第7話 二人と虐め(前編)
廊下にある掲示板の前で人だかりができている。中間テストが張り出されたのだ。
雑踏を避けながら張り出しものを覗き見ると、一番上に私の名前がある。まぁ、いつも通りだ。
「中等部なら外部生が入ってきて単独一位は無くなると思ってたんだが…鳴上は凄いな」
「流石鳴上さん内部生の誇りだわ!」
「い、いえ…そんな…」
なんでもこの学校に付属小学校からエスカレーターで入ってきた私たちのような人を「内部生」、中等部から受験で入学した人を「外部生」と呼ぶ伝統があるらしい。
数としては受験で入る外部生の方が多く、別にそれで表立った差別があるという訳ではない。だが、勉学にせよ校内なんらかの行事にせよ、対立を煽るかのように一々その呼び方をして私を担ぎ上げように使うのはやめて欲しい。
「昔から鳴上は1組の誇りだったからな、ここ数年は外部生が成績首位だったらしいし、俺らの学年でトップを取れるようなら鼻が高いよ」
「……」
小学校時代私と同じクラスだった子の発言を聞いて、やや周囲の空気がピリついたような気がする。確かに内部生は小学校6年間同じクラスにいた分、固くなった結束を大事にしたいのは分かる。だが、こんな大勢の前でそんなことを言えばそれを聞いていた外部生の子もいい気はしないし、外部生に何の悪感情も持っていない私にも彼らは決して良い感情は抱かないだろう。
「そんな言い方…しちゃだめだよ、中学から仲良くなった友達だっていっぱいいるし、その子達に助けられたり、刺激を受けたりしたから…だから今回も上手くいったんだよ」
勝手に思い込みで敵味方の線引きをされてはたまったものではない。誤解は解ける内に解いておくのに限る。
「そ、そうだよな…今じゃ同じ学校の仲間だもんな…」
言われてみてまずかったと思ったのか、その子は素直に謝ってくる。内外部の対立にせよ、他校との対抗戦にせよ、こういうことは所属している集団の結束が深まれば深まるほどある種避けがたい問題のように思う。…あと何度生き返って人生をやり直したとしても、きっとこういう問題は無くならないんだろうなぁ。
「鳴上さーん、先生呼んでるよー!」
「ん、分かったわ今行く」
あんまり深刻になりすぎないうちに話を切り上げ、呼ばれた事務室へと向かう。既に放課後なので帰り支度を終えてから向かおう。
「失礼します、鳴上です」
「来たか、入れ」
中から平坦な声が聞こえ、入室する。長方形の机3つ並べた奥の方に先生がいる。どうやら一人で何かの打ち込み作業をしているのか、カタカタとノートパソコンを動かしている。
「あー…あれだな、うん、まずは好成績オメデトウ」
白髪の頭を掻きながら不慣れな様子で褒めて来る。…何だ?
「はぁ、ありがとうございます」
「ちょっと今時間あるか?できれば数問だけ解いて欲しい問題があるんだ」
今日は放課後仁君と集まり勉強を見る予定だ。約束があるのでなるだけ早くしたい旨を伝える。
「うん、ダイジョブダイジョブすぐ終わるからさ」
そういうと一枚の紙を出してくる。…今日張り出された中間テストの類似問題だ。
(ははぁ…あまりに成績が良すぎるからカンニングを疑われてるんだな)
すぐに誤解を解こうと思い、かばんから筆記用具を取りだして即座に終わらせる。数学の問題だったので途中式も正確に書いておいた。これで疑われることは無いだろう。
「うんうん…んじゃ、次これね」
最初からあまり疑ってはいなかったのか、直ぐに次の問題を手渡される。一体何が目的なんだろう。
「…?」
この問題の範囲はまだ学校では習っていない。数学の授業は彼の担当なのでそれは分かっている筈なのだが…。解いて手渡す。
「おー正解、んじゃ次最期ね」
そういって表情を変えないまま手渡してくる。本当に一体何なのだろう。他の生徒はこの先生を無愛想だと嫌い、学生内での評判はあまり良くないのだが、留年が出ないよう工夫して授業したり、質問してくる学生には誠実に分かるまで付き合っていることを私は知っている。あまり妙なことをする人ではないと思うのだが…。
最後の問題は私が少し前に家で解いた問題に似ている。この解を求めるには…。
途中式を引きながら図に数式を埋め込んでいく。その間も先生はずっと手元を見てどこか眩しそうな表情で見つめて来る。
「鳴上は優秀だねぇ…」
「いえ、そんなことはありません」
謙遜しなくていいのにと先生の声が聞こえたが、実際優秀でも何でもない。前世の年齢を含めれば私の実年齢は先生とそう変わらない。そりゃ中学生としては凄いのであろうが、中年の人間が学生レベルの問題を解けるのに何が凄いことがあるのだろうか。
確かに鳴上綾音として生まれ変わってしばらくは人に認められた経験が少なかったこともあり、褒められることが純粋に楽しかった。だが、体が成長していくにつれ精神も引きずられたのか、次第に喜んでいる自分が恥ずかしくなっていった。いわば小学生が遊んでいる砂場に高校生が乱入するようなもので、大人が学校生活に紛れて子供相手に活躍できることを本当に心から喜んでいるようなら、その人間は自分の精神がよほど幼稚であるか病的であるかを疑った方がいい。
解けた問題をずいと手渡す。恥ずかしい思い出がトラウマになる前に帰りたかった。
「この問題ね…高等部の問題なんだ」
そうですかと流し、席を立とうとする私に先生が問いかけて来る。
「なんでもいいけどね、君この3年間なにするの?」
◇
(鳴上さん遅いな…)
待ち合わせ場所である市立図書館近くの公園で待っているが、普段決して遅れない彼女が既に30分近く遅刻している。
連絡しようにも僕は携帯を持っていないし、鳴上さんも学校では校則のために携帯は使えない。今は待つしかないだろう。
(この前の鳴上さん綺麗だったな…)
一緒に映画に行った時のことを思い出す。元々この上なく美人だと思っていたのに、服装が変わるだけであんなに華やかさが増すんだと会った瞬間に感動してしまった。
歩くだけで自己主張してくる黒無地に包まれたお尻や、縦セーター下から盛り上がっている体の起伏があまりに肉感的すぎた。
特に胸の…あれを一度触ってしまったことを思い出すと、今でも右手と顔が熱くなってくる。
思い出される感触とそれで生まれる
「あれ?田村じゃん」
「み…水原…君」
3人組の男達がベンチを座る僕を囲うようにして見下ろしている。
彼は虐めっ子であり、僕はいじめられっ子だった。
「水原、誰コイツ?知り合い?」
「あーほらあれだよ、この前話したキメェ奴」
「ブハッ、マジ!?君が田村君?ねぇ、ちょっと喋ってみてよ」
全身が急速に冷え切っていくのを感じる。血が抜けきってしまったかのように体が動かせず、目の前の現実一瞬一瞬に圧倒されてしまって頭や心を全く働かせることができなくなる。
「ねーねー田村クーン…ヤバイ俺この子に無視されてんだけど」
「ウケる、お前コイツに舐められてるよ」
五感で受け取る情報全てに受動的となり、自分の動かし方が一つも分からなくなる。何も分からない。何も感じない。何も動かせない。何も言えない。何も無い。
「ねぇねぇ、一回だけ!一回だけでいいからなんか喋ってみてよ!」
隣に座りニヤニヤとした表情で知らない子が頼んでくる。心のどこかで何をしても馬鹿にされると分かっていても、言われるがままのことをしてしまう。
「あっ…あ…!……っ!が…っうぁ…!!」
「だはははははははっ!なんだコイツ口をパクパクさせてて魚みてェ!」
「ギャハハハハハハッ!きっしょ!!」
「な?いったべ?コイツ頭おかしいんだわ」
首を腕で挟まれおもちゃのようにガシガシと揺らされる。揺れた体にあたった僕のカバンが開き、地面に教科書やノートがぶちまけられる。それを見てゲラゲラと笑う彼らの声が頭の中でずっと反響し続ける。
真っ黒になった卑屈な心で願う。神様、もしもあなたがいるのなら僕を今すぐに殺してください。そして、どうかあなたも死んでください。
運命を、呪う。
「あなた達…何してるの?」
「あ…鳴上…さん」
この世で最も見られたくない人に見られた。
「なに君?俺ら田村君の友達なんだけど」
「てか君可愛くね?どこ住み?どこ中?」
「…行こう、仁君」
鳴上さんが3人を無視して僕を引っ張り連れ出そうとする。
「…無視?この女酷くね?」
「てかさ、君田村とつるんでるなら止めたほうがいいよ。そいつマジで頭おかしいしさ、何喋ってっかわかんないし」
鳴上さんは聞く耳を持たないまま場所を離れようとするが、水原に行く手を遮られる。
「田村なんかほっといてさ、俺らと遊ぼうよ?俺ん家近くだしゲームでもしてさ」
「…あ」
きっと鳴上さんは僕より水原を選ぶだろう。水原は面白いし、イケメンで、強くて、家も大きくて、頭の回転だって速い。僕が勝っているところなんて何一つもない。きっと鳴上さんは今まであまり多くの男の子に出会ったことがなかったから、だから僕なんかと一緒に遊んでくれてたんだ。他の子を知ってしまえばきっと…。
「おい、待てって」
それでもなお無視して進もうとする鳴上さんの手を水原が掴もうとする。すると…
「……」
「…っああああ!?」
伸ばされた腕を瞬時に締め上げて鳴上さんが背後に回る。殆ど動きが見えなかった。
「ッテ、テメェ!離せ!!」
ギリギリと音が鳴りそうなぐらい締め上げた後、悲鳴と共に水原が地面に投げ出される。
「~痛ェ…ッ!」
「なんだコイツ…」
「俺は暴力振るう女に容赦しねェぞ!」
「……」
鳴上さんは3人の怒気を静かに受け止めて一歩前に出る。
「手加減されているのが分からないんですか?」
「…あ?」
「こんな固い道路の上に投げ出せば、あなたたちの背骨なんて簡単に折って殺せると言ってるんですよ」
更に前に出て言葉を重ねる。言葉遣いは丁寧だが、その実挑発しているようにも聞こえる。一切の迷いなく進む彼女は脅しやハッタリを言っているようには見えなかった。
「…っ」
水原達が息をのむ。後ろからでは彼女が今どんな顔をしているのかは見えないが、明らかに鳴上さんの顔を見てから腰が引けた。
「クソッ、憶えてろや!ブス女ッ!!」
三者三様の罵声を吐きながら男たちが居なくなる。
「…フゥ」
鳴上さんが息を抜いて姿勢を正す。終わったのだ。
助かった…いや、助けられてしまったのだ。本来抵抗すべき僕が彼女に守られて。
張り詰めた緊張感が嘘のように消え、同時に今まで以上の自己嫌悪が襲ってきた。…本当に、本当に死んでしまいたい。
◇
「ヒッグ…うぐ…ぇ…うぅっ!」
どれだけ止めようとしても次から次へと涙と嗚咽がこぼれ出て来る。彼女の前でみっともないところはこれ以上見せたくなかったが、止めようが無かった。
「仕方ないよ、あれは誰だって怖いよ」
そういって鳴上さんは優しく背中を撫でてくれる。だが、今だけはその優しさもどこか遠ざけたいような気分だった。
「ぼ、僕の…せいで…な、鳴上さんにも…迷惑かけて…!」
「そんな…私は全然大丈夫だよ、迷惑だなんて思ってないよ」
震える体を抱きしめられて彼女のぬくもりが伝わってくる。既に辺りは暗くなり始め、いつもなら鳴上さんが帰りを気にするような時間帯なのに構わず寄り添ってくれていた。
「…ね、仁君…私のことは綾音でいいよ」
「…え?」
「前から言ってるけど、私もっと仁君と仲良くなりたいの…そのために下の名前で呼んでくれると嬉しいなって…」
ひょっとしたら僕の気持ちを落ち着かせるために話題を変えたいのかもしれない。鳴上さんははにかみながらもそう語りかけてくる。
実は前々から彼女には綾音と呼んで欲しいと頼まれていた。彼女が下の名前で僕を呼んでくれているのに、僕が呼ばないのは彼女に失礼かもしれない。
「……」
だが、それでも今の自分のままで彼女の名前を呼ぶ気にはなれなかった。だって今の僕と鳴上さんとじゃ釣り合う気が全くしないから。
優しくて、可愛くて、賢くて、それでいて今日知ったように強くって…。そんな彼女には今まで何もかも与えられてばっかりだ。
大分泣き終え、段々とスッキリとしてきた頭で思う。彼女と対等の関係になりたい。
誰も彼もが釣り合う二人と認めるような、そんな人間になって何一つの負い目もなくなってから彼女を名前で呼びたい…熱さが抜け、落ち着いていく心の中でそう思った。
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