第5話 アダルベラス国王
サーリアは目を覚ますと、ゆっくりと首を巡らせる。
自室ではない、どこか。そこにいることだけはわかった。
一見してわかる、造りの良い調度品が置かれている。よく手入れされた埃一つない部屋だ。
部屋の中には誰もいなかった。サーリアはたった一人、天蓋のある広いベッドに横たわっている。
目を覚ましたばかりで思考がまとまらない。記憶がおぼつかない。
ゆっくりと身体を起こす。それと同時に訪れる激痛にたまらず倒れ込んだ。
その痛みは瞬時に数々の記憶を呼び覚ます。
なんてこと! 助かってしまったのだわ!
そんな後悔の念に襲われていると、部屋の扉が開いた。
「ああ、お目覚めですか、眠り姫」
そう声を掛けられ、サーリアは苦痛に顔を歪めながらもそちらへ振り向いた。
声の主は男で、侍女と思われる女性を二人連れていたが、下がるよう命じると一人部屋の中に入り、窓際に置かれた椅子に悠然と足を組んで腰掛ける。
年の頃は、二十代後半だろうか。端正な顔立ちをしている。アダルベラス国民特有の栗色の髪が、窓から入る陽の光に透けた。
男の濃緑の瞳が、こちらをじっと見つめている。
「目を覚ましそうだと言われて来たが、まさにちょうどそのときだったか」
男は満足げにそう言う。癪に障る声だった。
「お前は誰ぞ。名乗りなさい」
まだ痛む胸を押さえながら、少女はかろうじて毅然として言う。
しかし男は口の端を上げて、その言葉に嘲笑した。
「これは、噂に
「な……」
「私はアダルベラス国王、レーヴィス。以後、お見知りおきを」
男は椅子から立ち上がると、大仰に腰を折る。
王。こんな若い男が。
一瞬だけ驚いたが、若くして即位したとの話を思い出し、納得する。
「これからは私を国王陛下と呼ぶがいい。元エルフィ王女、サーリア殿?」
明らかに、侮蔑する物言いだった。
それ以上無意味な言葉を交わすのは無益と判断すると、言いたい言葉を飲み込んで、問う。
「二、三訊きたい」
「どうぞ。答えられることならば」
再び椅子に腰掛けながら、愉快そうに男が言った。
「ここは?」
「アダルベラス王城の貴賓室」
「では私は、あのまま略奪されたと」
「簡単に言えばそうなるかな」
「なぜ、助けた」
たとえ致命傷でなくとも放っておけば死に至ったはず。傷ものの敗戦国の王女など、捨て置けばいいのだ。
しかし。
あのとき将軍は言ったのだ。『戦利品』だと。
「これはこれは。サーリア殿は、ご自分の価値をわかっていらっしゃらないようだ」
肩をすくめて、アダルベラス王が言う。
「もしや、なぜ我が国がエルフィを攻めたかもご存知ないので?」
「なに……」
「緘口令でも敷かれたか? エルフィ王はなにも言わなかったのか?」
「なんの……こと」
急速に、ざわざわと胸の中が苦しくなってきた気がした。
『お前もいずれ知る日が来よう』
父の言葉がサーリアの頭の中をよぎる。
「いったい……」
「まあこれは課題にしておこう。ゆっくりと考えるがいい。その傷を癒しながら」
言いながら、立ち上がって傍に歩み寄ってくる。そして目の前に立つと、不意にサーリアの両の手首をそれぞれ掴んだ。
「わ、私に触るな!」
「威勢のいい姫君だ。そうでなくては面白くない」
言いながら、きりきりと手首を締め付ける。その痛みに、顔が歪んだ。
「『神に愛でられし乙女』か。なるほど、その名に恥じぬ美しさよ」
値踏みされるような目で見られたのがわかって怖気が走る。
「手を離しなさいっ」
「口の利き方には気を付けろと言っただろう」
そう言うと男はすばやく顔を寄せ、唇を重ねてきた。
「やめっ……!」
唇と手が離れたあと、今さらながら、両手で男の胸を押しのける。だが彼は少しもぐらつきはしなかった。
男は小さく笑って、身を翻す。
あまりのことにサーリアは、ただ、笑いながら部屋を出て行く男の背中を見送るしかできなかった。
部屋を出る前に、男がふいに振り向く。
「ゆっくりと傷を癒すといい。考えることもあるだろう。まずは課題を片付けることだな」
中の様子を窺っていたのか、王が扉に近づくと同時に侍女たちが向こう側から扉を開いた。
しかし男は足を止め、もう一度こちらに顔を向ける。
「ああ、一つ忠告だ。舌を噛み切ろうなどとは夢にも思うな」
まるで心の中を見透かされたような言葉に、身体が震えた。
「『戦利品』がなくなってしまったあと、我が国の支配下にあるエルフィがどうなるか、わからぬわけではあるまい?」
言葉を失ってしまったサーリアの顔を見て、男は満足げに口の端を上げると、今度こそ出て行く。
そして入れ替わりに侍女と思われる女性たちが二人入ってきた。
女性たちは存在感を持たず、ただそこに立ってサーリアを見張っている。
胸の傷が疼き、もう一度ベッドに倒れこんだ。柔らかな敷布は彼女を包み込むようだ。
サーリアは手の甲で、自分の唇を何度も拭う。
汚らわしい! あんな……あんな男に!
ああ、私はなぜ助かってしまったのだろう。死ねたらよかった。死んで、お父さまのお傍に行きたかった。
エルフィは無くなってしまった。なのになぜ、私だけが生きているのだろう?
愛でているというのなら、なぜ神は、私にこんな試練を与えたもうたのか?
涙があふれてきそうになったが、サーリアは下唇を噛んで、辛うじてそれを堪えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます