第3話 出会い(前編)




 私が生まれ変わってから11年が経った。


(本当にこのままでいいのだろうか)


 誰も残っていない教室でそうひとりごちる。黒板には卒業する同級生達の書いた寄せ書きが端まで書き埋め尽くされており、窓から差し込む夕日がオレンジ色に照らしていた。


 様々な色のチョークでカラフルに描かれた文字はクラス組の結束をうたったものが多い。1組は永遠!とか1組はいつも一番!等々…だが、何故かそれを見続けているうちに文字を文字と認識できなくなりやがてモザイクのように頭の中でぼけていく。


 ぼうっとした頭は平衡感覚を失い見てるものと自分の境界線がよく分からなくなっていく。薄暗い教室の中は静まり返っていて、感じているもの全てがだんだんと夕闇の中に溶けていく。


 「綾音、何してんの」


 「…アキ」


 いつの間に来ていたのだろう。アキが怪訝そうな顔をして教室の入り口から顔を覗かせている。


 「皆呼んでるよ、綾音が居ないとさよなら会が始められないでしょ」


 ボブカットに切り揃えた金色の髪を苛立たしげに揺らしながらもそう言ってくる。眉間を歪め不快そうな表情をしているが、それすら女優である彼女の母親に似てか彫像のように美しく見える。


お世話になった先生達に最後のお礼ということでクラスメイトの皆が書いたメッセージカードと花束を直接手渡すことになっているのだ。


 「ごめん、今行く…」


 急ぎ教室を後にする。駆けるように外に出て、みんなの集まる場所へ向かいながらも一度だけ校舎を振り返る。6年を共にした学び舎には沢山の思い出が詰まっている筈なのに夕に照らされた校舎を見ても不思議となんの感慨も湧くことは無かった。




                ◇




 私が通っていた小学校は明治時代より続く名門大学の付属小学校で…一言で言うと、かなり特殊な場所だった。


 前世に通っていた学校が小中高共に公立校だった私にとって小学校からお受験をするということや、それ専用のお受験塾に通わされることにまず戸惑ったが、受験日当日倍率10倍で大勢の親子が会場に集まったことには圧倒された。


 試験会場にはいかにも教育ママという女性が託すような目をしながら息子に何かを語りかけていたり、物陰では腹痛を訴える娘を泣きながら叱る母親が見える。


 (まるで戦場みたいだな…)


 ぱっと見たところ受験する子供の性別は半々なのに女子の定員は男子の半分だということや、受験科目は勉強ではなく体操や集団レクだと塾から聞いていたので、これは落ちるかも分からないと思いつつも試験を受け始める…が、開始直後に何を試験監督に問われているのか段々と分かり始める。


 「みなさーん、準備運動が終わり次第平均台を渡って行ってください。焦らなくてもいいので順番に!」


 急いで集まろうとする子供に突き飛ばされてよろめく。


 「っとと…」


 なんとなしに顔を上げてぞっとする。何人かいる試験官の多くが一瞬だけ突き飛ばした子と突き飛ばされた私を凝視していたのだ。


 彼は平均台を渡る子供よりも列に並ぶ私たちを見ている。


 平均台を上手に渡り終え、ほっとしたのか集団に戻った途端隠れて鼻をほじり出す子を試験官は厳しい目で見ていたし、途中で平均台から落ちても根が優しいのか他の子を応援している子を見て何かを評価するように試験官は手元のボードを書き込んでいる。


 この試験は運動が上手に行えたとか、レクで正しい結論を導き出せたかという結果はどうでもいいのだ。いや、上手くできたのならそれに越したことは無いが、評価されるのは子供がどう行動したのかという過程にある。


 子供が自分の意思で考え、行動し、家でもしているであろう何気ない行動を試験官は見ているのだ。


 そんなことは会社の面接などでは当たり前のことで、要は変なことをしなければよいのだろうと思うかもしれないが、これを問われているのはたった6、7才の子供なのである。まだまだ情緒が安定せず、正しい言葉遣いをすることや、長い間親の元を離れて人に試される中不安になる気持ちを抑えることなぞ普通できるわけがないのだ。


 特に親の言いなりでこの場にいる子供ほど合格するのは難しいだろう。彼らは悲しい程親の喜ぶことだけをして生きてきたし、周囲を見て他者を気遣う余裕もない。何よりこの学校における理念は付属を含め「独立」であって、精神的に親へ依存している子供とは正反対と言っていい。


 他の学校とは違って入学試験の科目に筆記試験や面接が無いこともそのあたりが関係しているのかもしれない。子供が幼少期に修められる知識なぞたかが知れていて、それを学ばせるために躍起になるような…いわゆるガリ勉の子供を避けたいのかもしれない。


 では、どんな子供がこの試験を合格できるのかと言うと…すくすくと育ち、礼儀正しく、優しく、不安なく自分の意見が言える子供、一言にすれば「自信と余裕のある子ども」だと思う。


 そもそも独立や自立というのは当の子供が人格を持ち、それに自信を持っていることで初めて生まれてくるものだ。空気に飲まれず、評価されていることにも臆さず、他人を気遣いつつも自分の意見をはっきりと言うことがこの試験では評価される。


 これは合格した後で同級生達と関わる内に気が付いたことだが、入学した子達はどの家庭でも「お受験塾」の他に小さな頃から音楽や絵画教室、レジャー体験といった特別な体験をしている。幼年期の経験が自我を彩り、その体験をさせてやれるだけの実家の余裕が『試験一つ落ちたところで自分の人生は不幸にならない』という自信を子供に持たせている。今にして思えば、私のチェロ教室もその一環だったという訳だ。


 私立学校として入学から卒業まで単純に一千万近くの学費がかかるというだけではない。子供の人品磨かせること含めて、莫大なお金が掛かるという意味で一般的な家庭が少し背伸びしたところでこの学校に入学することは難しいのだ。


 試験が終わり、会場を出た所で一組の母娘が抱き合っている。母親の方は娘を案じてこの寒空の中ずっと待っていたのだろうか、吐く息が白くなく少し震えている。


 「…どうだった?」


 「すごく上手くできたよ!運動も、レクレーションも!!」


 「ホント!?よかったぁ…」


 安心したのか母親の方は涙目になって娘を強く抱きしめる。


 晴れ晴れしい顔で帰っていく彼女達とはそのまま二度と出会うことは無かった。




                ◇




 無事お別れ会が終わり、皆まばらになって家へ帰っていく。中にはこれで最後ということで涙を溜めてまだ先生と話している子達がいる。うちの小学校はクラスと担任が6年間変わらないため、深めた仲の分別れの言葉が尽きないのだろう。


 「綾音、何してんの」


 帰ろうと駅に向かって歩いていると後ろから声を掛けられる。車道沿いに隣へ並ぶ車の後部窓が開き終えて声の主が姿を現す。アキだ。


 「アンタもいつも帰りは車でしょ?今日はどうしたのよ」


 「今日は運転手さんがお休みの日で…、だから歩いて帰ろうと思ってるの」


 我が家には専属で雇っているドライバーがいるのだが、今日の朝連絡が来て家族に危急の用があり暇を欲しいとのことで休みを出している。そのため家族から今日はタクシーを使って帰りなさいと言われていた。


 「ふぅん、そっか…乗る?」


 「ありがとう、でも今は少し歩きたい気分なの」


 実を言うととある事情により前世から車は大嫌いである。我が家の車やアキの乗る車は共に高級車でエンジン音は気にならないし、いつも清潔にしているため『ほこりのようなあの匂い』も殆どしない。だが、乗らない機会があれば敢えて車に近づこうとは思わない。それに散歩がてら今頭の中で渦のようにまとまらない思考を整理しておきたかった。


 「心配してくれてありがとう、また今度誘ってちょうだい」


 そう親友に感謝を伝える。彼女は無愛想だが心配性なのだ。


 「…フン」


 出してちょうだいと彼女が言い、走り出す車に少し手を振って見送る。元々学校から家までは数駅の距離だ。駅に着き、慣れた手つきで切符を買う。今世では初めてだが、前世でこの路線はよく利用していた。


 久々の駅構内で喧騒に揉まれながら思考に没頭する。


 行きはじめの頃、学校は凄く楽しかった。前世では高校まで事情あって学生時代を楽しむどころでは無かったし、集団行動やクラス一律の学習に付いていくことは出来なかった。本当の意味で学問に出会えたのは働きながら夜間大学に通い出してからだし、能力的にも情緒的にも集団に合わせることが出来るようになったのはその後だ。


 テストは当然毎回満点を取れるし、先生や親、同級生から褒められることが純粋に楽しかった。授業の内容も高学年になるにつれこちらの好奇心をくすぐる内容が増え、誰に言われるまでもなく進んで中等部や高等部の内容を一人で学び続けた。


 友達も増えたし、何人か親友と呼べる間柄の人間もできた。この学校の子供は皆個性的な人間ぞろいで話していて飽きないし、基本的に素直で捻くれたところが無くて接しやすい。運動会、林間学校、作品展、音楽会に学習発表会。記憶の中の暗い記憶を漂白するかのように私は学校生活を全力で楽しんでいた。


 最初の疑問は数年前におきたほんの小さなきっかけだった。その日私はあるチェロコンクールに出場し、普段通り自分の思うように演奏した。大会の規模は大きく、全国的から素晴らしい演者が集っていて中でも自分の後に弾いたある演者の技術は卓越していた。


 素直に敵わないと思ったし、当然最優秀賞もその人の手に渡ると思っていた。しかし…。


 「本コンクールの最優秀賞は鳴上綾音さんです!!」


 周囲万雷の拍手で迎えられた私は困惑を通り越して、呆れを越して、更に恥を越して、最後には憤りすら感じた。確かに音楽というものは聞き手の趣味趣向に大きく左右されて評価が決まるもので、演奏技術の判断基準にしたってどうしても抽象的なものにならざるを得ない部分はある。だが、それにしても自分より優れた演者が正当な評価を受けていないという事実は許しがたかった。


 直接審査員に抗議しようとしてママに止められたのでその場は引き下がったが、後日どうしても納得がいかず一人で調べていく内にあることが分かる。審査員の半数が私の学校を出たOBであったり、また付属の音楽学科関係者だったのだ。


 彼らが母校を同じくする父の機嫌を取るために忖度したなどと穿(うが)ったことは言わない。だが、審査員達が今までの人生の中で美的感覚を養う際、同じ階級の人間が作った音楽を聴いて育ち、結果として趣味趣向に反映されていると考えればどうだろう。つまり、評価する側が好む音楽とは彼らと親交のある人々が作り、似たような社会階層の人間が演奏する同じ傾向を持つ音楽なのだ。


 一度噴出した疑問は留まることを知らない。同級生達の中にも私と同じように、父母がこの学校の卒業生という子は数多くいる。いや、むしろそうでない子の方が少ない。


 彼らの親の多くはパパのような官僚、政治家、企業主、俳優、芸能人、学者、芸術家…誰もが世に大きな影響力を持っている上流階級ひと握りの人達ばかりだ。彼らはこの学校の卒業生として同じ同窓会に入り、今でも交流を続けている。


 卒業生達の結束は固く、それぞれの業種を知り尽くし立場あるものが仲良くするだけで人脈となる。パパが家を建てようとした時に同級生の勤めるハウスメーカーに受注したと聞いているし、ママから貰った特製のチェロを注文したのも楽器職人である友人に頼んで特別に作ってもらったのだと言っていた。あらゆる場面で良質の生活を互いに便宜し、世間に出回っている常識よりも一歩先の情報を交換する。彼らは互いの成功を友情でもって望み、人生に潜む落とし穴の一つ一つが除かれて結果として多くの卒業生が人生の成功者となる。


 即ち、この学校に入学した時点で人生の成功は半ば約束されてしまったようなものなのだ。


 …あぁ、かつて私が欲しかったものが、ここではなんと簡単に手に入ってしまうのだろう。


 富の素材は富である。余裕のある生活がチェロや映画といった文化的なもの楽しむ心を子供に育くませ、この学校に入学することで成功者となった子供たちが更にその子供に余裕のある教育を施す。エスカレーター式のこの学校では留年でもしない限りドロップアウトはあり得ない。私の意図に関わらず、今の友人たちも将来強力な人脈となるのだろう。


 豊かな親の世代の遺産が子供の世代に引き継がれ、代々の輝かしい未来は既に予約されてしまっている。私が今の家に生まれなくとも自分の音楽的才能に気が付けただろうか?否、楽器に『触れる機会があって初めてそれに気が付けた』のだ。この大きなうねりの中で、私一人の努力なぞなんとみすぼらしいことか。


 (…私はこのままでいいのだろうか)


 きっとこれから何もしなくても私は幸せになれるのだろう。付属の名門大学を出て、一流の企業に就職して、優秀な男と結婚して、子供を生み、また育てて…。


 だが、それだけで幸福を掴めてしまうのならば、私が幸せになるために今までひたむきに生きてきたことの意味とは一体何だったのだろうか?


 これがたった一度の人生なら私が疑問に思うことは何も無かっただろう。裕福な家の子供として「そういう構造再生産」があると知っても、自分の人生は自分の努力で切り開いてきたという一度限りの実感が己の幸福を否定することは無かった筈だ。きっと体験した苦悩がどれだけ小さく、下らないものであったとしても、それが成功に繋がるかけがいのない糧であったと…そう純粋に信じられたのだろう。


 しかし、私の人生は2回目である。それも1回目は正反対の家庭で育ち、自分の生まれに苦しみ続けてきた。前世では文字通り己に足りないものを埋め合わせるために生涯を捧げたと言っていいし、今までの苦しみや悲しみを今世のものと比べてしまうことができる。


 幸せを目指して変わることを願ったとき、己の無能さや貧しさで否定されたのが前世ならば、今世では己が及びもしない巨大な構造で人々の幸不幸は決まり、そもそも人一人変わったところで大した意味は無いのだと思い知らされた。


 乗った車両内には会社帰りか人は多く、四方から押されつつもドア傍で窓の外をぼうっと眺める。闇に落ち始めた住宅街には光が灯り、人の存在を示す標となって私に孤独感を投げかけてくる。


 これだけの人が居ても、この虚しさを共感できる人間はただの一人もいないのだ。


 沈む気持ちを変えられないまま無為な時と共に列車は進む。母親にあやされる泣く子のぐずり、口論する若い男女の不快な声、誰かの音楽プレイヤーから漏れる雑音、窮屈な空間にこらえたかそれとも日々の苦悩からか零れる中年のため息。ただただ自分という存在がこの空間の中に埋没していく。




                ◇




 数度目の停車で人の乗り降りが始まる。降車側なので一度ホームに出ようと思い外に出る。


 ホームに降り立ったその瞬間、思考が一気に中断されて目の前の現実に愕然とする。


 (ここ…前の家の最寄駅だ)


 さびれた構内、駅前のスーパーマーケットとマンション群以外には背の小さな建物ばかりが並ぶ懐かしい光景。前世の幼い頃の記憶が蘇る。


 呆然とする私を置いてドアを閉め電車は定刻通りに走り出す。


行ってしまった…。


 このまま次の列車を待ってもいいが、数十年ぶりに見る故郷から目が離せない。どうして今まで一度も来ようと思わなかったのだろう。思い出したくない記憶と共にこの場所を忘れ去りたかったのだろうか?いくら嫌な記憶が多かったとはいえ、生まれ育った場所なのに…。


 (……)


 携帯を見て時間を確認する。既に遅い時間帯だが、帰りにタクシーを使えば家族に不審がられることは無いだろう。


 (今のこの気持ちも…過去と向き合えば、自然と変わるものなのかもしれない)


私は忘れた何かを取りに行くような心地で駅を下り、そのまま町の雑踏に飲み込まれていった。

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