第17話 ローウッドの責任
"自由"と"権力"はよく似ている。
どちらも満足することのできないもの。
それなのに求めずにはいられないもの。
人は、その願望に支配されるが故に"不自由"となる。
権力者は、あらゆる事に対して自由に決断できる権利が与えられる。
その権利こそが権力者の最たる力であり、同時に"義務"でもある。
この"義務"を定義するならば、それは然るときに決断し、その結果について責任を負うこと。
おそらく万人がこの答えに納得するだろう。
しかし、権力者当人からすれば少し違う。
彼らにとって"義務"とは理不尽そのもの。
幾千幾万と最善の決断を下そうと一度の失敗で全てを失い、例え下した決断が間違っていなくとも結果が伴わなければ全ての責任を負わされるというものなのだ。
それ故、これまで王国の権力者たちは理不尽から逃れるために決断を避け、責任の所在をあやふやにしてきた。
本来、このような怠慢を罰するのは王の役目だが、歴代の王を傀儡にしてきた者たちはその処罰すらも逃れられたのだ。
――そう、これまではそうだった。
始まりは、たった二人の権力者。
フラン王国、国王『メトロス35世』とその臣下『ローウッド』の台頭。
それに伴う勢力図の大きな変化は、権力闘争というにはあまりにも一方的に事が進み、有無を許さない絶対王権が誕生した。
これにより、王の裁断はあらゆる者に下すことが可能となる。
それが由緒正しい名家の大貴族だろうと、法の盾に守られた大臣であろうとも。
王は"義務"の遂行を躊躇しない。王の"権力"を保つために。
王はその力を、たった一人の"友人"のために求める。
それが、王にとって唯一その心に宿した"不自由"だった。
◇◆◇
王城の中にある議会堂。
そこで行われていた論争が終わり、政治家や貴族たちが散り散りに去っていく中、一人の老人が座り込んでいるのが視界に入る。
「どうした? 顔色が良くないぞ」
私が話しかけたのは、敵対する派閥の中心人物だった男。
王国の大臣でもあり、王の叔父でもある人物。
そして今は王によって生かされ、王のために働くただの一役人。
「貴様はずいぶんと悩みが無さそうだな。ローウッド卿」
「はっはっは。どこぞの誰かが失脚してくれたおかげだろう」
「ふん、貴様とていつ切り捨てられるか分からんよ」
この男は間違いなく失脚した。
だがそれでも依然として強い影響力を持つのは、公爵家の生まれという高い身分とこれまでの確かな実績を持つからだ。
半端に権力を持つがゆえに、この男はいつまでも利用され続けることになる。
「君を見ていると因果応報という言葉が浮かんでくる。陛下を操っていたはずが、操られることになるとはな」
「全く、皮肉なものだ。おかげで私は仲間たちから裏切者扱いだよ」
「困難な時ほど、誰が本当の友なのか分かる。いい機会じゃないか」
「ならばもっと皮肉だな。今の私に話しかける者など貴様くらいだ」
「軽薄な友より、賢い敵の方がマシな場合もある」
「ふざけた事を……」
男は私を睨みながら立ち上がる。
気を使ってやったつもりが、何とも棘のある態度だ。
……ま、奴にとって私は自分を陥れた怨敵に他ならないのだから仕方がない。
「今回の議会、貴様は何もかも早急に決断しすぎだ。あれでは敵を作る一方だぞ」
「決断こそが我々の義務だろう。私は自分の職務を全うしたまでだが」
「綺麗事を言うな。もし結果が出なければ、誰が責任を負うつもりだ?」
「可笑しなことを言う。政治家は国家の責任者。責任者が責任を負うのは、当たり前のことだ」
「はっ、貴様の失脚もそう時間がかからないという訳だ」
「それで構わん」
「……何?」
私にあって、この男に無いもの。
――それは"不自由"となる覚悟。
説明したところで理解はされまい。
この男に限らず、大抵の凡俗は好き勝手に生きることを至上とする"無垢な自由"を尊ぶ。
それは、さぞ生きやすいことだろう。
目障りな敵や鬱陶しい義務も無く、全てが思い通りの人生。
しかしそれは、退屈な人生に違いない。
あらゆる努力が無意味となる虚しさ。
色褪せる未来に夢や希望は無く、容易く願望を手放してしまう。
これが無垢な自由の正体。
義務から目を背けて逃げ惑う凡俗の、気付くことのない真実。
私の求める自由は、そんなものではない。
それを手に入れるためには、見渡す限りの敵を討ち果たし、理不尽な義務を踏み越える必要がある。
その過程は努力と呼ばれ、やがて権力へと変貌していく。
ならば権力の使い道とは、自由のために敵を滅ぼす凶器に他ならない。
無論、道半ばで倒れることもあるだろう。
必ず自由が叶う保証もない。
だがそれでいいのだ。
思い通りにならないからこそ、願う夢に価値はある。
儚く脆いからこそ、望む希望は輝く。
未来は、"不自由"な願望で彩られてなければならない。
これが"本当の自由"の正体。
凶器を以って儘ならない未来を求める者の、野蛮な真実。
人間の崇高な理性を信仰する者は、この真実を否定するかもしれない。
しかし残念なことに、人類の本質は紳士でいることよりも野蛮であることを歴史が証明している。
義務から目を背けようとも、自分の本質から目を背けることはできないのだ。
「私は義務から逃れるつもりなど毛頭ないのだよ」
「ふん。ローウッド、貴様どうやらヒロイズムに酔っているようだな。くだらん」
「地を這う小鳥に、大海を渡る
「貴様っ!」
「さて、無駄話はここまでにしよう。時間を浪費する贅沢は、我々老いぼれには許されていない」
これ以上、議論をするのも不毛だろう。
私は憤慨する男を残し、議会を後にする。
生憎とやるべき政務は山積み。
何より私には"手"が足りないのだ。
◇◆◇
私は執務室の中、一人頭を悩ませていた。
最近まで騒がしていた裏社会の群雄割拠が落ち着き始めたかと思えば、今度は表社会に伸びてくる"影"の存在。
市場に出回る物資、金、人……それらが徐々に表のものから裏のものへとすり替わっていた。
気付くとすでに、国民の衣食住の三割程度は何かしら関与している疑いがある。
つまり、奴らがその気になれば国民の三割が衣食住を一時的に失うということだ。
あまりにも深刻な事態。
当然、これだけの大掛かりな企みなど通常ならば事前に察知できる。
それが遅れたということは、すでに政界にも奴らの息が掛かっていた証拠。
だが、裏切者の存在は大した脅威ではない。
王権の下、派閥を越えて全ての者を調査できたため、すぐに見つけ出して処罰することができた。
本当の脅威は、その意図。
これまで明確に線引きされていた境界を越え、大胆にも侵食してくる意図は何なのか。奴らの"首領"が姿をくらませたことと何か関係があるのか。その全てが謎だ。
幸いなことに、今のところはただ単に市場の占有率を上げているに過ぎないため混乱は起きていないが、奴らの願望が分からない限り、交渉の余地もない。
本来、こういった案件を得意とするのは私の"右腕"だった。
何せ奴らの"首領"を情婦にしてしまうような手癖の悪い優秀な腹心『ユーリ・ハワード』は、裏社会に精通しており、この分野の第一人者と評価できる。
そんな男を左遷させたのは、他でもない自分。
あの時は、それが最善の決断だった。
ただ、現状を鑑みれば最善の結果にはならなかったと言わざるを得ない。
この責任を、私は負う義務がある。
大臣の席を降りるわけではない。
責任をとる道は、身投げのような行為の中にはないからだ。
私のすべきことはただ一つ。事態の鎮静化を図ること。
それは名誉も賞賛もない、地味な道。
時間は有限だが、困難は無限に湧いてくる。
「全く、人生は儘ならないものだ。これもまた"不自由な自由"ということか……」
執務室で愚痴を零しながら書類に目を通す。
しばらくすると、部屋の外が騒がしいことに気付いた。
「一体何の騒ぎだ? 報告したまえ」
それを問い質すため、部屋の外に立っている護衛を呼ぶ。
「……ん?」
しかしいつまで経っても返答がない。
私は立ち上がり、部屋の外の様子を覗こうとした。
その瞬間――
バァアアアアン
扉が派手に吹き飛んだ。
その破片と共に外にいた護衛も吹き飛ばされていた。
「……はぁ。またかね? ハワード夫人」
風通しの良くなった入り口から入ってきたのは、一人の娘。
どこに焦点が合っているのか分からない目で私を睨みつけるその娘は、腹心が連れてきた"妻"であり、そして"勇者"でもある女だ。
「――ユーリーはどこだ」
まるで親の仇かのように怨念を込めた低い声は、奴の行方を探し求めていた。
「さぁ、知らんな。奴は今休暇を取って何処かへ旅立ったと前に教えただろう」
元々は政略のために連れてくるよう私が命じたわけだが、その後の成り行きは全く私の関しない所にある。
かといってこの状態の勇者を奴に引き合わせたら、どうなるのか見当もつかない。
「嘘をつくな!! 知っているぞ……"マチルダ"、その女がユーリーを奪ったんだ!!」
ユーリ・ハワードがエルフの国『アクロス』へ向かった後、何も知らされていなかった勇者は王都中を彷徨っていた。
それは奴本人の所在というよりも、その周囲にいる女の影を調べているようだと監視していた部下から報告されている。
「そうか。なら私は関係ないな。是非マチルダに奴の行方を尋ねるといい。できれば私のいないところで」
君子危うきに近寄らず、とはよく言ったものだ。
女は復讐と恋愛において、男よりも野蛮であることが多い。
下手に女の前を横切れば、私が敵と認識されかねない。
よって、ここは白を切るのが最善だろう。
「――嘘はだめだよ、大臣。君には説明責任があるだろ? ボクはそう思うんだ」
突然聴こえてきた声は、まだ少し幼さを残す女児のもの。
その声に私は心当たりがある。
「へ、陛下、なぜここに!」
勇者に壊された入口から出てきたもう一人の来訪者。
それはまさにこの国の王、『メトロス35世』その人。
「彼女、勇者なんでしょ? 君が連れてきた。ボクを利用するために」
「……一体、いつから勇者と面識が?」
「ボクと"友人"だけの秘密基地にね、彼女が来たんだ。そこで知ったよ。彼女が何者で、なぜこの国に来たのか、そして"誰"が連れてきたのかをね」
あぁ……非情に不味い。
いつの間にか私は女の前を横切っていたようだ。
幼い王の目が今、私を認識した。
「安心してよ、大臣。君には恩がある。だから過去のことなんてボクは気にしない」
では、未来はどうだろうか。
王は、勇者は、この先何をしようというのか。
「だから、話してくれないか? ボクの友人がどこへ旅立ったのかを」
「言え、私のユーリーの在り処を。あの女とどこへ行ったのかを!」
「……」
「「はやく」」
凶器を以って儘ならない未来を求めることが、本当の自由。
だが、時には立ち止ることもある。
例えば相手の狂気が私の権力を上回る、そんな場合は大人しく従うべきだ。
何も無駄死にする必要は無い。
責任をとる道は、身投げのような行為の中にはないのだから……。
怨んでくれるなよ、ユーリ。
君にも責任の一端は担う義務があるはずだ。
だから思う存分、野蛮な彼女たちと"不自由"を満喫してくれ。
ユーリ・ハワードと愉快な仲間たち 秘密基地少年団 @secretbase
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