第24話 熱い血潮
銀の雲が漂う5月の中旬。私たちは球場下の控室に集まっていた。
「みんな準備は出来た?」
「そりゃできたけど…本気でコイツに手伝わせる気?」
「あはは…部外者だもんね、僕」
「いいじゃないですかアキさん、私の練習に長いこと付き合ってもらってるんですから、仁さんはもう部外者じゃないですよ」
「そうよ、私も仁君が居ると嬉しいよ。正直演奏中に隣に居てくれると思うだけでテンション爆上がりよ?」
「…殆ど鳴上姉妹の私情じゃない、まぁいいけど」
実は理由がそれだけということは無い。試合当日が近づいてからある仕掛けを行うにあたって人が必要だと気づいた私たちは、それを仁君に頼むことにした。仁君は響の練習にも大分手伝ってくれたようだし、音楽機材の扱いにもこの一月で大分慣れているのが分かっていたから、故あらば手伝いたいという彼の申し出をありがたく受けたのだ。
(でも正直意外だな。前世では音楽について殆ど興味を持たなかったし、楽譜だって読めなかった)
当たり前の話だが、私は彼の24時間全てを把握している訳ではない。音楽を嗜む私たちに影響されて興味を持ったといえばそれまでだが、機材に進んで触れるほど関心を抱くなんて私の知らない何かがあったのだろうか?
横目に見る彼の顔からは上手く感情が伺えない。少し前までなら彼の考えていることは何でも分かったような気がしたけど、今はちょっぴり自信が無い。
「姉さん、そろそろ…」
「うん、移動することを考えないとね」
野球の試合はどうしたって3時間近くは掛かる。そのため最初から最後まで演奏することは難しいと判断して、試合が佳境になるまで待っていたのだ。さっきから頭上の観客席が騒がしいが、何かしらの展開があったのだろう。負けてないといいけど…
「おファーック!!」
…今歓声に混じって永田会長の悲鳴が聞こえた。負けてるのか…。そういえば試合前日にチームの中核選手が事故で怪我したとか言ってたな。仕方がない、少し急ぐか。
「よしっ!みんな手を貸して!!」
全員と顔を見合わせて気合を入れる為に手を繋いでいく。最初は成り行きだったが、曲がりなりにもこの一か月で4人が一つの目的の為に一丸となったのだ。どのような結果に終わるとしても全力を尽くさねばならない。
「ちょっと待って…田村!早くこっち来なさいよ!!」
「え?ぼ、僕も…?」
「当たり前じゃないですか、仁さんがいないと始まりませんよ」
「バックアップは頼んだよ仁君っ!」
全員で右手を重ね、一念にて叫ぶ。
「五十八校中等部、臨時応援団!行くよッ!!」
「「「オウッ!!」」」
………
……
…
(ふぁ…っ!こりゃこのまま圧勝かな)
周囲に気が抜けたことが伝わらぬよう必死にあくびを噛み殺す。今まさに五十八校を相手している対戦校、八十二校の生徒会長だった。
(正直僕は野球が詳しくないんだが、それでも余裕を持って勝っていることくらいは分かる)
既に回は5回の表を終えて後半戦に移っていた。観客席から見える電子のスコアボードには5-0と記されている。ウチが大勝しつつあるのだ。
野球は打って、投げて、走るスポーツ。野球部員からはそう聞いていたが、我が八十二校側の投手が投げる球を相手は殆ど捉えられていない。一球投げる毎にズバンズバンと凄い音がするから、相手の打者がへぼいというよりかはウチの投手が凄いのだろう。
(父さんには何が何でも勝てとは言われたけど、こりゃわざわざ手を回す必要も無かったかな)
八十二校生徒会長である彼は永田白子と同じように学園の理事長を親に持ち、また同じようにこの中等部対抗祭に勝てと親から指示されていた。しかし、似た境遇にあって彼と彼女には明確に異なる点があった。それは―――
(わざわざ出入りの業者を買収するまでも無かったかな)
―――スポーツマンシップという概念を全く理解していなかったということ、そして身近にいない相手には何処までも酷薄であったということだ。
五十八校野球部が普段使う部室に資材が積みあがっていたとする。これがほんの少し、普段よりほんの少しだけ高く不安定に積みあがっていたとして、いったい誰が気がつくだろうか。たまたま部室にきた野球部員が崩れた資材の下敷きになったとして、一体何故事故でないと言えるだろうか。
選手を怪我させたという証拠は出ない。何故なら、『日頃出入りしている業者が少し奇妙な積み上げ方をした』というだけで、不幸な事故以上のものを立証できないからだ。そこに悪意は認められないし、よくある偶然、よくある不運なのだから。
(ま、僕にいわせりゃ玉遊びなんかに興じてるのが悪いんだよ。ヘラヘラ遊んでるから罰が当たったんだろうな)
こいつらはテストで悪い点を取ったり、親の言うことを聞かなかったりしても、家で監禁されることもなければ食事を床にぶちまけられることも無いのだろうな。お気楽で、お幸せな連中だ。そう思いながら眼前の選手達を敵味方関係なく侮蔑する。
アルカイックスマイルを変えぬまま少年は憎悪に身を焦がす。それを自覚することは無かったし、あくまで自分が正しいことを疑わなかったが。
(…ん?なんだあの連中は?)
ふと向かいの席、五十八校側の応援席に女3人、男が1人の男女が何かの準備をしている。手には…楽器を持っている?
予め設置してあったスピーカーの電源がついて音が鳴る。試合展開に諦めと退屈を覚えていた球場が一瞬どよめいた。
周囲の注目を一身に浴びる一団。金髪の女子が一歩前に出て、手に持ったギターをかき鳴らした。
(―――っ!?)
音が、風が、空間が切り替わる。残留していた一切の過去は旋律により断絶されて空高く舞い上がっていく。
空気の振動は聴く者の心を震わせて調べとなる。奏者の操る手先の細さよ、その体躯の頼りなさよ。だが、それが信じられない程巨大な爆発が、空間を通して拡散されていく!紛れもなく、今この空間は彼女達が支配したのだ。
観客はおろか選手たちも瞬時あっけに取られたか、一様に動きを止めていたが相手打者が何かに気付いてか打席へ向かっていく。
(チッ、なんだあの騒がしい連中は…)
内心悪態をついて回の交代を眺める。あんな連中がなんだというのだ、応援一つで今更何かが変わるわけではあるまい。演奏してる曲も大したことがない、最近よく聴く流行のポップ・ミュージックだ。
―――だが
(なんだ…なにがどうなってんだ)
既に打者がバッターボックスに立ってから10球以上が投げられている。3ボール目を数えてから、投手は際どいストライクゾーンを投げ続けてはいるがその全てを打者がファールにしているのだ。
マウンドに立つ投手が汗を拭う。先の打順ではこの選手はこんなにしつこい選手だったか?こちらの球威をものともせずに全てカットされている。マウンドに立つ者のプライドが刺激されて、つい指示にそぐわぬ投球をしてしまう。
「―ッ!」
打たれた瞬間音からヒットを確信する。五十八校側のベンチが歓声に沸いた。塁に人を出されたのだ。
また新たな打者がベンチから送り込まれる。その瞬間、球場が先ほどまでの空気とは別の空気に切り替わっていることに気がつく。『別の音楽』が新たに流れていたのだ。
………
……
…
手品のタネは演奏している曲の種類にあった。
(―見えた!次、7番バッター!!)
演奏に集中している3人に代わり、双眼鏡でバッターを識別した仁がサインを出す。
次に弾くべき曲を知らされ、高坂アキが新たに曲を切り替える。それに気がついた鳴上姉妹も即座に対応する。
彼女らはあらかじめ五十八校野球部から、控え選手を含んだ16名全員分の『希望する曲』を聞き、楽譜を揃えて練習していたのだ。
選手一人一人に合わせた専用の応援歌。プロの野球観戦をしていた時に思いついた、全員が卓越した奏者だからこそ可能となる技術と才能と努力の暴力。
(この曲は…これっ!)
特に鳴上綾音のそれは常軌を逸していた。曲ごとに近くへ並べている専用の楽器に持ち替え、アキと響に不足している音を補うという行為。曲にエレキベースが必要ならエレキベースを、ドラムが必要ならドラムを、必要な音を逆算して曲を組み立てていく。この奇策の根源であった。
野球部員達が望んだ曲は多義に渡り、ジャンルも曲調も皆バラバラだ。今流行のJポップ、アニメソング、親の影響からか80年代の流行歌、中にはマイナー過ぎて楽譜が見つからず、この日のためだけに耳コピして作ったものまである。
それら全てが、望んだ彼らが打席に立つ時のみ演奏する。この応援は彼らだけのものであり、この空間は彼らの為だけに存在する。
野球とはチームプレイである。一人がみんなの為に、みんなは一人の為に。勝利に必要な要素とはチームが一丸となり、全員が同じ目標を掲げて協力一致することにある。それ故、しばしば野球部では部の規律と結束の為に丸刈りなどで個性を消し、選手たちを没個性の中で競技することを強いることになる。
だが、没個性であることは賞賛を望まないことを意味しない。むしろ、没個性であることを強いられるからこそ、彼らは誰よりも個人として賞賛されることについて常に飢えている集団なのだ。
打席に立つ者は自らが主役であることを自覚する。己の望んだ音律を聴いて否が応でも気分が高まっていく。これだけのものを人数分用意するのはしんどかっただろう。時間も無かっただろう。彼女達は自分たちの為だけにこの曲を練習し、今を支えてくれているのだ。
加熱した戦いは熾烈な打撃戦となった。怒涛の追い上げを見せる五十八校と、それから逃げきろうとする八十二校。そして互いに死力を尽くした終盤戦、走者が溜まりチャンスが巡ってきた時、五十八校側監督は代打バッターを指名する。
交代した選手は打席に向かっている最中に、今日初めて聴く旋律を受けて目頭が熱くなった。
これは紛れもなく自分が希望した曲だ。スタメンでも無く、交代されるかどうかも分からない自分の為に練習してくれたのだ。あるかどうかも分からなかったこの時の為に!
これで打たなければ全て嘘だと思った。今日までの練習も、辛い日々も、全てが嘘になってしまう。…そして彼女達の応援も嘘になってしまう。それだけはいけない。ここまで応援してくれている人達の期待を裏切ってはならない。
だから、打たねば。
全身にかつて感じたことの無い血潮が駆け巡っていくのを感じた時、それまで何千回と繰り返されたフォームで白球を捉えた。
打球はスタンドへ向かってどこまでも、どこまでも高く飛んで行った。
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