、きっと。自然を慈しんでいれば、できるようになりますわ」


 そう応えると少女は瞳を輝かせた。


「でもまずは、お茶とお菓子をいただきましょう。あら、お茶が冷めてしまいましたわね」

「まあ、本当に。淹れ直しましょう」


 そしてまたテーブルの上を整理して、いただこうとしていたとき。


「……お待ちになって!」


 急にベスタが叫んだ。なにごと、と振り向くと、ベスタが胃のあたりを押さえている。

 なにか、と問おうとしたそのとき。

 ベスタの口から大量の血が、ゴボッという嫌な音とともに勢いよく吐き出された。


 侍女たちの絶叫が響き渡る。

 今度はサーリアが呆然と立ちすくむ番だった。


「医師を呼んで参ります!」


 サーリアが一喝せずとも、今回は侍女たちが自分で判断して動いていた。


「は、吐かせなくちゃ!」

「えっ」

「私、あれから少し調べたの! ベスタさま、失礼!」


 侍女たちが各々でバタバタと動き回っている中、サーリアは動けずにその場でその光景をまるで芝居でも観るように眺めていた。


「私の、せいだわ……」


 呆然としたパメラの声がして、そちらに振り向く。


「私がお毒見役なのに……ためらったりしたから……」


 パメラはその場に崩れ落ち、そして人目も憚らず、ぼろぼろと涙を零した。


「ベスタさま、申し訳ありません、私が、私が……」


 けれど彼女の立場では、王女が持ってきたものに疑いの目を向けるのは難しかった。

 おそらくは、あちらはそれも見越していた。

 そして今もし、小鳥が部屋に入って来なければ、ヴィスティは確実にそれを口にしていた。


 まさか……まさか、自分の娘に!


「私じゃない!」


 サーリアがその声に振り向くと、ヴィスティが真っ青な顔をして、口元を両手で押さえて震えていた。


「私は知らない! 私じゃない!」


 サーリアはヴィスティに駆け寄りしゃがみ込むと、震える彼女を抱き締めた。


「ええ、ええ。わかっております」

「私じゃ……」


 そしてサーリアにしがみついてきて、声を上げて泣いた。サーリアには、自分の胸元が彼女の涙でみるみる濡れていく感触が、わかった。


 サーリアは立ち上がるとヴィスティの肩を抱いて、侍女たちがベスタを囲んでいるのを掻き分けて、倒れた彼女に歩み寄った。

 ベスタはうっすらと瞳を開け、こちらを見つめた。


「……よう、ございました……間一髪、でしたわ……ね」

「ご……ごめんなさい……」


 ヴィスティが泣きじゃくりながらサーリアから離れ、倒れたベスタにしがみつく。


「ごめんなさい……私がわがままを言ったから……いい子になるから……!」


 死なないで、とは口に出せなかったのだろう。少女は唇を噛み締めた。

 ベスタはうっすらと微笑んで、震える手を伸ばし、ヴィスティの頭を撫でた。


「……今の……お言葉、お忘れ……なきよう……」


 そう言ってまた吐血する。ヴィスティのドレスが真っ赤な血に濡れた。

 ヴィスティはただ呆然と、なにも言わずにその血を眺めていた。


「しっかりなさい! お世継ぎのお世話は、あなたがするのでしょう!」


 以前のものとは違う。明らかに今回はかなり危ない状況なのがわかった。

 喉を押さえて荒い息をしている。呼吸困難を引き起こしているのか。


「ああ……そうですわ」


 そう言ってベスタは微笑んだ。

 その微笑みに苦しみは余り感じられなかった。自分の仕事を果たしたことを誇らしく思っているのかもしれなかった。


「もう、喋らないでいいから。直に医師が来るから」


 サーリアがそう言うと、ベスタはゆっくりとうなずいた。それと同時に医師が飛び込んでくる。


 血にまみれたその惨状を一目見ると、医師は言葉を無くす。

 それからベスタを数人がかりで寝所に運び込み、医師と数人の侍女がその中に入っていく。

 そして扉が閉められた。


 残されたヴィスティはサーリアにしがみついた。

 その震える身体をサーリアも抱き締める。


 まさか。

 自分の娘も一緒に死んでしまってもいいと思っていたのだろうか。

 ヴィスティの戸惑いと恐怖と……その小さな身体の中に、どれだけの苦しみを詰め込めば、彼女は満足するのだろう?


 ……いや。

 サーリアに、彼女を責める資格はあるのだろうか?

 自分がやろうとしていることは、セレスがしたことと、なにか違いがあるのだろうか?

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