第19話 涙

 抗うサーリアを見ながら、レーヴィスは心の中が残忍な思いで満たされるのを感じていた。


 もっともっと苦しむがいい。その美しい顔が苦痛に歪む様をもっと見たい。

 それで心の中でくすぶっていた思いが満たされる。


 あの日、彼女が貴賓室で目を覚ました日。あの日からずっと、サーリアの侮蔑したかのような瞳が心のどこかに引っかかっているのだ。


 憎まれるのはいい。けれど見下されるのは我慢ならない。


 だから、彼女を征服したかったのだ。そんな目をする女をねじ伏せたかった。

 身体だけ手に入れたところで、いったい何になるというのか。そんなものでは足りない。


 それが子どもじみた感情であるとは知っていたけれど。


「う……」


 ふと彼女の喉から声が漏れ出て、レーヴィスは我に帰る。握り締めていた彼女の手首をそっと離した。

 父親が目の前で斬られても、涙の一筋も流しはしなかったと聞いていた。なのに。


 サーリアは俯いたまま、ぼろぼろと涙を零していた。こらえきれず出た嗚咽が部屋に響く。


 しばらく呆然とその様子を眺めていたが、彼女は突如顔を上げ、まるで子どもがするように、声を上げてわあわあと泣き出した。


 感情の制御がまったくできていないように見えた。

 それは欠片も予想していなかった彼女の姿だった。


          ◇


 サーリアの叔母だという女性と会談をしたときのことを思い出す。


「あなたに訊きたいことがあるのだけれど」

「国王陛下」


 間髪入れずに訂正すると、女性は小さく微笑んだ。


「失礼いたしました、国王陛下」


 まるで子どもに相対するように、穏やかにそう返してくる。

 小さく息を吐くと、気を取り直して口を開く。


「で? 訊きたいこととは」

「陛下には、あの子……サーリアはどのように見えまして?」

「どのように? 人並み外れて美女ではあると思うが」

「それだけですか?」

「なにが言いたい」


 くだらない世間話なら打ち切ってしまいたい。時間には限りがある。

 エルフィはどうも、アダルベラスと比べて時間の進み方が違う気がして仕方ない。

 こちらの苛立ちを知ってか知らずか、彼女は丁寧に言葉を紡ぐように言った。


「あの子は三人の天使さまのご加護を受けているのです」


 またか。この国の連中は、どいつもこいつも。

 『姫さまに手を出すと天誅に見舞われるぞ!』『姫さまは神に愛でられておいでなのだからな!』と泣きながら何度言われたことか。

 馬鹿馬鹿しい。神などいない。


「彼女が産まれたときに三人の天使が舞ったという、あれのことか」

「ええ、そうです。私も見たものですから」


 そう言ってにっこりと笑う。やけに確信を持った言い方だ。

 例えなどではなく、本当に見たと言う人間が何人かいるようだ。

 いったいなにと見間違えたのか。

 レーヴィスはこっそりとため息をつく。


「あの子はそのために、エルフィでは敬われています。あの子は神の愛し子なのです」

「『神に愛でられし乙女』という呼び名は知っている」

「ええ、本人は居心地が悪そうにしていますけれど」


 そう言って、ほほ、と笑った。

 なんとなく彼女の話に興味が湧いた。少しなら付き合ってもいいか、と椅子に座り直す。

 彼女は目を伏せて続ける。


「敬われているだけなら良かったのですけれど……今や、畏れられているのです。誰も彼女のことを一人の人間としては見ていない。あの子は幸運の彫像なのです」


 そう言って、こちらをじっと見つめてきた。

 幸運の彫像。彼女はアダルベラスでも、完璧な彫像と言われている。


「そこで、また訊きますわ。サーリアがどのように見えまして?」

「……少々気の強い、一人の女性にしか見えないが」

「他国の方だからそうなのかしら。それとも陛下だからかしら。ともかく、それを聞いて安心しました」


 今自分は、どうして彼女の質問に素直に答えているのか。

 くだらない、と一蹴するべきだっただろうか、とため息をつく。


「どうかあの子をお願いします。私にとっても可愛い姪なものですから」


 そう言って頭を下げてくる。


「この状況では、幸せにしてやってください、とはとても言えません。けれど大切にしていただければと思います」

「天誅が下るとでも言うのか?」


 そう言うと彼女は数度、瞬きをしてから、小さく笑った。


「いいえ、天誅が下る前に嫌われてしまいます。陛下には少々きついお仕置きなのでは?」


 にっこりと笑ってそんなことを言う。

 どうも調子が狂う。心の中を見透かされているような、気持ち悪さだ。


「考慮はする」


 言いながら席を立つと、彼女も席を立ち、深々と頭を下げた。


          ◇


 頬を滑り落ちる涙が、レーヴィスの心の中にある薄汚い欲望をも流してしまうほどに、心をうつ。


 サーリアはまだ少女で、か弱くて、守るべき対象なのではないかという考えが頭をもたげてくる。

 これはいったい、どういうことだ。


 美しさは力。そういう考えに至ると、息を吐く。

 彼女が『神に愛でられし乙女』と呼ばれるようになったのは、誕生のときの逸話や数々のエルフィにもたらされた奇跡も理由だろうが、その神秘的な美しさが拍車をかけたのは間違いないだろう。


 噂には聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。実際、側室にするという話が出たときも、外見など関係なかった。それが『神に愛でられし乙女』ならば誰でもよかった。


 アダルベラス王たるこの自分が。

 彼女をもてはやす庶民と同じように、その美しさに心を揺らされているのだ。


「……まいったな」


 小さくつぶやく。

 そしてそっと腕を伸ばした。

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