第16話 女幹部エマ 後

 "秩序"とは何か――


 突如起きた犯罪の増加。

 平然と行われる略奪、暴行。

 前触れも無く振るわれる凶器。


 理不尽な蛮行に、王都の人々は思う。


 なぜ、こんなことが許されるのか。

 なぜ、悪が罰せられないのか。

 なぜ、法を守る自分たちが害されるのか。


 法こそが秩序であり、絶対的な"正義"――そのはずではなかったのか、と。


 彼らはこれまで、自分たちの生命と財産が法によって守られていると信じていた。

 正しい教育を受け、正しい教養を持ち、本能ではなく理性を尊重する。

 その理性によって生まれた共通の価値観こそが、正義という名の支配的規範。


 故に、自然界の弱肉強食という不文律が自分には当てはまらないと思い込む。



 しかしその論理は今、純然たる暴力によって打ち壊された。


 正義は御伽噺のように目の前に現れてはくれず、いつも後からやってくる。

 絶望に打ちひしがれた者に、遅れてきた正義は何も出来ることは無い。


 やがて、人々は気付いた。


 正義とは後始末の道具。抑止という名のまやかし。

 暴力から身を守るのは、それを上回る力だけ。

 強大な力を持つ"悪"が、正しい正義よりも秩序をもたらすという事実。



 "秩序"とは何か――


 確かなことは、正しさだけではそれを語れないということだ。




 ◇◆◇




 王都の一等地にある最高級娼館。

 そこは裏社会において"聖域"と呼ばれる場所の一つで、王都最大の闇組織の庇護下にあり、女首領『マチルダ』が縄張りとしていた。


 その娼館の一室で、私はとある女と会合している。

 


「どうだろうか。悪い話ではないと思うが」


「……」



 私の問いかけに、横柄な態度で座りながら黙しているのはマチルダの最側近で闇組織の女幹部の一人『エマ』だ。

 

 きめ細かい金髪に、切れ長の目。そして不自然なほどに映える白い肌。

 確かにあのマチルダにも劣らない美貌ではあるが、彼女の場合は美しさよりも威圧感を覚えてしまう。



「私たちには政界への強力なコネがある。そこに君たちの力が加われば、この国を正しく導き、新たな秩序をもたらすことができるだろう」



 私の家は代々王都に土地を持つ由緒正しい貴族の一つであり、私自身もいずれは家督を継ぎ、この国の中枢で国政を取り仕切る者となる予定だ。

 本来であれば、このような裏社会に生きる輩との接触はなるべく避けることが望ましい。


 しかし、この女はただの輩ではない。

 裏社会を専制すると言ってもいいほどの影響力を持つ組織、その中枢にいる者。

 王都から女帝が離れた今、その支配者に代わって支配を行う立場にある者。


 父や祖父の代にも裏社会の者たちを利用して政界を昇りつめたと聞く。

 ならば、私も避けては通れない道。

 高潔さだけでは政治はままならないのだ。



「無論、相応の見返りは約束する。私が体制を掌握すれば、君たちを王国公認の組織にしよう。そうなれば、あらゆる行為が正当性を得る。略奪は接収に、麻薬売買は嗜好品として扱い、殺人すら公開処刑として扱われることになるのだ」


「……」



 この譲歩は通常ならば考えられないほどに大きなもの。

 ならばなぜ、私がこのような話を持ち掛けているのか。


 それは、政局に大きな変化が生じたためだ。

 

 我が家を含め、これまで体制派の貴族たちが急速にその力を失った。

 原因は、忌まわしき『ローウッド』にある。

 

 これまで現国王『メトロス35世』は我々の派閥に寛容で、敵対するローウッド派に厳格なことで知られていた。


 それがある時期から急に方針が変え、王はローウッド寄りの決断をするようになったのだ。こうなってしまうと、これまで体制派だった我々を支援する豪商たちが鞍替えをしてしまう。


 そんなことは許されない。

 私たちこそがこの国の指導者たる地位に相応しい。


 だからこそ、どんな悪党だろうとも利用し、再びあるべき国の姿に戻すのだ。



「我々の手で国民を、この王国を正しく導く。もう一度問おう、エマ。これは、悪い話ではないだろう?」



 断るはずがない。私の身分はあちらも知っている。

 だからこそ、これがただの夢物語ではないというのは理解できるはずだ。



「――……あぁ、確かに。そりゃあ随分と"イイ話"だ」



 彼女は口角を吊り上げ、笑みを浮かべる。


 どうやら交渉は成立したようだ。

 初めからこうなることは分かっていた。

 正しいことはいつだってまかり通るものなのだから。



「流石だ。君たちはこれで、正義そのものとなった」



 私は承諾の証として手を差し出し、握手を求めた。


 しかし、返ってきたのは握手ではなく言葉。



「――――勘違いすんじゃねェ」



 差し伸べた手は空を切り、行き場を失う。

 交渉が成立したものだと思っていた私は、何が起きたのか分からなかった。


 

「我々? 国民? 王国だァ? 滑稽だぜ。黙って聞いてれば、いつもお前らは揃いもそろって主語がデカくなりやがる」


「一体、なにを――」


「これは、テメェらにとって"都合のイイ話"だって言ってんだよ、阿呆」


「……理解できないな。何が不満だ? 合理的に考えて、断る要素が見当たらない」


「クク……見当たらねぇときたか。つくづく、救いようがない」



 この女から不穏な雰囲気が漂い始める。

 私は本能的に一歩後ろへ下がった。



「分からないなら、教えてやる」



 そう言いながら億劫そうに立ち上がるエマ。

 そしてゆっくりとした動作で一歩私に近づく。



「例えば、往来で難民の小汚ねぇ餓鬼が泣きじゃくっていたとする。通りすがる人々はその餓鬼に興味が無く、足を止めることも無い。それ見たお前は、どうする?」


「……意味のない問いだ。誰だって、そう問われればその子供を慰めようと思うに決まっている。言葉にするだけなら容易いことだ」



 そう。これはまるで意味のない問いで、答えも陳腐なものに過ぎない。

 御伽噺のような都合の良い優しさは、誰もが思いつき、誰もが呆れてしまう。



「……で、お前はどうすんだ?」


「決まっている。私なら、子供を無視するだろう。その場を助けてやったところで、その子供が貧困から逃れることは無い。ならば、行うだけ無駄な偽善はするべきではない」



 ほんの少し理性を働かせ、現実をみれば分かることだ。

 御伽噺は所詮空想で、そんな空想を口にするようではまつりごとなど務まらない。



「はは……そういうところだ。テメェらには、"浪漫"がねぇんだよ」


「浪漫、だと……? ふざけるな! 私は御伽噺ではなく、現実の話をしている! 浪漫などという空想より遥かに理性的なものだ!!」


「合理、理性……お前らはそれが常に正しいと思い込み、そればかりを口にする。例え嘘でも、その餓鬼に寄り添ってやることも出来ねぇ」



 目の前の女は失望したような眼で私を見ながら、また一歩近づく。



「無駄な偽善だと? ずいぶん上から言ってくれるじゃあねぇか。正しいことだけをして、正しいことだけを叫べば、誰もが賛同するとでも思ってたか?」


「き、貴様、何を考えている!? これ以上、近寄るな!!」



 また一歩、女は踏み出す。



「何が王国公認の組織だ。何が正当性だ。バカじゃねぇのか? そういう小賢しいこととは無関係な所に、わたしたちは存在すんだよ」

 


 気付くと、もう手の届くところまで女は近づいていた。



「わ、私に手を出せば、ただでは済まないぞ!?」


「最後にチャンスをやる。お前に"生きる資格"があるかどうかを、な。……さっきの問い、もう一度よく考えて答えろ」



 ゆっくりと女の手が私の首を掴み、徐々に締め上げていく。



「ぐっ、……わかった! 助ける、必ず子供を助けると約束する!! だから――」


 ゴキッ



 鈍い音が鳴った。


 それが、私の首が折られた音だと気付いたのは薄れゆく意識の中、女の声が小さく聞こえたときだった。



「悪ぃな。悪党と約束事をするような役人は、信じねぇって決めてんだ」


「ふざ、け……」




 ◇◆◇




 部屋で私が"一人になった"のを見計らい、扉から娼婦のような装いの女たちが入ってくる。彼女たちは私の直属の配下だ。


 王都にいる組織の奴らはマチルダの部下であって、私のではない。

 そいつらを信用してないわけではないが、信頼まではしていない。

 だから、わざわざ古巣の都市から引き連れてきたのだ。



「それ、片付けておいてくれ」


「よかったんですか? エマさん。これ、一応肩書は衛兵の隊長格みたいですけど」


「構わねぇさ。こいつのために命を掛けて報復するような奴はいないからな」


「なんで分かるんです?」


「どいつもこいつも現実主義者リアリストだからだよ。一人の死体のために私らみたいな悪党に立ち向かうのは合理的でも、理性的でもない。そんなことが出来ちまう人間ってのは、飛びぬけた浪漫主義者ロマンチストだけだ」


「素敵ですねぇ。私らにもロマン、分けてくださいな」


「いくらお前らでも貸してやれねぇよ?」


「あら残念。エマさん、意外と束縛するタイプですか?」


「こうみえて私も浪漫主義者ロマンチストなんだよ」



 談笑しながらも配下の女たちは片付けを済ませ、部屋から退出していく。そして、外の通路からも気配が消えたことを確認した後、私は一通の手紙を取り出す。


 差出人はマチルダ。

 内容は、"ユーリー"を取り戻したという吉報。

 そして、"同胞"を組織に加えたという報告。


 

 相も変わらずお優しいマチルダのことだ。向こうでも肩身の狭い同胞を見かねて、手を差し伸べずにはいられなかったのだろう。

 だが、本来の目的が達成されたのであれば構わない。


 私は常々、マチルダは彼を甘やかしすぎだと思っていた。

 だからこそ一時的とはいえ、どこぞの女に盗られるなんて間抜けなことになる。


 私なら、一瞬たりともそんな隙を見せたりはしない。

 彼がよそ見をしないよう、常に彼の頭をこの胸で抱き締めるに違いない。


 それこそ、あのとき彼が私を抱きしめたように。

 私も、彼への優しさと愛を込めて抱き締めよう。

 

 

「さて、と。私もその時のために、準備を進めないとな」

 


 ユーリーを王国へ引き戻すべく、"私たち"は今奔走している。

 その一環として今回、政界に伝手があるという貴族に会ってみたのだが、まるでお話にならないほどの木っ端役人。器量が乏しすぎた。


 ユーリーに処分を下したのは、あの糞爺のローウッドだ。

 王国の重鎮にして、彼が尊敬するほどの器。


 爺を動かすには半端な力では難しい。

 そもそも私はこういう小細工には向いていないのだ。

 だから政界への介入は"他の仲間"に任せるとしよう。

 

 私は私なりに一刻も早く事を進めなければならない。



 そのはずなのだが――


「はぁ。マチルダの奴、ずるいぞ……」



 手紙からほんのりと匂う香りは、満たされた雌のもの。


 僅かな嫉妬と、溢れ出る劣情でその晩は身を悶えることになった。

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