第17話 打てば響けや人の和よ(後編)




 栗色のショートヘア。ぱっちりとした大きな目。僕は鳴上さんとどこか面影が似る小柄で可愛らしい女性を紹介されていた。


 「は、初めまして…鳴上響といいます」


 そういっておずおずと姉の後ろから顔を出してくる。その仕草が幼くて同じ姉妹でも一つ違いで随分気質が違うのだなと思う。


 (…いや違うか、どちらかと言えば鳴上さんが大人っぽすぎるのかも)


 そう思い改めて鳴上さんに紹介された子へ挨拶を返す。


  「っじめまして、田村仁…です」


 まだぎこちなさが残るが、小さく縮こまっていたその子から会釈を返されたことを考えれば挨拶は通じているらしい。うん、いいぞ僕。


 彼女を入れて3人で部屋中央の椅子に座り、しばらく何気ない話をする。部屋の時計をチラリと見た鳴上さんに促され、妹の方は申し訳なさそうに持ってきた勉強道具を机に広げる彼女はやはり内気な性格のようだ。


 「それじゃあ響、ちゃんといい子にして教えてもらうのよ?仁君悪いけど後は…」


 「うん、任せて」


 一も二も無く了承する。今日は妹である響さんの宿題や勉強をみることを大分前から頼まれていたのだ。


 この家に来てからハウスキーパーさんが居たり、これだけ大きな家なら家庭教師の一人や二人ぐらい簡単に付けられそうな気はしたがそれはそれ。きっと彼女なりの用事があって忙しいのだろう。


 「ありがとう、3時になったらおやつを持ってくるからね、よろしくね」


 よほど信用してくれているのか、あっさりと部屋を出て自分の部屋に他の二人を残す鳴上さん。期待には応えないといけない。


 (…でも本当に僕なんかにできるのかな?うぅ…鳴上さんが居なくなった途端不安になってきた)


 弱気になるが、この子に不安が伝わってはいけない。心の中だけで頭を振って気を取り直す。正直頼まれた当初は人に教える自信も無いし断ろうとも思ったのだが、普段彼女のお世話になっていることを考えると頼み事はどうしても聞いてあげたかったのだ。


 「それじゃあよろしくお願いします」


 「あっ、うん…よろしく」


 忠実な子犬のようにぺこりと頭を下げて来る。この末妹は姉からなんと言われているのか分からないが、かなり従順だ。どこまでやれるか分からないが、今日の為に準備してきたこともある。限られた時間の中でなるだけ役立とうと思った。






                ◇






 「そこはさっきの問題と似ていて…こうすれば解きやすいよ」


 「な、なるほど…!ありがとうございます」


 始めてから1時間半ほど経ち、思った以上に自分が順調にやれていることに気がつく。年下の子に教えるにはどうしたらいいか元教師であった祖父にはあらかじめ聞いていたし、いま彼女に教えている場所はほんの数か月前に小学校の復習として彼女の姉から教わった箇所だ。何度も間違えただけにその箇所の答えも、分かりやすい教わり方も熟知していた。


 「田村さんは凄いですね…姉さんからもよく教わるのですが、それ以上に分かりやすいのです」


 彼女以上というのは流石にお世辞だと思うが、自分で驚くほど教えることができているのも事実だった。


 (楽しい…)


 自分の思わぬ感情に気がつく。自分のかつてつまづいた場所、学んでも幾度となく忘れてしまった後悔、そういった負の経験が人に教える際役立つ時がある。もしも自分が優秀な人間だったら間違える側の気持ちも分からないし、きっと寄り添うような気持ちで教えることもできなかっただろう。


 「すみません、ここの所が良く分からないのですが…」


 「ああ、そこは難しいよね…ちょっと待っててね」


 聞かれた問題がイメージしやすいように図を引いて説明する。この短時間で遠慮なく質問してくれるぐらいには彼女の緊張や遠慮はほぐれていたし、どれだけ単純なことを質問しても構わないのだと伝えてもいた。これは普段彼女の姉に勉強を教わる際、されて嬉しかったことの再現でもある。どこかに無くしたパズルのピースが偶然見つかりハマったかのような心地だ。


 情けなく、バカで、非力な自分が人の役に立つ。この世に存在してもよいのだと許しが与えられたようで、それは何よりも代えがたい充実さだった。


 (何もかも鳴上さんのお陰だな)


 心の中で彼女に感謝する。きっと自覚が無いだけで彼女のお陰で助かっていることは山ほどあるのだろう。どんくさい自分が仮にこれから見捨てられるようなことがあろうとも、彼女への感謝だけは忘れまいと心に刻む。


 「ありがとうございます。ここまでしてくれるなんて…もしも田村さんが家庭教師だったなら、きっと姉さんと同じ中学へ進学することも簡単だと思います」


 「そういえば君が通っている学校って…」


 「五十八舎です。姉も同じ系列の中学へ通っていますので、また小学校の時と同じように一緒に登校したいのです」


 (五十八舎…?)


 受験などに縁が無かった自分だが、先日テレビ番組で同じ名前を聞いたような気がする。確かとんでもないエリート校だと紹介されていたような…。


 「……」


 「…?、どうかされましたか?」


 「いや、僕は凄い子と一緒にいるんだなぁと思ってね」


 「フフ…私なんて姉さんに比べたら大したことありませんけどね、この前なんて…」


 先日チェロのコンクールで十数回目かの賞とを取り、本人は表彰状を部屋に飾ることは好まないので倉庫の一角が埋まってしまったと彼女は話す。姉のことを語る彼女は実に楽しそうで、強い親愛の情を感じさせた。


 「鳴上さんは…あ、ごめん」


 姉のことを語ろうとして普段通り氏で呼んでしまう。彼女ら姉妹は同じ鳴上なのだから紛らわしくなってしまう。


 「私のことは響でいいですよ」


 「えっ…でも」


 「田村さんの話はよく姉から聞いていますし、どうぞ気兼ねなく呼んでください」


 穏やかな表情でそう微笑んでくる。お世話になっている姉よりも早く妹の方を先に名で呼ぶのはどうなのかと一瞬思ったが、せっかく寄せてくれた信頼を無下にしたくはない。


 元より姉を未だに名で呼ばないのは惚れた相手にお世話になりっぱなしで申し訳無いという見栄が半分、単純に気恥ずかしいというのがもう半分。彼女の妹を呼ぶときもこれにこだわる必要は無かった。


 「わかった…よろしくね響さん、僕のことも仁でいいよ」


 「はい!えへへ…私なんだか怖くて友達に男の人はあまりいないんですけど、田…仁さんと一緒に居るのは怖くないです」


 そういうと彼女は伏し目がちに赤面した。なんとなく白い百合のような子だなと思う。


 「ところでお姉さんが僕の話をしていたってさっき聞いたけど…どんなことを言ってたの?」


 既に勉強を教え始めてから大分時間が経つ。互いに集中力が切れてきた頃だろうし、そろそろ鳴上さんが戻る筈なのでこのまま休憩がてら雑談を続けることにした。最初向かい側に座っていた響さんはいつの間にか隣に来ている。


 「凄い人と…いつも聞いてます。私には出来ないことを何でもできる人だ…って」


 「僕が?そんなまさか…」


 勉強、運動、容姿、お金、教養、性格…人に付けられるであろうあらゆる属性の全てで僕は彼女に劣っている。何かの間違いではないのかと思い、他の人にも同じことを言っているのではないかと返す。


 「そんなことありせん、寝ても覚めてもここのところ姉さんは仁さんのことばかり喋っていて…少し妬いてしまうほどです」


 (嘘だ…何かの間違いじゃないのか)


 湧き上がる黄色い感情を誤魔化すように自虐する。これまで彼女が助けてくれていたのは単純に優しさという美徳に優れていたからだと思っていた。いや、そう思うことで何とか平常心を保って接することができていたのだ。


 (も、もしかして…本当に鳴上さんは…僕のことを)


 自分なんかが思い上がりもはなはだしいとは思うが、そう思わずにはいられない。今まで異性とろくに接したことが無かったからあまり疑問も持たずに受け入れていたが、よく考えると放課後に何度も、それも他校の自分に勉強をみてくれていること自体好意の表れなのではないか?


 「去年あたりかな…一時期姉さんがもの凄く悩んでた時があったんです。妹である私にだって怖いような表情で…。でも、少し前かな、ある日凄くすっきりした顔で姉さんが帰ってきて、それから段々と変わっていったんです。相変わらず悩んではいたけれど、ある日聞いたら自分はやりたいことをやっているから大丈夫って言ってて。それって仁さんの――――」


 「……」


 「仁さん?」


 顔がどんどん熱くなっていく。まずい、今彼女が部屋に戻ってきたらどんな顔をして会えばよいかが分からない。


 「お疲れ~二人とも、おやつ持ってきたよ!」


 その時丁度ガチャリと音を立ててドアが開き、姿を現したのは部屋の主。…よりにもよってこのタイミングで戻ってくるなんて。


 「姉さん!あっ、おいしそう…ケーキを焼いてくれたんですか!」


 「うん、チョコレートケーキは仁君が好きかなと思ってね」


 濡れ羽色の髪、端整な顔、ゆったりとした服の上からも分かるスタイルの良さ、そして何故か僕の好みを知り尽くしているかのような趣向の一致。僕の理想が反映される絵画があるとすれば、鳴上さんはまるでそこから抜け出してきたかのような存在だ。


 「う、うん大好きだよ!でもよくわかったね…」


 「もちろん、仁君のことだもん!」


 あぁ…駄目だ、理想の女の子にこんなことを言われて勘違いしない男が果たしていこの世にいるのだろうか?


 固まっている僕をよそに、綺麗に切り分けたケーキを二切れずつ配っていく鳴上さん。甘い匂いが鼻孔を刺激していく。雰囲気的にこのケーキは鳴上さんの手作りなのだろうか?


 「姉さん見て、仁さんのお陰でこんなに勉強が進んだの」


 「…そんな、それは響さんが真面目だったおかげで―――」


 ガチャン!


 音を立ててお皿へフォークが落ちる。信じられないものを見るような目で鳴上さんがこちらを見ている。


 「な、鳴上さん…?」


 無表情の彼女の目には光が無い。お前には話が必要だとばかりにこちらへ配っていたケーキを引っ込めてしまった。


 「仁君、私のことをまだ名前で呼んだことが無いのに、なんで響のことはもう呼んでるの?」


 「えっ、いや、それは…」


 鳴上さんの突然の豹変ひょうへんぶりに響さんもアワアワとしているが、妹への悪感情は無いのか鳴上さんは後ろ手でケーキを渡して普通に食べることを促している。


 「ねぇ、何で?答えてよ」


 「うっ…な、なりゆきで…」


 「なりゆき?ふぅん、仁君は私とこれまで過ごした時間より響と過ごした二時間弱の方が大切なんだ?」


 「そ、そんなこと…ないよ」


 「ふ~ん、ふ~~~ん!」


 (まいったな…僕のせいで怒らせてしまったみたいだ)


 ずいと近づけて来る顔から僕は必死に目を背ける。ぶっちゃけめちゃくちゃ怖いです。


 「う~っ!」


 突然頬を膨らまし涙目でケーキを食べ始める鳴上さん。やけ食いなのかフォーク遣いが荒い。


 「な、鳴上さん僕のケーキは…?」


 「あげないっ!」


 「えぇ…」


 「不義理な仁君になんかあげないよっ!欲しかったら私のこと名前で呼んでよっ!」


 その後普通に名前で呼んだら爆速で機嫌を治した彼女と一緒に3人で過ごした。ことあるごとに名前で呼ぶことを要求してくるのには困ったが、ケーキも美味しく楽しい一日を送ることができた。

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