第8話 二人と虐め(後編)




 「フゥー…」


 湯船に浸かってようやく一息つく。我が家のお風呂はとても大きく、全身を伸ばしてもなお浴槽には余裕がある。一人静かにリラックスできるこの時間は、普段の何気ない不安や雑念を整理できるお気に入りの時間だった。


 (どうしたものかな…)


 今日の一日を思い出す。あの時仁君を虐めていたのは忘れようもない、あの水原だ。


 受験をせず地元小学校からそのまま地元の市立中学に入学したことは、小学校時代に虐められていた人間関係を殆どそのまま引き継ぐことを意味した。


 前世で過ごし、今仁君がいる中学校はそれなりに荒れていて、ガラの悪い人間も少なくない。勿論真面目で大人しい子もそれなりにいたが、住み分けされた集団の、アウトローを気取る連中の中で中心人物だったのがアイツであり、私は標的としてよく目を付けられていた。


 「……」


 虐めの解決、それもあの学校での解決というのは中々難しい。というのも、まず仁君が普段の生活を送るのは彼の学校であって、別の中学に通う私がずっと守ってあげられないというのが一つ。


 次に、あの学校の教師や職員といった「大人」に伝えたところで上手く収まる解決はなされないであろうこと。いじめの密告をしたとしても、密告をした側とされた側を呼び出して口頭注意をすることがせいぜいであり、その後密告をされた虐めっ子がいじめられっ子を報復としてより酷く虐めるだすことは目に見えている。


 あの学校の教師たちにはいじめ問題に対処するだけの能力が…いや、正確には「余力」が無い。流石に学校中の窓ガラスが割られるほど荒れていた訳ではいないが、数世代前まではそれがあの学校の当たり前だったと聞いている。先生たちの悩みの中心は学級崩壊や暴力事件を食い止めることにあって、とてもいじめ問題にまで気が回せないのだろう。


 その点、先生にいじめを密告すれば職員会議や三者面談を行って対応するだけでなく、生徒会で相談室を設けて生徒側で学内の問題を処理しようとする私の通う学校は特殊なのだと思う。躾けられている家庭の子供は基本的に手が掛からず、礼儀を知って情緒も安定しているためにある程度学校の自治を生徒側に任せることができる。実際校則もそこまでは厳しくないし、学校の理念でもある生徒の自主性を尊重するということが成り立っている。


 前世通っていたあの学校の状況を一言で言い表せば、本来家庭で身に着けているべき最低限の教育を通う子達の殆どが受けていないために、学校側が親の代わりに一から教えるいるという状況なのだ。


 集会では騒いで話を遮り、やってきた教育実習生には暴力を振るう。そんな生徒たちを相手にいじめはいけませんよなどという理想論を語りかけても意味がない。


 湯船に沈みながら、忘れられない暗い記憶を思い出す。優しく教えてくれた中年の眼鏡をかけた女性教師がいじめられっ子達に羽交い絞めにされ、鬱血うっけつした顔が目の前で赤くなっていく光景が蘇る。くしゃくしゃになった彼女の顔は更に歪んでいき…


 「姉さん」


 かけられた声にはっとする。一つ下の妹、ひびきだ。


 「一緒にお風呂…入っていい?」


入口から小首をかしげながらそう問いかけて来る。


 「勿論よ、いらっしゃい」


 トテトテと浴場に入り、一通り体を流したあとに湯船に入ってくる。浴槽のスペースには余裕があるにも関わらず、響は小柄な体をスルリと滑り込ませて私の体に密着してくる。


 「…6年生になっても甘えんぼさんだね、響は」


 最近は回数が減ったが、昔からよく一緒にお風呂に入っては今のように彼女はじゃれてくる。可愛い妹だった。


 「……」


 猫のように体を丸める彼女を後ろからかかえ抱く。ショートヘアの毛先がチクチクとして少しくすぐったいが、肌と湯の温もりが何ともいえない心地にさせてくれる。まるで羊水の中にいるようだと言えばおかしいだろうか?


 「…ねぇ、姉さん」


 「なあに、響?」


 「最近…何か、嫌なこと…あったの?」


 ゾクリとした。


 「どうしてそんなことを聞くの?」


 「最近…いや、少し前から姉さんずっと考え込んでる」


 知らず知らずの内に表に出ていたのだろうか、前世から私は考えていることがすぐに顔に出る。隠し事は得意じゃない。


 「そう…響心配してくれてたんだ?」


 「うん…」


 「ありがとう、響は優しいね」


 子供における一年の差は大きい。ずっと年下で後ろを付いてくる可愛い妹だとばかり思っていたが、いつの間にこんな聡(さと)い子になっていたんだろう。


 「でもね響、お姉ちゃん悩んではいるけれど、今していることが嫌なわけじゃないんだ」


 「…そうなの?」


 「うん、お姉ちゃんは今やりたいことをやっているの…だから大丈夫よ」


 響に励まされたということなのだろうか、沈んでいた感情が前向きになっていくのを感じる。響の頭を撫でながら、私は幾つか浮かんできた問題の解決方法について頭の中でまとめていった。




                ◇




 「田村~ちょっと待ってくれよ」


 放課後帰り支度をする僕に水原君が肩を組んで止めて来る。ビクりとしながら振り向くと、ニヤニヤと笑いながら話かけてくる顔が見えた。


 「昨日の鳴上さんだっけ?どうせ今日もこれから会うんだろ?俺またあの女に会いたくてさ~案内してくんね?」


 太い腕で僕をゆさゆさと揺らしながら語り掛けて来る。後ろには6、7人の彼の仲間が薄ら笑いをしながらこちらを見ている。


 「俺らもさー昨日のことは悪かったと思ってるんだよ、だからまた会って謝りたいんよ、分かるっしょ?」


 「そうそうお礼がしたいの、むしろお礼」


 口々に適当な嘘をついているのが分かる。昨日やられた分をやり返したくて、僕に彼女と待ち合わせている所まで案内させたいのだろう。仲間まで呼んで女の子一人に情けないことだ、だが…


 「い、いいよ…鳴上さんと…まっ、待ち合わせしてる…とこまで、あ、案内してあげる…」


 卑屈な笑いを浮かべながらそう返す。情けない僕の言葉を聞いて水原達は気を良くしたのか、調子のいい言葉を投げてかけて来る。


 「マジ!?ありがて~やっぱ持つべきは友よね~」


 「俺最初から思ってたんだよね、たむやんホントはいい奴ってさー」


 そう言って赤くなった僕の頭をワシャワシャとかいてくる。


 「それでそれで?やっぱ昨日と同じあの公園にいるわけ?」


 覗き込むような眼で水原君がそう問いかけて来る。


 「うん…ただ、きょ、今日は遅れるって…言ってたから…もう少し待ってから公園に向かった方が…い、いいかも…」




                ◇




 「…遅いな、仁君」


 既にいつもの待ち合わせ時間から2時間近くが経っている。昨日あんなことがあったばかりだ、また出くわさないように今日は図書館内で待ち合わせようと仁君とは決め合わせている。


 いじめの解決に繋がる外部機関は無いかと待ち時間ついでに図書館で調べていたが、成果が出たかといえば微妙なところだった。前世で私が死んだ頃ならともかく、この時代ではまだいじめが社会問題と認知され始めたばかりであり、信頼できる相談窓口がほとんど無かったのだ。


 (私が放課後携帯を持っていることを仁君は知っている…なのに連絡も無いということは彼の身に何かあったのだろうか)


 徒労から悲観的な感情が繋がっていき、想像が最悪のケースにまで結びつく。仁君は私に連絡する間も無く、水原にとんでもないことをされているのではないだろうか。


 (もし彼の身に何かあったら私のせいだ…)


 腐っても学校。水原は教師たちに目を付けられていたこともあって、露骨な暴力は振るわないだろうと決め込んでいた自分の考えが嫌になる。


 甘かった。確かに前世では水原から虐められてはいたが、抵抗をしていなかったからかストレートに暴力だけを振るわれたり、集団でリンチされたりといったことは無かったのだ。しかし、他でもない私自身が昨日水原を返り討ちにしたことでストッパーが外れ、手段を択ばずに仁君を攻撃し始めてもおかしくないと今更ながらに気が付いた。


 (私は何てバカなんだろう…っ!)


 急ぎ図書館を出て仁君の通う学校へと向かう。元々この図書館は仁君の通っている学校から行きやすい所を選び決めたので場所も近い。


 転生してどこかいい気になっていたのだろうか?二度目の生を受けたことで人よりも先を進んでいるとでも思ったのだろうか?思い上がりも甚だしい。これで仁君が前世以上に虐められることになったらどうしよう。却って私のやってきたことは、無駄どころか有害ですらあったのだ。


 (無能な働き者っ…!!)


 自嘲しながら夕闇の中を走り続ける。そんな時、横切ろうとした昨日の公園内で何かが見えた気がした。


 (…?)


 気のせいかと一瞬思ったが、目を凝らすと誰かがもみ合うようにして争っているのが分かる。


 「…っ!…っぁ!!」


 「~~~!!」


 仁君と水原だ。急ぎ頭上の公園柵を飛び越えて中に入る。


 「なんなんだよお前!なんなんだよ!!」


 「あああぁぁぁぁぁ…っ!!」


 服も髪も無茶苦茶になって幾つかミミズ腫れを作っている水原に、それ以上にボロボロになった仁君がしがみついている。


 「分かったッ!!もう分かったってッ!!やめろっ!やめてくれよッ!!!」


 「ぅぅぅ…ああああああああッッッ!!」


 全体重をかけて力いっぱい掴み下ろした仁君の手がブチブチと音を立てて水原の毛を引き抜いていく。水原も必死に引きはがそうとしているのだが、力いっぱい握りしめているせいで真っ白となった仁君の手が水原のシャツを手放さない。


 「が“っ”あ“あ”あ“っっっ!!」


 獣のような声をあげながら目下の窪みに手をかけて、一直線の爪痕が顔にできる。


 「ハァッ…ハァァッ…!ひいいいいぃぃぃっ!!」


 必死に逃げようとするあまりボタンが飛び、半裸になった水原がよろめき転びかけながらも闇の中へと消えていく。


 「うぅ…」


 仁君も限界なのか、支えを失った老人のようにその場で倒れ伏す。


 「仁君っ!!」


 ようやく近くまでくると彼の酷い状態がよく分かる。肌が出ている所は殆ど血だらけだし、服も泥だらけで酷いことになっている。


 「あっ…鳴上…さん」


 「仁君…!貴方なんて無茶なこと…」


 「えへ…えへへへ…」


 体の何処かの部位が変な方向に曲がっていないか、傷口の箇所を確認する。一見命に別状はなさそうだが、とても安心はできない。


 「へへ…最初はね…7人ぐらいいたんだけどね…一人づつ…狙って…ずっとやってたら…途中からみんな逃げちゃった」


 7人も相手に喧嘩をしたということだろうか、開いた口が塞がらない。


 「このっ…馬鹿!何でこんなことをしたのっ…!」


 言い表せないぐらい沢山の感情がぐちゃぐちゃになって溢れて来る。視界がぼやけ初めてから自分が泣いているのに気が付く。


 「へへ…守ってもらうだけじゃ…嫌だったから…」


 たんこぶで顔半分を腫らしながらも、どこか誇らしげな表情で仁君が言う。


 「鳴上さんと…対等に、なりたかったんだ…」


 「対等…?」


 「うん…僕今まで…ずっと助けてもらってばっかり…だったから」


 「対等なんかじゃないよっ!!」


 「…うん、知ってる」


 そうじゃなくて。


 「仁君の方が…私よりもずっとずっと立派だよ!!」


 前世の私は一度も水原に逆らったことが無かった。自分が情けないと思いつつも怖くって、何も言えないままずっと惨めな想いを抱えて3年間を過ごした。


 だが、ここにいる彼は違う。彼は自らの意思で抗って、どれだけ傷ついても諦めずに己の意思を貫き通した。


今ここにいる彼の方が、私よりもずっと勇敢なのだ。


 体の奥底から熱い何かがこみ上げて来る。自分にもよく分からないその感情を感じながら、仁君をいつまでも抱きかかえていた。

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