第37話
僕らの脇を呑気に飛んでいたジャバウォックだったが、しばらくすると、僕らから遠ざかっていく。
そうでなくとも、背後の様子を伺うと、ロンロンの呪いを受けたプレイヤーの残骸や、メリーの羊、バンダースナッチの増産兵器など、次々に消滅していくのが分かる。
何事かと思った矢先。
前方に一筋のスポットライトが灯り。
その下、法服を脱いで質素なワイシャツとズボンの格好となったオーエンが一人。
大鎌を手元でくるくる回しながら、僕らを待ち構えていた。
奴との距離は、今の速度を保ったままで、一分弱で到着するくらいだろう。
僕は一応、自分とレオナルドに薬品を使用する。
どうやら、僕らがオーエンと一定距離まで接近したので大規模な妖怪レイドバトルは強制終了するようだ。
面倒な。これはこれで最悪な仕様だ……
後方を確認すると、真っ白なカサブランカと真っ黒なムサシは異様に目立っていて。
レオナルドを攻撃してきた『騎射』の少年から。
ボロボロ状態ながら生き残ったらしいホノカとラザールの姿まで。
他にも数十人ほど脱落しなかったプレイヤー全員が、こちらに迫って来た。
無論、生き残ったらしいアイドル二人も僕らの後方につく。
重量や装備の関係で、レオナルドが僅かに二人をリードしているが、薬品のせいで重量がある僕は、レオナルドよりも離れた位置に留まっている。
距離を詰めて来た翔太が僕に吠えた。
「何で、テメェらは妖怪に攻撃されねぇ! チートでも使ってんのか!!」
恐らく、ジャバウォックの行動を見て疑念を抱いたんだろう。
僕はこう返事した。
「初イベントだけあって、バグが発生しているんですよ! きっと!!」
実際にジャバウォックの攻撃を受けた翔太と心は納得いかなそうな表情をしていた。
こればっかりは本当に運営の不手際であって。僕らは何も悪くない。
運営だって、イベント終了後に謝罪か何かをする筈だ。
ふと、誰かの声が響き渡る。
『……オーエンは、私と同じ『ブギーマン』の血を引き継いでいるが、「神隠し」の妖怪でもある』
『「神隠し」は自身の固有結界「神域」のみしか存在が赦されない。現実では存在が希薄となる』
『現実に居続けると、それだけで消滅する』
『だが、定期的に人間から恐怖を採取する為に、人間を隠さなければならない』
『聞こえは虚しさを覚えるが、大したことはない』
『問題は奴のわがままだ。奴の退屈を殺す為に、奴を楽しませなければ、悲劇は繰り返される』
『どうしようもない私の息子に死を与えてくれ』
先導していたトムも『今のは?』という反応。
誰もが、話の内容で心当たりがある。そして――レオナルドが体勢を整えた。
兎がピンと二足で立つように、背筋を伸ばしたかと思えば。何かに向かって手を振る。
オーエンよりも手前の水面の上。
一際目立つように、真っ白な人影があった。
レオナルドが反応を示したものだから、カサブランカじゃないかと僕は錯覚したが。
髪型や背格好が女性のソレではない。
すれ違ったほんの一瞬だけだったが、ジャバウォックと同じ白の貴族服に白髪。黄金色の瞳。口元を金属製のマクスで覆った男……年相応の雰囲気を感じたが、ジャバウォックを成長させたような。
そんな人物だった。
レオナルドが振り返りながら叫んだ。
「ダウリス!」
僕も彼から聞かされた、マザーグースの名だった。
振り返った時には、彼の姿はない。忌々しいアイドルの心と翔太だけがいた。
しかし、二人は化かされたかのような表情を浮かべている。
「おやおや。酷いものだ。生き残ったのはコレだけかね?」
突如、僕らと先導していた白兎が止まってしまう。
既にオーエンが眼前で待ち構えていた。優雅に大鎌を振るって、演劇のようにスポットライトの下で歩みながら、虚空を階段に登るような動作で登っていく。
僕ら以外にも、心と翔太、他のプレイヤー達も同じようにオーエンの前で停止。
イベントが開始するまで嫌でも、次の行動に移れない。
改めて全員が集結すると、二十人もいない。
僕とレオナルド、ムサシ、カサブランカ、ホノカ、ラザール。
アイドル二人に『騎射』の少年。
その他は見覚えないプレイヤーたちだけ。少なくともアイドルファンではない。
全員を見渡してからも、オーエンはニタニタ笑ったまま、ここまで来れた人間に関心がない様子。
コイツにとって、人間はおもちゃに過ぎない。
今まで、目にした事ない機能があるか否かを期待している……
僕らからすればハタ迷惑な行為でも、向こうにとっては迷惑かけてでも退屈を殺さなければならないのだろう。
オーエンは虚空の階段を途中まで登り、不自然に片足をかけたまま述べる。
「春の人間が補充されたと聞いたが……あっははは! ここに来るまで皆殺し合っていたのは滑稽だったよ!! 面白いものを見せてくれて、どうもありがとう」
僕らの愚行を皮肉るような謳い文句から、オーエンはいよいよ大鎌を構えた。
「さて。残念だが、私を殺すのは退屈だけだ。私を殺したければ、お前たちの馬鹿馬鹿しい死を見せてくれ」
誰も彼もが一方的なオーエンに対し、ただ戦闘態勢を取る中。
唯一、一人だけが躊躇なく、倫理観なく、空気を読めずに喋った。
「私は自殺しに来たんじゃないんですよ。殺しにきました。ここから先は、誰よりも先に貴方を殺す―――早殺しが始まるんです」
カサブランカだった。
イベント中だから、誰もが喋れないと錯覚していたのか。これもバグの一種なのか。全員、彼女が喋った事に驚いている。
馬鹿真面目にそう宣言したカサブランカを、オーエンは瞳孔が開いた瞳を、更に見開き。
それからゲラゲラ笑う。
「嗚呼、なるほど! これは楽しい。少しは楽しくなりそうだ!! さあ、これより先、誰もいなくなるぞ!」
オーエンの宣戦布告と同時に、カサブランカとムサシが奴を攻撃しようと即座に動く。
だが、突如斬撃が僕ら全員を襲い掛かった。
いや……広範囲攻撃なんて甘いものではない。斬撃は止まない。
オーエンの前を立ちはだかるように、複数のオーエンの偽物が大鎌を手に回転攻撃を続け様に展開する。
偽物と分かるのは、続々と出現するオーエンたちは法服を着ている。
着てないオーエンが本物。
シンプルで分かりやすいものの……斬撃を繰り出すオーエン、ニシンや蜂の使い魔を召喚するオーエン、銅器や斧といった武器が違うオーエン、状態異常を与えるオーエン、炎系の特殊攻撃をするオーエン。
このように、どれもこれも攻撃パターンが違ううえ。
ラザールが魔石ではなく、自力で広範囲魔法で偽オーエンを攻撃するが、瞬く間に新たな偽オーエンが迫る。
ホノカも直接攻撃を与えて偽オーエンを倒していくが、手応えがないようで「分身か何かか!?」と叫んだ。
格闘家系は、幻覚などを無効化するスキルはない。
他を頼っているんだろう。
ムサシもジョブ3で使用可能らしいスキルを発動。一帯が一瞬、白黒に反転。
ムサシの呟きが聞こえる。
「幻覚ではない」
レオナルドも僕ごと、偽オーエンの猛襲を回避し続けていた。
現状、突破口がない。しかも、偽オーエンの数は気持ち悪い勢いで増殖し続けている。
空間一杯に偽オーエンで埋めつかさんと言わんばかりの勢い。
他のプレイヤーも猛襲を耐え抜いているのは、相当の技量だ。流石、生き残れただけある。
しかし、このままでは……
[ププ~!!!]
死線にて、場違いなラッパの音色が響く。
それは白兎が吹いているものだった。トムの声がハッキリ聞こえる。
『こっちです! この子に付いて来てください!!』
やはり、兎を生かす事に意味はあったようだ。
理屈はまだ解明できないが、それでも白兎の案内に従えばオーエンに接近できる希望が見える。
他のプレイヤーもそうしたが、真っ先に『ソウルターゲット』を用いて心と翔太が最高速度で追跡。
「あの糞アイドル! 叩き落してやる!!」
完全に嫌がらせ特化というべきか。『騎射』の少年が的確な射撃で、翔太の大鎌を射る。
鎌の耐久度ではなく、矢を受けた時の衝撃でバランスが崩れるかどうか。
落とす為だけに、幾度となく『騎射』の少年が射たお陰で、翔太は地面に落ちた。
少年は、苛立ち解消しつつ。馬に騎乗して白兎を追跡するちゃっかり者だ。
先頭をキープし続ける心は、最後にオーエンのトドメを指す事だけを考えている。
アイドルの、リーダーとしての執念か。
そして、僕達は……正確には、レオナルドが一人、白兎を追跡しないカサブランカに興味を惹かれている。
カサブランカは追跡などお構いなく、偽オーエンの軍勢と戦い続けた。
あれでは、レオナルドが動こうにも動けない!
僕が仕方なく奴へ呼び掛けた。
「カサブランカさん! 偽物を攻撃しても意味はありません!! 白兎を追ってください!」
「嫌です」
こいつ……
レオナルドもオーエンの軍勢に向かう白兎を気にかけているようだが。
決心をし、カサブランカに近づく。レオナルドは尋ねた。
「どうするんだ?」
「どうもこうもありませんよ。殺すんですよ。さっき私がそう言ったの忘れましたか? 多分ですが、マザーグースもそう仰っていたでしょう??」
………いや。そんなクリアがあっていい筈が。
レオナルドは確信してしまったらしく、僕に頼んで来た。
「ルイス。カサブランカと一緒に、オーエンを倒すぞ」
僕は流石に呆れてしまった。無謀と言うべきか。思わず聞き返す。
「君、本気かい」
「でも……それで間違ってないと思う。それに」
チラリと心を見てレオナルドは続ける。
「俺だとこの数は相手できねーから。カサブランカ辺りにやって貰わねえと」
そう、一番の問題はこれだ。
ジョブ3『
しかし、ジョブ2『
諦めざる負えない状況ということ。
レオナルドが固執せず、素直に身を引く行為を他人がどう思おうが僕は正しいと感じる。
むしろ、意地張って、無謀で感情的に挑む方が愚かだ。
それでも……偽オーエンを全て殺そうなど、こっちの方こそ無謀に聞こえてしまう。
が、どうやら違った。
カサブランカは大鋏を分解し、二本の刃を振るって、次々と偽オーエンを倒していく。
接近する偽オーエンは攻撃スレスレで回避。
高熱エネルギーを発する炎系の特殊攻撃をする偽オーエンは、できる編み物で使用する金属製の『棒針』で槍のようなしなやかさで、薙ぎ払う。
使い魔を召喚する偽オーエンは、余裕で使い魔を避け、本体を攻撃。
偽オーエンが発動する異常状態は、レオナルドが『ソウルシールド』をカサブランカにも展開する事で問題ない。
……何故だろう、単調に感じる。
攻撃モーションから、攻撃範囲まで、あまりにワンパターンだ。
まるで動作だけコピーペーストしたかのような。
普通はそうだ。
こういう動きをすれば、次はこう動く。
道中に現れる雑魚妖怪は、種類ごとに攻撃モーションが決められているものだ。
だが、高性能AIが搭載されているメインクエストボスは違う。
特定のパターン動作を行う事は多々あるが、それでも通常戦闘ではプレイヤーの挙動に対応し、臨機応変な攻撃を繰り出す。
しかし、あのオーエンは道中の雑魚妖怪と大差ない。
冷静になった僕は理解した。
すると、レオナルドが『ソウルサーチ』を発動する。
偽オーエンたちはどれも魂がないが、本物のオーエンにだけ魂が灯っていた。
カサブランカは「嗚呼」と微笑を浮かべて告げる。
「あそこですか。まあ、いけるでしょう」
僕には分かる。
カサブランカはこれで偽オーエンの行動パターンを読み切ったのだと。
レオナルドが僕に尋ねた。
「ルイス。『火炎瓶』、残ってるか?」
「……ざっと2000個くらいかな。最初の連中の防御を破壊するのと、奴らを片付けるのに結構、数を減らしてしまったよ」
周囲の偽オーエンを片付けた後、カサブランカが武器を降ろす。
それから手元に何かを出現。
あれは……ジョブ武器の一つに枠組みされている『刺繡道具セット』の箱。
彼女が無尽蔵に出現するボビンやルレットなどは普段、あそこに収納されている。
それと大鋏が輝きを放つ。
カサブランカの服装が瞬く間に変化を遂げる。
シンプルな出で立ちに似合わない煌びやかな純白のドレスになっていた。
また運営の悪趣味仕様か。少なくとも、それがジョブ3『手芸師』の能力だと分かる。
変身を遂げたカサブランカは恥ずかし気なく、淡々と僕に告げた。
「私が上空から一掃しますので、『火炎瓶』の爆風で私をオーエン本体に吹き飛ばしてください」
「は?」
僕の言葉に耳傾けず、カサブランカの奴は人外めいた跳躍で、偽オーエンの合間を抜け、上空に降臨した。
途中、彼女が着るドレスから煌びやかな針が出現し、偽オーエンを刺し殺している。
ジョブ武器全てがあの服になっているのか。
カサブランカが両腕を振るうだけで、ボビンや針が展開され、即座に射出。
奴の気色悪い挙動で、刺繡師系には不可能な広範囲攻撃をバトルロイヤルで実現したのを、更に凌駕する。
バンダースナッチ並の密度を誇る広範囲攻撃だ。
レオナルドが逆刃鎌を浮遊させた。無論、僕の逆刃鎌も。
『火炎瓶』を投げ入れる為に、僕はカサブランカに近づく必要になる。レオナルドが繊細なコントロール捌きを行い。
偽オーエン以外にも、カサブランカの攻撃も躱した。
純白の存在が見えて来た所。僕は躊躇なく『火炎瓶』をカサブランカに投げ入れる。
味方同士攻撃し合っているように見える場面。
カサブランカに『火炎瓶』が炸裂すると同時に、爆風を受け、異常な速度でカサブランカが吹き飛ぶ。
僕らもすぐさま、彼女を追跡するが、レオナルドが『ソウルターゲット』を併用しても、全く追い付けなかった。
吹き飛びから体勢を整え、おぞましい速度で周囲の偽オーエンを倒すカサブランカ。
向こう側に、白兎に先導されるプレイヤーたちが見えた。
白兎が倒されないよう、他プレイヤーが攻防しているのにレオナルドは「よし」と安堵した様子。
他プレイヤーが白兎を守ってくれるのは、大体予想がつくものの。
万が一もありえる訳だ。彼は一安心なんだろう。
さて、正攻法で挑んでいる奴らよりも、僕らの方だ。
再び増殖する偽オーエンを回避しようとレオナルドが集中して逆刃鎌をコントロールする。
僕は後方に『火炎瓶』を投擲。
少しでも時間稼ぎする為の、冴えない手段だ。
――突如、ばっさりと偽オーエンが片付けられていく。
カサブランカよりも討伐数は控えめながらも、両断していく人物はムサシ。
奴以外存在しないが、僕らに接近してきたムサシに思わず尋ねる。
「ムサシさん!? 皆さんと一緒に白兎を追いかけなかったんですか!!?」
「遠回りしている。まどろっこしい。こちらの方が速い」
ああ、向こうは向こうで安全な分、時間がかかると。
集中していたレオナルドは、少し気を緩めムサシに「悪い! ありがとう」と礼を告げた。
これから、という状況で、またもや出鼻を挫かれる。
偽オーエンが全て消え去ったのだ。同時に、イベントが発生したらしく、僕らが全員停止する形。
本物のオーエンの様子が奇妙で。
ニタニタ笑わず、気味悪いほど瞳孔開き切った瞳に歪んだ口元、そんな顔を傾けて尋ねる。
「どういうことかな」
奴は、ただただ不機嫌そうだった。不機嫌そうにカサブランカを見つめる。
救いようがない戦闘狂は、不敵に笑い答えた。
「どうもこうもありません。私は貴方を殺しに来たんですよ。貴方は人間の知能が浅はかで、自分は優れていると思っているでしょうが。もう大体わかりましたよ」
「ほお? 何が分かったのかね」
「|貴方、自力で戦えないんですね」
背筋が震えるような間が広がる。
カサブランカはお構いなく、喋り続けた。
「貴方の能力。多分ですが、この空間であった事象を再現するとか、そんなところでしょう? 今までの攻撃は、貴方がそれっぽい動作をした事象を何十も複製したもの。しかも『事象の再現』を出現できても、それを動かせる数は限られています。百もいきませんね」
「…………………」
「ああ、次は貴方の兄弟や人間の攻撃でも再現しますか? 別に構いませんけど。一つだけ言っておきましょうか。それは所詮、他人の複製に過ぎません。貴方の実力ではない」
「………………………………………………………」
「貴方が、とんでもなく弱いと分かりましたので、殺します」
論文を一通り読み終えたようなカサブランカは、最後まで微笑を浮かべていた。
そうして、オーエンの表情は憤りに変貌を遂げた。
猟奇的な笑みを浮かべ、されど素人目でも分かるような憤りを隠しきれない威圧。
呪文のように言葉を繰り返すオーエン。
「弱い、弱い弱い弱い。弱い、ねえ。お前の言う弱いとは、対等に渡り合う意味かね。それとも勝負に負ける敗者の意味? まあ、どちらでも――」
狂った劇を中断させるように、我に返った心が叫ぶ。
「お前! 何、余計な事をしてくれたんだ!!」
ムサシが静かに「もう動ける」と呟く。
レオナルドが即座に逆刃鎌を浮遊移動し始めた。僕は悪寒を覚え、彼に伝えた。
「兎だ。レオナルド、カサブランカは問題ない。白兎を保護した方が良い」
これが想定外の隠し要素だったのかは、分からないが。
突如、全体が変化した。
オーエンは、偽オーエンも何も出現させずに、大鎌を構える。冷酷に奴は告げた。
「全員死ぬがね」
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