第12話 親友




 『~というわけでして、我が校の産みの親であるその方はそれまでの時代の象徴となっていた英雄を批判したわけであります』


 夏休みが終わり、まだ休み明けのだるさが抜けない体で全校集会を受ける。ほぼ毎日図書館に行っていたので他の子ほど休みボケはしていないはずだが、それでも授業で拘束される時間が戻ってきたことを考えると憂鬱だった。


 「ねっ、綾音綾音」


 横から小声でアキが話しかけて来る。一応校長先生の話聞いてたんだけど…。


 『当然、多くの反感を買うことになりました。開国してまだ間もない時代ですから、忠死した者を批判するのはとんでもないことだと多くの批判が寄せられます』


 「夏祭り男と一緒に回ってたでしょ、あれ誰なの?」


 ボソリと小さな声でそう呟いてくる、心臓が飛び上がるかと思った。


『主君の為に潔く死んだ人間を非難するとは何事だ、さては貴様外国にかぶれて日本の心を失ったわけではあるまいな…と』


 「み、見てたの…?」


 「うん、夏休み忙しそうにしてたのもソイツと過ごしてたからなんでしょ?今度会わせてよ」


 『しかし、彼がその英雄を批判したことには意図がありました。当時欧米資本主義によって搾取の手がインド、シンガポール、香港、上海、そして日本にまで及んでいる。それなのに国民の大多数はかつての封建制度にとらわれたまま個人の栄達を目指して官位を欲しがり、国家の商工がなかなか遅々として進まない…そのような状況から脱するための批判だったわけです』


 アキからの思わぬ頼みに困惑する。仁君に出会ってどうしようというのだろうか。


「ア、アキ…確かにまだ彼とは恋人とは言えないかもしれないけど…別に私は…」


 「馬鹿、何を勘違いしてんのよ、ただどんな奴か知りたいだけよ」


 そう言ってジト目でデコピンしてくる。痛い。


 『腹を切って自らの死をもって責任を取ろうとするのではなく、生ある限り国家の為にその身命を役立てるべきであると。立派な人間だと周囲に評価されて死ぬよりも、恥をさらし例え個人の栄誉が望めなくなったとしても最後まで国に尽くすべき。自死を批判した彼の言葉はそういう意味だったわけですね』


 「私とバンドするより有意義な夏休みだったんでしょう?綾音がそこまで夢中になる男ってのを一目でいいから見てみたいだけなの」


 うっ…それを言われると弱い。仁君といるのが楽しくて結局この夏休みにアキと遊んだのは数回だけだ。去年まで夏休みの殆どを一緒に遊ぶばかりでなく、家族ぐるみで旅行へ連れて行ってもらったりもしている。そう考えるとどうしても後ろめたいという気持ちになる。


 『いいですか皆さん、人間自分一人の幸せだけを考えて生きる分にはまだ簡単です。波風立たせずに周囲に合わせていればそれで済んでしまうからです。ですが、周りの人間が危機に陥っている時、どうかその危険を気づかせてあげる最初の一声を上げる勇気を持ってください。それがこの学校の…』


 「わ、分かったよ…」


 仕方がない。気は進まないが今度の勉強会にアキを連れていかなくてはならない。まずは彼にそのことを伝えなくては…。


 校長先生の演説を聞きながら、忘れないようにとそう心に決める私であった。




                ◇




 「…市立図書館?随分私たちの学校から遠い所で待ち合わせてるのねぇ」


 綾音に連れてこられた場所は車で20分ほどの図書館。相手に合わせて毎回こんな場所に来ているなんて随分と献身的なことだ。


 「ねぇ…アキ、やっぱり止めない?私たちただ二人で勉強してるだけだよ」


 「何よ今更、ここまで来てそいつの顔を拝まないなんてイヤよ」


 帰る時連絡するから行ってちょうだいと運転手に声をかける。会釈した後に車は静かに走り出して行った。


 「うっ…うううぅぅぅ…」


 綾音は余程あたしにその男を会わせたくないのか、見たことも無いような顔をしてその場にへたり込んでしまった。


 「なんて顔してるのよ…別に取って食ったりなんかしないから安心しなさいよ」


 嘘だ。夏祭りで相手の男を遠目でよく見えないながらも思ったのは、中肉中背で何だか頼りなさそうな男だということ。綾音はうちの学校でも有名なぐらい可愛いのに校内で浮いた話は殆ど…いや、全く無いような子だ。きっと恋愛経験の少なさに付け込まれていいようにされているに違いない。


 「ほら案内しなさいよ、ほらほら」


 「うぅ~ん、ぐぅぅぅ…!」


 無理やり背中を押して歩かせる。しっかり者の綾音に限って変な奴は選ばないだろうという気持ちも半分ぐらいはあるが、普段超然としているこの子が今現におかしくなっているのを見るとやはり何かあるのかもしれない。


 (…まさかね、綾音に限ってそんなこと有り得ないわよ)


 少なくとも親友が悪い男につかまっていないか確かめるまで帰るつもりは無かった。我ながら少しおせっかい焼きかもしれないが、むしろ杞憂であって欲しいと思いながら図書館へ入っていく。すると…



 「は、あっ、あがっ…、……、…!…あがっち、めまして…田村…仁と…言います」


 ソイツに出会った。


 …


 ……


 ………




 「どん臭いわねっ!何でこんな簡単な問題すぐに覚えらんないのよ!」


 「あ…うぅぅ…ごめ、ごめんなさい…」


 「や、止めてよアキ…お願いだから…止めて…」


 気がついたら図書館で声を荒げている自分が居た。周囲の注目を浴びていると分かっていても、湧いてくる怒りが止められない。


 一番悪い予想でも綾音の良心につけ込むスケコマシ程度を想像していたのに、目の前のコイツはそれ以上をいっている。最初綾音が勉強を教えているのを見ていたのだが、あまりにコイツの出来が悪いものだからどうしても口が出てしまう。


 「一度見聞きすれば7割ぐらいは普通解けるでしょ、アンタ本当に毎日学校行って授業受けてる?」


 「…っ」


 「止めてよアキっ…!仁君は人より少し理解するまで時間が掛かるだけなのっ!」


 半泣きになりながら綾音が腕に縋(すが)りついてくる。何でこんな奴の為に泣いてるんだ。こんな頭が悪くて、不細工で、まともに喋れなくて、挙動不審な男に。


 「人と話すときは目を見て喋りなさいよ、オドオドオドオドしやがって不愉快ったらないわ…それだけじゃない、さっきからずっと手をどこかに擦り付けてるけど何なの?気味が悪いんだけど」


 意味の無い「不可解な行動」強迫性障害をコイツはさっきから全く止めるそぶりが無い。何もない机の表面を手でただただ擦り付けているだけ、ふざけているのだろうか?


 「……」


 もみ合う私たちをよそに、何もせずただ俯くコイツが苛立たしい。だが、それ以上に苛立たしいのは…


 「綾音ッ!ちょっとこっちに来て!!」


 ずっとこんな奴を守ろうとしている綾音が苛立たしかった。強引に手を引っ張り図書館から抜け出して裏口へ出る。


 平日昼過ぎの図書館裏には誰も居らず、葛の葉がただ陰鬱に生い茂っているのみ。ここなら綾音の真意を問いただせるだろう。


 「あいつは何な…『何なのよッ!!』」


 私の声を綾音の怒声がかき消す。


 「アキはね、何も知らないだろうけど仁君はようやくここ最近自分から勉強に興味を持ち始めてたんだよっ!?最初椅子に座るだけでも難しかった彼がどれだけ頑張ってそうなれたと思ってるの!!」


 今にも殴りかかってきそうな勢いで凄まれる。視線だけで殺せそうな鬼気迫る目をこちら向けて来けて…いや、今は本当にあたしのことを殺したいと思っているのかもしれない。


 「それもたった数か月だよ!?何度も苦しんで…苦手な教科を進めるのに倍の時間は掛かって…普通の人にとって当たり前のことをするのに彼がどれだけ大変か分かってる!?」


 「…知らないわよ、そんなの」


 気圧されないようにしていたつもりだが、つい声が震える。だが、あたしだって許せないことがある。


 「授業聞いてれば誰だって取れるよそんなの…アイツどこの学校か知らないけど、やってる内容も簡単すぎる奴だったし…それに、アイツおかしいよ…普通じゃない奴だよ」


 「それは彼なりの事情があって…!」


 続けようとする綾音にだからといって言葉で遮る。


「だから…!どうして綾音はアイツの肩を持つのか、それが分からないって言ってんのよっ…!」


 「…っ」


 一瞬だけ綾音が言葉に詰まる。


 「意味わかんないっ!わざわざ学校にいる賢くて、かっこよくて、金持ちで、もっと普通な男なんて幾らでもいるじゃない!!それが何でわざわざ別の学校にいるあんな奴を選んだの!?」


 綾音に見合う男だったら祝福…とまではいかなくても認めるつもりだった。何故優秀でもなく、何故イケメンでもなく、何故学外の、何故普通でない男を選んだのかが、それがどうしても分からなかった。


 あたしと過ごす筈だった夏休みを、あんな男に使っただなんて。


 あたしと話した時には見たことが無いような顔で話す相手が、あんな男だったなんて。


 あたしには決して向けない感情を向けたのが、よりにもよってあんな男だったなんて!


 それをどうしてもあたしは許すことができなかった。


 「……」


 綾音が苦しそうに唇を噛み締める。恋は盲目とはいうけれど、あれと偶然知り合い恋に落ちたなどと言われても私は全く納得できない。少し風貌が冴えないぐらいなら納得できるが、あれはそういうレベルじゃない。


 「…分かった、分かったよ綾音」


 「…?」


 何故綾音がアイツに拘るのかは分からないが、分からないものは推察するしかない。胸に宿ったどす黒い思い付きを吐き出す。


 「犬だよ、綾音は世話を焼いて面倒を見て、それで感謝してくれる犬が欲しいんだ。自分の言うことを絶対に聞いてくれる犬が欲しくて…それで後ろめたくて学校の外であんなのと一緒に居たんだっ!」


 「ち、違う…!私はそんなんじゃ…!!」


 綾音は顔を真っ青にして否定してくる。だが、そうでもなければとても理由が分からない。とめどなく感情が流れ出ていく。


 「ねぇ、綾音…もうあんな男に構うのは止めよう…?あたしたちに男なんて要らないじゃない…」


 「…アキ?」


 視界がかすんでくる。目をこすると水滴が指に乗って宙を舞った。泣いているのか、私は。


 「ずっと一緒だったじゃん、小学校から今まで…男共に負けないでさ…媚びないでさ…あたし綾音が居たからずっと今まで頑張れてこれたんだよ?」


 初めてする告白。さっきまで張り詰めていた胸の岩のようなものが溶け出していくのが分かる。ずっと心の裏にあった感情が自然に舌に乗って伝えたい人へとさらけ出されていく。


 「あたしたちの青春に、わざわざあんなのを入れてやることないよ…」


 「……」


 俯く綾音の表情は分からない。でも、今はたった一人の親友に言葉を届けたくて、思いの丈をありのままに伝えていく。


 「あんな…人間モドキみたいな奴…」


 「…人間モドキ?」


 ピクリと綾音の肩が震える。


 どうしてあんな奴にあたしたちの生活を壊されなきゃならないのか、理不尽を湛えた心から自然に呪詛の言葉が出る。


 「そうだよ…あんな何喋ってるか分からなくて…意味わかんなくって…頭の悪い奴、人間じゃないよっ!」


 そう言った瞬間、どうしてかあたしは間違えたことを悟った。


 (……!)


 綾音が目を上げてこちらを見ている気配がする。どうしようも無い一線を私は超えてしまったのだ。怖くて直視したくないが、訪れている沈黙は永遠のように感じる。見なくてはならない、さもなくばこれは終わらない。時間をかけてゆっくりと彼女の目を見るために見上げると…


 冷たい目だった。人では無く、モノを見つめるような。百の言葉で切り刻まれるより、なお残酷な…そんな目で綾音はあたしのことを見ていた。息ができない。心臓が握られたかのように体が動かせない。謝らなきゃ。綾音は優しいから謝ればきっと許してくれる…そうであって欲しい。


 「あ、あや…ね」


 手を伸ばすあたしにくるりと背を向けて、綾音は一言だけ呟いた。


 「さようなら」


 図書館へ向かう綾音は呆然とするあたしを気にもせず中に入る。体の力が抜けて足元の感覚がおぼつかず、地べたに座り込む。


 冷たい葛の葉が下に敷かれているのが分かる。音は何も聞こえない。何も考えられない。


 言葉を失ったかのように、今の自分の感情を知ることができない。人形のようにそのまま俯く。


 いつまでそうしていたのだろう。次に気がついたのは日がとっくに落ち、心配したドライバーからの連絡が携帯にきてからだった。

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