ある日どこかの居酒屋にて

宵埜白猫

見たい景色

「あぁ~やる気でねぇ……。なんでレポートなんてあるのかねぇ」

 大学帰りに友人と立ち寄った居酒屋で、朝井あさい夏樹なつきはなみなみと酒の入ったグラスを片手にテーブルに突っ伏した。

 その二人掛けのテーブルには先出しの数品を含め、味の濃い料理が並んでいる。

「まぁ気持ちは分かるけど、俺ら学生だからな。お前もうかうかしてると単位落とすぞ」

 夏樹の対面に座る夜野よるの冬弥とうやが自分のグラスを避難させて、呆れたように呟く。

「うるせぇよ」

 夏樹はそれに短く答えてグラスの酒を一気に煽る。

「はぁ……。それは俺も分かってるんだけどなぁ。学校行ってバイト行ってそんなのの繰り返しで、俺は何がしたいのか分からん」

「まずは卒業して就職だろ」

「あぁそれなんだよなぁ。お前は就職先とかどうやって決めてんの?」

「ん? 俺はやりたい事できるとこ探して、何個か応募して通ったとこにした」

 冬弥が先出しをつまみながら答える。

「ん~やりたいことねぇ」

「お前はなんか無いの? やりたいこと」

 夏樹の間延びした声を聞いて、冬弥が質問を返す。

「無い訳じゃない。けど、学費も親に出してもらって、しかも四年も通った末に学部と関係ない仕事選ぶのも何か違うだろ」

「でもお前このままじゃニートじゃん」

「ぐっ……。まぁ、そうなんだよなぁ」

「ならお前のやりたい事やった方がいいんじゃない?」

 冬弥がグラスの中の氷をカラカラと回しながら言う。

「お前が色々大変なのは知ってるし、あんまり無責任な事は言えないけどな。で、何をしたいいんだ?」

「……小説が書きたい」

 冬弥の質問に、夏樹がゆっくりと、けれど迷いなく答える。

 その目も声も、どこか穏やかで、夢を語る子どものように輝いている。

「小説?」

「ああ、小説だ。俺は今の、ただ漫然と時間に流されて生きてるだけの俺が大嫌いなんだ。だから書いてみたい」

 酒のせいか頬を紅潮させた夏樹が語る言葉には、多少の不安こそ感じるものの、さっきまでの無気力さは感じない。

 むしろ、大学に入って冬弥が見てきたどの夏樹よりも楽しそうだ。

「何を?」

 だから冬弥は「小説家なんて現実的じゃない」とか、「お前に小説なんて書けるのか」とか、そんなくだらない質問はしない。

 ただ純粋に、彼は夏樹がそこまで楽しそうに語るに興味が湧いたのだ。

「今とは違う人生」と、夏樹は即答する。

「恋愛したり、旅したり、世界を救ったり。俺の生きたい人生を書きたい」

「そうか。それは、確かに楽しそうだ」

「だろ?」

 大学を歩いている時の退屈そうな顔からは想像もできないほど爽やかな笑顔で夏樹が笑う。

「てか、なんかきっかけでもあったのか? 急に小説って」

「ん? そうだな、きっかけって程でも無いけど前に読んだ小説のあとがきかな」

「あとがき? 本編じゃなくて?」

「ああ。その本のあとがきに書いてあった作者の話が、どうも他人事に思えなくてな」

 そう言って、夏樹はそのあとがきを一字一句違えずに暗唱し始める。

「『バイトも学校も、いつもテレビを見てるみたいに現実感が無くて、そこには私がいないように思えました。何十人何百人いる中の一人。きっとその中の私に色は無くて、何も知らない人が外から見たら、私なんて気にも留めないでしょう。どうせ誰も見てないなら、自分のやりたい事やって生きてやろうって思って。でもやりたい事全部やるには人生長すぎるので、小説を書いてみました。私のやりたい事、見たい景色の詰め合わせ。それがこの物語です。この本を読んでくれたあなたは、どんな景色が見たいですか?』」


 詰まることなく滑らかに言い終えて、夏樹はふぅと息を吐いた。

「確かに、お前の悩みそのままの文章だったな」

 届いたばかりの軟骨のから揚げを頬張りながら冬弥が笑う。

「で? お前のみたい景色はどんな感じなんだ?」

「さっきも言ったろ? 俺がやりたい事、それを全部書いてる。小説家になってる俺が見たいんだよ」

 一切の迷いが無くなった夏樹の言葉を聞いて、冬弥は眩しいものでも見るかのように目を細める。

「なんだ。答え出てるじゃん」

「答え?」

 不思議そうに首をかしげる夏樹に、

「お前は自分が何をしたいのか、この先どう生きたいのか、ちゃんと考えれてるってことだよ」

 冬弥ははっきりと答える。

「これでもお前に話すまでは迷ってた……いや、正直諦めてたよ」

「ほう、ならお前は俺に恩があるわけだ」

「……まぁそうだな」

 嫌な予感がして、グラスに伸ばした夏樹の手が止まる。

「ごちそうさまです夏樹さん」

 テーブル横にかけてあった伝票を夏樹に差し出しながら冬弥がおどけたように言う。

「えぇ。さっきまでの感動的な流れが台無しだよ」

「感動で飯が食えるのはそれこそ小説家とか他の創作家くらいだよ」

「まぁ世話になったのは確かだしな……って、どんだけ食ってんだよ」

 差し出された伝票を見て、夏樹は頭を抱える。

「いやぁお前と飲んでると楽しくてさぁ」

「まぁ、ここそんなに高くないからいいけどさ」

 夏樹が荷物をまとめて席を立つ。

「それに、お前とこうやって酒飲んだり話したりしてるのが、俺の死ぬまで見てたい景色なんだよなぁ」

 冬弥の小さな呟きは、居酒屋の喧騒にかき消され、夏樹の耳には届かない。

「早く行くぞ?」

「そうだな」

 返事だけして自分を見たまま動かない冬弥を見て、夏樹が首をかしげる。

「俺の顔に何かついてんのか?」

「いや? お前が印税で食えるようになったら、もうちょっと高い店おごって貰おうかなって考えてただけ」

「当然のように人の金で飲む計画を立てるなよ……。まぁ、そん時はまた飲みに行くか」

「ああ、楽しみにしてるよ」

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ある日どこかの居酒屋にて 宵埜白猫 @shironeko98

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