第8話 ある娼婦の独白

 ――王都の一等地にある最高級娼館


 そこの高級娼婦でもあり、女主人でもある妙齢の女。


 並の女では相手にならないほどの妖艶さを纏い、どんなに金を積まれても好みではない男とは一夜を共にしないという、娼婦の中でも最上級の女。


 そんな彼女でも、王都の一等地に店を構えるというのは容易ではない。


 同業者からの嫌がらせや闇組織に所属するならず者たちを相手に、女1人でやっていくためには後ろ盾が必要だ。


 当然、彼女にはそれがあった。


 彼女の店は王都の裏社会で最も影響力のある女首領『マチルダ』の庇護下にいるのだ。そのため、店は今まで一度も嫌がらせや恐喝を受けたことが無い。


 また、女主人はマチルダ個人と私的な関係があった。

 それは、"ある男"の情婦という共通点があり、2人の間には明確な上下関係があるということだ。

 

 当然マチルダの立場が上位で、女主人はその下。


 これは女主人自らがマチルダに頭を下げ、願い出たことである。


 最上級の娼婦であるということに誇りを持つ女主人が、何故そんな申し出をしたのか――それは、マチルダという女があらゆる面で女主人を上回っていたからだ。


 美貌、精神、才能、権力、そして何よりも愛情。


 同性ですら見惚れるほどの美しさと気品、あらゆる面で尊敬してしまう女が"その男"にだけ魅せる求愛の貌。


 その深い愛情を見せられ、マチルダからその男を奪うことを諦めた女主人は「せめて彼の愛人にして欲しい」と懇願した。


 たとえ無謀だと分かっていても、それでも諦めきれなかった。

 だから諦めるきっかけが女主人には必要だったのだ。



 しかし結果は女主人の予想に反し、マチルダはそれを許諾した。


 何故? ――女主人は疑問に思ったが、その理由はすぐに分かった。


 マチルダは自分の手中にある限り、その男を自由にさせてやりたいという考えを持つ女だったのだ。

 それは絶対に男を奪われないという自信と、自分を一番に愛してくれているという信頼の表れ。


 女主人は「完敗だ」と思いつつ、マチルダの許しの元その男の情婦となった。

 





 娼婦というのは度し難い。


 男はその欲情を発散するために娼婦を買っているだけ――そう分かっていても、一夜を共に過ごし、上辺だけの愛の言葉に心を動かされてしまう女を何度も見てきた。


 女を抱きながら愛を囁く男ほど信頼できないものはない。


 もしその言葉を本気にして女の方から男に迫ろうものなら、男は一目散に逃げていくだろう。


 そんなことを繰り返しながら女たちは涙を流し、狂い、そしてより妖しく、美しくなっていく。

 次は、男を狂わせるために……。女とは、業の深い生き物なのだ。




 私も、つい最近男に逃げられた。


 ただ、自分の名誉のために言えばその男は客ではない。私は滅多に客を取らないし、上辺だけの愛を信じたりはしない。


 私はその男を深く愛していたし、今でも未練がある。

 だが、男との別れ際、私は感情を抑えられず衝動的に手が出た。自分でも驚くほど強く、彼の顔を平手打ちしてしまった。

 

 こんなに感情的になるほど人を愛することは、もう無いかもしれない。





 彼と出会ったのは王都の繁華街、そこにある店で酒を浴びるように飲んでいた私にその男が声をかけてきた。


 そいつは特段容姿が整っているわけではなく、黒い前髪を七三に分け、ヘンテコな黒メガネをかけた変わり者だった。


 しかし、話しているうちに不思議な魅力に惹かれていき、気付いた頃には男を自分の部屋に招いていた。


 それなのに彼は私を部屋まで送った後、そのまま帰ろうとした。



「抱いていかないの?」


「酔いつぶれた女は抱かない主義だ」


「あんなの呑んだうちにはいらないわ」


 まさかここまで来て抱いていかないとは予想もしていなかった。


 自慢ではなく、男なら誰だって抱きたくなるような女だと自負している。

 それを生業にしているのだ。自慢になるはずもない。


「酔っ払いは皆そういうんだよ」


「……いくらなら抱いてくれる?」


 滑稽な話だ。

 金で男に抱かれる娼婦が、男を金で買おうとするなど。


 だが、私はどうしてもその男が欲しくなった。


「おいおい、女を売るあんたがそんなこと言っていいのか?」


「……気付いてたの」


「あれだけ高い酒を安酒のように飲んでる若い女がいたら、誰でも見当がつくさ」


「で、私が娼婦だから抱けないわけ?」


 結局、この男もそうなのだろうか。

 娼婦というだけで愛する対象になれないという現実。


 分かっていても、とても惨めな気持ちになる。


「ここで酔いつぶれた女を抱くような男を、君は愛せるのか?」


「……? どういうこと?」


「男はどんな時も、"イイ女"の前では愛される男でいたいってことだ」



 彼はそんな歯の浮くような台詞を残し、部屋を出ていく。


 笑ってしまうほど紳士的な男だ。


 言葉だけなら誰でも言ってしまう陳腐な台詞。

 しかしそれを実行しているのだから、皮肉ではなく本当に紳士的な男だと思う。


 ましてやここは密室。

 人目も無く、女の部屋で2人きりになり、女から抱いて欲しいと言われて、果たしてどれほどの男が彼と同じことができるだろうか。


 私は次の日、深酒したことを後悔した。逃した魚はあまりにも大きい。





 その後、名前すら名乗らず出ていった男を私は探し回った。


 そして分かったのは、彼は国の役人であるということと、すでに"厄介な女"に目をつけられているということ。


 厄介な女の名はマチルダ。

 この王都で夜に生きる人間なら誰もが知る名だ。


 私はその女を良く知っている。

 店を護るためその女の組織に用心棒代を払い、その庇護下に置かせてもらっているのだから。


 そして何より、初めて私が"勝てない"と思った女でもある。



 "美人"なんていうのは、上手く化粧して愛想がよければ簡単にできる。

 あとは体型を維持して、男の興味がありそうなものを調べて会話ができれば簡単に惚れさせることができる。


 つまり、"美人"というのは努力次第なのだ。

 少なくともマチルダという女に出会うまではそう信じていた。



 しかし、彼女に初めてあった時に「あぁ、目を奪われるというのはこういうことか」と実感した。


 ――彼女が歩けばそのしなやかな脚に

 ――彼女が振り向けばその滑らかな髪に

 ――彼女と向き合えばその輝く黒い瞳に

 ――彼女が喋ればその艶やかな赤い唇に


 努力など、とんでもない。

 本物の"美しい人"というのは何をしても視線を引き寄せる魔性のようなものだ。



 もし、そんな女があの男に目をつけているとしたら勝ち目はないかもしれない。


 それでも私は諦めきれなかった。

 たった一度会っただけの男に何をと思うかもしれないが、女の寿命はとても短い。


 花よりも早く、四季よりも劇的に変化していくのが女という生き物。

 その中で最も美しくいられる時間は極僅か。


 その間にどれほどいい男と共にいれるかが女の人生の価値を決めるといっても過言ではない。


(もしかしたら、唯の噂に過ぎないのかもしれない。あれほどの女が、ただの一役人に過ぎない男を求めるはずがない)


 そんな期待を込めて、私はあの男に直接会いに行った。



 そこで見たのは、変わらずヘンテコな黒眼鏡をかけたあの男と隣に歩く1人の女。


 ――後ろ姿でも分かる


 あの視線を引き寄せる魔性は、例えこの王都といえどマチルダしかいない。



 しばらく様子を伺っていると、マチルダと視線が合う。


 かなり離れたところの物陰から見ていたはずなのに、間違いなく気付かれた。


 それは女の直感というやつなのだろうか。


 "この男は私のもの"と言わんばかりの独占欲が為せる超人的技に違いない。


 そして見せつけるかのように、マチルダはあの男の唇を奪う。


 その貌はどの娼婦よりも淫靡な雰囲気を纏い、そのキスは娼婦の私すら欲情に駆られるほど艶めかしい求愛だった。


 万年発情期の若い男でさえ想像することもできないほどの性的魅力、あれを正面から受けても立っていられるあの男も、尋常ではない。


 

 長いキスの後、マチルダは男とその場で別れた。


 それを見て立ち尽くす私に、マチルダは真っ直ぐこちらに向かってくる。



「あら、誰かと思えば娼館の店主じゃない。何か私に用?」


 おそらく、マチルダは分かっていたはずだ。

 私があの男の後をつけていたことに。


 そして釘を刺しに来たという訳だ。

 "私の男"に何の用なのかと。


「……――恋人とはいわない。せめて、"彼"の愛人になりたいの」


 マチルダ、あなたに勝てないのは分かった。分かっていた。

 

 だけど、私にも男を欲する権利くらいあるでしょ?


 それすらダメだというなら、はっきり言葉にして言ってちょうだい。


 でなければ、私は諦めきれない。




 そんな強い気持ちを込め、私はマチルダを睨んだ。


「……へぇ? ……――別にいいわ。"まだ"彼は私のものじゃない。それまで彼の自由にさせてあげるわ。昔から女好きだから、止めるだけ面倒なの」


「――え?」


 予想に反し、マチルダはそれを許諾した。


 独占欲が強く、それ故に嫉妬に狂った彼女に八つ裂きにされると覚悟していた私は呆気に取られる。



「だけど忠告してあげる。あまり、彼に入れ込みすぎないことね」



 そういって、要は済んだとばかりに歩き去っていくマチルダ。


 私は、これで気兼ねなく彼と会えると喜んだ。


 マチルダの最後の言葉は、"私の男だから本気になるなよ"という意味だと思い、深くは考えなかった。





 そして彼の情婦となり、娼館も上手くいっていて充実した日々を送っていたとき、突如一方的な別れを告げられることになる。


 その時になってようやく、マチルダの忠告の意味を理解できた。



 あの男は"毒"だ。女を狂わせる毒。



 長く共にいればいるほど抜け出せない中毒状態になる。

 その効果は人間だけでなく、マチルダのような魔性にも効いてしまう猛毒。


 私は彼の情婦になってからも、滅多に会えるわけではなかった。


 それでも彼を失ったという事実は、耐え難い痛みだった。


 不幸なことに、この痛みに効く薬はない。


 唯一の対策は、再び毒を飲むこと。毒を以て毒を制す。あの男は女にとって、甘美な毒だ。




 そして最も驚いたのが、マチルダも彼に別れを告げられたという噂。


 もし、それが事実だとしたらマチルダの精神は想像を絶するほど壊れているはずだ。

 

 実際、ここ最近王都で彼女を見ない。

 そのせいか王都の治安が乱れ始めているらしい。


 だけど私は確信している。


 あのマチルダが簡単に諦めるはずがない。

 

 きっと、誰よりも涙を流し、狂い、そしてより妖しく、美しくなっているはずだ。


 ――次は、あの男を狂わせるために。







 ある日の朝、娼館の前に1人の女がきた。


 どうやら私を訪ねて来たらしい。


「何か用? ここはあんたみたいな若い娘が来るところじゃないよ」


 その女は化粧をしていなかったが整った顔をしていて、間違いなく美人といわれる部類の若い女だった。


 しかしその焦点は定まっておらず、どこか妖しげな雰囲気を纏っている。



「……――お前じゃない」



 それだけをいって、立ち去っていく若い女。

 何かブツブツと呟いていたが、上手く聞き取ることはできなかった。


 ただ「どいつだ。誰が私の――リーを誑かした」といっているのは聞き取れた。


 私を誰かと勘違いしていたみたいだ。

 

 一つだけはっきりしていることは、あの若い娘も男に狂っているということ。


 でなければ、あの若さであれほどの妖しい美しさを持つはずがない。




 あぁ、何という事だろう。


 またここにも"毒"に犯され、妖しくも美しくなっていく女がいた。


 次は、その男を狂わせるために。



 ――女とは、業の深い生き物だ

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