第26話 怒りの条件 怒りの意味 怒りの価値
怒るという行為は何だろう。
人が他人に身体や精神を害された時、そこに不平を見出して感情的に反発すること、またはストレスや不安定な状態にある精神の解消を求め、他者に捌(は)け口を求めて感情を爆発させることだ。人がメンタルコントロールする為の、往来人に備わる自然の機能である。
だが、もしもこの単純で、原始的で、それこそ赤ん坊でも身に着けているような行為が出来ない人間が居るとしたら、それは一体どんな人なのだろうか。
怒るという行為を己に許す、その必要な条件とは何だろうか。
「し、心配しないで…階段からこけて落ちちゃっただけだから。ハハハ…ほら、僕ってドジだからさ」
そう言って何かをごまかそうとする仁君。転倒で顔部分だけがここまで腫れあがることはあり得ない。
「見せて、仁君」
「あっ…」
髪で隠していた患部を覗く。…これは酷い。青く腫れあがった右瞼が、左のそれより肥大化している。内出血した後もあり、怪我後直ぐに適切な処置をしたようにも思えなかった。
「この怪我、どうしたの…?」
「…何でもない」
「何でもなかったらこんな風にはならないよ」
「……」
貝のように固く口を閉ざす仁君。だが、おおよその検討はついている。彼の怪我の理由も、何故それを隠しているのかも。
「ねぇ仁君、私は何があっても味方だよ。」
「あっ…」
彼を心配させないようにそう呟く。震えている手を両手で包み、何も心配することは無いのだと、安心して欲しいと語り掛ける。
言葉とは認識。認識とは事実の肯定。それに必要なのは認知の強度、受け入れることができるだけの精神的余裕。こぶしぐらいの大きさで腫れているこの傷は、人に殴られることでしか生まれない。そして、今の彼には父親ぐらいしか殴られる相手は居ない。この事実の意味を咀嚼し、それを人に語るには勇気がいる。
暫く彼は口を閉ざしていた。待つ、ずっと待つ。彼の父親を知らないはずの、私から指摘するわけにはいかないのだから。
「…ぼ、僕がね、父さんに馬鹿なことを言ったせいで、叱られたんだ」
「叱られた?」
「う、うん」
「叱られて…それで暴力を振るわれたの?」
「ぼうりょ…!いや、ちょっと叩かれただけだよ。よくある…ほら、あれだよ、躾けだと思う」
「しつけ?躾けでこんなになるまで殴られたっていうの?仁君のパパはおかしいよ」
「綾音さんっ!!」
泣くような声で彼が叫ぶ。文言だけ見れば怒ったようにも思えるが、そうではない。隠していたことが明るみになりそうな時に出す、そんな悲鳴だ。
「ごめんね?でもさ、躾けと怒ることは違うよ」
「……」
「躾けは相手の為に行う教育、怒ることは当てつけだよ。この二つは似てるようで全く違うよ仁君。そのたんこぶは本当に教育の為に必要だったのかな?体罰が必要な状況だったのかな?」
「…それは…いや、そんないきなり色々言われても分からないよ、分からないよ綾音さん…っ」
「ごめんね、でも私仁君のことが心配なの。まずはどうしてその怪我が出来たのか、理由を教えてくれると嬉しいな」
また暫く沈黙が続く。彼が気持ちを整理できるまで、ただ、待つ。急かしてはならない。必要な言葉を引き出すのは簡単だが、それは彼に対する不実だ。
「…受験の話をしたんだ、父さんに。最近成績がよかったから、機嫌も悪く無かったし、行きたい高校が見つかった…って」
「うん…」
「それでね、綾音さんと同じ付属の…高校に進学したいって言ってさ、僕馬鹿だからその時に機嫌が悪くなった父さんを察してすぐに謝ればよかったんだよ。どうしてその高校に進学したいの?って聞かれたから、正直に友達と同じ高校通いたいって言ったら…」
「殴られたんだ?」
「……うん、で、でもさ、父さんが正しいと思うんだよ。その時に言われたんだけどさ、僕が着てる服も、ご飯も、住んでる家も、みんな父さんが働いてお金を稼いでくれてるおかげで使えてるわけだから…。だからそんな甘えた理由で私立に行きたいだなんて、僕のワガママなんだよ」
そんなこと無いよ、と否定する。彼は働いたことが無いから労働そのものを神聖視しているのかもしれないが、実際は働き方も職場もてんでバラバラだ。不労所得に近い職業なぞ世の中にはごまんとある。そもそも扶養することが殴っていい理由にはならない。
「仁君のお父さんは親という立場を利用してるんだよ。そもそも―」
「やめてっやめてよっ!」
そう言って耳を両手で塞ぐ彼。いやいやと身振り手振りで私の言葉を遮ろうとする。
「どうしてっ!?今日の綾音さんはおかしいよ…!いつもはそんなことを言う人じゃないのに…っ!」
「……」
「人の親なんだよ…?!そんな言い方しなくてもいいじゃないか…」
少しだけ声に怒気を帯びてきた。自分のことではなく、家族のことを言われたからだろう。だが、私もここで曲げるつもりは無い。
(違うの仁君、私は貴方の誤解を解きたいのよ)
今の貴方が父親を信じていても、将来必ず裏切られることを私は知っている。しかし、そんな酷いことを彼に直接言うわけにもいかない。―決断が迫られている。
以前彼の中に前世とは別個の人格を認め、彼の意思を尊重すると伝えたことがある。彼の意思を無視してまで私に付き合わせることは私のエゴであると。ならば、彼のこれからの人生を想って彼とあの男を引き離そうと思うことも私のエゴなのだろうか?
未来を知る私が本人の意思に背いてまで彼を幸せにしようと思う時、それは傲慢なのだろうか?
「……ごめんなさい仁君、私が間違ってたわ」
…悩んだ末、私は折れることにした。彼の父親、前世の父親を悪く言う時どうしてそれが私情でないと言えるのだろう。私は自分が冷静さを失っていることを自覚したのだ。
「でも仁君、これだけは忘れないで。家に居たくないと思った時には他の…逃げられる場所があるんだからね?私に言ってくれれば、必ず安全な場所を紹介してあげるから」
「うん…」
………
……
…
その後も重苦しい空気が残り続け、結局その日の勉強会はろくに進まなかった。こういう時にアキと響の存在はありがたかったのだが、対抗祭以来二人は色んな所で呼ばれて忙しいようだった。恐らく、もうしばらく二人は勉強会に来ないと思われた。
「…父親、か」
仁君との会話のせいで否が応でも思い出す。あの顔、声を想像する度に、私の中で殺意が鎌首をもたげてくる。
人が自分のことで怒れるようになる条件、それは自分のことを人間扱いすることだ。
その意味で私が怒れるようになったのは高校時代に入ってからだった。年々成長して段々自分の家は普通ではないのかと疑問に感じて来るようになる。癇癪を起した父は暴力を振るい、しばしば私物を勝手に処分したし、食事も気分次第で食べさせて貰えなかった。
ずっとそれが当たり前だと思っていた。それまで虐められ続け、障害で社会から侮蔑され続けて生きてきたものだから、馬鹿にされることそのものが私の基本だった。自分はグズで、価値の無い存在で、論点が違うことでも己は弁護するに値しないと決めつけて吃音と組み合わさって一切の反抗をしなかった。それが当たり前で、大抵身の回りにある不和は自責であると思い込んでいたし、他者に限らず『何か別のものと関わること』自体にいつも申し訳なさと感じていた。
だが、能力の多寡(たか)なぞ所詮は相対的なもの。年を経る毎に父の腰は曲がり、私の背は伸びていく。いつしか能力は逆転し、肉体的暴力が今まで通りには行われなくなっていく。
前世の私は救い難いほど知能が低かったが、それでも父親の怒りの理不尽さに少しづつ気が付いていく。今まで必要のために行われていた筈の叱るという行為は、ひょっとしたら単に腹が立ってやっていただけではないか?そう気が付いた時、今まで感じたことの無いような感覚が湧き上がってくるのを感じた。アドレナリンである。
怒りの解放は段階を踏んで行われた。力関係が逆転してから、口答えする『だけ』で暴力は無くなった。あの男からすればそれは屈辱的な譲歩なのかもしれなかったが、むしろそれが今までの行為に理屈が伴っていないことを示してしまった。一時の判断が、過去の負債に火をつける。それなら今まで素直に聞いていた意味は?私がどうしようもなく間違っていて、親や社会、他人様が正しいからこそ口を噤んできたのにその意味は?理屈が正しく、それが皆の為になると思っていたからこそ己を殺していたのに、その理屈がただの恣意であったのなら?人生が始まってから今までの数十年間の屈辱の意味は?それが、たったの、暴力という実行力を無くしただけで行使されないのだとしたら?この世の誠実を信じていたからこそ、己を呪っていられたのにそれを裏切られたのなら?
それまで一切の責任を己に問うてきた自罰的な思考は、ここに翻って終わりの無い悪意を抱かせた。
もはや目の前の一事毎の理屈に関わっている暇は無くなってしまった。本来、結論と過程は分けて考えられなければならない。嫌いな人間が相手でも、指摘が正しければ己を律し受け入れなければならない。だが、ここにきては寝ても覚めても復讐が頭をちらついてしまう。目に付く全てに報復を願うようになってしまう。倫理的価値意識があったからこそ、その報復に悦楽を感じるようになってしまう。
きっかけは些細なことと言えば些細なことだ。父親は会社を経営しており、ある程度までは上手く行っていたらしい。だが、私の高校時代に不況の中であえなく事業を縮小。やがて母親の給料を使って経営をやりくりするようになった。それまでこれ見よがしに自分のお陰で食えているのだと威張っていたのに、転んだ途端に自信が無くなったのか卑屈になり始めた。
あらためておかしな話だが、私にはこれが裏切りに見えた。虐待の正統性が子供の矯正で担保されているのなら、その矯正を行うだけの自信を失った彼は虐待の罪を認めたように思えたのだ。
「お前が何を言ったところで、親である俺が居なかったらお前は生まれて無かったんだぞ」
彼はこの言葉を、せめて生に価値を見出す人間にのみ言うべきであった。私に価値なぞ無い。憎い人間と刺し違えることができれば、嫌いな自分をまとめて消せるのだから一石二鳥とさえ思えた。
目の前にあったガラス製の灰皿、思いっきり鼻っ面に叩き込んでやった。転倒したアイツに馬乗りになって続けた。手で顔を庇われていたせいであまり傷つけることが出来なかったけれど。
あの日のことを私は今でも後悔している。復讐したことをではない、最後までキッチリ殺さなかったことをだ。
隣に居た母親は途中で止めに入ったが、一度タックルして転ばせたら腰が抜けたのか、その後私が逃げるまで邪魔はしてこなかった。
母は理性的な人であったように思われる。ただ、仕事に夢中で子供にあまり興味は無かった。時代が要請した働く女性のモデルケース。女性の自立は必要、それはいい。だが、生まれてくる子供にとって女性が母性を捨て去った時、子供はどこへ行けばいいのだろう?
人並みに心配してくれることも無くは無かったが、心配していれば虐待を見逃してもいいのだろうか?面白いね。
目の前で怒鳴ってやると、漫画やアニメのフィクション表現みたいにぶるぶると震えていて滑稽だった。縮み上がるという表現は誇張のようで、その実正確だったのだ。快感を覚えると共に何故か悲しかったけれど。
その後は家を出て以来実家とは一切の連絡を絶っている。高卒として働き、学歴欲しさに夜間大学へ通い、そこで哲学の授業を受けてから自分の感情に言葉を与えられるようになった。その後愚かのままに孤独に死んだが。
私が鳴上綾音として生まれてなお、この殺意は色あせてはいない。
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