第10話 森人エド

 西の都市国家群『アクロス』――通称"エルフの国"


 一般的に、エルフは"森に住まう亜人"という風に思われており、人類はエルフを"森人"と呼んだりすることもある。


 それは間違いではない。


 人類が初めてエルフと遭遇したのは未開拓の森だったと歴史に記されている。


 だが、彼らは森に好んで生息しているわけではない。


 森の中で暮らしていた理由は、人類のように城壁を築き、外敵から身を護る必要がなかったためだ。


 それは猛獣だけでなく魔獣や魔物が闊歩する森でエルフを襲う天敵が存在しなかったことを表している。


 つまり、生存競争の険しい森の生態系において頂点に君臨するのがエルフなのだ。



 では何故、エルフが国家という集団的自衛手段を選ぶようになったのか。


 それはエルフに"敵"と呼べる存在が誕生したためである。


 その敵は『人間』――エルフと比較して刹那ほどの寿命しか持たないにも関わらず、その成長は留まることを知らない。


 穴倉に潜み、火を起こす程度の文明しか持っていなかった人間が、いつしかその数を増やし、魔獣や魔物、果てには魔族すらも淘汰してその生存圏を広げていった。



 人間の脅威的な成長にいち早く察知した古代のエルフたちは、当時最も強く、悠久の時を生きてきた『リリス』という名のエルフを頂点に国家を築いた。


 これにより、数で圧倒的に勝る人間の侵攻に対してエルフは生存圏を勝ち取れた数少ない種族となる。


 エルフが人間にとって"魔族"ではなく"亜人"となったのは、一重に人類と対等な力を持ち、対等な地位を死守できたからといえる。

 


 その後、人類とエルフは和平を結び、文化的交流やごく希に交配を行うことでエルフの文明が近代化していく。


 やがて、エルフの王『リリス』が退位するとエルフたちの結束も綻び、エルフ単独の国家は自然消滅して人間と共存する都市国家群『アクロス』が誕生した。



 一見するとエルフは人間との共存を選び、友好的な種族に思えるかもしれない。


 だが、実際にエルフを目の当たりにした人間ならその考えが間違いであると理解するだろう。


 事実、アクロスにはエルフしか立ち入ることのできない特区が存在する。そしてアクロスの法は、エルフが人間を裁くことはあってもその逆はありえない。


 つまり、アクロスにおいてエルフと人間は平等ではないのだ。




 ――古の賢人はエルフについてこう述べている


『彼らは友人ではなく、ただの隣人である。信用してもいいが、信頼まではするな』


『その美しさに惑わされてはならない。我々が彼らを花のように美しいと思うように、彼らは我々を花に群がる虫のように思っているのだ』


『決して怒らせてはならない。彼らは一度抱いた感情を忘れることは無い』



 これは、エルフの気性を正確にあらわす貴重な格言である。








 ――アクロス国境近くの都市


「嫌になっちゃうな。何でいつも僕なんだよ」


 ついつい愚痴を零してしまう。

 でも仕方のないことだ。エルフで人間とまともに会話ができるものは少ない。

 

 普通のエルフは人間に対して嫌悪感を抱く者が多すぎるのだ。


 だから、人間との対話はいつも限られたエルフだけが行っている。



「エド様、もうすぐフラン王国の大使殿が来られます」



 僕の横に立つ人間がそういった。

 彼は僕の補佐として付き添っている。


 僕は人間に対して他のエルフほど強い嫌悪感を持ってはいないが、他のエルフたちと同様に興味もない。


 それに加えて種族が異なるためかは分からないが、人間の顔の区別がつかない。


 辛うじて着ている服装や髪の長さで性別を推測することはできるが、その程度だ。


 そのため、人間と会う際は必ず人間の補佐をつけるようにしている。


 今回のような大国の大使を迎えるときに「人違いでした」なんてことが無いようにしないといけないからだ。



 暫く待っていると馬車一台が見えてくる。


 目を凝らしてみると、搭乗者は黒い前髪を七三に分けた人間。おそらく男だろう。

 馬車が近くまで到着し、その男と思わしき人間が降りる。



「アレだよね? フラン王国の大使って」



 隣にいる補佐に確認を取る。

 男もこちらに気付いたのか僕の方に体を向ける。


 僕は用済みになった補佐に帰るよう指示してから大使の男に近寄った。



「ようこそ、アクロスへ。フラン王国の新しい大使殿」


「フラン王国大使の"ユーリ・ハワード"です。そちらはアクロスの外交官で?」


「議長より大使殿の案内役をさせていただく森人の"エド"と申します」


「はは、森人とはずいぶん古い表現ですね。今や森に住まうエルフの数は極僅かと聞いていますが?」


「そちらの方が"人間"にとって馴染み深いと思っていましたが……どうやら僕の情報は古いようだ」



 ほんの少し前まで僕たちのことを"森人"と呼んでいたのに、もう古いと言われるは……これだから人間の感覚に合せるのは大変なんだ。



「人間もエルフについて理解を深めていると受け止めて頂けると助かります。ついでに我々も親睦を深めるため、お堅い口調は無しとしませんか?」


「そう言ってもらえると助かるよ。僕は畏まった言い回しが苦手でね」



 人間にしては随分と率直な奴だ。


 それに、今気づいたがこいつとは自然に会話ができている。

 

 大抵の人間は初めてエルフを前にすると緊張したり見惚れたりでまともに話すことができない。人間にとって僕たちエルフの容姿は端麗に見えるため、意識をしすぎてしまうのだろう。


 だが、僕たちが人間にそうであるように人間もエルフの見分けがつかないらしい。


 人間の男がエルフの男に愛の告白をしたのを見たときは笑ってしまった。



「君、エルフに慣れているんだね。どこかで会ったことあるの?」


「いや、エルフはエドが初めてだ。失礼だが、君は男性か?」





 僕の返答に、困ったような顔を浮かべる人間。


 僕の格好は肌の露出が少ない長ズボンに長袖のシャツ。人間なら男がよく着るような服装だ。


 だけど、人間にとってはどちらでも構わないだろ?

 君らは所詮、エルフの容姿しか見えていない。


 さっき君は『人間がエルフについて"理解"を深めている』と言っていたけれども、それは違う。


 結局のところ、人間はエルフに"憧れ"ているんだ。


 そして、憧れは理解から最も遠い言葉。


 理解できないものを恐れる君たち人間が、それを理解したつもりになるためにある言葉だ。


 別に、人間の憧れを僕たちエルフは拒絶しない。


 僕たちの言動を理解したかのように肯定して頷くのも――

 僕たちの真似をして同じものになったと思い込むのも――


 どれも僕たちにとって都合がよく、滑稽で、愚かしく、だからこそ扱いやすい。



「……どうやら、親睦を深めるにはまだ時間が必要みたいだな」


「人間に、親睦を深められるよ」



 短命の人間がエルフと同じ時を生きられるはずもない。

 つまり、君たちとは未来永劫親睦を深められないということ。


 別に、この人間が嫌いだから皮肉を繰り返したわけじゃない。


 ある意味で、これは親切心だ。

 僕は何一つ取り繕わず真実を話している。


 これは僕たちエルフを理解してもらおうとする僕の努力ともいえるだろ?



「はは、エルフなりの冗談か? ま、そんなに時間はかけないさ」


「そう、楽しみにしてるよ」



 僕の皮肉に彼は腹を立ててはいないみたいだ。

 鈍いのか、それとも寛容なのか。


 まあ、なんだっていい。

 君たち人間が何をしようと、僕たちエルフが感化されることはないのだから。








 合流後、現在いる都市を案内してまわった。


 商店街、住宅街、役所、その他主要な施設。

 エルフだけが立ち入れる特区だけは外から。


 そして最後に歓楽街。僕は、ここが嫌いだ。



「……ここが歓楽街。主に酒や、人間の女売られている」



 道に立ち並ぶ女の人間、いわゆる娼婦たちだ。

 僕らエルフは、この歓楽街に並んでいる娼婦たちの顔だけは見分けることができる。


 その理由は、彼女たちが"エルフもどき"と呼ばれる一族だからだ。


 昔、ごく希に人間とエルフが交配してできた子の末裔。


 その見た目はエルフのように肌が白く、端正な顔立ちで美しい容姿をしており、耳の長さと寿命以外は僕たちにそっくりな人間。



 "エルフもどき"の辿った歴史は悲惨だ。


 エルフの王『リリス』が王座にいた時はエルフと同等の扱いだった。

 それは『リリス』自身も人間との間に子を成していたからと云われている。


 そして彼女が突然王座を退いた後、エルフの純血主義を掲げる一族により"エルフもどき"たちは人間の世界へと放り出された。


 寿命も人間ほど短く、人間界の方が生きやすいだろうと思った穏健派のエルフたちも追放に反対しなかった。



 しかし、"エルフもどき"たちはその美しい見た目が仇となった。

 

 僕たちが人間界に降り立ち、アクロスという都市国家群ができてから初めてその惨劇を知ることになる。


 "エルフもどき"は人間たちに迫害を受け、捕らえられた者は愛玩用の奴隷として扱われていたのだ。

 

 当時のエルフたちは、すぐに彼女たちを奴隷という立場から解放した。

 

 だけど、それはあまりにも遅すぎた。


 "エルフもどき"たちは心の髄まで蝕まれ、奴隷から解放された後、エルフにも人間にも心を開かず、今も体を売って貧しい生活を送っている。



「……人間、ね」


「彼女たちをこうしたのは君たち人間だ。惨めだね、こんな風になるまで身をすり減らして、全く愚かだよ」


「怒っているのか?」


「怒ってる? 僕が? 変なことを言うね。ただ不快なだけだ」


 彼女たちを見ていると、いつもイライラする。

 きっと、エルフと同じ顔をした彼女たちがあまりに惨めだから不快なんだ。


「……じゃ、ここら辺で飯でも食うとするか」


 男はそういって道に並ぶ娼婦たちに声をかける。


(ご飯を食べるのに何故彼女たちに声をかける?)


 僕の疑問は、すぐに答えが返ってきた。



「おーい、エド。この辺で安くて量の多い飯屋あるか? 皆でいくぞー」


 そういって当てもなく歩き始める男。

 驚くことに、その後ろを彼女たちは追う。



「……おい、お前まさか彼女たちを全員買ったんじゃないだろうな」


 ――金に物を言わせ、偽善的な行為で彼女たちを侮辱するというのか


 ――お前たち人間が容易く触れていいものじゃないんだぞ




「何言ってんだよ。俺はただ『飯一緒に食べよう』って誘っただけだ」




 ……――信じられない


 普段生気すら感じさせないような彼女たちが、そんな理由で動くなんて。



「不思議そうな顔してるな」


「一体、なぜ」


「ま、お前みたいに怒った顔の奴も、欲望に塗れた顔の奴も嫌だったんだろ」


「怒った顔……僕は、何に怒っているというんだ?」


「さぁな。ただ、怒りってのは大抵、自分を"理解"して欲しいという感情だ。例えば『助けてあげたいのに、何で助けを求めないんだ』とかな」



 あまりにも具体的すぎる例えだ。

 そして、なんて稚拙な理由なんだろう。だけど、否定できない。


 今まで助けを求めてくるのを待っていた。

 そしたらいつだって力になってやろうと思っていた。


 彼女たちが安心して住めるように特区を作り、僕たちエルフがすぐ彼女たちを人間から助けられるように法を敷いた。


 だけど、それはあまりにも傲慢だ。

 助けてやる、なんて上から目線で苛立つ者に誰が助けを求めるのだろうか。


 僕の感情は、こんなにも幼稚なものだったのか。



「彼女たちだって人形じゃないんだ。相手を見て、相手を理解しようとする。難しく考える必要なんてない。一歩、歩み寄るだけで"理解"し合える」


「……簡単にいってくれるじゃないか。僕たちが、一体どれほどの年月を待ち続けているか分かっているのか!?」


 僕はまた怒りを感じている。


 今度は誰に理解してもらいたいと思っているんだろうか。



「簡単じゃないさ。ただ、歩み寄るために踏み出した一歩だけ前へ進める。エド、お前も前に進めよ」

 


 ――あぁ、道理でエルフが人間を恐れたはずだ


 悠久を生きるエルフと違い、人間は日々進んでいる。


 長い年月足踏みしていた僕を、この人間はたった1日で進めてくれた。


 彼の『人間がエルフについて"理解"を深めていっている』という言葉は、間違ってないのかもしれない。



 だって、彼に僕は理解してもらえたのだから。

 



 僕はその日、歓楽街で安い食事を囲みながら初めて彼女たちと話した。


 困っている事、足りない物、やりたい夢。


 今まで聞くことのできなかった、彼女たちの本音を"理解"することができた。



 ふと、隣で大して旨くもない料理を旨そうに食べながら彼女たちと会話する彼を見る。


「……ところで、何で僕が怒っている顔だって思ったの? 人間はエルフの表情なんて分からないと思っていたけど」


「何だ、改まって。……ま、目は口程に物を言うってことだ。ついでにこっちも1つ聞いていいか?」


「な、なに?」


「手持ちある? もしかしたらここの代金、足りないかも」



 ……すこし尊敬しそうになっていたところなのに、何とも情けない人間だ。


 だが、それでいいのかもしれない。


 "憧れる"には少し情けなく、"理解"し合うには丁度いい。



「今笑っただろ。表情、少しずつ分かるようになった。これで一歩親睦を深めたな」



 全く、遠慮も無くエルフの僕に距離を縮めてくるなんて。


 だけど、そういった彼の顔はすこし笑っているように見えた。


 僕もこの男に一歩、歩み寄ってしまったようだ。



「そうだね、ユーリー」



 体が熱くなる。今度は怒りではない。


 この感情は、何というのだろう。


 ただ一つ分かるのは、彼を見ていると感じる。


 きっと、僕は長くこの感情を抱くことになるだろう。


 そんな予感がした。

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