第23話 劣等




 その日僕と響ちゃんは鳴上家離れの一室に居た。他の部屋にあるような調度品は無いが、音楽機材のようなものがそこかしこにある。まぁ教養も音楽知識も無い僕にはどれも高級そうだなぁということしか分からないのだけど。響ちゃんの話ではここは防音室なのだという。


 「…それで響ちゃんも練習に加わってるの?その、キーボードってやつで」


 「はい、この楽器とは違いますが昔からピアノは習ってましたし、私も音楽が…まぁ、嫌いではないです」


 今度姉と共に学校で試合の応援をする為に演奏するからと言って鍵盤を触る彼女。綾音さんから渡すように頼まれた楽譜は追加分だけで数十枚もあり、音楽を全く知らない自分からしてもとんでもなく大量に見えた。


 「よっ…!」


 小柄な体で機材を組み立て用としているのが大変そうで手を貸す。綾音さんと彼女は一つ違いだが、モデルのような体型をしている姉とは違い大分小柄だ。


 「ありがとうございます、仁さん」


 日頃お世話に彼女達にはお世話になっているのだ、これぐらいどうということはないと返す。どうせ皆練習で忙しいのだ、他校だからって僕だけ蚊帳の外というのも悲しいし、積極的に協力するよと申し出る。


 「…本当なら遠慮しなきゃなのかもしれませんが、正直助かります」


 綾音さんと高坂さんは学校に用事があるとかで今日は来ない。その後も響ちゃんの練習を手伝い続けた。




………

……




 「すっごい上手なんだね、僕感心しちゃったよ」


 練習を終えた彼女に自然と湧いた気持ちを言葉にする。普段テレビとかラジオで聞いている音楽が、実際目の前で演奏されるとこうまで迫力が出るものなのかと感心してしまった。思わず拍手まで出てしまう。


 「…ありがとうございます。でも、私なんか全然ですよ」


 その言葉が謙遜や照れ隠しなどではなく、本心からのものだと口調で分かる。音楽の授業で先生や同級生が弾くピアノよりずっと上手だったと伝えると、彼女は困り眉を作りながら悲し気に微笑んだ。何かおかしなことを言ってしまっただろうか。


 「私の演奏はただ楽譜をなぞってるだけですから」


 …よく意味が分からない。それって悪いことなのだろうか?


 「仁さんも…姉さんの演奏を聴けばわかります。観客として聞く分には幸せですけど、一奏者としては『あれ』を知って自信を失わないことはあり得ません」


 何か地雷を踏んでしまったのか、どんどん響ちゃんのテンションが下がっていってるのが分かる。僕は慌てて話題を良いものに変えようとして、この前綾音さんとサメの映画に行った時に、響は作曲に才能があると彼女が言っていたのを思い出す。


 「で、でもさ、一口に音楽って言っても色々あるんじゃない?ほら、演奏だけじゃなくて…指揮とか、作曲とかさ。誰だって得手不得手あるんだし、きっと響ちゃんが得意な音楽があるよ」


 傷つかないようにそれと無く伝えた…つもりだが、なんだろう、それを聞いた彼女はますます険しい顔をしている。地雷を処理するどころか、複数まとめて踏み抜いてしまったようだ。


 「指揮は分かりませんが…作曲…作曲ですか、確かに好きです。でも、今にして思えば決して演奏で勝てない姉さんから逃げるようにして入った世界なんだと思います。それに、そんな不純な動機で入ったからか、今では怖くなってしまいましたし」


 「怖くなる?」


 「何というか、その、自分が良いと思った曲が思ったより人にウケなかったりするんです。勿論私に指導してくれる先生には大抵良さが伝わります。姉さんもいいねと言ってくれて頭を撫でて貰ったりします。でも、一度ネットに投稿したことがあるんですよ。投稿サイトみたいな場所があって、何時でもそこには色んな人がいて、誰でも自由に投稿できるんです」


 そうなんだと相槌を返すも僕にはよく分からない。いまいちイメージがつかめなかったし、そもそも音楽のこともよく分からないからだ。だが、何となく彼女がそれを喋りたがってる気がしてそれでどうなったのと続きを促す。


 「最初投稿する時は私何だか楽しくてですね、投稿しようって決めてから自分を落ち着かせる為にネットは電子の広大な海なんだし、見る人も膨大なら曲を発表する側も膨大だからまぁ駄目だろうなと思って自分に言い聞かせてたんです。でも裏腹に過剰に評価されたがってる自分もいて、これで誰かに曲を請われたり、有名になったらどうしようってバカみたいに期待して中々寝付けなかったんです。ふふっ、友達と行く遠足ですらこんな気にはならなかったんですけどね」


 一息おいて何かをためらったような仕草をした後、彼女は言葉を続けた。


 「全然ダメでした。アクセスカウンターっていう見てくれた人の回数が表示されて、何人が自分の作詞を見てくれたか分かる場所があるんですが10人にも届かなかった。私はすぐに作詞だけだから曲の良さが分からなかったのだと思い、自分で演奏したものやボーカロイドといって女の子を模した機械に演奏記号を打ち込んで歌わせたものを投稿したんです。それでも少し見てくれた人が増えただけだった」


 「その時思ったんです。自分がいいと思う音楽なんて普通の人には良さが殆ど伝わなくって、それを伝えるだけでも大変な苦労をしなきゃならないんだって。私の曲が好きって言ってくれたコメントもあったんですけど、それだってボーカロイドに歌わせてから貰ったコメントです。私の曲なのに、機械の彼女を通してでしかその言葉を貰えなかった。私が演奏した時には言わなかったくせに、私が考えた曲なのに…っ!」


 声が震えてきた彼女の背に手をやる。慰めの言葉を伝えようとしたが、なんだかどれを言っても嘘になるような気がして何も言うことができない。


 「私は凡人なんです!姉さんみたいにまず自分があって、それを聴かせるために卓越した技術で人を自分の世界に引きずり込むような共感を生み出せるわけでもないし、アキさんみたく誰から共感されなくても弾き続けられるような強さがある訳でもない。音楽は好きで、作詞はもっと好きだけど、それが誰の目にも止まらないことが怖くて怖くて仕方がないんです!まるで私の『好き』が世界に必要ないと言われているみたいで…それが、どうしても怖くって!!うっ…ひっく…うぅ…!!」


 とうとう泣き出してしまった彼女にハンカチを渡す。以前綾音さんから男の子も身だしなみの為に持っていた方が素敵だよと言われてからハンカチを持つことは習慣だった。まさかこんな時に役立つとは思わなかったが。


 「分かってるんです、まずは分かりやすくなきゃ誰の目にも止まりはしない。でもっ、誰でも分かるように己を曲げれば曲げるほど、その度にどこか虚しさを感じてしまう…っ!己という自我をさらけ出さなきゃ表現にならないのに、その自我を自分で否定しているようで!私の一番柔らかい場所を自分自身で踏みにじっているようでっ!!」


 「もういい、もういいんだよ響さん」


 彼女達が歩む音楽という道がいかに厳しいものだとしても、13歳の彼女がここまで苦しまなければならない理由が一体どこにあるというのだろう。悲痛な彼女の告白を止めさせて、ひとしきり涙を流させた後に落ち着かせようと試みる。


 多分彼女のこの思いは長い年月をかけて少しづつ積もっていったものなのだろう。綾音や響という名前や、この防音室といった環境を見るに、彼女達が音楽を好きであろう親の期待を背負っていることは見て取れた。それが今回、応援団の欠員を埋める為に誘われたことがきっかけでこれまで耐えていた何かが弾けてしまったのだ。


 「響さん、もう辞めようか。辞めてもいいんだよ、綾音さんには僕からも話すよ」


 驚いたような顔をする彼女に僕は言葉を重ねる。


 「僕は音楽のことが何一つ分からないから、気持ちが分かるなんて言えないよ。でもね、一つだけ言えることは、人は誰かと比べられること自体とても苦しいことなんだと思うよ」


 今でこそ綾音さんのおかげでまだ人がましく振舞っているが、僕はいろんな面で人と劣ってるのだと思う。馬鹿にされて、傷つけられて。でも、母親に障害のことを話すと決まって自分よりももっと重い障害の子の話をされる。きっと障害者福祉に携わる人からすれば僕なんて甘えただけの只の子供なのだろう。


 だが、あったことも無い人たちと自分を比べて何になるというのだろう。母さんからすれば大したことは無いのかもしれないけれど、自分の障害が普通の人に馬鹿にされたり虐められてることが僕の世界の全てなのだ。綾音さんと出会うまでは他のどこへも行けなかったのだから。


 「だから逃げていいんだよ、ずっと辛い思いをすることは無いと思う」


 自分には思いもしなかった言葉を彼女に伝える。ここまで傷ついてどうしてこの道を歩く必要があるだろう。腕の中の彼女はこんなにも小さく弱弱しいというのに。だが、ぐしと涙を拭いた彼女は強く首を振って否定の意を伝えてきた。


 「……いえ、いいんです泣いたらすっきりしましたから」


 「響さん…」


 「ふふ、我ながらどうかしていました。今日のことは姉さんには内緒ですよ?」


 そう言ってまたキーボード前の椅子へと戻って行く。一体何が彼女にそうさせるのだろうか、この小柄な彼女の体にどうしてここまでの強さが宿るのだろうか。あっと声を上げた彼女が何かを思い出したかのようにこちらを振り返る。


 「その…ありがとうございました。こんなこと誰にも言ったことは無かったんですが、聞いてもらって、気持ちを受け止めてもらって…その、凄く気が楽になって…嬉しかったです」


 赤くなった顔で小さくそう言った後、鍵盤に手を重ねて音を紡ぎ出す。気丈に振舞う彼女が、そこまでして打ち込める何かがあることが、僕にはどこか羨ましい気がした。

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