第25話 終わりの始まり




 対抗祭も無事大団円を迎え、会長に深く感謝された翌週の日曜日。私と仁君は二人だけで都心の映画館に来て上映時間を待っていた。


 「受験しようと思うんだ」


 衝撃で手に持っていたレモンティーを落としかける。聞き間違いかな?今受験しようという言葉が聞こえた気がする。


 「ジュケイン…?」


 「受験だよ、受験!」


 ここの所二人きりでいられる時間が少なかった。埋め合わせの為に誘ったデートだったが、まさか誘った私が驚かされることになるとは思いもよらなかった。


 「な、何で…どうして、いきなり…」


 「その、この前綾音さん達と一緒に球場で応援したでしょ、それがなんというか…凄く楽しかったんだ。」


 そう言って照れるように鼻をかく彼。続けて言うには、私達に追いつくためにも同じ学校に通い、もっと友達として同じ時間を一緒に過ごしたいとのことだった。


 「今でも十分すぎるくらい幸せだけど、文化祭とか、体育祭とか…そういった行事が一緒にできれば、もっと楽しくなると思ったんだ」


 前世の私には人間関係が苦痛でしか無く、だからこそ文化祭や体育祭といった行事や集団行動そのものを避けてきた。だが、心通う者同士で行うそういったものが、本来は楽しいものであり、彼自らそれを欲することは共感することの意味と価値を知りつつある証のようにも思えた。


 「綾音さん達と同じ学校に通いたい…こんな理由で受験するのって、やっぱり不純かな?」


 「そんなことない、そんなことないよ仁君!」


 私は嬉しかった。少しづつだが、確実に運命が好転している。


 運命という言葉は人間一人が自らに抱く期待とその成就を表す。だが、辿ってきた道を振り返ってきた時、それが誇らしいと思うことが正道であるのならば、その逆に卑屈さを覚えて自身の破滅を願うことだってあり得るのだ。それが前世の私であり、最後には死の床で後悔するような…そんな運命だった。


 だが、目の前の彼といったらどうだろう。前世の私がつまづいた様々なことを乗り越えて、今は更なる高みを目指そうとしている。ずっと一緒にいる彼が誇らしかったし、何よりこういった挑戦を自らの意思で試みてくれたことが嬉しかった。


 「いいと思う、凄くいいと思うよ仁君!私も手伝うし、きっとみんなだって協力してくれるよ!!」


 「あっ、いや…綾音さん達も自分の受験があって忙しいだろうから、手伝って欲しくて言ったわけじゃ無いんだ。ただ気持ちを伝えたかっただけというか…最近は一人で勉強できるようになってきたし…」


 彼の言っていることは本当だ。2年生1学期の中間テストは今までより輪にかけて良くなっていた。殆ど満点に近い点数を取っている。大分学習のコツや要領が掴めてきたのだろう。


 「ううん、私たちは殆どエスカレーター式に進学するから受験は無いようなものなの。普通の受験生たちが忙しい時期に、むしろ私たちは暇を持て余すことになると思うよ」


 「えっ…そうなの?」


 勿論アキや響の進路にもよるが、うちの中等部で外部校に進学する人は全体的に見ればかなり少ない。それに、あの優秀な二人が今更勉強に遅れを取るとも思えなかった。


 私?受験どころか高等部で学ぶことすらもう殆ど残っていない。早く大学へ進学して、堂々と好きなことを研究したいと思うのは流石に気が早いだろうか。


 「それに、私は好きで仁君と一緒にいるんだよ?今更水臭いこと言わないでよ」


 そういって腕に抱き着いてみると、面白いくらい彼が跳ねる。こうしていると傍目にはカップルにしか見えないだろう。


 「あ、あ、あ、綾音さん…っ!×◇っ▲が〇◆~~~!!」


 「えへへ~、へっへっへ~」


 やっている私自身かなり恥ずかしいが、最近彼の周りには色んな女子がいる。今のうちに私の匂いを擦り付けて、間違えても他の女が寄り付かないようにしなければならない。


 「仁君、このレモンティー美味しいよ?一口飲んでみなよ」


 「えっ…あ、ありがとう…」


 そう言って密着する私に戸惑いながらも、自分の飲み物からストローを移そうとする仁君。蓋からストローが外れた瞬間を狙い手刀でストローを落とさせる。


 「えっ」


 「やだなぁ仁君、ストローならもう付いてるよ?」


 脇に置いてあるストローケースを手でどけながら笑顔で促す。これで仁君は私の使ったストローを使わざるを得ない。


 数十秒程固まる仁君。が、とうとう観念したのか神妙な顔をすると、私のレモンティーに刺してあるストローへ触れるように口づけする。中の小金色の液体がつうっと管を通って彼の口内へと入っていく。


 「キャーッ!間接キスだなんて仁君大胆過ぎるよっ!」


 「……」


 そんな風に二人で楽しく過ごしていると、あっという間に上映時間になる。楽しくも愛おしい時間よ、どうか止まれ。この一瞬こそが永遠なれ。




………

……




 「いい映画だったね…」


 「…うん」


 上映終わりの余韻が残る、何とも言えない空気の中、私たちは昼食の為にイタリアンのお店に入る。割とおしゃれな店だが値段も高くない。仁君も気にせず注文できるだろう。


 それにしても…掛け値無しに良い映画だった。国外で著名な映画賞を受賞していたが、あの出来ならそれも納得だと思う。先の読めない展開とコミカルな進み方、そして映画が訴えかけてくるテーマ性。現代の時流に合っている点も素晴らしい。まごうこと無き傑作だ。


 「……」


 上映後から仁君は何かを考え込んでいるかのか、とても静かだ。さっきの映画について何か気に入らない点でもあったのだろうか?もしも悪く言う感想だったら嫌だなぁと思っていると、突然あっと何かに気がついたような声を上げる。


 「綾音さん…もしかしてだけどさ、いや、作者じゃなくて僕が勝手に言うことだから、監督が思った本当のことじゃないかもしれないけど…」


 「うん、大丈夫だよ。感性は人それぞれなんだから、仁君が思ったことならどんな感想でも私聞くよ?」


 「ありがとう…映画の中でさ、石が出てきたじゃない」


 「石…?ああ、確かに出てきてたね」


 そういえばと思い出す。作中では主人公の下に石が届けられる所から映画は始まる。何の変哲もない大きな石。ただそれをくれた友人の話では幸運を運んでくれるという曰く付きの石だ。


 映画のストーリーはひょんなことから不幸な家族が幸福になろうとする話。随所で確かに石は出てきたが、結局なんの為にそれが出てきたのか私には分からなかった。そういえば何故あの石は出てきたのだろう?


 「僕さ、あの石は希望だと思ったんだよね」


 「希望?」


 「うん、主人公たち家族の状況が好転したのってあの石が届いてからじゃない?辛い時も手放そうしなかったし、ラストシーンにも出てきた」


 「…そういえば、そうだね」


 映画監督が抽象的な主張を伝える為にメインストーリーとは別に一手間細工することはよくある手法だ。ひょっとしたらそうなのかもと思いかけたが、一つ疑問が浮かぶ。


 「でもあの石はさ、最後まで主人公が持っていたせいで大けがしちゃったじゃない。希望って捉えるのはどうなんだろう…って私は思うよ。それに、あの石だけ何だか妙だよ」


 どうしてか、作中では主人公だけがその石に固執していたように思う。周囲の人々や家族は現実を見据え、いわば登場人物たちの行動として説得力のある描写がなされていた。だが、その石とそれに関わる主人公だけが妙に作品全体から浮いている。主人公がそのせいで終盤怪我を負ったことからも含め、不自然であるとしか言いようが無かった。


 「それなんだけどね、ほら、最後のシーンで主人公がその石を持って恵まれない人に持っていくシーンがあるじゃない?あれってもう自分が幸せになったから、それを人にあげようとしたからだと思うんだよ」


 「……!」


 不可解だと思っていたシーンが途端に意味を受け入れる。点と点が頭の中で線になって繋がっていく。


 「でもさ、それって凄く傲慢なことじゃない?だって本当に恵まれない人を助けたいのならお金をあげたり…ううん、せめて存在を認知してあげるだけでもきっと救えたはずだよ。それなのに、わざわざ言い伝えめいた石をあげることで救おうとするなんて、自己満足で嘘っていうか…、持つ者による持たざる者への傲慢でしかないよ」


 持つ者による持たざる者への傲慢。私たちの関係を言われている訳でもないのに、その言葉が酷く衝撃的に感じてドキッとしてしまう。


 「だから…希望って綺麗な言葉の表の部分だけじゃない、人によっては酷く傷つける裏の意味を含めて希望なんじゃないかって思ったんだよね。持つ人も持たない人も、中身は悲しいぐらい似てるのに、対極の場所にいて…信じられないぐらい断ち別れていて…」


 「…仁君、それ…自分で考えたの?」


 「う、うん…見当違いだったかな…」


 はっきり言って私は恐怖していた。前世でこの時代の私はとんでもなく子供で、未熟だった覚えしかなかったからだ。何時の間にこんな論理的に、物事を考えられるようになったのだろう?


 「えへへ…国語の授業でさ、よく作者の気持ちを考えなさいって問題されるじゃない?それでさっきの映画を作った人の気持ちのことを考えてみたんだ。どうかな?」


 「…当たってると思う。いや、凄いよ仁君。ちょっと映画が好きな私でも気がつかなかったかな」


 「ほんと!?えへ…嬉しいな」


 どうやら私が思っている以上の早さで彼は成長しているらしい。喜ぶ仁君を眺めながら、彼以上に興奮している自分に気がつく。彼なら前世の私だけじゃない、今世の私だって超えられるかもしれない。


「一緒の学校に通いたいね、仁君」


 楽しい週末を終え、また今度と言って別れていく。会うたびに彼が成長している。話すたびに彼が凛々しく思えてくる。別れたばかりなのに、早くまた会いたいと我儘なことを考えてしまう。


 (きっとまた今度出会う時、彼はもっと成長しているんだろうな…彼には元気で、健やかであって欲しい)


 だが私のこの期待は最悪の形で裏切られることになる。


 次に出会った時、彼の顔にはあざが出来ていたのだ。大きく腫れ、生々しくも痛ましいあざが…。

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