第3話 王女の微笑み
エルフィ王が覚悟を決めたと知るや、将軍はすばやく剣を薙ぎ払う。なんの抵抗もないかのように、剣先は王の首元を過ぎ去った。
次の瞬間、それは床にごろりと転がる。
目を開いたままのエルフィ王の首は、あまり苦痛を感じさせなかった。ただ、あるべき場所にないだけのような気すら、した。
「立派な最期であった」
言いながら将軍は、剣に付いた王の血を振り落とした。
逃げ惑うこともなく、命乞いもせず。ただ運命を受け入れた。そう思えた。
あっけない程のエルフィ王の最期に、広間になだれ込んできていた兵士たちも、すぐにはその現実を受け入れられないようだった。
しかし少しして、ざわめき始める。
「終わった……?」
「エルフィ王の首をとったのか?」
それらの声は次第に大きくなり、歓声へと変わっていく。
「アダルベラス万歳!」
「アダルベラスよ、永遠なれ!」
男たちは狂喜し、武勲を振りかざすかのように、血まみれの剣を高く掲げる。
将軍は剣を鞘に収めながら、玉座の隣に腰掛ける王女に視線を移した。
眠っていたところを起こされたのだろう、寝衣のままだ。化粧も、最低限の装飾品もなにもつけていない。
白い頬と細い肩に父親の返り血を受けているのが、唯一の装飾品とでも言おうか。
なのに、なんなのだ。この美しさは。
それは、この世のものではないように思われた。なにもかも忘れてしまいたくなるほどの。
ここが戦場であることも。
王女はただじっと、今は亡き国王の首を見つめていた。その表情からはなにも読み取れない。悲哀も、怒涛も。しかし放心しているようには見えなかった。
逆に、不気味だ。涙の一筋も零さない。まだ泣き叫んでくれたほうがいいものを。
だが。
王女は少しして、微笑んだ。目を見開いたままの王の首に、柔らかく微笑んだのだ。
それは信じられない光景だった。
そこに転がる首は、確かに王女の父親のはずだ。なのに彼女は慈悲を含んだ笑みを向けた。
父親の死を望んでいた? いや違う。そんな笑みではない。まるで生きている彼に向かって微笑んだかのような表情だ。
背筋が凍る。
そこに、天使のごとくと詠われた王女はいなかった。魔性すら感じられた。
「誰か、槍をもて」
その思いを打ち消すかのように、将軍は声をあげる。一人の兵士が長槍を持って将軍の傍に寄る。
「ここに」
「それにエルフィ王の首を刺して凱旋せよ」
「はっ」
王女はぴくりと反応し、口を開いた。
「お止めなさい」
それは、その場に似つかわしくない静かな声音だった。
「神はすべてを見ておられる。これ以上の悪行を重ねるのは愚かであろう」
「悪行と」
その言葉に、将軍は高らかに笑った。
王女はわずかに眉をひそめる。
「なにを笑う?」
「一国の王女たる者が、そのような甘いことを言うとは思わなんだ。これは戦ですぞ。戦争終結の際に敗戦国の王の首を掲げるのは、至極当然のこと」
やはり世間知らずの王女なのだ、と思った。
彼女はこの凄惨な光景を受け入れることができないのだ、と。
しかし王女は将軍の言葉を聞くと、ゆっくりと首を横に振った。
「そもそも、これを戦争と呼んでいいのか? 卑劣な夜襲による侵略を」
「なんだと?」
「我が国がろくな武力も持たぬ国と知っていながら、それだけの武力をぶつけてきたのは、殺戮を喜びとしているからではないか? 弱者の首を数え切れぬほど祖国に持ち帰るのは、さぞ夢見がよかろう」
王女が自分の国を弱者と認識しているのは、世間知らずとは言えない。
将軍はそれ以上なにも言えなくなってしまい、ふっとため息をついた。
「なんとでも。所詮は敗戦国の王女の戯言よ」
そう自分に言い聞かせるように言うと、近くにいた兵士に声を掛ける。
「大事な戦利品だ。傷をつけぬように持ち帰れ」
言いながら王女のほうを見て顎をしゃくった。兵士が二人駆け寄ると王女を両脇から抱え込み、椅子から立ち上がらせる。
王女はその体勢のままじっと、エルフィ王の首が長槍に刺され、敵国の兵士の歓声に包まれて広間から出て行くのを見ていた。
「今……」
彼女が小さく発した言葉に、将軍は振り返る。両脇を抱えられた王女は、まっすぐにこちらを見ていた。
「私のことを、戦利品と言ったか?」
「そうだ。エルフィ王の首と、王女を無傷のまま捉えて国に帰るというのが、私に与えられた命なのでな」
「……そう」
王女はそう言って目を伏せる。
それを見届けると、将軍は身を翻す。
もうこれ以上、彼女と言葉を交わしたくなかった。この王女からは薄ら寒いものを感じる。
早く国に帰ろう、と思った。こんなにも後味の悪い戦は初めてだった。
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