第18話 リベンジ・コミュニケーション




 (腹立たしいぐらい降るわね)


 ザーザーと鳴る季節外れの土砂降りを睨む。ギターは湿気るとチューニングが狂うし、最悪濡れれば一大事だ。肩が濡れるのを覚悟で背負うギターケースへ傘を回して雨から守る。


 案の定左肩が濡れて歩く度に体温が奪われていくのが分かる。今日は母親や使用人達には黙って家を出て行ったので迎えは無い。このまま一人でバス停まで歩かなくてはいけなかった。


 (クソッたれ)


 最悪の気分だった。ずっと家でギターを練習するのも気分が塞ぐのでクラブハウスへ行ってみたが、特段収穫があったわけでもない。徒労だった。


 徒労。思うにここ最近は何をしても上手くいかない。うちの学校は成績さえよければそこまで出席日数が問われないが、これまで授業を聞くだけで点を取ってきたものだから聞かないで取る方法が分からない。学校をサボることも最初のうちは楽しかったが、日に日に後ろめたさで気怠くなり乱れた生活習慣は無気力さを招いた。


 (でも絶対に私から謝ったりなんかしないんだから…!)


 何度か学校に行った時に、綾音の前でこれ見よがしに話しかけるのを待っていたがプイと無視された。彼女のことだからこちらから謝ればそれで済むことは分かっていたのだが、それだけのことがどうしてもできないのだ。


 (私は悪くないわよ…だってそれって綾音が私たちの間にあるものより、あの変ちくりんな男を大切に思ってるってことじゃない)


 あの図書館に行った日のことを思い出す。低能で、奇行で、おまけに男で、視界の片隅にいるだけでも不快になりそうな奴が自分よりも優先されているその事実が認めがたかった。


 とどのつまり、あたしは納得がいかないのだ。


 「フン…」


 水たまりを避けながら車道脇を歩いていく。苛立った気分は演奏に出るし、練習も最初程上達しなくなった。一緒にやろうと誘った学内の友達も平日を一緒にサボるほど音楽に熱中しちゃいない。結局のところ彼女達はお嬢様であって親や教師に逆らうことは好まないのだ。


 ふと裏道を見やると二匹のネコが軒下に雨宿りしている。茶色がかったブチの子猫と親猫だ。


 しばらく眺めていると警戒したのか親猫が先導して逃げてしまう。子猫は何度か振り返ったが、結局は親に付いていった。


  「……」


 あたしには父親が居ない。若いころ母さんが芸能界ですったもんだしたことは知ってるし、特にそのことについて不満に思ったことは無い。


 他の子や普通の家庭がどうであろうと知ったことではないし、自分は親が一人であることは当たり前だと思っていた。お母さんのことは好きだし、あたしが望む大抵のことは許してくれる。仕事で忙しいだけかもしれないけど、前回一緒に食事をとった時学校をサボっていることへ特に何も言われなかった。


 放任といえばそれまでかもしれないが、小うるさく言われるよりよほどいいと思っていた。何よりそれはあたしが好んだ自由であるのだから。


 だが―――


 (このままだとあたしは破滅するな)


 自嘲じちょうめいた笑みが浮かぶ。根拠と呼べるほどのものではないが明確な予感があった。


 自由とは責任を伴うものだ。綾音に顔をあわせたくないが為に学校をサボっているが、こんなことが他人に理解される筈もないことは分かっていた。軽音だってそうだ。むしゃくしゃした感情をぶつけるのは心地よいが、その共感を得られる人も場所もごく限られている。自我を押し通す無茶を続ければ早晩あたしは孤独となるだろう。


 今私が置かれている状況は綾音がどうとか音楽が好きだとかは関係ない。それらはあくまで直近の切っ掛けであって、根本的な原因はあたし自身の気質にあるのだと思う。


 昔からあたしはそうだった。己を曲げたくなくてつい意地を張ってしまう。どうしても妥協を見つけることができないのだ。それが高坂アキのパーソナルティであったし、今だってそのことを誇りに思ってすらいる。しかし、数年来の親友をこんなつまらないわだかまりで失いかけ、社会からドロップアウトするかもしれないという実感を肌で感じてくると次にやってきたのは恐怖だった。


 「―――」


 人が社会やルールに従順であるのは成功への近道だからだ。ならば意地を張ってその逆へ行かんとするあたしの道の先には破滅が待っているだろう。あたしは目の前に広がる闇を知りながらブレーキを踏むことができない。破滅へと突進しているのだ。


 ならばそんな自分を変えられるのか? それはとっても簡単なことだ。他の子のように周りにあわせ、自分にも他人にも嘘を吐けばいい。表面だけでもその場にあわせてやって、本音は心通った者達だけと分かち合えばよい。それが賢い生き方というものだし、大人になるということで、成熟の意味なのだろう。きっと誰もがそうやって生きている。


 しかし


 (変えたくない。いや、『変えられない』)


 そう、ここで器用なことが出来ないからこそここまで来てしまったのだ。そして破滅へ向かい行くあたしを止める人はやがて誰も居なくなるのだろう。これまでは私の足りない所をフォローしてくれた綾音、真っ当である友達、そして自由の表裏を知る母さんだって、意固地になる私への優しさは限度がある筈だ。


 絶対の自信を寄せていた筈の自分の才能。あたしが通る道こそが正道足り得るという傲慢ごうまんさ。それを疑い出したのはここ数か月でろくに進歩の無いあたし自身だった。


 停留所に付いてからしばらく待つ。ベンチが備え付けられていたが、雨に濡れていて休むことは出来なかった。傘を持つ手が寒さで感覚が無くなった頃にようやくバスがやってくる。


 行きに初めて乗ったバスでは乗り方が分からず手間取ったが、二回目はすんなりと乗ることができた。車内は平日昼間なのもあって利用客は5、6人しかいない。


 寒い手をこすりながら空いた席へ座り、過ぎ去り行く窓外の景色を眺める。日常を送る人々が線状の水滴に隠されてまるで別世界の人々のようだ。そう、すぐ隣にいるのにまるで違う時間を生きているような…。


 自然と乗ったバスに自分の人生を重ね合わせてしまう。一度走り出してしまえば、後は望まない限り最後まで降りることは叶わない。そして…


 (……ん?)


 ふと目をやった車内に奇妙な既視きし感を覚える。知り合いだろうか?よく目を凝らしてみると2つ前に座る男に見覚えがあった。


 (あっ…こ、こいつ…!)


 なんと綾音から図書館で紹介されたあの男がいる!酷い偶然もあったものだ。


 見なかったことにしようと思ったが、視線に気がついたのか男が振り向いてこちらに気がつく。知らんぷりを決め込んで明後日の方向を向くが―


 「あ…あの時の金髪の不良…」


 「誰が不良よ!これは地毛じゃ!!」


 一気にセンチメンタルな気分がぶっ飛んでツッコミを入れてしまう。全く失礼な男だ。


 「平日なのに何でアンタここにいるのよ、あんたこそ不良じゃない」


 「いや、今日は開校記念日…」


 そういやコイツは学外の人間か、忘れていた。思わず舌打ちしてしまう。


 「君こそなんでここに?あや…鳴上さんは今日学校なのに…やっぱり不良なんじゃ…」


 「ああんっ!?」


 「ヒェ…」


 凄むとビクっと震えて椅子に隠れてしまった。あらためて出会ってみるとやはりコイツは綾音に相応しくないように思う。きっと綾音はコイツに騙されているのだ。そうでなけれれば何かの弱みを握られている。そうに違いない。むしろそうとしか思えない。


 「えーと…」


 「…?…なに探してるの?」


 「携帯よ、写メであんたが平日に学校をサボってることをでっちあげて綾音に送るわ」


 「やめてよっ!?」


 やめろと言われてやめる奴がどこにいる。和解するためにも綾音には早く目を覚ましてもらわなければならない。両ポケットに手を突っ込んで携帯を探るが…


 「…あれ?」


 携帯が見つからない。ズボン、上着、バッグ、普段よく入れている場所の何処からも見つからない。そんな馬鹿な。


 「ど、どうしたの?」


 「…見つからないの、そんな…嘘…」


 それまでの気分が一瞬にしてしぼんでいく。まるでお腹の中に氷を刺し込まれたかのようだ。


 「…どこかで落としたとか?」


 「分からない…分からないわ」


 さっきまでずっと考え事をしていたせいでどこに落としたかが全くわからない。クラブハウス?濡れた道端?無駄だと分かっていてもポケットやカバン等の同じ場所を何度も探してしまう。不注意で探し方が甘く、何度も探せばあっさりと見つかるかもしれない。そうであって欲しい。この現実が嘘であって欲しい。


 私たち以外静かな車内ではイヤホンをしている人、寝てる人、本を読んでいる人、降りる準備をしている人、皆各々の世界に没頭している。さっきまでの私がそうであったように。


 「どうしよう、あの携帯誕生日にお母さんから買ってもらったものなのに…」


 「……!」


 心細さとパニックで頭が回らなくなる。こういう時は携帯会社に連絡をするんだっけ?でも今はその連絡手段がないのだ。一体どうすれば…。


 「ねぇ、僕携帯持ってないから確かめたいんだけど、それって携帯に電話がかかってくれば着信音で場所が分かるかな?」


 「う、うん…でも今はその携帯が無いからかけられなくて…」


 「待ってて!」


 そう言うや否や前の座席に歩いて行ってしまう。無表情でイヤホンをしている男性の肩を叩いて平身低頭の姿勢で話しかける。


 「あの…すみません、申し訳ないんですが携帯を無くしてしまいまして。車内に携帯があるかどうかを試したいので一瞬だけ携帯を貸して頂けないでしょうか?」


 「……」


 男は無言で携帯を手渡す。


 「えりがとうございます!」


 即座に戻ってきて借りてきた携帯をあたしに渡してくる。


 「これで自分の電話番号にかけてみて」


 その瞬間何か強烈な違和感のようなものが頭をよぎったが、今はその正体を確かめるよりも他にやるべきことがある。


 急ぎ電話を掛けた後、はたして音が聞こえた。慌てて辺りを探し耳をこらせばギターケースから聞こえて来る。


 クラブハウスを出る時に後ろがつかえていたため、急いでギターケースの中に放り込んだことをあたしはようやく思い出したのだった。




………

……




 「えりがとうございました」


 「ありがとうございました…」


 借りた携帯の持ち主に感謝した後、最後部の座席に二人で並んで座る。見つかってよかったねと朗らかに声をかけてくる顔には恩を着せようだとかいう悪感情は全く見当たらなかった。


 今にして思うが、今日のこの男には図書館で会った時に見せていた吃りや奇行が全く見られない。この数か月で治したとでもいうのだろうか?


 (そんな…ありえない)


 あの日は嘘を吐いて障害のフリをしていたのかとも思ったが、そんなことをする理由が見つからない。それになんだかんだあの日は一時間近くも一緒に居たのだ。芝居を打っていたようにはどうしても思えなかった。


 私が何も進めなかったこの数か月、きっとこの男は努力していたのだろう。それもあたしの想像を絶するような真剣さで…。


 「…ねぇ、一つ聞いていい?」


 「え、何?」


 「何であたしのことを助けてくれたの?図書館で会った時に大分酷いこと言ったし、今日だって…」


 本当は恨まれてしかるべきなのに。数瞬前まで嫌がらせをしようとしていたあたしを何故助けたのだろうか。それも吃りを持っているこの男が見知らぬ人に話しかけるのは勇気が必要だったろうに…。助けてくれた理由、それだけがどうしても分からなかった。


 「うんとね…自分でもうまく言葉にできないんだけど…」


 しばらくうんうんと唸って言葉を探す。出てきたものはたどたどしく、しかし先ほど感じた違和感を明らかにする言葉だった。


 「誰だって…辛いこととか、大変な時ってあると思うんだよ。どんなに賢い人だって病気になれば頭が働かなくなるし、どんなに強い人だって年を取れば老いて弱くなる。どんな人間だって忙しくなればイライラするし、何をしても上手くいかない日がある。誰だって苦しい時があると思うんだ」


 「…うん」


 「そんな弱い瞬間は誰にだって訪れる平等なものだから…だから、普段の態度や感情を持ち出してもしょうがないと思うんだ」


 「しょうがない?」


 「そう、相手が苦しい時はさ…それまで争ってたかたきのような人でも、助け合えればいいなって…そう思うんだ」


 (……!)


 彼が携帯電話を手渡してきた時、何に違和感を覚えたのかを思い出す。私はこれに似たものを一度体験している。


 『そんな心の小さな男子なんか相手にしなきゃいいんだよ、高坂さん』


 かつて綾音に言われた言葉を思い出す。この人は綾音と同じように正直に生きている。己の誠実さに対して実直に生きている。


 「えへへ…なんちゃって、お爺ちゃんから昔聞いた言葉の受け売りなんだけどね」


 彼のはにかむ笑顔が記憶の中の綾音と重なって見える。性別も、顔も、何もかもが違うのに、この二人はどこか似ているのだ。


 (…なんで綾音がこの人を選んだか分かる気がする)


 体を向き直し頭を下げる。これまでのことを謝らないといけない。


 「今まで酷い言葉を言ってごめんなさい…何度も何度も、本当に…」


 「いいよいいよ、僕も自分が変なのは知ってるし!」


 そう言ってアハハと笑う彼。普通に喋れているし、あの奇行も治ったのかと聞いてみる。


 「え…?!ほ、本当だ…っ!?確かに今日は一度も出てない!」


 言われてみて初めて気がついたのか驚く彼。目をまん丸にして自分の手を見つめる姿はおかしくてつい笑いがこぼれてしまう。あたしはこの底が抜けたようなお人よしに救われたのだ。


 「……ありがとう」


 「えっ?何て?」


 「何でさっきまで普通に話してたのにいきなり難聴になってんのよっ!」


 「あいてっ」


 見つかった携帯を使って二人で写真を撮る。この日の思い出と、それを知らせたい親友がいる為に。

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