第10話 二人の夏祭り




 「…なんか綾音変わった?」


 「え?」


 梅雨も明けて刺すような日差しを感じる毎日。授業の内容を既に知っているため前世とは逆の意味で退屈な授業が終わる。


 「なんか雰囲気が…いや、匂いかな?なんか変えたでしょ綾音」


 隣に歩きながらすました顔でアキが言う。…よく気がついたな。汗をかく季節なのでほんの少しだけ涼し気な香水をつけているのだ。


 「よくわかったね…匂いそんなに変わってた?」


 「いや…何となくよ」


 目を反らしたアキは少し考えるような仕草を見せた後再び語り掛けて来る。


 「ね、私たちの学校さ今週で終わりじゃない?」


 「うん、そうだね」


 私たちの学校は3学期制でかつて通っていた仁君の学校とは日程が異なる。彼の学校は既に夏休みに入っているが、私達の夏休みは7月後半の今週末からだった。


 「週末の夜さ…この辺りで夏祭りあるじゃん?行こうよ、一緒に」


 この地域には地元主催で行われる夏祭りがある。多くは無いが花火も打ち上げられため、県外からもそれなり人数が集まる毎年の風物詩になっている。


 「ゴメン、先に約束した子がいるの」


 その夏祭りは仁君と行く約束を予めしていた。ここのところアキと遊ぶことがめっきり減ったので断ることが心苦しいが、こればっかりは仕方がない。


 「…ねぇ綾音、正直に言って欲しいんだけどさ、ひょっとして彼氏できた?」


 唐突な彼女の言葉に驚いて思わず咳き込む。


 「な、なんで…?」


 「何になんでって言ってるのか分からないけど、最近いつもぼんやりしてるし、前以上に付き合い悪いし…」


 母親譲りの鋭い目をくにゃりと倒して睨んでくる。ジト目だ。


 「と、友達、友達だよ!」


 急ぎ誤解を解く。誤解でなければいいのにとも思うが、仁君とはまだ友達である。


 「ふぅん…まぁいいけど、たぶん学外の人だよねその人」


 当てられていて愕然とする。アキは読心術でも持っているのだろうか。


 「綾音って頭いいけど隠し事下手だよね、嘘がつけないっていうか…まぁそういう所も好きだけどさ」


 フッと笑いながら白シャツをパタパタと扇いでいる。何気ない一しぐさだが、彼女がするとなんとなく絵になって見える。


 「真面目な話なんだけどさ、私この夏に軽音やりたいんだよね」


 軽音…そういえばこの時期流行ってたなぁ…。本格的に流行り出すのは軽音楽部を題材にしたアニメがブームになるもう少し先だが、一般的な中学生よりもすた流行はやりに敏感な彼女は既にその気配を感じ取っているのかもしれない。


 「実はもうギター買っててさ、まだまだ下手くそだけどちょっとずつコード覚えてきたんだよね」


 絆創膏の貼ってある指を見る。なるほど、見つけた時は料理の練習でもしているのかと思ったがギターの練習をしてできた傷なのか。


 「それでね、よかったら綾音も一緒にやらない?綾音は音感いいしさ、新しい楽器今から始めてもきっとすぐ上達すると思うし」


 どこかキラキラとした目でそう話してくる。普段あまり無駄な会話をせず声も低い彼女は冷めている印象を持たれやすいが、実際は真逆でとても熱しやすい性格なのだ。


 「メンバーになりそうな子はもう何人か考えてるけどさ、やっぱり綾音が居ないと何も始まらないし、誘うなら一番最初だと思ったんだよね」


 「うぅん…ありがとう、でも…」


 誘ってくれたのは嬉しいが、練習の時間は取れるだろうか。仁君は大分勉強に集中して取り組めるようになってきてはいるが、まだ習慣付いているとは思えない。前世では怠惰なこともあって身に着けるのは本当に苦労したから今離れることはなるだけ避けたかった。


 「まぁ返事はすぐじゃなくていいよ、軽音だけじゃなくて夏祭りもさ、もし予定が変わったらすぐに連絡して」


 そう言って校門前で待つ白塗りの自家用車まで駆けていく彼女を見送る。少し考えないといけない。




                ◇




 「えっ?友達が…?」


 「う、うん…それで…明日は午前中から一緒に…ゲームしようって、話になって…」


 勉強が一段落してから何気ない会話の中で彼が話した内容は衝撃だった。仁君に友達ができたというのだ。


 「今まで…昼休みは別のところにいたんだけど…少し前から置いてある本を読みに図書室に行ってたんだ、そしたら夏休み前に話しかけられて…知り合いになって…」


 中学時代何処にも居場所が無かった私は、昼休みにもっぱら自分の机で寝ていた。もしくは寝ているフリをしていた。


昼休みのクラスはいつもうるさかったが、一度知らない子が私の机をイス替わりに使っていてそれを注意できないまま棒立ちしていたところを笑われた記憶がある。…それが情けなくて、悔しかったので、以来ずっと自分の机にいるようにしていたのだ。


 だが図書館に行けているということは、仁君が気遅れすることなく学校で生活できている証なのかもしれなかった。


 「よ、読んでいた本の、いや漫画なんだけど…そのゲームが家にあるからこないかって…今日電話で誘われて…駄目?」


 「駄目な訳ないよ、絶対行ったほうがいいよ!」


 前世の運命が少しづついい方向に進んでいる気がする。前世では本当に一人で寂しかったから…声をかけてくれたその子には私からも感謝したかった。


 「だ、だから…ごめ、ごめんね…」


 「いいんだよ、友達への体面があるものね」


 私以外にも友達ができれば、それだけ仁君を真っ当な人生に近づけてあげられるかもしれない。


 正直彼といられる時間がこれから減りそうなことを考えれば少しだけ寂しい気持ちはある。だが、それは彼の為に必要なことなのであって、ここで束縛して成長を阻めば何のために私が一緒にいるのか分からなくなってしまう。


 私になら何時でも会えるよ楽しんできてねと言って快く送り出す。


 「あ、ありがとう…でも僕が一番一緒に居たいのは…鳴上さんだから…」


 消え入りそうな声で、でもそれだけは伝えなきゃいけないと思ったのか仁君はそう言ってくる。


 「勉強も付きっきりで教えてくれて…期末テストも凄い点が取れたし…先生から褒められたりもして…嫌な奴らに立ち向かえたのも、きっと鳴上さんが居たからこそできたんだと思う…」


 真っ赤になって彼が感謝を伝えてくる。どうしよう、嬉しすぎて声が出ない。ただでさえかっこよく見えている彼からそんなことを言われると…もうどうしていいのかわからなくなる。


 「ど、どういたしまして…これからも末永く、よろしくお願いしましゅ!」


 噛んだ。もう自分が何を言っているのかもよく分からない。


 お互いに恥ずかしくてろくに目も合わせられなくなる。結局、その日はそのままお流れとなった。




                ◇




 薄暗い闇の中を大勢の人が歩きゆく。赤提灯あかちょうちんに照らされて、老いも若きも男も女も幻想の光景に魅入られては歩きゆき、やがて自身らもその一部となる。


 祭りの場はそこに歩く者の心を浮かせ、優しき闇は平時人が互いにとがめる欠けたものを隠してくれる。今この場は現実から切り取られた束の間の非日常。見たいものを見て、共に過ごしたい者と過ごし、笑いたいときに笑える、そんなことが許される空間だった。


 一人の若い男女が腕を組んで雑踏を歩きゆく。浴衣を着た美しい少女と野暮ったいが純朴そうな少年の二人組。


 すれ違う者は皆少女へ一瞬目を奪われ、それから少年に気が付いては首をかしげる。いかにも不似合い不釣り合い。


 だが当人達はそんなことに気づきもしない。人の目なぞどうでもよい。今は互いに互いが夢中なのだから。笑うと覗かせる少女のえくぼ。少年の白き歯は破顔はがんの証。うなじに潜む玉の肌と車道側を譲らぬ心意気。


 綿あめ、型抜き、金魚掬いだ踊りに射的。どれも屋台は大したものでなくていい。何をするかではなく、誰とするかが大切なのだ。


 これから先に今日を否定する日はいつかくるかもしれない。始まりあるものに終わりあり。どんなに愛する者もいつかは必ず別れなければならない時がやって来る。人は死ぬし、心は移ろうものであり、過ぎゆく時間は止められない。


 だが、それでも今のこの一瞬は確かに永遠なのだ。誰の記憶からも忘れ去られたとしても、今この場に存在したという事実を何人が奪えるのであろうか。


 相手の誠実を信じ、委ねられる愛を感じ、別個の存在であるからこそ互いが一つに近づけたことに奇跡を感じる。無慈悲に彩られた現実こそが、かかる神秘を絶対にする。


 目的無き合理主義が矛盾するように、知り尽くした己の心一つでは前へと進む標には成り得ない。他者を必要としない超克の論理こそ、孤独では決して辿り着けぬのだ。


 打ち上げられた花火が二人を照らす。誰も見る者は居なかったが、彼らの顔は花火に劣らぬ華やかな表情だった。




 「…綾音?」


 …否、離れた場所から二人組の男女を見つけた少女がここに一人。高坂アキの運命が大きなうねりに巻き込まれた瞬間だった。

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