第34話 お茶会

 ベスタがにこにことしながらサーリアの部屋に持ってきたものは、水差しに入ったお茶だった。


「実家の妹が教えてくれましたの。大麦のお茶が妊娠中にはいいのですって」

「お茶? 大麦の?」

「ええ、お茶です」


 ここのところ食欲があまりないサーリアを気遣ってか、侍女たちがいろいろと持って来てくれるのだった。

 これもそのうちの一つなのだろう。

 サーリアが腰かける椅子の前のテーブルに、水差しをとん、と置く。


「妹が良い大麦を取り寄せてくれたのですわ。今は干ばつで収穫量も少ないみたいなのですが」

「わざわざ? なんだか申し訳ないわ」


 後宮にいると特に不自由を感じないからか、アダルベラスが干ばつで苦しんでいることを忘れそうになる。

 あれからも、申し訳程度の雨は降るが、本降りになったのを見たことがない。


「お気になさらず。皆、なにかしらお役に立ちたいのです。気に入っていただければなによりなんですけれど」


 そう言いながら、用意された二つの碗に琥珀色のお茶を注ぐ。


「妊娠中は味覚も変わりますし、いろいろ試してみるといいですわ」

「そうね、ありがとう」


 そんなことを話している間に、パメラが傍にやってくる。


「では失礼致します」


 お茶が注がれた碗を一つ持つと、パメラはそれを一口口に含む。


「まあ、とても飲みやすいのですね。これならサーリアさまもお口に入れられるのでは?」


 サーリアはそれを見上げながら言った。


「ねえ、パメラ。そんなに神経質にならなくてもよくてよ?」

「え?」

「毒見だなんて……」

「なにを仰います。どれだけ神経質になったって、足りないくらいです」


 パメラは胸を張って言う。


「私はサーリアさまに助けていただいたんですから、今度は私が助ける番なんです」

「そうです。パメラには申し訳ないけれど、これくらいは必要です」


 ベスタとパメラに二人がかりでそう言われ、サーリアの反論は押し込められる。


「お毒見役をパメラが買って出てくれて、本当に助かったわ」

「サーリアさまに助けていただかなかったら、あのとき死んでいたかもしれませんもの。同じ毒なら、こうしたお毒見のほうが納得できますわ」

「でも……」


 もし万が一、毒が含まれていたら。

 サーリアのためにまた一つ命が失われる。


「無味無臭の毒なんて、そうそうあるものではないという話ですし、不味いと思ったら吐き出します。こう見えて私、舌は敏感なんです。だから心配なさらないでください」


 サーリアの危惧を読んだのか、パメラはそう言葉を重ねる。


「本当に、無理はしないで」

「大丈夫です」


 そう言って笑う。

 まただ。

 ここでも、サーリアだけが守られる。

 なんの力もないのに。雨を降らすことなどできないのに。


「でもこれはベスタが持って来てくれたものだもの。そういう信頼できる人のものなら、いちいち毒見しなくてもよくてよ」

「あらまあ、信頼していただいておりますのね」


 おどけたように、ベスタが口元に手をやって驚いてみせる。


「それはそうよ。ベスタやパメラが持って来てくれるものなら、無条件に信用してよ?」

「まあ、嬉しがらせを」


 ほほ、とベスタが笑った。


「でもいけません。やはりお毒見は必要です」


 そう言って頑なに譲ろうとしない。


「じゃあ……そうね、一緒にいただきましょう」

「一緒に?」

「ええ、三人でいただきましょうよ。それなら毒見もできるでしょう?」


 それなら、もし毒が入っていたとしても、自分も一緒に逝ける。


「ね? 私も皆と一緒のほうが楽しいもの」


 笑ってそう言うと、ベスタとパメラは顔を見合わせ、そして小さく肩を落として言った。


「そう仰られるのであれば、今日のところはお茶会ということにいたしましょう」


 そう言って、新しい碗を持って来たり椅子を引いてくる二人を見ながら思う。


 ベスタもパメラも、サーリアにとっては敵国の人間のはずだ。

 けれど彼女らに悪感情はない。

 最初はどうしても微笑みかけることができなかったが、彼女らと接するうち、その誠実さに憎しみを少しずつ忘れていった。

 国と国の諍いがどうあれ、個人間では情を交わすことはあるのだ、と思う。


 ただ、レーヴィスだけは違う。彼はエルフィ侵攻を決断した人間だ。

 彼にだけはどうしても笑みを向けることはできない。


 確かにエルフィ王である父の不手際はあった。ときどき届く叔母の手紙を見る限り、今はエルフィの民も落ち着いた生活を送ってはいるようだ。

 恐怖による支配はしない、ということは信じてもいいのかもしれない。


 そんなことを考えていると、ときどき、サーリアだけが立ち止まっているのでは、という感情に囚われる。

 あの侵攻は過去の歴史となりつつあるのだろうか。今はまだ大して時間も経っていない。けれど確実に時間は過ぎていく。


 もしかしたら、いつか彼に対しても、こんな風に憎しみを忘れてしまうのだろうか。

 そのことが、怖い。


 抱き締められて安堵した。唇が重なって忘却した。肌が触れて溺れた。

 それをもう一度、と願ってしまいそうな罪深い自分が、ひどく汚らわしいものに思える。


「陛下も」


 突然ベスタの口からその言葉が出てきて、驚いて顔を上げる。


「陛下もこうしてのんびりお茶などご一緒できればいいのですけれど」


 ベスタの言葉に同意することはできなくて、サーリアは目を伏せた。

 お茶会の準備は整ったようで、三人でテーブルを囲む。


「陛下はお忙しそうですものね。私、お身体が心配です」


 パメラが頬に手を当て、ため息をつく。

 そういえば最初の頃、彼女は「陛下は素敵な人ですよ」と言っていた。


「パメラは陛下が好きなのね」

「はいっ、それはもちろん」


 それからなにかに気付いたように、顔の前で何度も手を振った。


「あっ、いえっ、そういうのではなくて! 尊敬申し上げているというか、私のような者にもお声をくださるし、陛下が即位されてから租税の負担も軽くなったって実家も喜んでいるし、あのっ、その……」

「大丈夫よ、そんな誤解はしていないから」


 苦笑しながらサーリアが言うと、パメラは身体を委縮させて、すみません……と小さな声で言った。

 ベスタも隣でその様子を見て笑う。


「けれど、私には敵わないのではないかしら? この城内で私ほど陛下のことを想っている人間はおりません」


 突然の堂々とした宣言に、サーリアもパメラも、ベスタの顔をまじまじと見つめてしまった。

 その反応を面白がっているのか、ベスタは口の端を上げて二人の顔を交互に見る。

 そして、静かに言った。


「陛下は私の恩人なんです」

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