第6話 二人と遊び
「す、好きです…っ!付き合ってください!!」
放課後校舎裏に呼び出された私は告白されていた。今月に入りもう3回目、中等部になってから告白されるペースが増えてきた気がする。
「ありがとう…でも、今はちょっと忙しくて…そういうことに割ける時間が無いの」
一瞬告白が成功したかと思ったのかとパッと輝いた笑顔が瞬時にしぼんでいく。彼は同じ器楽部の男子校生でよく隣の席になって話したことがある子だ。
「時間がないならっ、都合の付くときだけでいいから…だから…!」
傷つけまいとした断り方がいけなかったのか、男子生徒は必死に食い下がる。好いてくれる気持ちは嬉しいが、この学校で告白をどう上手く断ればよいのかが未だに分からない。
「遠回しに断られてるのが分かんないの?アンタ綾音にあんまりしつこくすると許さないよ」
「アキ…」
いつの間に陰から見ていたのか、アキが私の前に出てきて脅しをかける。私と違い気が強く、ハスキー気味の低い声に気圧されたのか男子生徒は泣きそうだ。
「こ、高坂には関係無いだろ…っ!これは俺と彼女の問題で…!」
「はぁ?アンタなんか綾音にとっては時間を割く価値もないってことよ、ボンクラ」
ちょ…言い方…
あまりに酷い言葉を浴びせられ心がへし折れたのか、男子生徒は顔を俯けそのまま走り去ってしまった。…かわいそうに。
「アキ、助けようとしてくれたことには感謝してるけど、あの言い方は酷いよ」
「フン…あの男前から気持ち悪かったのよ、クラスが違うのに事あるごとに綾音のことを見に来たりして」
前世で純粋な委員会の用事でクラスが違う女子に話掛けた時、その子がたまたま学校のマドンナ的存在だったために告白だと勘違いされ、吃りで誤解が解けないままに大恥をかいたことがフラッシュバックする。辛い。
「いや…それは誤解かもしれないし…、それに恋した人が感情をコントロールするのって大変なことだって聞くよ?きっと少しぐらい変なことをしたとしても、それは仕方がないことなんだよ」
「やめなさいよ、たぶんアンタのそういう…変な男に対する理解がああいう男を勘違いさせているのよ」
フンと鼻を鳴らしてアキは男子生徒が去った方向を睨(にら)む。アキもかなりモテるのだが、以前男共にはウンザリするという愚痴を言っていたのを憶えている。彼女と知り合ってそれなりに長いが、彼氏を作ったという話は全く聞いたことが無い。なにか男性に思うところがあるのだろうか?
「そんなことよりさ、今日放課後暇?ウチで皆呼んでさ、カラオケしようよ」
アキの家は私の家より大きく、母親の稼業柄なのかただの趣味なのか一室まるごとカラオケボックスのように改造されている部屋がある。その辺のカラオケ店よりニッチな曲や色んな設備があり、たまに遊びに行っていた。
「ごめん、今日は柔道教室の日で…」
「えぇ~また~?最近付きあい悪くない?」
仁君に出会ってからというもの、学校や最低限の習い事といったどうしても外せない用事以外は全ての時間を仁君の為に使っている。振り替えが利く習い事は仁君との勉強の進捗を優先して会えない日に入れているし、以前ほど友達と遊ぶことは無くなった。
「この埋め合わせは今度必ずするから、ごめんね?」
「まぁ、別にいいけど…」
不服そうなアキと迎えの車が待つ校門まで一緒に帰る。前世では決して関わることが無いような人種であり、サッパリとした性格の彼女は私と意見が別れることも多い。が、何故か不思議と馬が合う。今では大切にしたいと思える人の一人だった。
◇
終わりかけた春の日曜昼過ぎ、伝えた待ち合わせ時間の30分前に着く。集合場所のモニュメント下には既に仁君がいた。
「お待たせ~遅れてごめんなさい!」
「い、いや…僕も今来たばかりで…」
前世で誰かとの待ち合わせを楽しみにする時、大抵私は遅れないように早く来すぎていた。仁君に合わせて早めに来て正解だったようだ。
「……」
「仁君?」
「えっ、やっ、いや…何でもないよ」
遠慮がちな視線で私を見ているのが分かる。今日は久しぶりの私服を見せる機会ということもあって私も気合を入れてオシャレをしてみた。季節っぽい白の縦セーターに黒のパンツ、どうやら反応を見るに気に入ってくれたようだ。…いや、彼の趣味嗜好は完全に把握しているから当たり前かもしれないが。
「映画が始まるまでもう少しあるし、一緒にお店を歩かない?」
「う、うん…」
どこか落ち着かない様子の彼に右手を出して手を繋ぐ。
「あっ…」
繋いだ瞬間ビクりと揺れて仁君の緊張が伝わってくる。彼の手から僅かに手汗を感じるのも、単に夏近くの陽気に当てられたというわけではないだろう。
私の記憶が確かなら今の仁君に対人経験と呼べるものは殆どない。あるとしても虐められたり、無視されたりといった人と付き合うことが苦痛となるマイナスの経験ばかりだ。
…この時代の彼は嫌な思い出が人間関係を作る意欲を失わせて、彼を一人孤独な殻へと閉じ込めてしまっている。それが更に対人能力を失わせて他人と上手く接することができず、結果新たに嫌な思い出となって将来悪循環になってしまう。今の彼にはまだ経験が無いが、これから嘘の告白で馬鹿にされたり、宗教勧誘や
テラス付きのクレープ屋に寄って二人でクレープを注文する。彼がチョコレートで私がメロンクリーム。若い女性店員が無表情で半ば作り終えるのを見て仁君が財布を出す。
「いいよ私が払うから」
「で、でも…流石に…わる…いよ」
「いいの、今日は仁君のお祝いの日なんだから私に払わせて、ね?」
それならとどこかほっとした表情で引き下がる仁君。男として払わねばと思ったのだろうが、恐らく今の彼には正月にお年玉として祖父から貰った3000円以外は手持ちがない。無理なことはさせたくなかった。
「…美味しい、ク、クレープ食べたの初めてだけど…こんなに美味しいものなんだね」
人と一緒にクレープを食べる。普通の人なら子供時代に親や友達と一緒に経験する当たり前のことかもしれないが、前世の私は死ぬまでに一度も経験したことが無かった。
人の真意を見抜くだけの対人経験が無いから過去の私は簡単に嘘に引っかかり、誰かに必要とされた経験が殆どないから多少怪しいと思っていても頼られるとつい嬉しくて人の言いなりになってしまっていた。今思うに、この悪循環はどれだけブラックな環境でも自分がいないと仕事が回らないと思って死ぬまで働いたその時まで続いていたように思う。
彼の口元に付いているクリームを指で拭いてあげると、顔が青ざめたり赤くなったりしてコロコロと表情が変わる。…可愛い。
前世では人に期待をしないよう心を閉ざせば閉ざすほど、反面寂しさから無防備な自分が時折出てきては愚かなことばかりしてしまった。…その負の連鎖を今、私という存在で止(とど)めておきたい。
私は経験を積むための練習台…彼が自分のコミュニケーション力を試す
そのためにまずは彼と多くの時間を共有し、共に笑い、共に泣きたい。夢中で大きめのクレープを頬張る彼を見ながらそんなことを考えるのだった。
◇
「す、凄かったね…面白かった…」
「うん、最初期待した以上の出来だったね」
映画を見終え感動冷めやらぬ内に感想を言い合う。アニメ映画で仁君が選んだものだったが、単純にアニメーションが素晴らしかったというだけでなくテーマ的にも中々よく練られていた。
子供連れの家族で観に行って親側が泣いてしまう。あるあるだと思います。
二人で歩きながら映画について語り合っている内に駅のホームに着く。帰りの電車を待ちながら夕に照らされる仁君に聞いてみる。
「仁君、今日楽しかった?」
「何で?そんなこと…」
逆光で表情がよく見えない。
「当たり前だよ!すっごく楽しかった!」
突如列車が通り、ホームへ差す夕日が遮られた。…今までに見たことも無いような笑顔をしている。
「そう、よかった…また来ようね」
今日映画を選んだのは単に映画が私の趣味だからという訳ではない。映画という短時間に感情が動かされていく体験を通して彼の表情筋を鍛えていきたかったのだ。どうせ何か彼と体験するのなら、より彼のためになった方がいい。
常日頃無感情であることを強いられた人間は、表情を動かす筋肉が発達せずに一般的に美形と呼ばれる引き締まった顔とは対極の、腫れぼったい顔付きになってしまう。私が虐められた原因の一つ、容姿の部分である。
とはいえ、改善のためだとこれをありのままに伝えれば間違いなく彼は傷つく。少しずつでもなるだけ早く改善すればと思い映画に誘ったのだが…どうやら今日は上手くいったようだ。
(今の表情が見れてよかった、今日は充実した一日だったな…)
やってきた電車に乗ってほっとしながら一日を思い返す。だが…
「きゃッ…!」
「っと…!…!?」
突如急発車で走り出した電車にお互い態勢が崩れて体が重なる。思ったより勢いよく倒れてしまった。
「イテテ…大丈夫鳴上さ…でええええぇぇぇっ!?」
「あっ…」
仁君に押し倒されたような形になっている。特に彼の右腕が私の胸に当たって…。
「ゴメェッンサイ!!」
跳ねるように飛び起きた彼が、即座に腰を直角90度に曲げて謝ってくる。
「だ、大丈夫だよ…わざとじゃないってわかってるし、気にしないで」
触られたところが何となく熱い気がする。うぅ…人があまりいるような時間帯じゃなくてよかった…。
その後お互い気恥ずかしくなり、ろくに顔を合わせられないままその日はお開きとなった。
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