第4話 出会い(後編)




 「ヒック…うっ…うぅ…!」


 街灯に照らされた人の気無い道を泣きながら歩く。ホームルームはとっくに終わり、放課後校庭で遊んでいた子達や委員会やクラブで残っていた子達も帰っている。こんな時間に小学校からの道を帰っているのは自分だけだ。


 今まで靴に画びょうを入れられていたことは何度かあったが、今日は下駄箱に靴ごと無くなっていた。手元が暗く見えなくなるまで探し続けたが結局目当ての靴は見つからず、今は上履きで帰っている。


 (帰ったら何て言おう…)


 母親にバレれば心配をかけるだろうし、父親に知られれば癇癪(かんしゃく)をおこされて何をされるか分からない。うちは裕福じゃないから新しい靴をすぐに買ってもらえるかも分からず、できれば内緒にしておきたかった。


 頭のいい子なら上手く隠したり言い訳を思いつくのだろう、だが僕には何も思いつかない。


(どうして僕はこんなに馬鹿なんだろう)


 授業には付いていけず、毎学期通知表には最低の評価がつくことは当たり前になっている。運動も苦手で体育の授業や外遊びでは嘲笑(ちょうしょう)の的でしかないし、よくボーッとしていて忘れ物を何度もしてしまう。当然クラスの女子にも嫌われていて、席替えの度に隣になった子がオーバーリアクション気味に嫌がったり、机を離したりして嫌悪感を隠そうともしない。


 一学年6、7クラスある中で僕のような子は殆ど居ない。保育園までは同じ組でたまに見たような「完全に意思疎通出来ない子達」は特殊学級として普通の子供たちとは区別されたところで普段生活しているからだ。僕のあだ名が少し前にその子達が集まる「クラスの名前」ひまわり学級になったこともあって、母親にどうすればそのクラスに入れるのか聞いたことがある。知らない所で馬鹿にされるよりかはとにかく虐めから逃れたかったのだ。


 だが、お母さんの職業は「そういうことに関わる障害者福祉支援仕事」らしく、「僕のような子」ボーダーラインは入れないし、入るべきでもないと言われ「五体満足で生んだのに」とかえって叱られた。


 そう言われたからには僕の頑張りが足らないのだろう。そう思い授業を集中して聞いてみても付いていくことができない。僕が1問目を悩み、答えを出している間にみんなは3問目を既に終えている。分からない所を先生に質問する度に


「はい聞いてー!一人の質問はみんなの質問だよ!」


 とクラス40人分の授業が中断され、恥ずかしいやら授業の進みを止めて周囲に申し訳ないやらで嫌になる。


 それでも諦めずに聞いてみたり、授業が終わった後に質問しに行ったりしていたが、どうも物覚えの悪さやグズさを嫌われてしまったらしく、先生が例を挙げる時毎回悪い引き合いとして僕の名前を出してからかわれることが増え、クラスの皆にもそのことがいじられるので止めてしまった。


(…どうして僕はこんなに馬鹿なんだろう)


 お母さんもお父さんも僕のようなグズじゃない。…勿論お爺ちゃんもだ。


 お爺ちゃんは僕が唯一尊敬している人間で、両親が共働きで夜遅くまで帰ってこない時お爺ちゃんの家に預けられてよく一緒に遊んでくれた。虫取りやゴム動力飛行機…色んなことを教えてもらったが、元教師のお爺ちゃんには当然勉強も教えてもらっていた。


 しかし、どうにも僕は覚えが悪かった。習字は字がのたくり漢字は覚えず、理科や社会は覚えた順に忘れ去り、算数に至っては何を問われているのかすら分からない。運動神経も一向に良くならず、もうすぐ小学校を卒業するというのに未だ補助輪を外せていない。


 ある日僕の通知表を見てがっかりするお爺ちゃんを隠れ見た時、胸を貫くような衝撃のままに僕は自分のことを殺してやりたくなった。


 僕が無能なせいで僕自身が苦しむ分にはまだいい。だが、僕の無能のせいで大切な人が傷ついたり、悲しんだりすることはどうしようもなく許せなかった。


 いつだって正しいのは世界の方で、問題が起こる時は必ず僕に過ちがある。何とか、何とかしなきゃならないとはいつも思っているのに前に進むことができない。砂穴に手足が取られているように何も掴めず、いつも皆がいる「普通」には辿り着かない。足掻けば足掻く程に上から笑われているようで、みっともないようで、惨めなようで…。


 卑屈さに昂る思考は加熱していき、いよいよ自虐が自慰に傾きかけたその時…。


 (……?)


 帰り道の先、校門から出て学校近くの狭路に何かが見える。


 女の子だ。街灯に照らされてはいるが、学校を眺めているようで反対側に向いた顔は良く見えない。


 (忘れ物でもしたのかな…)


 こんな時間にまだ帰っていない者同士だと勝手に親近感が湧いてくる。すれ違い様になんとなしに顔を見ると…。


 (…っ!?)


 尋常じゃなくかわいい子がそこに居た。透き通るような白い肌、パッチリとした二重にかかる楚々そそとしたまつげ、肩先まで伸びている長い黒髪はハーフアップで上品にまとめていていかにもお嬢様という感じがする。


 背も近く、同じような年齢の気がするが…何となくまとっている雰囲気が大人っぽい。同級生の女子達とは違い、胸の部分が服の下から押し上げられて綺麗なシルエットを形作っていることからもひょっとしたら年上なのかもしれない。


 数瞬自分が呆けていたことに気が付き、止まっていた足を再び動かし始める。あまりの美しさに見惚れてしまっていた。他のクラスの子だろうか?


 「…?…!!?」


 今度は少女がこちらに気が付き驚愕している。彼女の大きな目が更に見開かれ、口が小さく開いている。…かわいい子ってどんな表情をしていてもかわいいんだな。


 夜道で唐突に出会ったのだから驚くのは無理のないことかもしれないが、それにしても驚きすぎな気はする。僕を見てからその子は完全に固まってしまって、身じろぎ一つしていない。


 女子にあまりいい思い出の無い僕は、あまりとどまっていると悲鳴や罵声を浴びせられるかもと思い背を向けてその場を離れようとする。ずっと見ていたい気もしたが、それで気持ち悪がられるのも嫌だった。


 「…ま、待って!」


 呼び止められた。


 「え、ええと…私鳴上綾音って言います…、突然ごめんなさい」


 少し考えるような顔をしながら女の子が駆け寄り、話しかけて来る。いい匂いがしてくらくらする。


 「ぇあ…っ…ぁ…はい…」


 「私実は道に迷ってしまって…この近くにある駅への道は分からないでしょうか?」


 「そ、それなら…この道を…真っすぐ行ったところに…あります」


 緊張と吃りで上手く喋れない。恥ずかしくて消えてしまいが、不思議と鳴上と名乗った女の子はそれに全く嫌悪感を見せない。


 「ありがとう…その、一人で夜道を歩くのが怖くって…もしよければ案内して頂けると助かるのですが…」


 正直とてつもなく嬉しかったが、大抵の人は僕と関わる時間が長くなるほど僕に嫌悪感を募らせていく。こんな綺麗な子と一緒にいられる口実が出来て嬉しい反面、なにかを期待するだけ無駄だという気持ちもある。…ともかく困っているのなら仕方がない、駅に送っていこう。


 了承した旨を伝えると鳴上さんはニッコリと花のように笑う。


 「ありがとうございます!優しい人なんですね」


 駅までしばらく歩くことになる。きっとその短い間でも分かれる時には彼女は僕のことを嫌いになっているに違いない。どもりをなるだけ出さないようにできるだけ喋るまいと心に決めて歩き出す。




                ◇




 「そ、それでね…!装甲騎兵がね…っ、ライダーがね…っ!」


 「うん…!うん…!」


 気が付いたら好きなアニメや漫画についてひたすらに喋っていた。こんなに人と話すのが楽しいのは生まれて初めてかもしれない。


 「それでそれで?そのアニメのこともっと教えて?」


 鳴上さんは僕の吃りも意に介さず、ニコニコと愛想よく相槌をうってくれる。こんな人懐っこく女子に話しかけられたら嬉しくて何でも話しちゃうよ。


 「あ…」


 夢中で会話をしていたらいつの間にか駅前に付いていた。学校も違うようだし、ここで彼女と別れたら二度と彼女と接する機会は無いだろう。こんなことならもっとゆっくり歩いておけばよかった。


 「送ってくれてありがとう…ねぇ仁君、短い間だけど今日は楽しかったわ」


 「ぼ、僕も…!な、なんだか初めて会った気がしないくらいに…気が合って…!」


 「うん、もしよければ私たち友達にならない?今日のお礼もかねて近い内にまた会いたいな」


 あまりに自分にとって都合の良い言葉に飛び上がりそうになる。


 「も、勿論…!」


 「本当?嬉しいな…、ね、連絡先交換しようよ」


 彼女から渡されたメモ紙に家の電話番号を書きなぐり手渡す。が、交換する時に少し手が触れてしまいビクついてしまう。うぅ…暗くてバレて無いといいけど…。


 「私の番号は携帯だから何時でも遠慮なく連絡してね…それじゃあ仁君、またね」


 そう言って鳴上さんは駅の階段を駆けていく。彼女が階段を上る度、ワンピースとその上に羽織ったストールがたなびいて天使のようにも見える。


 彼女が去った後も、しばらくボーっとして夢でも見ていたのかなと思い手を見ると先ほど渡された電話番号が握られている。これが現実?今日は最高の日だ。


 浮かれたまま帰路につき、ふと思う。


 (あれ?そういえば僕さっき名前で呼ばれていたけど、いつ名前を教えたんだったっけ…?)


 何となく浮かんだ疑問だったが、彼女と過ごすであろうこれからのことに気を取られてすぐに記憶の海の中に沈んでいった。




                ◇




 駅前でタクシーを捕まえ一息つくと、次第に出会った時の衝撃が蘇り、興奮で体が震えだしてきた。


さっきまで一緒にいた男の子を思い出す。彼の容貌、住んでいた場所、名前や趣味、癖までもその全てを私は知っている。田村仁…彼は私の前世そのものだ。


 (見つけた…私が転生した本当の意味)


 生まれ変わり今世で恵まれた環境にあっても、どこか心が満たされなかった理由…それは前世であまりに長い間劣等感に苦しんでいたが故に、劣等感そのものが己のアイデンティティとなってしまっているからだ。


 普通の人間になりたいと願い、私が長年行動をしてきたことは間違いない。だが、その反面自分が普通や優秀さを身に着ければ身に着けるほど、一人で苦しんできた過去が誰からも気が付かれなくなってしまう。苦しんできた過去が「無かったこと」にされてしまう。


 思えば前世からこういったことは意識無意識の内にあった。人からも褒められても喜び以上に怒りが湧き、昇進の機会があっても周囲の責任と期待に耐えがたくて辞退したり、たった一度だけ女性から告白されたときに、断って悲しむ相手の顔を見てどこか後ろ暗い喜びを感じたり…卑屈な感情が常に自分自身を呪っていた。成功を願い前に進みたいという自我と、失敗に立てこもり、しかし今日までの自分を支えてきた自我との衝突、えて言えば「卑屈な自尊心」というこの矛盾。


 自分でも愚かだと思う。前に進みたいと願いながら、常に後ろから目が離せない。これが論理の転倒でなくてなんなのだろうか。己の人格を映し自分を理解するのに必要なのが他人という鏡ならば、私はその鏡に現在と過去の双方を同時に映すべしと求める矛盾を犯している。そんなものはどこにも存在しないというのに!


 (…いや、ここに一人いる)


 過去の自分と出会った今日、その純朴さに圧倒された。絶望に染められていない今の彼ならまだ助けることができる。私がこれから彼の未来を好転させれば、今の私を卑屈付けている過去も同時に克服することができる。


 私という人格が同時間軸に2つ存在することによって、現在と過去双方の救済という矛盾を解くことができる!


 虐められ友達が居なかった灰色の日々、モテることないモテてはいけないと腐っていった卑屈な想い、何も分からないまま社会に出て失敗したブラック社員時代…だが、今の私ならその全てを克服することができる。


 欠点を直す為の知識と経験、孤独を癒して苦難を支えてくれる理解者、かつて足りなかったものを今の私なら与えなおすことができるのだ。


 幾度となくフラッシュバックしてきたトラウマは、もはや己を苦しめるだけの古傷ではない。これから起こり得る未来を表す、脳裏に刻まれた指針となったのだ。前世今世を合わせた40年超のあらゆる失敗…特に孤独死したあの無残な最期を繰り返さないためにも私は心に決める。


 (今世私の一生は彼の為に捧げよう)


 握る拳に活力が戻り、諦めからか眠っていた頭が再び動き出すのを感じる。予定調和で終わるかと思っていた人生に再び意味が与えられ、錆びついていた心臓が本来の鼓動を取り戻す。


 まるで生き返ったような気分だった。

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