第11話 リリスの願望
深淵の森のダークエルフ 『リリス』
エルフの中でも最も長く生きてきたエルフ。
人間にとっては恐怖と畏怖の象徴であり、エルフにとっては羨望と崇敬の対象。
人間のあらゆる国の歴史にその名を残し、エルフという亜人の強さと美しさを知らしめたエルフの王。
彼女の美貌はエルフの中でも一際輝き、白く透き通る美しい肌は薄暗い密林の中でも陰ることは無く、その朱い唇はどんな生物をも魅了するほど蠱惑的だった。
――ダークエルフ
肌の白いエルフに対し、なぜ彼女だけが"そう"と呼ばれたのか。
それは彼女が"影"を操る特異な魔法を扱うエルフであったためだ。
その力は人間の幾度とない侵攻を一度たりとも許さず、エルフの森を守り抜いたことから彼女の治めた国を"深淵の森"、黒い影を操る姿から"ダークエルフ"と呼ぶようになった。
やがて人間はエルフの森への侵攻を諦め、融和を試みるようになる。
当然、それまでの人間の行いを見てきたエルフたちはそれを拒み、派遣されてきた人間たちを一人残らず処刑した。
各国がエルフの扱いに混乱する中、ある国から1人の男が特使として融和のため深淵の森に派遣されることになる。
各国からは「無謀だ」と失笑されたが、その男は見事にエルフの国と和平を結び、生還した。
当時、人間に対して苛烈に拒絶していたエルフと和平を結べるとは思っておらず、男は逃げ帰ってきた罪人として祖国から捕らえられ、歴史にその名を残すことは無かった。
その男が国に戻ってからおおよそ百年後、エルフの王"リリス"自らがその男の国に訪れたことで和平の締結が真実だと知ることになる。
だが、それと同時にかの国はリリスの逆鱗に触れ、滅亡した。
そしてリリスは王位から退き、それから千年後『勇者』に討たれるまで亡国となったその場から動くことは無かった。
リリスが王位から退いてから数百年後、エルフたちは森を離れて人間の街へ降り立つこととなる。
そのとき、人間がエルフから聞いたとされる噂によれば、
――我々は王より制約を受けており、エルフから人間を傷つけることは無い
――我々は王と御子を見守る
――我々は王の願望が成就されることを望む
そのような言葉を人間に伝えたとされる。
王の制約とは、王の御子とは、王の願望とは何なのか。
今なお人間はそれを知ることができていない。
"君"を失ってからどれほどの年月が流れたのだろう。
同胞のエルフたちよりも遥か長い時を生きてきたというのに、君を失ってからの時間は永遠と思えるほど永く感じる。
それと同時に、君と過ごした日々は昨日のことかのように鮮明に思い出せる。
"また会える"――君の残した言葉が叶わないことだと分かっていても、それは呪いのように私を縛り続ける。
もしかしたらあの世から蘇り会いに来てくれるかもしれない、もしかしたら転生した君が会いに来てくれるかもしれない。
そんな馬鹿げた望みを胸に、私は惰性で生き続けた。
そして生きている間、私はずっと後悔に苛まれ苦しんだ。
『こんなことになるなら、君を離さなければよかった』
『君の自由を奪い、君の意志を踏みにじってでもこの手に納めておけばよかった』
――やがて私は生きる意志すら失い、それでも自ら命を絶つこともできず、誰かが私の生を終わらせてくれることを願っていた。
私がエルフの王として担ぎ上げられる前、君たち人間は脆弱で下等な生き物に過ぎなかった。
木の枝を振り回し、石を投げる程度しか抵抗する術を持たず、魔獣や魔物に命を奪われる弱者。
それがいつしか火を扱い、壁を築き、生存圏を確保しながらその数を増やしていくことで魔獣や魔物を追い払えるようになっていった。
そしてまた気が付くと今度は木の枝から鉄の剣に、石から矢じりへと道具を進化させ、力のない若いエルフたちにとって脅威足りえる生物になる。
遂には魔法すら扱える人間が出現し、力のあるエルフたちですら命を脅かされる事態にまでなったことにより、森中のエルフが私の下に集うようになった。
都合のいい話だ。
それまで私は力が強すぎるが故にエルフたちからも忌避されるような存在だった。
それが人間たちの急速な進化により、私の力に頼らざる終えなくなったのだ。
やがて私はエルフの国の王となり、人間たちから彼らを護った。
それでも私が独りであったことに変わりはなかった。
エルフたちがいくら私の周りに集おうとも、彼らは私自身ではなく私の力に惹かれているだけに過ぎない。
私が権力に興味を示さなかったのが好都合だったのだろう。
エルフの国の方針は、私の意志とは関係なく他のエルフたちが決めていった。
私は独りのエルフから、物言わぬエルフの王になっただけ。
何も変わりはしなかった。
人間たちが侵攻を諦め、かわりに親交を求めてきた頃、"君"はこのエルフの国にやってきた。
私の目の前で"君"は取り押さえられ跪いていて、この国の政治を執り行うエルフたちがいつも通りに人間の使者を処刑すべきだと騒いでいた。
そんな騒ぐエルフたちを余所に"君"は私だけを見つめていた。
ほんの気まぐれ、気の迷いで私は君に話しかけた。
「私の顔に何かついているか?」
普段何も言葉にしない私が声を出したことで、場は一気に静まり返る。
「すこし、寂しそうだなって思ってさ」
人間の言葉に、エルフは皆騒然となった。
"不敬だ" "人間風情が" "知った風な口を利くな"
エルフたちのどの言葉も、私の心情を表してはいない。
「なぜそう思う」
私の問いかけに、君はすこし笑って答えた。
笑って見えたのは、気のせいだったのかもしれない。
私たちエルフは、人間の表情など分からないのだから。
だけど、その瞬間なぜか笑っていると感じた。
「さぁな。ただ、君の目がそう語っていた気がしただけだ」
――私の目
同胞のエルフですら目を合わせることは無い私の目を、君だけが見てくれた。
「いい加減にしろ! 陛下、この痴れ者を即刻処刑にしましょう!」
「「そうだ! そうだ!」」
エルフたちが騒ぐ中、君と私は見つめ合っていた。
もうすこし、君を"理解"したい。
君が私を見てくれたように、私も君を見ていたい。
そう感じさせるこの感情は、一体何なのだろうか。
「黙れ」
私の一言で、それまで我が物顔で憤っていたエルフたちは青ざめ、沈黙する。
睥睨する私に目を合わせないよう俯くエルフたち。
その中で君だけが、君の目だけが私の胸を真っ直ぐ貫いていた。
「この人間は、しばらく私が預かる」
そうして君と二人きりで過ごす日々が続いた。
おおよそ10年の年月を経て、
その極僅かな時間は、それまで私が生きてきた永い時の中で最も幸福だった。
そして、君との間に子を授かることもできた。
この幸福がいつまでも続けばいい――そう思っていたとき、君は突然言った。
「一度、国に戻るよ」
「何を言っている、まだ来たばかりではないか。そんなに急がなくてもいいだろ」
「もう10年も経っている」
「まだ10年しか経っていない」
時間の感覚は最後まで合うことは無かった。
悠久に生きるエルフでは、人間の寿命がどの程度なのか計れなかったからだ。
「エルフと人間の"未来"のために、俺は一度国へ戻り伝えなければいけない」
"未来"――人間特有の言葉だ。
エルフにとっての未来は、将来の自分でしかない。
だが、人間にとっての未来は自らの死後の世界を指していた。
その時の私には、それが分かっていなかった。
「"未来"など、黙っていても勝手にやってくる。君が何かをする必要なんてない」
引き留めようと私は君を説得した。だけど君の考えは変わらない。
「それは違う。"未来"は、踏み出した先にしかない。黙って待っていても見えるのは先の視えない暗闇だけだ。暗闇の中を進むことだけが未来を創り、その跡に出来た道が歴史となる」
「……」
「心配するな、リリス。年内に"また会える"さ。その時は子供たちと一緒に、ずっと暮らそう」
私は、愛する君の意志を尊重することにした。
それに、四季が一巡する前に戻るといってくれた。
エルフからすればそれは瞬きする程度の刹那でしかない。
だから君を待つことにしたんだ。
……、……。
まだ、来ないのか?
君との子はこんなにも成長したぞ。驚くべき速さだ。
早く見せてやりたい。
……、……。
君との子は、どうやら別のエルフたちと子を成したようだ。
孫というやつができた。
しかし、気のせいだろうか。
たった50年しか経っていないのに、すでに老いている気がする。
……、……。
大変だ。私たちの子が死んでしまった。
たった70年しか生きていないのに、こんなにも早く寿命が尽きるとは。
まさか、人間もそうなのか?
いや、違う。君は戻ってくると言ってくれた。
死んでいるはずがない。
……、……。
嫌な予感がする。
たった100年程度で我慢ができなくなるなんて、幼稚と思われるかもしれない。
だが、今すぐ君の顔を確認したい。
独りは慣れていたはずなのに、君と別れてから感じる"孤独"は耐えられない。
私は旅経つ前、エルフたちへ"制約"をかけた。
一部のエルフは君との子を受け入れ、人間に対する嫌悪感を和らげつつある。
だが、未だ多くのエルフは人間に対して差別的感情を持っていた。
それは、急速に進化しつづける人間への"恐怖"からくるものだ。
人間を恐れる弱い心に、私は楔を打った。
やがて時間がそれを解決することを願って。
やがて私と君のような関係が築けることを願って。
あぁ、これがあのとき君がいっていた"未来のため"ってやつなのかもしれない。
私は、もう戻ってこれないことを直感していたのだ。
寿命が尽きることのないエルフが、自らの死後に思いを馳せるなど滑稽な話だ。
だが、これは私が
ァ――ァぁア――
もうすでに、きみはこのよにいない。
うそつき。またあえるって、いってくれたのに。
そうだ。きっと、またうまれかわって、あいにきてくれる。
それまで、ここでまっていよう。
まつのは、なれている。
はやくきてくれ、わたしがこわれるまえに。
1人の人間が、私の前に立つ。
私に見惚れていたが、すぐに気を取り戻したところを見ると人間の女のようだ。
人間の男ではこういう反応をしない。
私を見て、まともに話せた男は"君"だけだった。
「――お前が、深淵の森のダークエルフ 『リリス』か」
『……――こんなところに人間とは珍しい。何の用だ』
「お前なら私の"孤独"を癒せるか、それを確かめに来た」
『……孤独。フ、フフ、人間。お前の"ソレ"は孤独ではない』
「同じバケモノなら、分かるはずだ。強すぎる力は自らを孤独にする」
『いずれわかる時が来る。本当の孤独を知れば"正気"ではいられない』
「……うるさい。私の孤独が、お前には分からないだけだ!」
人間から眩い光が私に向かって放たれる。
この"力"は過去にみたことがある。
千年程前に、"人間の王"が使っていた魔法に酷似している。
だが、その程度の力では私は死ねない。
「魔法が、影に吸い込まれていく……?」
『人間、お前は私を殺してくれるのか?』
「……死にたいのか? ならなぜ、ここでずっと独りで生きている。死にたければ、自ら命を絶てばいい」
『フフ……したくても、できないのだ。ここでずっとある男を待ち続けている。だが、それは敵わない望みとも分かっている。だから、そうだな。今の私の望みは、私の生を終わらせてくれる者が来てくれることだ』
「……どうやら、お前はもうすでに生ける屍のようだ。お前と戦っても、私の孤独は満たされることは無い」
人間は、私に背を向け帰ろうとする。
『――待て。私の望みを叶えてくれるなら、孤独を無くす方法を教えてやろう』
私の言葉に、人間は足を止めた。
『いずれ、お前自身を見てくれる存在が必ず現れる。その者を手放さないことだ。永遠に、未来永劫、その魂を手放さないよう、"制約"をかけるのだ』
「……見てくれる存在? 何だ、それは。制約というのも、どういうことだ」
『その時になれば分かる。さぁ、私を殺してくれ。"影"を大人しくさせているうちに、はやく』
「……」
あぁ、これでやっと終わりにできる。
本当は、君と最期を迎えたかった。
人間の寿命が短くとも、君が逝くとき、私もその生を終えるつもりでいた。
君の最期に映るものは、私でいたかった。
私の最期に映るものは、君でいたかった。
この人間の娘は、上手くやるだろうか。
私と君の子らは、上手くやるだろうか。
願わくば、"未来"に私のような過ちを犯すものがいないことを祈る。
愛する者は、死ぬまで手放すべきではない。
死んでも、手放すべきではない。
愛しい君、再び会えることを私は願ってい――――
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